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ACT2:妖魔王の旌旗
追撃と合流の輪舞曲
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アースラとその一行はモルテンバラ上街道を北上し、これまで東に望んでいた小ゲクラ山脈へとまっすぐ分け入るコースをとりつつあった。
このあたりの平野は豊かな穀倉地帯だ。大夏前に刈り取られた麦畑が、幅広い刷毛でなぞったような線を連ねてどこまでも広がっている。
行軍のさなか、アースラはふとサーガラックを立ち止まらせ、西の方角を振り返った。そこには一帯に地下水を供給する、穏やかな姿の山脈が横たわっていた。
(あの峰々の奥にあるのじゃなあ……)
我知らずそんな言葉が漏れる。ふり仰いだその先に垣間見える入り組んだ稜線――それこそが、メレグ山だった。
ディアスポリア各地を行脚して拳法を磨く、寡黙な修道僧たちの揺籃である。神々の加護に頼らず人が己の力のみを鍛えてたどり着く武の境地、その先にこそ悟りと神性への道がある、と説く宗門『闘神教団』の総本山だ。
「殿下、いかがなさいましたか」
並走する輜重械の甲板上から、ガイスがこちらをふり仰いだ。
(おっと)
いかんいかん、とアースラは密かにかぶりを振った。メレグ山の事が気にかかった、などと部下たちに知られることは避けたい。
そしてそれを頭の中で明確な言葉にしてしまえば、アースラはもはや自覚せざるを得なかった。どうもここまでの旅程、ヴォルターのことがずっと頭を離れないのだ。
王国の守りのためにカイルダインが必要だ、という思いと、廃墟で目にしたものが生み出した、錯綜した想念――それが絡み合ううちに、何か全く別の物に結晶しつつある。そんな気がした。
「何でもない、先を急ごう」
「はっ」
隊列は再び進みだす。日没から数時間を経て、彼らは北西街道との合流点に近づいていた。この辺りまで来れば、そろそろ避暑地へ向かう行列が姿を現してもおかしくない。
だが、街道上に人の気配はなかった。
(はて、このあたりは混乱が起きているものと予想しておったが……)
ボルミ陥落の報に接して恐慌をきたした旅行者たちの混乱を収拾する。そのためにここまで軍を率いてきたのだ。だがどうやら街道の状況はアースラの予想とはいささか異なったものになっているようだった。
(まずいな……早急に行動計画を再検討せねば。今は、些細なものでもいいから情報が欲しい)
そこへ、部隊に先行して物見に出ていた騎兵の一人が戻ってきた。片手に高々と、何かを掲げている。
「姫様、本道の脇にこのようなものが!」
騎兵の手にあるそれは、一見してなんのへんてつもない銅の鍋のように見えた。だが、月明かりに浮かぶその鈍い輝きは、なにやら奇妙にアースラの胸を騒がせた。
〈よく見たい、ここまで投げよ。礼法にはこの際目をつぶってよい〉
兵士が下手投げに放り上げた鍋を、アースラは操縦籠を開け、身を乗り出して器用に掴み取った。手元で子細に眺めれば、それは高いところから落としたように数か所がつぶれ、へこんでいた。
〈ふむぅ。よし、案内せよ〉
手に持ったまま操縦籠に戻り、蓋を開け放ってそのままサーガラックを発見場所へと進ませ、辺りを見回した。
(はて? このあたりにはこの鍋が落ちてくるような高い場所も、民家もないが……)
アースラは知っている。戦の趨勢を左右する重大な局面というものは、ちょうどこんな風に何気ない姿でその訪れを告げるものなのだと。
次の瞬間、アースラは眼下の地面に残された特徴的な凹凸に気が付いた。それは大型の輸送用輜重械が歩行によってつけた足跡であるように思えた。その瞬間、頭の中に閃光が走る感覚。
「灯りをもて! 地面に輜重械の足跡がある。どちらへ向いているか確かめて報告せよ」
輜重械の足裏、接地面の形状は機種によってそれぞれ特徴があるが、いずれも前後の区別がはっきりわかるようになっているのだ。数人の兵士が騎雉を降り、あわただしく地面を角灯で照らして走り回る。
――新しいものはぁー、南へ向かっておりまぁーす!
「そうか……」
アースラの頭脳はめまぐるしく思考を巡らせ始めた。南へ向かう足跡のほうが新しい――ならば避暑地へ向かう人々を反転させた何らかの状況が、峠にあるのだ。恐らくはボルミからの難民、あるいは最悪、妖魔王軍の先遣隊が到達したか?
