かれん

青木ぬかり

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10月5日(水)

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 次は農学部の3階って言ってたな……。
 真琴はチームを画面上、茶色い煉瓦造りの建物内に踏み込ませた。

「……う」

 思わず真琴は声を漏らす。
 蝶が出現した時点でカレコレはBGMがマイナーコードになり人魂がフィールドをウロウロするようになったので、雰囲気は充分「不気味」だったのだが、農学部の建物内はそれに輪をかけたものだった。

 まず暗い。そして汚い。
 至るところ点いていない照明やチカチカしている照明があり、廊下にはガラスの破片が落ちている。
 加えて、苔なのかカビなのか判然としない彩色で壁が汚れ、観葉植物は枯れている。

「う……」

 3階を目指す途上のチープな廊下に、牛とブタの頭部が無造作に転がっているのを見つけ、真琴はもう一度声を漏らす。
 なまじゲームであるだけに、生首が今にも動き出しそうだ。
 先ほどの「ブタの知能は3歳児並み」というセリフが脳裏をよぎる。
 単に演出が不気味だという単純なものではない「なにか」……。
 それがツタのように真琴のこころに絡みつく。
 それは、カレンコレクションというゲームを始めるようになってから徐々に胸を侵食していた「現実との境界」とでもいうべき命題であった。

 おそるおそるチームを移動させながら真琴は考える。
 カレコレは果たしてゲームなのか、それとも現実なのか、と。

 ゲームであることは論を待たない。
 ただ、これほど現実に影響を与えるものを、巷にあふれるゲームと横並びにすることはできない。
 広い世界を旅するオンラインゲームとも違う。
 だって、少なくともカレコレは生身のプレイヤー……学生を「査定」してるんだから。
 
 ゲームの世界を覗きつつ、同時に自分が覗かれている感覚……。
 信条を問いかけてくる蝶、現実の出来事かもしれない物語……。
 そうだ、少なくとも理学部ステージの結末……20年前に理学部の教授が飛び降り自殺をしたことは「事実」だった。
 たとえカレコレのストーリーがそれら「事実」を脚色したものだとしても、それが事実と違うことを証明する術はない。
 仮に、多大な労力をもってカレコレのストーリーが「でたらめ」であることを証明したとしても、それは皮肉にも「真実」を浮き彫りにすることになるだろう。
 
 たとえば理学部教授の自殺が、研究費の使い込みとか家庭問題とか、カレコレの物語とはまったく異なる動機に因るものであったとしても、今さらそれを突きとめることに価値があるとも思えない。
 他のステージの話も同じだ。真実を追求している時間なんかない。
 ただ真偽はさておき、いずれの物語も「あり得る」こと……。非現実的なものではない。

 ファンタジーではない「妙に現実的」なストーリー。
 チームの周りを舞う「問う蝶」というファンタジー。
 真意の深さを隠すようにチープで粗いグラフィック。
 
 AIとマルチエンディング……。
 ただクリアするだけでは足りない……か。

 思いのほか広い農学部の建物内を移動させながら、断片的で漠然としたものが真琴の心を惑わす。
 そんな真琴の思案顔を見て悟った島田が声をかける。

「古川、今はとにかく進めよう」

 また理沙がモノマネをしたのだと勘違いして、真琴は島田より先に理沙の方を見てしまう。
 ゆっくりと島田の方に向き直ると、島田は静かな表情で真琴の視線を受け止めた。

「考えるのは悪くない。でも進めなきゃ」

「ねえ島田くん。カレコレに出てくる話って、どこまでがホントなのかな」

「……判んないよ。それは」

「でも20年前に理学部の教授が飛び降りたのはホントだったんでしょ?」

「それ前にも言ったろ? 飛び降りた事実はあるけど、カレコレのストーリーが真実かどうかは怪しいよ」

「……うん、そうなんだよね。でもなんかこう、うまく言えないけど……」

「ちなみに、みっちゃんが溺れて死んだのも事実だよ」

「え……」

「これも大学が今の場所に引っ越して間もないころのハナシ、平成7年の春に田中美月っていう1年生が大学の池で溺れて亡くなってる。……カレコレでみっちゃんが溺れた場所で」

