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EX.ACT「キツネとウサギの防衛線」
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械匠ダールハムの助手たちとともにパキラがダンバーに身を寄せて、四日が過ぎていた。
ダンバーの械匠ギルドはアースラの書状の効力もあって、あっさりとパキラに正式な資格を認めた。未熟とはいえ、今や彼女はダールハムの後継者であった。
養父がダンバーのギルドで使っていた設備一式は、公式に彼女の管理下に置かれた。
小型の作業用護令械が休みなく突き続ける、散水ポンプの音が聞こえてくる。背後の山脈から流れ落ちる地下水をくみ上げて、工房の前庭や屋上の石床に撒き、蒸発させるためのものだ。
その気化熱がささやかな涼をもたらす仕組みだが、工房の中では幾つもの炉が燃え盛り、せっかくの散水ポンプもほとんど意味をなさぬほどの熱気に包まれていた。
表通りの方から輜重械が歩行する音と大勢の人間の足音が響いてくる。
パキラはその音にかすかな期待を覚えて、作業の手をしばし緩めた。たぶん、軍の一部隊か、隊商の一団が街に入ったのだ――ヴォルターたちかも知れない。
その喧騒の中から抜け出して、誰かがやってくる気配があった。足音がひとつ、工房の入り口を抜けて近づいてくる。
「おおい、この工房の責任者は誰だ!? 渉猟械『メイザフォン』を受領しに来た、共鳴の手筈を頼む!」
(ヴォルターじゃない……誰?)
パキラはそちらへ向かって顔を上げ――次の瞬間、ポンプの作動音に交じって別の鋭く重い音があたりに響いた。パキラの手から、愛用の鍛冶用ハンマーが滑り落ちていた。
「なんで……あんたがここにいるのよ」
怒りと戸惑いに声がひきつる。彼女が指さしたその先には、浅黒い肌に金髪の凛々しいメレグ僧ではなく、顔の下半分に青あざのあるキツネ目の男がいた。
忘れようもない。流賊ラワジート一味の幹部格だった『騎士崩れ』エルゴンだ。
「……そいつはこっちのセリフだぜ、パキラ。まさか、あのメレグの小坊主もここにいるのか?」
エルゴンの顔にかすかな動揺が浮かぶ。パキラはそれを見逃さなかった。
「気になるなら、自分で探してみれば?」
「ふ、ふん……言われてみれば、あの空飛ぶ護令械は見当たらないようだな。それで? まさかお前、正式な械匠になったのか?」
「……そうだけど」
「たまげたな。どんな手品を使いやがった」
まともに相手をしてやることはためらわれた。だが、ラワジートたちに捕らえられていた数週間の記憶、半人前の械匠見習い、身の程知らずの小娘と嘲られた日々の怒りがふつふつとこみあげてくる。
――こいつに一矢報いる最良の一撃があるとすれば。
「渉猟械マーガンディを野外で修理して推薦を頂いたのよ! あんたこそ、流賊の残党の分際で渉猟械を持ち出そうなんて……衛兵! 衛兵ー!」
「ばっ……ふざけんな! 俺はもう流賊じゃねえ、正規の近衛騎士だ!」
「誰の許しを得てそんなことを!!」
「お前こそ、そんな適当な推薦誰から!!」
「姫様よ! アースラ第三王女よ!!」
「俺だって姫様からお許しをだな!」
まくしたてる途中で、「えっ」と双方から声が漏れた。
「アースラ姫様が、あんたなんかを?」「姫様が、お前なんぞを?」
つかみ合いに移行しそうな間合いで顔を見合わせる。
「そ、そーなのか」「そうなの……」
互いに相手の顔を見て思う。自分もきっと、こいつとそっくりの「納得いかない」といわんばかりの表情をしているのだろう、と。
「ま、まあそのへんは後でゆっくり話すか……」
「ゆっくり話すのは嫌だけど、後回しにするのは賛成」
それで、と言いながらエルゴンは視線を持ち上げ、自分が受領すべき械体を探した。
「メイザフォンはどれだ? 少々特殊な械体だと聞いたが……?」
工房の南側に並んだ乗械壇の前に立つ一械が、エルゴンの目を引いた。
朝焼けを映す雲のような淡紅色に塗装された細身の械体。側頭部から後ろへ長く伸びた、ちょうどウサギの耳を思わせる形状の外観を具えた頭部。
装甲は最小限の面積に抑えられ、脚部のバランスからもいかにも俊敏なイメージがある。
「アレがそうか! よし、気に入ったぜ」
左足を不自由そうに引きずった姿からは予想のつかないスピードで、彼は壇上に駆け上がった。その瞬間、偶然にも操縦籠の鉄蓋がガクンと跳ね上がって開いた。
「ちょっ、ダメ! それ違う! それはメイザフォンじゃなくて……」
慌ててパキラが制止するが、その声が届くよりも早く――エルゴンが操縦籠に飛び込み、中から悲鳴が上がった。
――あいええええええええ!?