兵士たちには更なる労苦を強いることになるだろう。だが王国の防衛のためにはおそらくここが分水嶺となる。
アースラはサーガラックの腕を大きく振り、南の方向を指し示して叫んだ。
〈命令を伝える。ガイスは輜重械マハーチャンドラとその乗員、それと騎雉隊十騎を連れてダンバー方面へ向かえ! 守備隊と連携して街の守りを固めるのじゃ。必要な物資は遠慮なく徴発せよ。近隣の住民を使役しても構わん、妾が責任をとる〉
ガイスが胸に手を当てて一礼し、騎兵たちとともに新たな隊列を組み始めた。
〈残りは関所へ! 妾はサーガラックで先行する!〉
朱色の械体が北西街道へと足を踏み出そうとした刹那。マハーチャンドラの甲板から手を伸ばして叫ぶ者があった。
「姫様……! 私にもなにとぞ……王国のために働く機会を今一度お与えください。なんなりと、ご命令を!!」
顔面にはいまだ包帯が残り、傷めた足をかばい杖にすがって立つ、その姿。
(……エルゴンか。どうしたものか)
アースラは一瞬迷った。あの男の素行は騎士の名に値しない。いわばゴミクズだ。
だが、能力だけはある。渉猟械を操るその能力だけは、認めざるを得ない。そして、それは今まさに何よりも必要で、そして不足しているものだった。
(この妾に、取引を持ち掛けようというわけか。不遜なやつめ……まああよい、その取引にのってやる)
アースラは唇をゆがめてひとり、笑った。一瞬視線を宙にさまよわせ、かの町に配備された械体のリストを思い浮べる。ちょうどあの町には――
〈珍しく殊勝なことよな。よかろう、ガイスとともにダンバーへ向かい、械匠ギルドに出頭して保管中の渉猟械『メイザフォン』を受けとれ。然る後、ダンバー北方の街道周辺を守りつつ別命あるまで待機するのじゃ〉
「おお……私に渉猟械を。あ、ありがたき仕合せ!」
演技か、さもなくば真情からか。エルゴンは言葉を詰まらせ叩頭してアースラに謝した。
〈……まあ、おそらくは後詰、地味な仕事になろう。だが怠りなく励むがよいぞ。働き如何によってはこれまでの罪を減じ、もう一度機会を与えぬでもない。メイザフォンは旧式で癖の強い械体じゃが、お主ならいかようにも操れよう。〉
「ははぁっ!!」
遠ざかるマハーチャンドラの上で、エルゴンがいつまでも頭を甲板に擦り付けているのが見える。
アースラにとって、これは賭けだった。あの男を心服させコントロールできるか。それとも所詮裏切る程度の男か、そして自分は裏切られる程度の将なのか?
裏切られるようなら、そこまでだ。キッと眉を上げて正面の映像面を凝視すると、彼女は再びサーガラックに歩を進ませ、もう振り返らなかった。
* * * * * * *
カイルダインは関所の方角へ向かって駆け足で移動していた。手にはグラムドレッドの渉猟械が残した軍旗の先端部分――抱き枕風グロ絵の旗と半切れの旗竿があった。
「なあ、なんで飛ばずに地面を走ってるんだっけな? 俺、さっきから特に走るイメージをしてないんだが」
(……魂跡華をかなり大盤振る舞いしましたので、そろそろ節約しようかな、なんて。これから先も何があるかわかりませんからね)
そう言われて視線を動かすと、映像面下部のインジケーターに、魂跡華の残量が表示されていた。
――35ポイント。
「おい……仕送りを早々と使い込んで、残りの日数をご飯にふりかけでしのぐ大学生かよ。さっきの大技ぶっ放す前に忠告したじゃないか!」
(よくわからないたとえですが、『佩用者に言われたくありません』とお返しすべきところであろうと推察します。あと、走ってるのにはもう一つ理由がありまして。どちらかと言えばこっちがメインです)
その思念と同時に、映像面の一部が切り替わり、やや遠くの光景が拡大される。そこには、月光の下を関所からこちらへ向かって移動する、妖魔王軍の騎兵部隊の姿があった。
「む、これは? ガラヴェイン卿とタラスが敵を押し返したのか」
(そのようです。あの騎兵部隊は退却中、ということですね。魔甲兵もほぼ壊滅、戦力差がくつがえりさらに開いていく状況で、後続部隊との合流を選択したのでしょう)
「……なるほど。つまり、その進路に、俺たちが?」
(正しくは、『その進路を、俺たちが』です! さあ佩用者、ここはちょうど両側を崖に挟まれた隘路、彼らにとってはまさに死地!)