「……そう、なんだ」

「これは新聞に載るような事故だったから判ったけど、ほかのヤツ……たかしのお母さんとか、オオクワ研究会とか、つよしのこととかはニュースになるような話じゃないから調べようがない」

「そっか。……そうだよね」

「カレコレは俺たち学生になにか言おうとしてるのは間違いないから考えるのは悪くない。だけど考えるのは昼間でもいいだろ? カレコレができる時間はカレコレを進めよう」

 島田の言葉は理に適っていた。
 確かに考え込むのは昼でいい。
 同時に真琴は、島田が自分で言ったとおり、昼のあいだに色々と調べたようだという印象を抱いた。

「うん、わかった。進めるよ」

 ひとまず割り切って答えた真琴の表情に、島田は満足したような顔をした。

 そうして真琴が操るチーム「つるぺた」が農学部の3階に到着して廊下を左に向かって移動させていたところ、それまでなんのアクションもなかった〝無造作に転がる家畜の生首〟が突然動き出した。

『ケケケケケ』

 ちょうど通り過ぎようとしていたところでセリフとともにチームの最後尾に近づいてきたブタの首は、列を成す「つるぺた」のひとり、「なおっち」を画面外に突き飛ばして列に加わった。
 うわあ……気持ち悪い。
 なにこの状況……。
 真琴はここで島田に尋ねてみようとしたが、今しがたの島田との会話を思い出し、なにも言わずに進めることにした。
 どこ行っちゃったんだろ「なおっち」……。
 
 画面の中、まるでなにごともなかったかのように「ブタの首」がチームに加わった状態で真琴はチームを移動させる。
 蝶も相変わらず、なんともいえない問いかけをしてくる。

『ねえまこと、参議院ってなんのためにあるの?』

 いかにも「教えて」という雰囲気で尋ねてくるが、これがそんな性質のものではないことは百も承知だ。
 これに「そんなの知るかよ」とか答えていたら理沙みたいに徳がゼロになるんだ。
 今日も真琴は自分なりの考えを、時間と分量をかけて答える。

 やがてようやく主役、飼育小屋でブタを眺めていた女の子を見つけた。
 女の子は教室の前で立ち止まっていた。
 近づくとセリフが表示される。
 
『マジ面白かったんだって、先生の顔』

『そうそう、泣きそうになってんの。いい歳こいて』

『そうなの? あんな実習でいちいち悲しんでんの?』

『俺は好きだけどな。屠殺の実習』

 そこまでセリフが表示されたところで主役のキャラは戸を開いて教室の中に消えた。

 このセリフのあとに入っていった……ということは今回の主役は「女の子」じゃなくて「先生」なのか? ……女性の。
 セリフは学生のもの、そして主役は動物の「いのち」に特別な想いを持つ先生、か。
 学生の姿勢もいかがなものかと思うけど、畜産の先生で家畜の殺生にいちいち心を痛めていたら保たないんじゃないの?
 いい歳こいてって、この先生は何歳くらいなんだろ?
 
「終わったよ3階のシーン。次は?」

「じゃあアレだ。小屋に戻るんだ」

 ……小屋に戻るってことは、その「実習」とやらがあるのかな。
 真琴は言われたとおり踵を返してチームを小屋に向かわせる。
 最後尾はブタの頭のまま……。

 そうして蝶の質問に邪魔されながら小屋に戻ると、学生らしき10人ほどのキャラと主役の女性キャラがいた。
 みんな茶色の服を着ていた。
 実習着……っていうのかな、これは。
 予想どおり実習が始まるようだ。
 しかし飼育小屋にいたのはブタでも牛でもなく「ヒト」だった。

 これ……「なおっち」だよね……。
 鼻がブタになってるけど。

『それでは屠殺実習を始めます。ひとつの命を使った実習ですので真剣に』

 主役である先生が告げる。
 あれ、屠殺されちゃうの? ……「なおっち」は。

「着きましたぜ旦那」

 言ったのは理沙だ。
 どうやらようやくパチンコ屋に着いたらしい。
 時間がかかったのは、さっきのイタズラもあるだろうけど、たぶん理沙なりに蝶の質問に真面目に答えていたからだ。
 理沙はバカじゃない。島田くんのカレコレでいい加減なことをすることのリスクは解っているんだ。

