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ACT1:闘技場都市の支配者
救援者
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「起きろ」
ドスの利いた声とともにわき腹を固いもので突かれた。ぼんやりした頭の中から霞が吹き払われ、一瞬で目がさえる。いくつもの松明が俺を上から照らし、同じ数の荒んだ顔が見下ろしていた。
いがらっぽい煙の臭いが鼻をつく。
(何だ、これは!?)
跳ね起きようとするが、体が動かない。仰向けに寝ていた体はいつの間にか横向きに、膝が曲げられ、腕が背中側に回されて――縄できつく縛られていた。
口にはご丁寧にさるぐつわがかまされ、上から布が巻かれている。視界の隅にあの掃除係の男が映った。俺と視線が合うと、おびえたように人垣の陰へ消える。この男たちを手引きしたのは彼らしい。
(しまった……油断した)
まさかこんな場末の、連れ込み宿まがいの場所にまで手が回るとは。そこまで考えて、俺は自分を狙ったものの正体に漠然と想像がついた。裏路地の隅々にまで息のかかったものがいる――つまり、町の暗部を支配する何らかの組織と、その支配者だ。
だが、男たちのリーダーの顔を見た瞬間、俺は事態が想像のさらに上をいくものであることを知った。
「やあ、すまんなコンラッド」
書記のデモスがそこにいた。
「わしとしても不本意だが、われらが領主、ロランド・ナジ様の命令とあっては背くわけにもいかん。あまり居心地のよくないところで暮らしてもらうことになる」
彼の言葉と同時に男たちの太い腕が伸び、俺を高々と荷物のように担ぎ上げた。
「くねくね動くんじゃねえ。気色悪い」
俺を担いだ男たちが不快そうに唸る。だが俺は必死だった。パキラの安否が気になって、担がれたまま必死で首を動かし周囲を見回す。
彼女も同じく、縄で縛られて担ぎ上げられていた。こちらは男が二人だ。
「ングッ! ンググーッ!!」
さるぐつわをはめられた口でパキラが何か必死でうめいているが、言葉になっていない。
激しい焦燥感と後悔の念が俺の心を塗りつぶした。
知らない場所で休息をとることの愚。交代で見張りを立てることもなく休んでしまった怠慢。あの覆面の女、マリオンの指示を完遂せず、械匠ギルドへ行かなかった不徹底。そのいずれもが、こんな状況に陥る前に何とかなるチャンスをつぶしてしまっていた。
領主とやらのどんな不興を買ったにしても、俺の巻き添えでパキラが受けるであろう仕打ちは、想像するに身の毛がよだつ。
(くそ……わけも分からないうちに殺されたり幽閉されたり、そんなのはご免だぞ)
さるぐつわをかまされた口では、歯ぎしりすらできない。手足を縛る縄はえらく頑丈にできていて、少々力を入れた程度ではまったくびくともしなかった。
「あがいても無駄だ、その縄は特製品でな。ロスグーリアンの船乗りが錨索に使うキリアン麻と、女の髪をより合わせてある」
デモスが運ばれる俺の横に並んでうそぶいた――その時だった。
ブン、と何か重量のあるものが飛来する音。続いて、湿ったものがつぶれたような気味の悪い音が響く。
視界の隅に見えたのは、列の外側にいた男の脳天を貫いてほぼ垂直に突き刺さった槍だった。
「なんだ!?」
「騎槍だ、なんでこんなものが!?」
「う、上から――」
立て続けに怒号と悲鳴が上がり、恐慌をきたした担ぎ手が俺を放り出す。うち一人が上からまた落下してきた重い槍に顔の下半分を砕かれた。その槍はそのまま胸を貫通し、腰から穂先が生えた。
「列を崩すな! 上からというなら、周りの建物のどれかだ。屋上を探せ!」
デモスが叫ぶ。男たちはわずかに落ち着きを取り戻し、周囲の三階建て住宅に目を凝らした。何人かが襲撃者を探して、建物の側面にある階段を駆け上がっていく。
ダンッ! タタンッ!