羽扇を手にした長身の男がいやらしくほくそ笑む絵面が脳内に浮かぶ。だが、次の瞬間、俺はカイルダインの提案が当を得たものであることに気が付いていた。
あの関所は戦時に防衛ラインの一角とするには、素人目にもいかにも簡素で貧弱だ。軍団長グラムドレッドは俺たちが倒したが、さらにもう一手が必要かもしれない。
(戦果拡大を期して自ら陣頭に立った軍団長が討ち取られ、残存部隊も壊滅――となれば、どんな敵でもさすがに一旦立て直しを余儀なくされるでしょう。彼らには駄目押しで恐怖を味わってもらいます)
「敵の後続が引いてくれれば、俺たちやレンボス卿も一休みできるか……よし!」
やはりカイルダインの最大の武器はこの情報能力だ。肉眼で視認できない距離の映像を捉えて、敵との接触前に対応策を検討できる事――俺はこれまでもそれにずいぶん助けられて来た。
断崖の陰に械体をしゃがみ込ませ、発見を遅らせて敵を引き付ける。
(敵騎兵との距離、250タラット……200タラット…)
クィル=ヤス特有の、俺にとってなじみの薄い単位系でカウントダウン。100タラット(150メートル)を切ったら共振拳を再起動して立ち上がる算段だ。カイルダインの通常の格闘攻撃では人間サイズの集団に対しては効果が得にくいが、この地形であれば。
(100タラット、今です!)
「カイルダイン、共振拳!」
突如として現れた巨体に浮足立つ妖魔の騎兵たち。だが速度の乗った部隊の疾駆はすぐには止まらない。
彼らの頭上で輝く拳が岸壁に撃ち込まれ、さらに神械が腰を捻って対面の岩壁をも粉砕した。共振拳で粉砕された部分から上の岩塊がその支えを失い、自重で崩れながら街道の上に降り注ぐ。
さらに連撃。岸壁は見る間に砕石の雪崩へと姿を変える。鉄拳の発する振動が隘路に反射して、土管の中で足を踏み鳴らすような不快な響きを生み出した。
――ウガアアアアアーーッ!?
もうもうと上がる土煙の中に飲みこまれて消えていく、おびただしい断末魔の絶叫。敵ながら血も凍るその響きを踏みしだきつつ、俺とカイルダインは関所への道を再び走り出した。
このあたりの平野は豊かな穀倉地帯だ。大夏前に刈り取られた麦畑が、幅広い刷毛でなぞったような線を連ねてどこまでも広がっている。
行軍のさなか、アースラはふとサーガラックを立ち止まらせ、西の方角を振り返った。そこには一帯に地下水を供給する、穏やかな姿の山脈が横たわっていた。
(あの峰々の奥にあるのじゃなあ……)
我知らずそんな言葉が漏れる。ふり仰いだその先に垣間見える入り組んだ稜線――それこそが、メレグ山だった。
ディアスポリア各地を行脚して拳法を磨く、寡黙な修道僧たちの揺籃である。神々の加護に頼らず人が己の力のみを鍛えてたどり着く武の境地、その先にこそ悟りと神性への道がある、と説く宗門『闘神教団』の総本山だ。
「殿下、いかがなさいましたか」
並走する輜重械の甲板上から、ガイスがこちらをふり仰いだ。
(おっと)
いかんいかん、とアースラは密かにかぶりを振った。メレグ山の事が気にかかった、などと部下たちに知られることは避けたい。
そしてそれを頭の中で明確な言葉にしてしまえば、アースラはもはや自覚せざるを得なかった。どうもここまでの旅程、ヴォルターのことがずっと頭を離れないのだ。
王国の守りのためにカイルダインが必要だ、という思いと、廃墟で目にしたものが生み出した、錯綜した想念――それが絡み合ううちに、何か全く別の物に結晶しつつある。そんな気がした。
「何でもない、先を急ごう」
「はっ」
隊列は再び進みだす。日没から数時間を経て、彼らは北西街道との合流点に近づいていた。この辺りまで来れば、そろそろ避暑地へ向かう行列が姿を現してもおかしくない。
だが、街道上に人の気配はなかった。
(はて、このあたりは混乱が起きているものと予想しておったが……)
ボルミ陥落の報に接して恐慌をきたした旅行者たちの混乱を収拾する。そのためにここまで軍を率いてきたのだ。だがどうやら街道の状況はアースラの予想とはいささか異なったものになっているようだった。
(まずいな……早急に行動計画を再検討せねば。今は、些細なものでもいいから情報が欲しい)
そこへ、部隊に先行して物見に出ていた騎兵の一人が戻ってきた。片手に高々と、何かを掲げている。