「お、着いた? じゃ……当てろ、清川」

「御意」

 理沙……アンタ何者よ。


 ストーリーを進めることが最優先とはいえ、話題の100倍パチンコが当たる瞬間に無関心ではいられず、真琴は手を止めて理沙の背後にまわり観戦の態勢をとる。
 島田も真琴と同じ心理なのか、理沙の左側から画面を覗いている。

「おおっ? もしかして私、注目されてる?」

「そうね。でも時間がもったいないから早くして」

「ふ~んだ。言われなくてもやるし」

 画面上では「りさ」がパチンコ台に着いたところだった。
 この風景は昨日も見た。
 そして画面は台を映す。

「いちいち玉を借りないで打てるのがいいところだね」

「……なにアンタ、パチンコ行ったことあんの?」

「なにごとも経験だよ、真琴」

 ものは言いよう……。
 その好奇心こそが危ういんだと思うのは私だけ?
 まあ、そんなことはどうでもいい。……今は。

「うおりゃああ」

 例によって小動物のような動作で景気よく理沙が画面をタップし、玉を打ち出す。
 昨日と同じように、連射されたパチンコ玉がヘビみたいだ。

「お、入った」

 まあ、あれだけ打てばすぐ入るだろう。さすがに。
 問題はここからなんだ……。
 あの、穴のある皿みたいなヤツを突破できるのかどうかだ。
 島田くんは当たるって言ったけど、私が隊長から得た情報では当てた人の肩書きは「知る者」と、そして「大賢者」……愛だけだ。
 島田くんは「王佐」で当たるという確信をどこで入手したんだろう。

 そんなことを考えながら理沙の手にある画面を見ていると、玉はすんなりと3段目の皿に突入した。
 1回目で3段目に行った。……ホントに当たっちゃいそうだ。
 真琴は玉を注視する。
 携帯電話を握る理沙も、そして島田も真剣だ。

「清川理沙、やりますっ」

 皿の上、転がる玉の勢いが弱まってきた。
 ここからが腕の見せどころなんだろう。
 ……ホントに当たるのなら。

「びゅおおおお」

 めずらしい雄叫びをあげながら、理沙は「今だ」とばかりに当たり穴、赤い印がついた穴に向けて携帯電話を傾けた。
 このまま穴に入る……。
 真琴がそう思った瞬間だった。
 目的の穴の赤い縁取りが消えたのだ。
 そして、縁取りが消えて「ハズレ穴」になった場所に玉が落ちる。

「ぶひゅうううううう」

 またしてもヘンな声を出しながら、電源が切れたように理沙がゆっくりと倒れる。

「……ダメだったね。もう少しだったのに」

 真琴は慰めるが、理沙は放心状態だ。
 島田は無表情で理沙を見ていたが、すぐに理沙に向かって言う。

「清川、続けよう」

 これに理沙が反応する。

「なおっちの嘘つき。これじゃ昨日と同じじゃん。インチキだよ、やっぱり」

「決めつけるのは早い」

「だって今のだって、入る直前に変わったじゃん。まったく昨日とおんなじ、作為だよゼッタイ」

「今回はホントにたまたまかもしれない。とにかくもう1回だ」

「お、今日はやけに強気じゃん。ナルっち」

「まあ……ね。当たるはずなんだ、今のステータスなら」

「ふ~ん。じゃ、やってみる」

 理沙はスクッと起き上がり、ふたたび玉を連射する。
 1玉400円……。おカネが尽きる前に当たればいいけど……。
 カレコレの¥にさほどの執着はないものの、真琴の心中は穏やかではなかった。

