神滅の翼カイルダイン

冴吹稔

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ACT1:闘技場都市の支配者

秘密

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「ヴォルター。これを見ろ」
 マリオンは輜重械バルクラストの速度を緩め、額に手をやると、そのまま前髪を持ち上げて顔をこちらに向けた。
 あらわになったその顔は、想像していたよりもずっと若い。その目が黒髪には珍しい、猫の虹彩のような緑色であることに俺は初めて気が付いた。口元は華奢で、歯が小さいせいかどこか幼く見える。年のころは十六から十九といったところか。

 パキラやアースラとはまた違うタイプの美少女――だが、それどころではないものが俺の目の前にあった。

 彼女の眉間の少し上、額の中央に、見覚えのある図形が描かれている。直径2cmほどの円に、エジプト十字アンクに二本の角をつけたようなマークと、一筆書きに変形された六芒星――俺の額にあるものと同じ刻印が。

 唯一の違いは、彼女の額のそれが、線刻の内側から出血したように青黒く変色して、周囲の皮下組織に黄色いシミをつくっていることだった。

「こ、これは……」

「そうだ。自分の額を鏡で見たことはあるな?」

「ああ」

 つまりそれは。この図形が意味するものは――

「……私はカイルダインの佩用者――

「あんたが……」

 そう。俺が初めて乗り込んで動かしたとき、カイルダインは「前の佩用者」と言った。完全械態マキシマと称するカイルダイン本来の能力をすべて発揮した状態――その一部を再現するために必要なリソース、あるいはエネルギーである「魂跡華ロートス」を残した何者かがいた、と示唆した。

 それが彼女だったのだ。

「私はマリオン・ゲイルウィン。カイルダインの佩用者として八百年ほどあそこで眠りについていた。だが、佩用者としての資格、権限は新たな佩用者――その資格者が召喚されたことによって、初期化されてしまったんだ。何者かが、それを行った」

「八百年!?」

「そうだ。失敗した任務をもう一度やり直す、その機会を待っていたのだが……」

 目の前に見覚えのある建物が現れ、マリオンは言いかけた言葉をそこまでで飲み込んだ。

「械匠ギルドについた、中に入るぞ。出入りの情報屋を呼んでもらってある」

 輜重械からこともなげに飛び降りる彼女を、俺はあわてて追った。

「おい、ちょっと待て。今の話もう少し……」

「後でだ。一刻を争うんだろう?」

 そういいながら、出てきたギルドの職員に手振りで何ごとか指示した。考えてみれば想像はつく。マリオンはこの械体をここから借り出したのだ。

「そりゃ急ぐのは確かだが……くそっ。で、情報屋ってのは?」

「あの時、曲がり角で別れた後、ここで君たちが来ていないのを知ってな。何か拙いことになったのではないか、と考えたんだ。それでギルドであの輜重械バルクラストを借りた。その時についでに頼んでおいたんだが……我ながらいい判断だった」

 少しだけ面白くない。あの後、俺のやることはことごとく裏目に出たというのに。

「……慣れてるんだな、こういうのに」

「眠る前には、カイルダインと一緒に三年くらい方々を回ったからな」

 だんだんと読めてきた。彼女が俺を重要視するのは、その任務とやらを代行させるつもりだからに違いない。だが、八百年かけて再度のチャンスを待たねばならない任務とは一体なんだ?

 廊下を少し歩いた先には、小さなドアの前でギルドの係員らしき男が立っていた。 

「こちらの部屋です」
 
 係員がドアを開ける。中に入ると、有名なインド映画俳優、スーパースターの愛称で知られる男を三分の二ほどに縮めて目つきを卑しくしたような人物が、ソファに浅く腰かけていた。

「情報屋というのはお前か。この町の裏の事情に詳しいそうだな」

「ヒヘヘッ! これは何という奇妙な夜だ。こんなかわいこちゃんが俺をお待ちとはな! おまけにこの世の不幸を全部飲み干したような、不景気な面をさらしたメレグの修道僧まで。さよう、俺は情報屋のナブールだ。お貴族様の色事から神殿の序列争い、茶店の茶葉の混ぜ物まで、どんな情報でも売り買いしてる。何でも聞いてくれ、お代はきっちりいただくがね……ヒヘッ」

 なるほど、いきなり無礼だ。

「俺はそんなひどい顔か」

 憤然と小男をにらみつけるが、向こうはまるで動じていないようだった。

「そいつは情報じゃないな。鏡を見てみれば済む」

 小男はソファーの上で身を小さく丸め、いっそ苦しそうに笑った。彼の対面は一人掛けだ。マリオンがそこに座り、俺は後ろに立った。

「売ってほしい情報は……そうだな」

 マリオンが顎をしゃくって斜め後ろの俺を見上げる。

「この修道僧は昨日初めてこの町に来た。路銀に困って闘技場に登録し、初戦を勝利で飾ったところで、何やら大勢に追われ、捕まった。連れの娘はまだ向こうの手に落ちたまま――この状況に説明を付けられるような情報を持っていないか」