「姫様、本道の脇にこのようなものが!」
騎兵の手にあるそれは、一見してなんのへんてつもない銅の鍋のように見えた。だが、月明かりに浮かぶその鈍い輝きは、なにやら奇妙にアースラの胸を騒がせた。
〈よく見たい、ここまで投げよ。礼法にはこの際目をつぶってよい〉
兵士が下手投げに放り上げた鍋を、アースラは操縦籠を開け、身を乗り出して器用に掴み取った。手元で子細に眺めれば、それは高いところから落としたように数か所がつぶれ、へこんでいた。
〈ふむぅ。よし、案内せよ〉
手に持ったまま操縦籠に戻り、蓋を開け放ってそのままサーガラックを発見場所へと進ませ、辺りを見回した。
(はて? このあたりにはこの鍋が落ちてくるような高い場所も、民家もないが……)
アースラは知っている。戦の趨勢を左右する重大な局面というものは、ちょうどこんな風に何気ない姿でその訪れを告げるものなのだと。
次の瞬間、アースラは眼下の地面に残された特徴的な凹凸に気が付いた。それは大型の輸送用輜重械が歩行によってつけた足跡であるように思えた。その瞬間、頭の中に閃光が走る感覚。
「灯りをもて! 地面に輜重械の足跡がある。どちらへ向いているか確かめて報告せよ」
輜重械の足裏、接地面の形状は機種によってそれぞれ特徴があるが、いずれも前後の区別がはっきりわかるようになっているのだ。数人の兵士が騎雉を降り、あわただしく地面を角灯で照らして走り回る。
――新しいものはぁー、南へ向かっておりまぁーす!
「そうか……」
アースラの頭脳はめまぐるしく思考を巡らせ始めた。南へ向かう足跡のほうが新しい――ならば避暑地へ向かう人々を反転させた何らかの状況が、峠にあるのだ。恐らくはボルミからの難民、あるいは最悪、妖魔王軍の先遣隊が到達したか?
兵士たちには更なる労苦を強いることになるだろう。だが王国の防衛のためにはおそらくここが分水嶺となる。
アースラはサーガラックの腕を大きく振り、南の方向を指し示して叫んだ。
〈命令を伝える。ガイスは輜重械マハーチャンドラとその乗員、それと騎雉隊十騎を連れてダンバー方面へ向かえ! 守備隊と連携して街の守りを固めるのじゃ。必要な物資は遠慮なく徴発せよ。近隣の住民を使役しても構わん、妾が責任をとる〉
ガイスが胸に手を当てて一礼し、騎兵たちとともに新たな隊列を組み始めた。
〈残りは関所へ! 妾はサーガラックで先行する!〉
朱色の械体が北西街道へと足を踏み出そうとした刹那。マハーチャンドラの甲板から手を伸ばして叫ぶ者があった。
「姫様……! 私にもなにとぞ……王国のために働く機会を今一度お与えください。なんなりと、ご命令を!!」
顔面にはいまだ包帯が残り、傷めた足をかばい杖にすがって立つ、その姿。
(……エルゴンか。どうしたものか)
アースラは一瞬迷った。あの男の素行は騎士の名に値しない。いわばゴミクズだ。
だが、能力だけはある。渉猟械を操るその能力だけは、認めざるを得ない。そして、それは今まさに何よりも必要で、そして不足しているものだった。
(この妾に、取引を持ち掛けようというわけか。不遜なやつめ……まああよい、その取引にのってやる)
アースラは唇をゆがめてひとり、笑った。一瞬視線を宙にさまよわせ、かの町に配備された械体のリストを思い浮べる。ちょうどあの町には――
〈珍しく殊勝なことよな。よかろう、ガイスとともにダンバーへ向かい、械匠ギルドに出頭して保管中の渉猟械『メイザフォン』を受けとれ。然る後、ダンバー北方の街道周辺を守りつつ別命あるまで待機するのじゃ〉
「おお……私に渉猟械を。あ、ありがたき仕合せ!」
演技か、さもなくば真情からか。エルゴンは言葉を詰まらせ叩頭してアースラに謝した。
〈……まあ、おそらくは後詰、地味な仕事になろう。だが怠りなく励むがよいぞ。働き如何によってはこれまでの罪を減じ、もう一度機会を与えぬでもない。メイザフォンは旧式で癖の強い械体じゃが、お主ならいかようにも操れよう。〉
「ははぁっ!!」
遠ざかるマハーチャンドラの上で、エルゴンがいつまでも頭を甲板に擦り付けているのが見える。
アースラにとって、これは賭けだった。あの男を心服させコントロールできるか。それとも所詮裏切る程度の男か、そして自分は裏切られる程度の将なのか?