 そうして3分くらい経ったころ、ふたたび玉が3段目に行った。

「清川」

「なに?」

「そのまま置いとこう」

「え? ……なにを?」

「ケータイ」

「……つまり、なにもしないってこと?」

「そう。なにもしないで見てるんだ。それこそ本物のパチンコみたいに」

「……わかった。それでも当たるってことね。……当たるなら」

「うん。というか、もしかしたらそれが当てる方法なのかも」

「なるほど、あり得るね。それも」

 理沙は納得したみたいだが、ことパチンコに関して無知な真琴は、二人のやりとりと玉の行方を黙って見ていることしかできなかった。
 
 理沙がガラステーブルに置いた島田の携帯電話、それを3人で眺める。
 3人が雁首そろえて携帯電話をただ眺めているというのも奇妙な光景だが、今は理沙でさえも玉の行方に集中し、そして結果を待っていた。

 やがて転がる玉の勢いが弱まり、フラフラとした軌道になる。
 当たり穴はだいたい5秒おきくらいで切り替わる。
 玉の動きは予測できるものの、当たり穴が固定でないため、当たるのかどうか予想できない。

 いよいよ玉が動力を失い、ゆらゆらと皿の中に向かう。
 その先にあるのはハズレ穴……。
 今回もハズレ……。真琴はそう思った。
 理沙も、おそらく島田も同じだったろう。
 ところが、ハズレ穴に落ちそうになった玉は、まるで残り1メートルのパットを外したときのような動きで穴の縁をくるりとまわり、90度近く軌道を変えた。
 そして、誰かが声を上げる間もないほどあっけなく、その先にあった赤い枠……当たり穴に落ちた。

「あ……」

「よしっ」

 先に声を漏らしたのは真琴、次いで島田だった。

「これ、当たったん……だよね?」

 およそ理沙らしくない言葉だったが、それにツッコミを入れる前に画面が虹色に光り、重厚なファンファーレが鳴り響いた。

「うお……おおおおおっ」

 実感を得た理沙が歓喜の声をあげる。
 台は、その全体がネオンのように七色に点滅し、入賞口が開いた。

「ぃよっしゃあああ」

 理沙が素早く携帯電話を手に取り、玉を連射し始める。
 入賞口は打ち出した玉を全部受け止める場所にあり、次々とそこに吸い込まれていく。

「……ホントに当たったね、島田くん」
 
「うん、よかった」

「島田くんはどうして分かったの? 当てるための条件」

「いろいろ調べたんだよ。その辺はあとで……というか、清川がいないときにゆっくりと」

「そっか……うん、わかった」

「うひゃあ、これすごい、すごいよこれ」

 すっかり興奮ぎみの理沙の画面を見ると、パチンコ玉からなるヘビがそのまま入賞口に飲み込まれていっていた。
 画面の上、¥の表示は凄まじい勢いで伸びていく。
 当たってからまだ5分も経っていないのに、すでに所持金は200万円を超えていた。
 このまま午前0時のカレコレ終了時間まで続けたとしたら、いくらまで行くんだろ。

「よし古川、俺たちはカレコレに戻ろう」

「あ、そっか。そうだね」

 真琴は自分のカレコレ画面に戻る。
 例の「屠殺実習」と思われる飼育小屋の場面だ。

 主役である女性の実習開始のセリフが表示されたままだったので、クリックして先を促すと、女性は助手らしきキャラからなにか銃のようなものを受け取った。

『これは前回の実習と同じノッキングガンです。ブタの屠殺もこれを使って気絶状態にします。今回は1頭だけですので、誰かひとり、前回やってない人にやってもらいます』

 10人程の学生キャラがみなキョロキョロと左右を見る。
 ざわざわという効果音からして、おおよその見当がつく。
 いわゆる「お前いけよ」「やだよお前やれよ」の状態だ。
 先生がいない場所では強気なこと言ってたくせに……。