――誰だお前!!
――すみませんすみません部屋をまちまいがしたーーーッ……違う! 違う! ここ宿屋じゃない!! あなたは誰ですか、ここは私の操縦籠です!
「あっちゃあ……」
たちまち巻き起こったけたたましい混乱に、パキラは頭を抱えた。
「エルゴン、この早とちりのバカ! それはメイザフォンじゃないわ、騎士パーシヴァム・ロギの私有械体『スクロス・マイ』よ!」
手首にかみつこうとする短髪の若い騎士を振りほどきながら、エルゴンがスクロス・マイの操縦籠から滑り落ちる。
「メイザフォンはあっち! あの黄色いヤツ!」
エルゴンがパキラの指さす先を仰ぐ。
そこには、曲線的な形状の分厚い装甲を前腕部に備え、肩回りを逆に軽量化した、これも特徴的な黄色い塗装の渉猟械があった。
頭部はヤムサロなど北方の地域で使われる兜の一種に似て、前方に尖った形状の面頬が視覚器を覆っている。
「こ、こっちか……」
エルゴンは気を取り直して壇を下り、工房の中を横切ってメイザフォンのところへと向かった。今度は左足をことさらに重そうに引きずっていた。
ダンバーの械匠ギルドはアースラの書状の効力もあって、あっさりとパキラに正式な資格を認めた。未熟とはいえ、今や彼女はダールハムの後継者であった。
養父がダンバーのギルドで使っていた設備一式は、公式に彼女の管理下に置かれた。
小型の作業用護令械が休みなく突き続ける、散水ポンプの音が聞こえてくる。背後の山脈から流れ落ちる地下水をくみ上げて、工房の前庭や屋上の石床に撒き、蒸発させるためのものだ。
その気化熱がささやかな涼をもたらす仕組みだが、工房の中では幾つもの炉が燃え盛り、せっかくの散水ポンプもほとんど意味をなさぬほどの熱気に包まれていた。
表通りの方から輜重械が歩行する音と大勢の人間の足音が響いてくる。
パキラはその音にかすかな期待を覚えて、作業の手をしばし緩めた。たぶん、軍の一部隊か、隊商の一団が街に入ったのだ――ヴォルターたちかも知れない。
その喧騒の中から抜け出して、誰かがやってくる気配があった。足音がひとつ、工房の入り口を抜けて近づいてくる。
「おおい、この工房の責任者は誰だ!? 渉猟械『メイザフォン』を受領しに来た、共鳴の手筈を頼む!」
(ヴォルターじゃない……誰?)