裏切られるようなら、そこまでだ。キッと眉を上げて正面の映像面を凝視すると、彼女は再びサーガラックに歩を進ませ、もう振り返らなかった。
* * * * * * *
カイルダインは関所の方角へ向かって駆け足で移動していた。手にはグラムドレッドの渉猟械が残した軍旗の先端部分――抱き枕風グロ絵の旗と半切れの旗竿があった。
「なあ、なんで飛ばずに地面を走ってるんだっけな? 俺、さっきから特に走るイメージをしてないんだが」
(……魂跡華をかなり大盤振る舞いしましたので、そろそろ節約しようかな、なんて。これから先も何があるかわかりませんからね)
そう言われて視線を動かすと、映像面下部のインジケーターに、魂跡華の残量が表示されていた。
――35ポイント。
「おい……仕送りを早々と使い込んで、残りの日数をご飯にふりかけでしのぐ大学生かよ。さっきの大技ぶっ放す前に忠告したじゃないか!」
(よくわからないたとえですが、『佩用者に言われたくありません』とお返しすべきところであろうと推察します。あと、走ってるのにはもう一つ理由がありまして。どちらかと言えばこっちがメインです)
その思念と同時に、映像面の一部が切り替わり、やや遠くの光景が拡大される。そこには、月光の下を関所からこちらへ向かって移動する、妖魔王軍の騎兵部隊の姿があった。
「む、これは? ガラヴェイン卿とタラスが敵を押し返したのか」
(そのようです。あの騎兵部隊は退却中、ということですね。魔甲兵もほぼ壊滅、戦力差がくつがえりさらに開いていく状況で、後続部隊との合流を選択したのでしょう)
「……なるほど。つまり、その進路に、俺たちが?」
(正しくは、『その進路を、俺たちが』です! さあ佩用者、ここはちょうど両側を崖に挟まれた隘路、彼らにとってはまさに死地!)
羽扇を手にした長身の男がいやらしくほくそ笑む絵面が脳内に浮かぶ。だが、次の瞬間、俺はカイルダインの提案が当を得たものであることに気が付いていた。
あの関所は戦時に防衛ラインの一角とするには、素人目にもいかにも簡素で貧弱だ。軍団長グラムドレッドは俺たちが倒したが、さらにもう一手が必要かもしれない。
(戦果拡大を期して自ら陣頭に立った軍団長が討ち取られ、残存部隊も壊滅――となれば、どんな敵でもさすがに一旦立て直しを余儀なくされるでしょう。彼らには駄目押しで恐怖を味わってもらいます)
「敵の後続が引いてくれれば、俺たちやレンボス卿も一休みできるか……よし!」
やはりカイルダインの最大の武器はこの情報能力だ。肉眼で視認できない距離の映像を捉えて、敵との接触前に対応策を検討できる事――俺はこれまでもそれにずいぶん助けられて来た。
断崖の陰に械体をしゃがみ込ませ、発見を遅らせて敵を引き付ける。
(敵騎兵との距離、250タラット……200タラット…)
クィル=ヤス特有の、俺にとってなじみの薄い単位系でカウントダウン。100タラット(150メートル)を切ったら共振拳を再起動して立ち上がる算段だ。カイルダインの通常の格闘攻撃では人間サイズの集団に対しては効果が得にくいが、この地形であれば。
(100タラット、今です!)
「カイルダイン、共振拳!」
突如として現れた巨体に浮足立つ妖魔の騎兵たち。だが速度の乗った部隊の疾駆はすぐには止まらない。
彼らの頭上で輝く拳が岸壁に撃ち込まれ、さらに神械が腰を捻って対面の岩壁をも粉砕した。共振拳で粉砕された部分から上の岩塊がその支えを失い、自重で崩れながら街道の上に降り注ぐ。
さらに連撃。岸壁は見る間に砕石の雪崩へと姿を変える。鉄拳の発する振動が隘路に反射して、土管の中で足を踏み鳴らすような不快な響きを生み出した。
――ウガアアアアアーーッ!?
もうもうと上がる土煙の中に飲みこまれて消えていく、おびただしい断末魔の絶叫。敵ながら血も凍るその響きを踏みしだきつつ、俺とカイルダインは関所への道を再び走り出した。
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