『先生』

『なんですか』

『先生、お願いします』

『なにを言ってるんですか。これはあなたたちの実習です』

『でも、どうせ全員がやることはできないんですから、不公平になるよりも先生がお手本をみせてくれた方がいいです』

 これは……詭弁だ。苦しまぎれの。
 誰もやりたがらないからといって、よりによって先生に押し付けるなんて……。
 だけどこの先生は……。

 しかし先生は気丈に振る舞った。

『わかりました。誰も積極的にはやらないということですね。では私がやります。4名ほど補助についてください』

 この「補助」という響きには効果があるのだろう。
 何人かの学生が挙手をし、補助者が決まった。
 しかし肝心の部分で逃げたので、「単位目当て」ということがありありだ。
 自分も大学生だから解る。

 そして先生と学生数名が、ブタの鼻をつけた「なおっち」を取り囲む。
 画面の中、「なおっち」はしきりに向きを変える。
 え……と、やっぱり殺されちゃうの?
 ゲームとはいえ、これはカレコレ……。なんだか不安だ。
 
 そんな真琴の心中はお構いなくストーリーは進行する。

『では打ちますので、少し離れてください』

 先生は「なおっち」の右、半マス分だけ後方に立った。
 そして、把持していた「ノッキングガン」というものを「なおっち」に向ける。
 少しの間を置いて「ドンッ」という効果音とともに画面全体が白に染まる。
 打たれちゃった……。
 だいじょうぶなのかな?

 ふたたび映像が表示されると、画面の「なおっち」は横向き、つまり倒れた状態でピクピクと不規則に動いていた。
 取り囲む4人の学生が『動くな』とか『すげえ力』とか言っている。
 そしてブタを打った先生は後方、少し距離を置いた位置にいた。

『……これは、動いてますが気絶した状態です。……では、気絶しているうちに血を抜きます』

 ……そういう手順なのか。
 真琴がなんだか勉強しているような気分になっていると、画面の中の「先生」は補助者のひとりに包丁のようなものを渡そうとする。
 しかし補助についている学生はここでも及び腰で、誰ひとりとしてその包丁を受け取らない。
 知識のない真琴でも分かる。
 早くしないと意識が戻っちゃう。
 苦しませるだけだ……そんなのは。

 ウロウロする先生キャラは、その焦りを如実に表していた。
 そして、あきらめたようにブタの横で動きを止めた。
 先生が『……ごめんね』と言いながら包丁を振り上げる。
 ここで画面はまた一色に染まる。
 しかしそれは白ではなく紅だった。

 鮮血を思わせる色に染まった画面を見ながら真琴は思う。
 先生が言った「ごめんね」は自責だと。
 ブタの命を絶ちきること、それ自体への謝意ではない。
 先生が言った「ごめんね」の前に言葉を補うならば「こんな学生のために」という言葉が相応しいような気がした。
 でもこの先生はさらにその先……「学生たちに上手に伝えられなくて」ごめんねと言ったんだ。……きっと。

 家畜にも命があることは当然だけど、この先生は「3歳児並み」の意思を持つ生き物としてブタを見ていた。
 あらかじめブタが「なおっち」にすり替わるという演出も、それを印象づける効果を狙ったものなんだ。

 ……そういえば、殺されちゃった「なおっち」はどうなるの?
 真琴は思わず島田を、次いで島田の携帯電話を預かる理沙を見た。
 チームでつながってるんだから、なにか変化があったりしてないのかな……。

 しかし真琴の心配は杞憂だったようで、二人とも黙って画面に集中していた。
 理沙の場合は集中しているというのとは違うかな……。
 壊れたオモチャみたいに小刻みに画面をタップし続けている。

 ひと安心した真琴が画面に目を戻すと、画面に変化があった。
 屠殺されたはずの「なおっち」がチームの列に戻り、「なおっち」がいた場所にはブタが横たわっていたのだ。

 これも演出……。いのちの重さを問う演出だったんだ。
 牛肉や豚肉……いやそれだけじゃない。鶏にだって言えることなんだ。
 なにを今さらこんな、小学生みたいなこと……。
 でも、やっぱり麻痺してるんだよな。ハンバーガー屋でバイトしてんのに。

 クジラを殺すのが残酷?
 調査捕鯨って名目で誤魔化さないとダメ?
 問題はもっと身近なところにあるんじゃないの?
 
