妹の手がまだ触れない

冴吹稔

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あの日盗んだリンゴ

過ぎ去る季節に輝いて・1

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 桜が散って若葉の季節を迎え、中間テストも終わった。

 母から思いがけずせしめることになった例の「参考書代」は、きちんと申告した通りの目的に使った。僕は基本的に「良い子」だったから。
 微妙に余った小銭は帰りのコンビニで安っぽいアイスに化けたが、そのくらいは特に細かいことを言われない。
 
 購入したのは英文法のいくらかわかり易くかみ砕いたやつで――一度大学受験までクリアした経験のおかげもあると思うが、妙にスムーズに頭に入った。
 一教科が効率よく勉強できれば、ほかの科目に時間が回せる。気持ちの余裕もできる。テストの結果は押しなべてまずまずだった。

 現状は悪くない。だけど――

 気になることがある。あの参考書を買ったのは、母の生きている姿を見て僕が動揺したせいだ。記憶にあるもともとの人生では、今回のテストはもう一つパッとしない結果だったはず。そのくらいは憶えている。

 つまり今回、僕の人生は少しづつ別のルートへずれつつあるのだ。それも、巻き戻ったこと自体が原因で。


         * * * * * * *


 冷房をつけた部屋の中。少し飽きかけたオンラインRPGを久々に立ち上げ、広場で交わされる会話――画面左下に流れていく会話ログを漫然と眺める日曜の午後。

 両親は遠方にある共通の友人宅へ用事で出かけ、夜にならないと帰らない。葉月は中学で模試を受けている。

(葉月のやつ、そろそろ試験も終わりかな……)

 そう思ったとほぼ同時。

 ……タン!

 窓ガラスに何かが当たる音がした。結構大きい。即座にそれは、連続的にガラスをたたく激しい音に変わった。

 見る間に視界が飛沫で塗りつぶされ、見通しがきかなくなる――にわか雨だ。それも、最近よくあるゲリラ豪雨。

「やっべえ、洗濯もの!」

 母は死ぬまで日干し信奉者だった――古い世代だから仕方ない。僕は大慌てでベランダに飛び出し、みるみる水分を含み始めた洗濯物を急いで取り込んだ。

 たたきつける大粒の雨を背に、取り込んだ洗濯物を腹側に抱え込むように動いて何とか救出完了。丸めた衣類の中から零れ落ちた何かを、あわてて拾い上げ、とっさにジーンズのポケットへ。

 びしょ濡れになった頭を振りながらリビングへ降り、南側のサンルームに持って行って室内干し用のハンガーや竿に衣類をかけなおしていく。やっとこ片付け、洗面所でタオルを使っていると――ベルトにつけた携帯がぶるぶると震えた。
 一瞬遅れて「銀河鉄道999(EXILE)」のメロディーが鳴り響く。葉月からだ。

「もしもし、葉月?」

〈お兄ちゃん? 良かった! いまね、バス停で降りたら雨降りだしちゃってさ……今朝お天気よかったから、傘持ってなくて……迎えに来てくれない?〉

「おう、任せて。バス停って、どこの?」

〈保育園前! お願いよ、わたし絶対動かないからね。この雨の中歩いたら、かばんも教科書もノートも……〉

「わかったわかった、待ってろ」

 電話を切って、窓から外を見る。さっきのバケツをひっくり返したような勢いはもうなかったが、雨は相変わらず土砂降りだった。

(靴下とか、履かない方がいいわな……)

 あえて裸足にサンダル履き、ジーンズのすそは高々と折り返して外に出る。僕の傘を頭上にさし、葉月の黄色い傘は小脇に抱えて、バス停まで三百メートルばかりの道を駆けだした。

 走りながらふと考える。前の記憶では、確かこんなイベントはなかったはずなのだが――
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