何か固いものの上でボールが弾んだような音が断続的に聞こえた。
次の瞬間、それは起こった。
ガキガキと石畳を踏み砕く足音。路地の曲がり角から巨大な人間じみた姿が現れ、腕を振り回す。デモスの部下が数人吹っ飛ばされ、頭から日干しレンガの壁に突っ込んでドス黒い染みを作った。そいつは甲高い音を立てて蒸気を噴き出した。
「ル、護令械!」
男たちの間から恐怖の叫びが上がる。
そこにいたのはごく小型の護令械だった。全高およそ3m。明確な頭部はなく、その部分には太い真鍮の手すりで囲まれたむき出しの操縦籠があるらしい。
恐らく作業用の輜重械に類するものだ。
その手すりを掴んで身を乗り出した人物には、見覚えがあった。ウルフカットの黒髪に覆面の女――マリオン。
「落ち着け、うろたえるな! ただの輜重械だ、乗り手を直接殺せば何でもない!」
デモスの声に、マリオンが反応した。
「やれると思うものなら、試してみるがいい」
どういう操作をしているのか不明だが、彼女は操縦籠に左腕を差し入れたまま輜重械の械体側面にぶら下がった。右腕で湾曲した長い刀を抜き、械体を走行させながら斬りつける。デモスの部下が一人、背中から斬られて真っ二つになった。
地面に落ちて燃え続ける松明の明かりに照らされ、輜重械は民話の鬼か何かを思わせた。
「畜生、舐めやがって!」
ガラの悪い罵声とともに、一人が似たような長い刀を振りかざし、マリオンに斬りつける。だが彼女は片腕で支えた体を恐るべきバネで上方へ跳ね上げ、操縦籠へ戻っていた。輜重械の鉄の腕が刀を受け止め、男の体ごと弾き飛ばす。
しゅうっ、とひと吹き蒸気を噴きだして、輜重械が俺の横に足を止めた。そのまま左腕が俺をつまみ上げる。
「いつまで寝ているつもりだ。乗れ」
輜重械の腕関節がガシャっと鳴り、俺を操縦籠に投げ込む。足元の床から突き出た操縦桿を片手で操りながら、マリオンが俺の腕を縛る縄を刀で切った。
「あとは自分で解け」
彼女はそういい放つと、輜重械を方向転換させ、飛ぶように走らせ始めた。
(いや待て! パキラはどうするんだ!)
「が、がっへむへっ!!」
叫ぼうとしても言葉が出せない。慌てて口を覆う布に手をかけてむしり取る。が、ちぎれない。
「これを使え」
じたばたする俺に気がついて、マリオンが胸元に吊るした短剣を貸してくれた。バナナのようにきつくカーブした刃で頬を刺しそうになるが、どうにか布を切り裂いてはずし、口に押し込まれた布の塊をつまみ出した。
咳き込みながらマリオンの腕をつかみ引っ張る。
「戻ってくれ! パキラがまだ、奴らに――」
「すまないが、それはできない」
マリオンが冷たい声で俺の言葉を遮った。
「なんでだよ! 圧倒的だったじゃないか」
「奇襲は数の上で不利な側が取る戦術だ。すばやく撤収しなければ意味がない。現場に長くとどまれば敵は体勢を立て直すし、応援を呼ぶこともできる」
「そんな……!」
「心情的に受け入れがたいのはわかる。だが彼女まで救助する余裕はない。いいか? 我々はこの町ではほとんど味方もなく、近道一つ知らないんだぞ」
「味方、か。あんたは昼間、俺の味方だといった。なぜ俺を助ける。そもそもあんたは何者なんだ」
「信じてほしいな、ヴォルター……カイルダイン。一つ言っておく。私にとって重要なのは、君とカイルダインだ」
「ああ、そうかい。だが俺にとっては、パキラが重要なんだ」
マリオンがしげしげと俺を見た。
「出会って十日ぐらいか? ずいぶんと入れ込んだものだな……好いたか」
「……そんなんじゃない」
闘技場での登録の時、俺は案内人の男にパキラのことを『妹みたいなもの』と言った。その感覚はだいたいしっくりくるし、間違っていない。
彼女はこの世界で出会った最初の人間だった。何かにしっかりしがみ付いていなければ、ばらばらに壊れてどこかへ流れていってしまいそうな俺の精神を、今のところ正気につなぎとめていてくれるのは彼女なのだ。
「彼女は今の俺にとって……生きる手掛かりなんだ。それに尽きる」
「莫迦め。それが『好き』でなくて何だというんだ。ならなおのこと、今は君自身を優先しろ。君自身が自由に動ける状況でなければ、彼女を助けることもできないぞ」
分からない。この女――マリオンの言っていることがさっぱりわからない。俺はただの修道僧、いや修道僧未満のよくわからない何かだ。この女は俺のことをさも重要な人間のように言うが、いったい俺に何があると、何ができるというのか?