「なるほど、そいつは災難だな! それでそんなひどい顔をしてやがったか……その理由はごく簡単なことさ。ヒヘヘ、情報を買うなら30ディアスだ。払えるか?」

「ディアス銀貨はないが、これでどうだ」

 マリオンは懐から銀の腕輪を出して、目の前のテーブルに載せた。ナブールの目が大きく見開かれる。

「……盗掘でもやってんのか? この花蔦の文様はハリサイド帝国時代の様式じゃないか」

「その情報なら、100ディアスで売ろう」

「ヒヘヘッ、こいつは一本取られた。なかなかのやり手だな、嬢ちゃん。この腕輪なら十分だ、売ってやるよ。これは少し事情に詳しい奴なら知ってることだがな……領主ロランド・ナジは十年前にこの町に来て、闘技場に参戦した。奴の前身はそこのあんちゃんと同じ――メレグ山の修道僧だ」

「ほう」

「だがここからが重要だ。喋ったのが知れたら、俺も消されるかもな」

「そんな重要な情報を30で売るのか?」

「ヒヘッ、余計な心配だ。手ごろな値段だろうが! いいか、情報は握ってるだけじゃ何にもならん。売って銭になって初めて、俺の役に立つんだぜ……その重要部分はこうだ。『ロランド・ナジはメレグ山で師父を殺害して出奔した』」
 
「妙な話だな。修業の旅に出れば、なにも師父を手にかけずとも気ままな身になれただろうに」

 マリオンは首を傾げた。

「その辺はよくわからん。で、以来十年。闘技場の覇者から支配人に転身し、銭と組織力を手づるに領主にまでなった。だがロランドは本山からの刺客を警戒して、ずっと神経をとがらせ続けてるのさ。ここ二、三年は特にそうだ。まあ奴もそろそろいい年だからな」

「……よくわかった。それでか」

 何てことだ。濡れ衣じゃないか。

「つまり、俺はその刺客に間違われたわけか……過大評価もいいところだ」

 マリオンが再び俺を見た。

「分からんぞ。案外もともとその通りだった可能性もあるじゃないか。それに、君がロランドを倒せば結果的には同じことだ」

 冷ややかな眼差しと声。何を食ってればそうなるのかと言いたくなるような代物だった。

「こりゃおもしれえ! この情報、持ってって他所で売りたいものだ」

「気持ちはわかるが、ヴォルターが連れを取り戻すまではここにいてもらおう。さて、もう一つ聞きたいことがある。さっきの腕輪でまだ足りるか?」

「いやな嬢ちゃんだな。あれの価値をよくご存じのようだ……足りるぜ。あと、30ディアスの情報二つ分は売ってやれる」

「公正な取引に感謝しよう。では教えてくれ。ロランドはどこにいる?」

 情報屋ナブールはわずかに姿勢を正すと、マリオンを見つめて答えた。

「この街に建設当初の時代から伝えられてる、恐ろしく古い護令械ルーティンブラスがあるのを知ってるか? 町の東はずれにある神殿が、その安置所だ。ロランドはこの半年ずっとそこと闘技場を往復してるぜ。この時間なら多分神殿のほうだ」

「ありがとう。械匠ギルドにはこの後、酒と食事を出すように伝えてある。ここなら安全だ。ゆっくりくつろいでくれ」
「どういたしまして! ナブールをごひいきに、またのご利用を待ってるぜ」

 機嫌よく笑うナブールをそのままに、マリオンは俺を促して部屋を出た。

「保存護令械か……どうもきな臭くなってきたな」

 玄関に向かって廊下を進みながら、マリオンが難しい顔になる。

「どういうものなんだ? もしかして、カイルダインを動かしたほうがいいのか……」

 俺の質問に、彼女は首を振った。

「まだそれは慎重に考えたほうがいい。で、保存護令械のほうだが……つまり、もはや稼働できないほど古いが、技術資料としての価値と、内部に収められた『令呪錦』が貴重なものであるために、勧請に備えて保存されている護令械ということだ」

勧請かんじょうってなんだ? 何度か耳にしたんだが」

「ギルドの者たちの話では――当代の械匠たちには、護令械の中枢である『令呪錦』を一から完全に独自に作り出すことができないらしい。だから、古い護令械に収められたものを取り出して、織られた令呪を文字に直して書き写す……それを織子が新たな令呪錦として織り上げ、新たに組み上げられた械体に収める。それが『勧請』だ」

「なるほど……」

 日本にも確か、同じ言葉があったはずだ。神社などの神霊を分けて別のところへ移し、新たな土地で祭る。全国各地に八幡神社があったりする事が可能なのは、神霊が勧請によって分けられるからだと聞いた。

「つまり、護令械ルーティンブラスとは、『神社』みたいなものか」

「経文を収めた『厨子』といったほうが正確かもしれないが、そういうものらしいな。古い護令械は非常に貴重なものとして扱われる、ということだ――」


 一瞬の間をおいて、お互いが同時に歩みを止めた。マリオンが振り返り、俺が見返す。今の『神社』と『厨子』は、どちらも、翻訳されていなかった――生のだ。

「……日本では、とび職でもやってたのか。それとも空挺団レンジャー部隊にいたのか?」

「どっちでもない」

 物凄い顔で睨まれた。マリオンの頬が赤い。

「やはり、君も日本人か……たぶん同じくらいの時代から呼ばれたな」

「そうらしいな。携帯電話って、わかるか?」

「……ああ。十日前には私も、もしやそろそろ、同様のものができてやしまいか、と期待したんだがな。ここは文明の進む速度も方向も、向こうとは違うらしい」

 再び歩き出した彼女はギルド館の正面ドアに手をかけながら、もう一度こちらへ振り返った。

柚島ゆずしまさつき。それが私のもう一つの名だ。だが、『彼女』はもういない」
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