神滅の翼カイルダイン

冴吹稔

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tutrial:来たりて、また還らず

神械(アロイ)

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 目の前で操縦籠クレイドルのハッチが閉まる。床面積にして三畳ほどのそろばん玉のような空間に俺は一人立っていた。
 円周の内側は背後の六分の一ほどが、高い背もたれのついた鞍状の座席で占められている。
 足元の床には、色糸で複雑な幾何学文様を織り出した絨毯が敷き詰められていて、土足で踏むのがためらわれた。

 頭の中に、再び声が響いた。
(ようこそ、佩用者トレーガー――我が甘美なる魂、運命の帯同者よ。私はカイルダイン。あなたを守り、その意志の遂行を助け、ときに代行する者。永劫の果てまで、ともに歩むものです)

 その声はいかなる機器の助けもなしに、直接俺の頭の中に話しかけているらしかった。純粋に科学的といえる技術体系の産物ではなさそうだ。
 俺を受け入れたためか、カイルダインの思念は先程よりいくらか柔らかく感じられた。

「……よろしく、カイルダイン。俺は――」

――ゴゥン。

 突然、重く低い音が聞こえた。操縦籠に外部からの衝撃が伝わってくる。どうやらあの巨大な剣で攻撃されているらしい。

「お、おい。大丈夫なのか?」

(ご心配なく、私の装甲はこの程度の攻撃では破壊できません。それに腕の動きを妨げるものがなければ、最低限の自己防衛はできます)

「分かった。とにかく外を見せてくれるか」

(承りました)

 カイルダインがそう答えると操縦籠の内壁に光が満ち、次の瞬間、素通しの窓が開いたようにクリアな映像が現れた。流賊の渉猟械が再び剣を手にこちらをうかがっている。

〈なんなんだ? こんなところに傷一つないまっさらの護令械ルーティンブラスがあるなんて、聞いたこともなかったぜ〉

 キツネ目の操縦者は混乱しつつも、どこか声を弾ませている。カイルダインを手に入れて戦力に加えることか、あるいは売り飛ばすことでも考えているのだろう。

〈降りて来い、小坊主! そうしたら命だけは助けてやる〉

(これは……やれやれです。こんな不出来なものが流布しているとは。クィル=ヤス世界はずいぶんと没落してしまったようですね)

 カイルダインの思念が不機嫌な色合いを帯びた。

(……佩用者よトレーガー

「何だ?」

(これから5タルンの間だけ、私の完全械態マキシマを限定的に解放します。前の佩用者が残した魂跡華ロートスがありますので、それをつぎ込みましょう。あのまがい物を完全破壊することを希望します)

 そう告げるカイルダインの思念は、暗い情念とでもいった物を感じさせる不穏なものに悪化していた。

「は、はぁ!? つまりどういうことなんだ? あと、操縦法とかさっぱりなんだが!」

(佩用者の固有の語彙のうち最も近いものでいえば『初回サービスとして短時間限定で高レベルコンテンツ解放』ということです。『頑張れば将来この程度の力が行使できますよ』と。あと、操縦法はその床の上で念じながら体を動かせば、私が最適化して再現します。お分かりいただけましたか?)

「……分かりすぎて辛いわ! あと俺の頭の中勝手に検索するのやめぇ!」

 なんだか恐ろしくぶっちゃけた人格を与えられているらしい。少し不安になったが、この方が俺にとっても楽かもしれない。

(では、解放します)

 映像面に大地が映し出され、それが揺れ動きながら遠ざかっていく。

 カイルダインが、立ち上がった。

         * * * * * * *


 パキラは土煙の中、顔を薄布で覆って残骸の陰に身を潜めていた。渉猟械は彼女を追うことをやめ、土中から現れた銀の護令械に剣を叩き付けている。

(あの修道僧のお兄さん、ちらっと見えた限りではあとから出てきたアレの中に……?)

 ならば当面死ぬことはないだろうか。一瞬安堵感を覚えたが、すぐに別の懸念が取って代わった。

(あの人、操縦できるの!?)