「俺はただの迷子だ……だが、カイルダインとは、それほどのものなのか?」
「カバンの中のメモを見ただろう。あれは――」
「そうか。あれを書いたのはあんたか」
危険なものだが、多くの可能性をもたらす『力』。カイルダイン――
「そうだ、私が書いた」
マリオンが、うつむいて眉をひそめた。
ドスの利いた声とともにわき腹を固いもので突かれた。ぼんやりした頭の中から霞が吹き払われ、一瞬で目がさえる。いくつもの松明が俺を上から照らし、同じ数の荒んだ顔が見下ろしていた。
いがらっぽい煙の臭いが鼻をつく。
(何だ、これは!?)
跳ね起きようとするが、体が動かない。仰向けに寝ていた体はいつの間にか横向きに、膝が曲げられ、腕が背中側に回されて――縄できつく縛られていた。
口にはご丁寧にさるぐつわがかまされ、上から布が巻かれている。視界の隅にあの掃除係の男が映った。俺と視線が合うと、おびえたように人垣の陰へ消える。この男たちを手引きしたのは彼らしい。
(しまった……油断した)
まさかこんな場末の、連れ込み宿まがいの場所にまで手が回るとは。そこまで考えて、俺は自分を狙ったものの正体に漠然と想像がついた。裏路地の隅々にまで息のかかったものがいる――つまり、町の暗部を支配する何らかの組織と、その支配者だ。
だが、男たちのリーダーの顔を見た瞬間、俺は事態が想像のさらに上をいくものであることを知った。
「やあ、すまんなコンラッド」
書記のデモスがそこにいた。
「わしとしても不本意だが、われらが領主、ロランド・ナジ様の命令とあっては背くわけにもいかん。あまり居心地のよくないところで暮らしてもらうことになる」
彼の言葉と同時に男たちの太い腕が伸び、俺を高々と荷物のように担ぎ上げた。
「くねくね動くんじゃねえ。気色悪い」
俺を担いだ男たちが不快そうに唸る。だが俺は必死だった。パキラの安否が気になって、担がれたまま必死で首を動かし周囲を見回す。
彼女も同じく、縄で縛られて担ぎ上げられていた。こちらは男が二人だ。
「ングッ! ンググーッ!!」
さるぐつわをはめられた口でパキラが何か必死でうめいているが、言葉になっていない。
激しい焦燥感と後悔の念が俺の心を塗りつぶした。
知らない場所で休息をとることの愚。交代で見張りを立てることもなく休んでしまった怠慢。あの覆面の女、マリオンの指示を完遂せず、械匠ギルドへ行かなかった不徹底。そのいずれもが、こんな状況に陥る前に何とかなるチャンスをつぶしてしまっていた。
領主とやらのどんな不興を買ったにしても、俺の巻き添えでパキラが受けるであろう仕打ちは、想像するに身の毛がよだつ。
(くそ……わけも分からないうちに殺されたり幽閉されたり、そんなのはご免だぞ)
さるぐつわをかまされた口では、歯ぎしりすらできない。手足を縛る縄はえらく頑丈にできていて、少々力を入れた程度ではまったくびくともしなかった。
「あがいても無駄だ、その縄は特製品でな。ロスグーリアンの船乗りが錨索に使うキリアン麻と、女の髪をより合わせてある」
デモスが運ばれる俺の横に並んでうそぶいた――その時だった。
ブン、と何か重量のあるものが飛来する音。続いて、湿ったものがつぶれたような気味の悪い音が響く。
視界の隅に見えたのは、列の外側にいた男の脳天を貫いてほぼ垂直に突き刺さった槍だった。
「なんだ!?」
「騎槍だ、なんでこんなものが!?」
「う、上から――」
立て続けに怒号と悲鳴が上がり、恐慌をきたした担ぎ手が俺を放り出す。うち一人が上からまた落下してきた重い槍に顔の下半分を砕かれた。その槍はそのまま胸を貫通し、腰から穂先が生えた。
「列を崩すな! 上からというなら、周りの建物のどれかだ。屋上を探せ!」
デモスが叫ぶ。男たちはわずかに落ち着きを取り戻し、周囲の三階建て住宅に目を凝らした。何人かが襲撃者を探して、建物の側面にある階段を駆け上がっていく。
ダンッ! タタンッ!
