神滅の翼カイルダイン

冴吹稔

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ACT1:闘技場都市の支配者

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「うわあ、人がこんなにいる……」

 入場門周辺の人混みをかきわけて進む。パキラはすこし顔色が悪かった。

「何だ、もしかして人ごみは苦手なのか? 昔は町にいたんだろ?」

「……そうだけど、路地裏はがらんとして寂れてたし、こんな大きな町でもなかったもの」

 正直、俺は人ごみ自体はなんともなかった。この程度で音を上げていては日本の都会では暮らせない。そう、新宿とか渋谷とか。イベントのある時は特に。

 駐械場を出るときのように、一斉に取り巻かれて話しかけられるような事が無ければ問題はない――

「そら、俺の腕につかまって。離すなよ」

「ちょ、ちょっと」

 言葉とは裏腹に俺がパキラの腕をとる。ずいずいと奥へ進むと、座席の見取り図を壁に掲げ、番号の書かれた札を台の上に並べて大声で客引きをしている男たちがいた。

 ――次の試合は見ものだよ! 王都から来た帝国騎士と、ロスグーリアンの傭兵隊長との試合だ! 帝国騎士は何と17歳の女の子、だが外見で判断しちゃいけないぜ!

「これかららしいな。あの木札を買って番号の席に行くんだろう――おい、よく見えるとこを二枚くれ!」
 
(ちょっと、そんな買い方したら……!)

 パキラが俺の腕を慌てて引っ張る。

(何言ってるんだ、騎士は気前よく金使うものなんだろ……それに、『あとで控室に来い』っていってるんだから、よく見えるところで試合を観戦しないと、あの姫さんまた暴れるんじゃないか?)

(言われてみれば。ううん、めんどくさいわねえ)

 かぶりつきの最前列は避け、程よい高さのところにある階段席を続きで二つ買った。合わせてちょうど1ディアス。

「おお。兄さんよくわかってるねえ。そこは安い割に人気の席なんだぜ」

「そうなのか?」

「席についたら周りを見てみな。俺の言った意味がよくわかるから」

 どういうことかと首をひねりながら、席へ向かう。

 木札と座席の番号を照らし合わせて探すと、そこはちょうど通路際から三つ目と二つ目に位置していた。闘技場の中心、実際に試合が行われるアリーナ。そのほぼ全部が見渡せる。

「なるほど、こりゃいい席だ」

「でもちょっと、周りのお客さんが……」

 パキラが居心地悪そうに周囲を見回す。

 一癖も二癖もありそうな強面のする連中がそのあたりに陣取っていた。

 剃りあげた頭に鉛色の傷跡が走るプロレスラー風の巨漢や、鋭い目で眼下の円いアリーナを見据える痩身の剣士らしき男、全身鎧から獅子のたてがみのような頭を突き出した壮年の戦士。
 真剣この上ない表情で次の試合を待っているようだ。俺たちが座ると何人かがほんの一瞥、こちらを目障りそうに見ただけで、あとは声も出さずに正面を見たままだった。

 彼らを見ているうちにふと胸に落ちるものがあった。

(ああ、わかったぞ。こいつらは多分、常連の出場者か……試合がないときに他の選手を研究に来てるんだな)

 なるほど、確かにそれならばここは彼らにとっては最良の席だ。

――間もなく第七試合。出場選手をご紹介します! 東門から入場するのは挑戦者、王都から来た弱冠17歳の帝国騎士、アースラ・ゲイルウィン! 少女ながらに重量級の全身鎧、その姿はさながら小さな闘将械ガングリフターだ! 『豆ガング』とでも呼ぶべきか!? その実力は全くの未知数ですッ!
 
「お、来たな」

「ほんとに出場するのね」

 パキラが腰を浮かせ、少し身を乗り出した。

 
――おいおい、動けるのかよ嬢ちゃん!

――きゃーっ、可愛いーッ!

