神滅の翼カイルダイン

冴吹稔

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ACT2:妖魔王の旌旗

カイルダインとぶ

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        * * * * * * *

「トラスカン峠の関所には、知る限りさほどの兵力はない。大規模な軍勢や強力な魔獣を食い止めるだけの備えも。となれば今はその騎士が頼みだが、すでに難民たちが峠を越えて数日になる。損傷した渉猟械でどこまで持ちこたえられるものか……急がねばなるまい」
「決めたわ、マーガンディ―をここで修理しましょう」

 状況が明らかになってみると、パキラの決断は早かった。

「親方が工房で使ってた道具と資材が今ここにあるし、スィナンやサイードさんに手伝ってもらえれば、作業は六時間フルタンまで短縮できるわ」

「お嬢様の見立てはおおよそ正確です……なあに、もう少し縮めて見せますよ」

 スィナンが自信ありげに請け合う。

「私も手伝おう。マーガンディが仕上がるまでじっとしているなど、到底我慢できん」

 ガラヴェインは即座に兵士たちを動かし、沿道にひしめく人垣を切り開いて縦横100m前後のスペースを確保させた。
「すまぬが、場所を開けてくれ! この渉猟械ストラトヴァンダーを修理しなければならんのだ!」

 沿道のその場所には、助手たちのものも含めて数台の輜重械バルクラストが集められた。貨物積載用のリフトをクレーン代わりにするつもりらしい。

 各自が位置について、それぞれの仕事を始める。沿道に集まっていた物売りの商人たちは、潮が引くように周辺へ退避しつつあった。彼らがこの場の状況をそのままそれぞれの集落に持ち帰れば、大変な混乱が生じるに違いない。

 ならば、俺が動くべきは今だ。ごく自然に、静かに、その考えが胸を満たした。

「カイルダイン。今残っている魂跡華ロートスで、どれくらい飛べる?」
〈能力が開放されないままで、星幽光翼アストラルウィングを使うのですね? ご心配なく、モルドヴォスを倒して得たあの量ならば、ここからブルゼンまで移動しても問題ありません〉
「よし、ならば行くか。どのみち、今その騎士の救援に行けるのは、俺たちだけだ」

「ガラヴェイン卿! パキラ! 俺は先に峠の向こうまでカイルダインで飛ぶ。マーガンディーが直ったら応援に来てくれ!」
 叫びながら、カイルダインの差し出した左腕に跳び乗る。立膝をついた姿勢でうずくまった神械は、その状態からゆっくり立ち上がろうとしていた。

 そこへ、駆けよってくる人影がもう一つあった。

 漂白したように白い、髪と肌。ボルコルの霊術師タラスだ。虚弱そうな外見とは裏腹に、かなり敏捷な動きで走っている。
「私も連れて行け! 事情については君たちの話を聞かせてもらった。あの有翼獅子グライフの類が出てくれば、その人形ひとがただけでは対応できまい」

 地上3mほどの高さに上昇した手のひらに、タラスが跳びあがってくる。俺はどうにかその手首をつかんで、彼を引き上げていた。

「ああ、正直助かる。あんたの術があれば心強い――ちょいと狭いが、肩の貨物庫に入っててくれ」
 
 直立したカイルダインの胸の上で、俺たちはそれぞれ操縦籠クレイドルと貨物庫に分かれて飛び込んだ。地上でガラヴェインが口に手を当てて叫び、愛械の方を指差している。

――ヴォルター殿、マーガンディの剣を持って行かれよ! 件の騎士だが、聞いた状況から考えると無事だとしてもそろそろ武器が持つまい。

「わかった!」

 マーガンディの傍らに置かれた剣に手を伸ばし、械体の腰に吊り下げられるための鎖ごと持ち上げた。

「カイルダイン、星幽光翼アストラルウィング展開! 沿道の群集に見せつけてやれ」
〈おお佩用者、見せつけるのは大いに賛成ですが、どういう意図が?〉
「北から敵の軍勢が来る――彼らはその情報におびえてる。だから、お前が普通の渉猟械なんかじゃないってところを見せてやろう」
〈いつになく積極的ですね!?〉

 現実の脅威が間近に迫るときには、切り抜けられるという展望と、適切な緊張感が同時に必要なのだ。だからこそ――
「翼をひらいて、そして吼えろ。できれば彼らの心に与える衝撃が、恐怖や絶望ではなく勇気と闘志に変わるような、そんな声でだ」
〈むっつかしい注文ですが、まあ、やってみましょう〉