何か固いものの上でボールが弾んだような音が断続的に聞こえた。
次の瞬間、それは起こった。
ガキガキと石畳を踏み砕く足音。路地の曲がり角から巨大な人間じみた姿が現れ、腕を振り回す。デモスの部下が数人吹っ飛ばされ、頭から日干しレンガの壁に突っ込んでドス黒い染みを作った。そいつは甲高い音を立てて蒸気を噴き出した。
「ル、護令械!」
男たちの間から恐怖の叫びが上がる。
そこにいたのはごく小型の護令械だった。全高およそ3m。明確な頭部はなく、その部分には太い真鍮の手すりで囲まれたむき出しの操縦籠があるらしい。
恐らく作業用の輜重械に類するものだ。
その手すりを掴んで身を乗り出した人物には、見覚えがあった。ウルフカットの黒髪に覆面の女――マリオン。
「落ち着け、うろたえるな! ただの輜重械だ、乗り手を直接殺せば何でもない!」
デモスの声に、マリオンが反応した。
「やれると思うものなら、試してみるがいい」
どういう操作をしているのか不明だが、彼女は操縦籠に左腕を差し入れたまま輜重械の械体側面にぶら下がった。右腕で湾曲した長い刀を抜き、械体を走行させながら斬りつける。デモスの部下が一人、背中から斬られて真っ二つになった。
地面に落ちて燃え続ける松明の明かりに照らされ、輜重械は民話の鬼か何かを思わせた。
「畜生、舐めやがって!」
ガラの悪い罵声とともに、一人が似たような長い刀を振りかざし、マリオンに斬りつける。だが彼女は片腕で支えた体を恐るべきバネで上方へ跳ね上げ、操縦籠へ戻っていた。輜重械の鉄の腕が刀を受け止め、男の体ごと弾き飛ばす。
しゅうっ、とひと吹き蒸気を噴きだして、輜重械が俺の横に足を止めた。そのまま左腕が俺をつまみ上げる。
「いつまで寝ているつもりだ。乗れ」
輜重械の腕関節がガシャっと鳴り、俺を操縦籠に投げ込む。足元の床から突き出た操縦桿を片手で操りながら、マリオンが俺の腕を縛る縄を刀で切った。
「あとは自分で解け」
彼女はそういい放つと、輜重械を方向転換させ、飛ぶように走らせ始めた。
(いや待て! パキラはどうするんだ!)
「が、がっへむへっ!!」
叫ぼうとしても言葉が出せない。慌てて口を覆う布に手をかけてむしり取る。が、ちぎれない。
「これを使え」
じたばたする俺に気がついて、マリオンが胸元に吊るした短剣を貸してくれた。バナナのようにきつくカーブした刃で頬を刺しそうになるが、どうにか布を切り裂いてはずし、口に押し込まれた布の塊をつまみ出した。
咳き込みながらマリオンの腕をつかみ引っ張る。
「戻ってくれ! パキラがまだ、奴らに――」
「すまないが、それはできない」
マリオンが冷たい声で俺の言葉を遮った。
「なんでだよ! 圧倒的だったじゃないか」
「奇襲は数の上で不利な側が取る戦術だ。すばやく撤収しなければ意味がない。現場に長くとどまれば敵は体勢を立て直すし、応援を呼ぶこともできる」
「そんな……!」
「心情的に受け入れがたいのはわかる。だが彼女まで救助する余裕はない。いいか? 我々はこの町ではほとんど味方もなく、近道一つ知らないんだぞ」
「味方、か。あんたは昼間、俺の味方だといった。なぜ俺を助ける。そもそもあんたは何者なんだ」
「信じてほしいな、ヴォルター……カイルダイン。一つ言っておく。私にとって重要なのは、君とカイルダインだ」
「ああ、そうかい。だが俺にとっては、パキラが重要なんだ」
マリオンがしげしげと俺を見た。
「出会って十日ぐらいか? ずいぶんと入れ込んだものだな……好いたか」
「……そんなんじゃない」
闘技場での登録の時、俺は案内人の男にパキラのことを『妹みたいなもの』と言った。その感覚はだいたいしっくりくるし、間違っていない。
彼女はこの世界で出会った最初の人間だった。何かにしっかりしがみ付いていなければ、ばらばらに壊れてどこかへ流れていってしまいそうな俺の精神を、今のところ正気につなぎとめていてくれるのは彼女なのだ。
「彼女は今の俺にとって……生きる手掛かりなんだ。それに尽きる」
「莫迦め。それが『好き』でなくて何だというんだ。ならなおのこと、今は君自身を優先しろ。君自身が自由に動ける状況でなければ、彼女を助けることもできないぞ」
分からない。この女――マリオンの言っていることがさっぱりわからない。俺はただの修道僧、いや修道僧未満のよくわからない何かだ。この女は俺のことをさも重要な人間のように言うが、いったい俺に何があると、何ができるというのか?
「俺はただの迷子だ……だが、カイルダインとは、それほどのものなのか?」
「カバンの中のメモを見ただろう。あれは――」
「そうか。あれを書いたのはあんたか」
危険なものだが、多くの可能性をもたらす『力』。カイルダイン――
「そうだ、私が書いた」
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