 かぶりつきの客席から観客の野次が飛ぶ。

 その時ちょうど、俺の座った通路側に、人の気配がした。左肩に軽く手が触れられ、振り向くとそこに――いつの間にかあらわれたのか、灰色のフード付きマントですっぽりと全身を覆い、覆面で目の周囲以外を隠した人物がいた。

「すまない、君。お隣の座席を買ったのだが、お邪魔してかまわないかな」

 その声は意外にも若い女のものだった。そうと意識してみれば確かに、マントの下にある体は周囲の男たちより幾分小柄で線が細く感じられる。

「え、ええ。どうぞ」

 ほかにどう答えようもない。先に俺たちが座ったところへ内側の席の人が来たのでなくて助かった、というくらいの印象だった。


――続いて西門からの入場は、無差別級王者! 海上都市ロスグーリアンの傭兵団『浅瀬の殺戮者』元隊長・ガイス・ラフマーン! 傭兵稼業に身を置いて二十年、その剣技にわずかの衰えもなし、いや、むしろこの男はさらに高みにへと昇りつつある! 


 入場してきたのは、要所だけを板金で覆った鎖鎧という、動きやすさ重視の防具に身を包み、赤銅色に日焼けした黒髪の男だ。
 両腕には分厚い煮革の籠手が真鍮の鋲を輝かせ、その上腕部の太さは普通の大人の腿ほどもある。
 背中に背負った飾り気のない直剣は、日本でもう二十年以上連載されている、とあるファンタジーコミックを俺に思い出させた。

(いや、あそこまで極端ではないか――)

 ガイスの剣は身幅にして恐らく15cm程。だが、いずれにしても本来片手で扱うような代物では無いはずだ。

 一方、アースラが武器として持ち込んできたものは――あの全金属製の重厚な両手持ち戦斧ではなかった。さらに巨大な、塗装すら施されていない木槌。いや、きねというべきか。
 田舎で年末の餅つきに使うものを何周りも大きくしたような巨大なハンマー――あるいは建設現場で『掛矢』と呼称される類のものだ。

「なっ……大丈夫なの、あれ!? あの大剣を受け止めたら、いくら太くても木槌の柄なんかじゃ……」

 パキラが息をのむ。俺も言葉がなかった。なにか相手の油断を誘う手段だったとしても、リスクが大きすぎはしないか。

「よく見ていたまえ、『騎士』がどういうものか。実際に闘うところを見たことはまだないだろう?」

「えっ?」

 おもわず声の聞こえた方向へ振り向く――さっき隣に座った灰色のマントに覆面の女だ。

「あの木槌はハッタリでもなければ、油断を誘うだけの策略でもないはずだ。その身命には守護者としての威信と責任が負わされている。だから戦うときは純粋に真摯に勝利のための策を研ぎ澄ます。騎士とは、そういうものだ」

「あんた、一体……」

 何者だ、と問いかける前に、彼女はアリーナ中央を指差して言った。

「さあ、試合が始まるぞ」

 傭兵ガイスは相手の武器を見て油断するような生易しい男ではなかった。アースラの鎧が通常ありえないほどの重装甲であることを、まずは警戒したらしい。
 肩幅ほどの狭いスタンスで立ち、ひざを折り曲げて低く構える。剣は右手に持ち、左手には内側に取っ手のついた直径50cmほどのリング状の刃物を構えた。

戦輪チャクラムとは意外なものを使うな。面白くなってきた」

 覆面の女が嬉しそうに吐息を漏らした。

 ガイスは低い構えから執拗にアースラの足元を狙って攻撃を繰り返す。だがアースラは、常人なら身動きできぬほどの重量があるはずの鎧を身に着けたまま、敏捷に動き回った。

 剣をかわして、空中へ高くジャンプ。滞空中で回避行動のとれないアースラを、ガイスの剣が容赦なく襲う。だが彼女は木槌の頭をそれに合わせ、打突部分で剣を受け止めた。
 分厚い刃が木槌に深々と食い込み、バキ、と音がしてカツオの半身ほどの木片が割れ跳ぶ。