 記憶がない、と彼はいった。戦闘用の護令械は何も知らずに初見で動かせるようなものではない。専門的な法術を行使して、収蔵された『令呪錦』に『卦』を与え、動作を指示しなければならない。

 歩く、腕を持ち上げる、といった基礎的な動きは『卦』なしで可能だが、その方向性は操縦者が与える。細かな調節や拍子の決定は、令呪錦につながった動索を操縦桿で引くことで行われる。

 繊細なものなのだ。渉猟械ともなれば訓練を積んだ騎士、あるいは械匠でなければ動かせず、戦闘を実際に行えるのは騎士のみ。

 あのキツネ目の男も出自は騎士のはずだ。本来ならば流賊に加わることなど考えられない。よほど素行が悪かったか、あるいは落魄らくはくするだけの理由があったのに違いない。


(操縦できないとしたら……このまま打ち込みを受け続ければ、械体が壊れて結局なぶり殺しだわ)

 見上げた二械はどちらも美しい。勇壮さと壮麗さ、機能美。だが、土中から出現した銀の護令械は別格の美しさを備えている、とパキラは感じていた。
 装甲材として使われるのは通常なら鉄。装飾として不銹銅や真鍮を鍍金することも多い。だが、銀で装われたものなど見たことはない。聞いたこともない。
 そして銀ならば、埋まっている間には空気に触れて黒く変色しているはずだ。にもかかわらず、あの械体にはくもり一つない。

(いやッ、壊さないで! あの械体をもっと近くで見たい……触りたい! 整備してみたい!)

 械匠の世界には失伝した事柄が多い。

 クィル=ヤスは四季とは別に二年おきに焦熱期と厳寒期を迎える過酷な環境のせいで、ゆるやかに文明が衰退しつつあるのだ、と親方が話していた。
 古代の護令械には現代では考えられないほどの精緻な細工が施され、骨肉を備えたもののように滑らかに動いたという。あれもそうした古いものに違いない。

 不意に、パキラの周囲の空間に大気が渦巻き、電光が走った。はっと身をすくめたが、それは攻撃的なものではなかった。
 銀色の光を塗り拡げるように、彼女の体を中心とした半径1タラット(※)ほどの球体が形成されていく。
                                         
 ※ 1タラットは約1.5m


「何なの、これ!?」
 両腕で自分の体を抱きすくめ、球体の中を見まわす。外の景色は変わることなく見えるが、同時に内壁には自分の顔がうっすらと大きく映っていた。

 そして、先程とは比べ物にならない大音響とともに、銀の護令械が械体を地中から離脱させていく。土砂がもうもうと捲きあがり、無数の残骸が跳ね上げられ落下した。その一つがパキラを襲い――球体の表面で弾き止められ、地面に転がった。

「これは……防御結界!? いったい誰が……」

 神官や市井の法術師の中には、似通った術を使うものもあるとは聞く。だが、これほど絶対的な効果のあるものは、聞いたこともない。
 
 そして、土煙の中に透かし見える護令械の黒い影は、次第にその形を変えるようだった。
 折りたたんだ腕のようなものが背中から延びて両脇へ広がり、先端に位置する六辺のうち交互に三辺を長くとった変則的な六角形の部分から、何本もの光が花開くように現れる。それは、次の瞬間光の粒子をまき散らして形を定め、巨大な翼を形成した。


 ゆったりした羽ばたきとともに、銀の護令械は空中へ舞い上がる。唐突に、パキラはそれが何なのかを理解した。

(あんな護令械はどんな古いものの中にも存在しない……存在するはずがない。ええ、あれは護令械じゃないわ。親方が昔、教えてくれた……)

 太古、まだクィル=ヤスが一つの緩やかな帝国によって統治されていた時代のこと。

 世界の外から来た邪悪と戦うために、精霊そのものを封じ込めて作り出された、伝説の存在があったという。
 後に数多の護令械ルーティンブラスがそれらを模して作られることになった原型アルケ――『ダイモーンブラス』。

 またの名を――

「『神械アロイ』……」
  まさか自分がそれを見ることになろうとは。パキラの唇がわななき震え、知らぬ間に涙がまぶたを濡らした。
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