 ホゥオオオオオオオオンン――

 澄み切った正弦波と、狼の遠吠えのちょうど中間に位置するような声が空間に満ちた。カイルダインが吼え――いや、うたっているのだ。沿道にあふれた人々の数知れぬ目が一斉に俺たちを見上げた。

〈ここはなにか、気の利いた挨拶をするのが望ましいですよね。お願いします、佩用者〉
「ううっ、どうすっかな。勢いに任せて大仰なせりふを吐くことは割としょっちゅうあるが、後ですごく恥ずかしいんだぞ……」

 一瞬頭を抱えたが、幸いにも修道僧ヴォルターが身につけたこの世界の教養が俺を助けてくれた。
 口からほとばしり出る時代がかったフレーズを、カイルダインが拡声する。

――これなるは神械アロイカイルダイン。永きまどろみの淵より醒め、古よりうごめく邪悪を討つもの! 北の彼方、峠を守って戦う騎士を救うため出立する!

 それは曇天にこだまする教会の鐘のように殷々いんいんと響いた。

 口上に合わせて背中に折りたたまれた副腕が伸ばされ、先端の六角盤から光の花弁が開く。次の瞬間、それは光の粒子をまき散らして形を整え、一対の巨大な翼となった。群衆のざわめきに明らかな変化が起きたのが感じられた。

 さざ波が広がるように人垣のあちこちが揺れ動き、低くくぼみを生じた部分に周囲から長く尾を引いて影が落ちる。それは人々の中でも感じやすく敬虔な心を持った者たちが、地に膝をつき祈りをささげる姿だった。

〈ふむ、なかなか堂にいったものだ〉

 貨物庫からタラスの声が伝わってきた。

「タラス!? やだなあ、聞いてたのか。そりゃまあ聞こえるだろうけど」
〈見るものの心理こころにまで配慮する。なかなかできることではない。君たちの姿は、彼らにしてみればまさに神意の顕現とも見えたことだろう――その印象がよい方に働くように祈る〉
「そうだな。難しいことばかりで頭が痛いよ」

 不特定多数の人の心を思う通りに操ることなど、簡単にできるわけがない。その試みは、池に投じた石が起こす波紋で、水面に浮かぶおもちゃの小舟を動かそうとするのに似ている。

 それでも、ただ混乱を放置するより気が休まる。

 操縦籠の映像面に、わずかに翼の羽ばたきが映る。カイルダインはその巨体をゆっくりと空中へ上昇させた。



 飛翔するカイルダインの影を黒々と映して、眼下の大地がすさまじい速度で後方へと流れていく。最初の戦いで廃墟から泉へ飛んだ時の、数倍のスピードが出ているようだ。

(そろそろ峠の上空です。ご指示を〉

 カイルダインが思念を送ってきた。目の前の映像面には、風化して丸みを帯びた岩が連なる山肌と、そこにへばりつくようにして建つ、楼門を備えた小規模な関所が映し出されている。

「よし。タラスを降ろす場所と、問題の騎士の渉猟械を探してくれ」
(もう着いたのか!? なんという速さだ)
「このくらいで驚いてちゃ、カイルダインとは付き合えないさ――タラス、気になってるんだが、あんた一人で地上にいて大丈夫なのか? 俺が知ってる術師の類ってのは、大抵肉弾戦に弱くて、術の行使に集中するには複数の護衛を必要とするものなんだが」

――知っているといっても、ゲームの話ではあるが。

〈ああ、そのことなら心配はない。私が行使する術の体系には、術者の身を守るためのものもあるのだ〉
「そうか。なら、俺はでかぶつの相手に専念しよう。カイルダインの拳をかいくぐって肉迫してくるようなやつは、あんたに任せる」
〈うむ――〉

 その時、カイルダインの珍しく切迫した思念が俺の頭に響いた。

〈佩用者ヴォルター! あれを!〉

 同時に、映像面の視界にクローズアップされたものがあった。赤銅色に鈍く輝く、巨大な騎士――渉猟械だ。その械体は遠目にも明らかに傷つき汚れ、各部の飾り布も汚れちぎれて痛々しい。

(どうやら、間に合ったらしいな……)

 まだ動いている。だがその足元は倒した敵の残骸や血肉に足首まで埋もれ、械体の各部の関節と継ぎ目からは、苦しい息をつくように断続的に蒸気が吹き出していた。
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