「ほほう。君、見えたか? 彼女は今、笑ったぞ」

 覆面女が首をひねる。

「笑った?」

「おお。また木槌が割れた」

 莫迦な。木槌の殺傷力は頭部分の質量に負うところが大きいはずだ。剣を受けるたびにあのペースで木片が削り取られたら、いずれあの木槌はただの短い棍棒になる。

「気づいているかな? あの木槌はごく小型の作業用護令械が、土木工事の際に使うサイズのものだ。恐らく彼女は、軍神スカンダルガから『剛力』と『神速』の二つの加護を受けている」

「神の加護……?」

「そう、だからこそあの鎧を軽々と着こなし、あの速度で動くことができる。護令械用のハンマーをふるって戦える」

 覆面の女は肘掛を俺の分まで占領し、くつろぎ切った姿勢でつづけた。

「信じる神から与えられた加護と、修練で身に着けた法術。そして戦闘用の大型護令械ルーティンブラス。この三つが、騎士を騎士たらしめる力だ」

 観客席は次第に静まり返っていく。もうアースラに野次を飛ばす者などいない。
 
「俺を愚弄するか、娘!」

 アースラの笑顔がガイスの闘志に憤怒の火をともしたらしかった。短く息を吸い込んだ傭兵は恐るべき速さで走って鋭角に曲がる動きでアースラの死角をつき、悪夢のような斬撃を放ち続けた。

「これを受けられるか!」

 さらに左手の戦輪を投げる。奇怪なカーブを描いて飛ぶそれをガイスは追い越して走り、掴んでは投げた。アースラを間に挟み、数秒前の自分から数秒後の自分へと往復し続ける、殺意のキャッチボールが斬撃の中に織り込まれる。
 だが俺の目にもかろうじて捉えられた! アースラはガイスの攻撃のことごとくを鎧の曲面で受け流し、あるいは紙一重でかわし、そして時折木槌で受けている!

 飛び散る木片には時に鋭いエッジがあり、ガイスもアースラもそれを避けて動線がブレる。その互いの隙に必殺の一撃を見舞おうと、剣が、木槌が、戦輪が、割り込み滑り込んで更なる攻防を積み重ねている。

「選んでる……選んでやがる……」

 何らかの意図があって、アースラはガイスの剣と戦輪による斬撃の中から、「都合のいい」ものだけを選んで、木槌で受けている――

「見えるか。君の目もなかなか大したものだ」

 ハッとして隣を見る。女と目があった。彼女は覆面で顔の大部分を覆っているが、その時確かに彼女が口元をほころばせて笑った、と感じた。

(そうだ。俺にはあれが、見えている……)

「ああっ! 見て、木鎚が……!」

 パキラが中央のアリーナを指差した。ガイスがついに動きを停め、アースラから距離をとっている。そして騎士姫の手には、木槌ではなく奇妙なものがあった。

 まがまがしい装飾が施された巨大な木彫りの短剣、あるいはくさび――そんな形の頭部を備えた木製の『斧』。
 アースラは兜を跳ね飛ばされ、わずかに血のにじんだ額を汗ばませて、紅潮した頬には凄絶な笑みを浮かべていた。

「ははっ! なかなか楽しかったのう、傭兵隊長殿!」

「貴様……わざわざそれを作るために……!」

「その通りじゃ。どうだ、自分で相手の武器を殺傷力の高いものに作り替えてしもうた気持ちは? さて、そろそろ勝負をつけようか」

「ほざけ、所詮は木材だ」

 ガイスも不敵な笑みを浮かべ剣を構えなおした。

 アリーナの中央に両者が突進した。振り下ろされるアースラの凶悪な『斧』を避けるために、ガイスがわずかに体勢を崩す。恐らく、剣の平で受けて折れることを警戒してだ。
 垂直に振り下ろされた木槌を大剣が横から薙ぎ、斧と化した頭が切り落とされた。

 ガイスの勝ち――誰の眼にもそう見えた。

 だがアースラは会心の笑みを浮かべ、木槌の柄を放り投げると距離を詰めて前進した。再び振りかぶられた剣をかいくぐってガイスの懐へ飛び込み、右手を前へ突き出して短く叫ぶ。

「雷吼衝!!」

 ガイスの胸にあてられたアースラの掌が一瞬鈍く輝く。傭兵隊長は口から鮮血の赤い霧を吹き出し、そのまま崩れ落ちた。
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