パキラはそちらへ向かって顔を上げ――次の瞬間、ポンプの作動音に交じって別の鋭く重い音があたりに響いた。パキラの手から、愛用の鍛冶用ハンマーが滑り落ちていた。
「なんで……あんたがここにいるのよ」
怒りと戸惑いに声がひきつる。彼女が指さしたその先には、浅黒い肌に金髪の凛々しいメレグ僧ではなく、顔の下半分に青あざのあるキツネ目の男がいた。
忘れようもない。流賊ラワジート一味の幹部格だった『騎士崩れ』エルゴンだ。
「……そいつはこっちのセリフだぜ、パキラ。まさか、あのメレグの小坊主もここにいるのか?」
エルゴンの顔にかすかな動揺が浮かぶ。パキラはそれを見逃さなかった。
「気になるなら、自分で探してみれば?」
「ふ、ふん……言われてみれば、あの空飛ぶ護令械は見当たらないようだな。それで? まさかお前、正式な械匠になったのか?」
「……そうだけど」
「たまげたな。どんな手品を使いやがった」
まともに相手をしてやることはためらわれた。だが、ラワジートたちに捕らえられていた数週間の記憶、半人前の械匠見習い、身の程知らずの小娘と嘲られた日々の怒りがふつふつとこみあげてくる。
――こいつに一矢報いる最良の一撃があるとすれば。
「渉猟械マーガンディを野外で修理して推薦を頂いたのよ! あんたこそ、流賊の残党の分際で渉猟械を持ち出そうなんて……衛兵! 衛兵ー!」
「ばっ……ふざけんな! 俺はもう流賊じゃねえ、正規の近衛騎士だ!」
「誰の許しを得てそんなことを!!」
「お前こそ、そんな適当な推薦誰から!!」
「姫様よ! アースラ第三王女よ!!」
「俺だって姫様からお許しをだな!」
まくしたてる途中で、「えっ」と双方から声が漏れた。
「アースラ姫様が、あんたなんかを?」「姫様が、お前なんぞを?」
つかみ合いに移行しそうな間合いで顔を見合わせる。
「そ、そーなのか」「そうなの……」
互いに相手の顔を見て思う。自分もきっと、こいつとそっくりの「納得いかない」といわんばかりの表情をしているのだろう、と。
「ま、まあそのへんは後でゆっくり話すか……」
「ゆっくり話すのは嫌だけど、後回しにするのは賛成」
それで、と言いながらエルゴンは視線を持ち上げ、自分が受領すべき械体を探した。
「メイザフォンはどれだ? 少々特殊な械体だと聞いたが……?」
工房の南側に並んだ乗械壇の前に立つ一械が、エルゴンの目を引いた。
朝焼けを映す雲のような淡紅色に塗装された細身の械体。側頭部から後ろへ長く伸びた、ちょうどウサギの耳を思わせる形状の外観を具えた頭部。
装甲は最小限の面積に抑えられ、脚部のバランスからもいかにも俊敏なイメージがある。
「アレがそうか! よし、気に入ったぜ」
左足を不自由そうに引きずった姿からは予想のつかないスピードで、彼は壇上に駆け上がった。その瞬間、偶然にも操縦籠の鉄蓋がガクンと跳ね上がって開いた。
「ちょっ、ダメ! それ違う! それはメイザフォンじゃなくて……」
慌ててパキラが制止するが、その声が届くよりも早く――エルゴンが操縦籠に飛び込み、中から悲鳴が上がった。
――あいええええええええ!?
――誰だお前!!
――すみませんすみません部屋をまちまいがしたーーーッ……違う! 違う! ここ宿屋じゃない!! あなたは誰ですか、ここは私の操縦籠です!
「あっちゃあ……」
たちまち巻き起こったけたたましい混乱に、パキラは頭を抱えた。
「エルゴン、この早とちりのバカ! それはメイザフォンじゃないわ、騎士パーシヴァム・ロギの私有械体『スクロス・マイ』よ!」
手首にかみつこうとする短髪の若い騎士を振りほどきながら、エルゴンがスクロス・マイの操縦籠から滑り落ちる。
「メイザフォンはあっち! あの黄色いヤツ!」
エルゴンがパキラの指さす先を仰ぐ。
そこには、曲線的な形状の分厚い装甲を前腕部に備え、肩回りを逆に軽量化した、これも特徴的な黄色い塗装の渉猟械があった。
頭部はヤムサロなど北方の地域で使われる兜の一種に似て、前方に尖った形状の面頬が視覚器を覆っている。
「こ、こっちか……」
エルゴンは気を取り直して壇を下り、工房の中を横切ってメイザフォンのところへと向かった。今度は左足をことさらに重そうに引きずっていた。
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