 実際に食肉加工の仕事をしている人はどう考えてるんだろ?
 ブランドものの立派な牛を育てる牧場とかは時々テレビで見るけど……。
 安価で引き取られていくような家畜を養っている農家は……どうなんだろう。
 安価なら、当然の帰結として養う費用も抑えなきゃいけない。
 それでも愛情を込めて育ててるのかな。
 でも、飼育の費用を抑えるなら「安全」という命題が出てくるよな、また。
 これじゃ堂々巡りだ。

 ぼんやり画面を眺めながらぐるぐると考え込んでいる真琴は視線を感じて顔を上げる。
 見れば島田がジッと真琴を見据えていた。
 島田にしてはめずらしく厳しいその表情には「何度も言わせるな」と書いてあった。
 分かったわよ、進めればいいんでしょ、進めれば。

「小屋のシーン終わった。次は?」

「また建物の中だよ。順番はよく覚えてないけど、建物の中で何回か話が進む」

「分かった」

 今回のステージは、未だ悲劇に至っていないものの、序盤にして真琴の心を波立たせていた。
 己が今まで無自覚だった部分を指摘されたこと、そして一般的な感覚として主役の「先生」に共感してしまうことが原因なのだが、真琴にそこまでの自覚はなく、ただ漠然と「今回は主役に同情しちゃうな」という程度だった。

 そして農学部の建物の中に戻ったチーム「つるぺた」は、すぐに次の場面に遭遇する。
 建物に入ってすぐ、1階の扉のひとつを通りかかったときにセリフが流れ始めたのだ。

『とにかく産学連携で良い条件を取り付けるのが最優先なんですよ。望む研究がやりたいなら』

『でも、この分野で産学連携なんて名ばかりじゃないですか。学生は労働力としか扱われません』

『きれいごとはいいんですよ。いいじゃないですか、学生にもいい経験になるんですから』

『私には……できません』

『あなたも助教授なんです。学部全体のことを考えてもらわないと困ります』

『……失礼します』

 そこまでセリフが流れたところで主役の先生が廊下に飛び出してきた。
 そして「まこと」の方を向いて「!」という表示で驚きを表す。
 そのあと、先生はなにも言わずに画面の奥に消えた。

 これはまた、ずいぶん難しい話題に飛んだよな……。
 つまりこの先生は助教授で、学部は研究費の不足に悩んでて、協力してくれる企業を探してるってこと?

 大筋では間違いないとは思いつつ、真琴は「産学連携」なる言葉の正確な意義を携帯電話で検索するために一旦カレコレを閉じた。
 カレコレを閉じる際にチームのステータスを見ると、星は1400近く、そして所持金「¥」は既に一千万円を超えていた。
 所持金のあまりの増え方に真琴は理沙を見る。
 相変わらず黙々と画面をタップしている。
 ……見ている方が腱鞘炎になりそうだ。

 次いで通常画面では真琴の個人ステータスを目にする。


  287718B
  知る者
  徳:546
  業:66


 肩書きに変化はない……けど、今日も徳は着実に増えてるな。
 そうだ、あとで島田くんに相談しなきゃ。
 星を使って徳を買うべきなのかどうかを。


 携帯電話で産学連携という言葉を検索した真琴は、自分の認識がおおむね正しいことを確認した。
 カレコレ、そしてカレンも閉じた真琴は小休止のような気分になり、何気なく島田に尋ねる。

「島田くん、カレコレってあとどれくらいでクリアなの?」

「なんだよいきなり」

「いや、なんとなくだけど」

 真琴の質問に、島田は例によって「そんなことより進めろ」と言いたげであったが、「そうだな……」と考える。
 話題がカレコレであるだけに、必要と判断すれば答えるという島田の姿勢も徹底している。

「……順調にいけば、今日中にクリアできる」

「え? ……今日?」

「うん。……ま、順調にいけば、だけどね」

「じゃあこの、農学部のハナシで6個目のドラゴンパールがもらえるの?」

 ここで島田の動きが止まる。
 首をかしげて下を向き、なにかを考えている。
 え……私、なんかヘンなこと聞いた?

「古川……なんで知ってんだ? ……ドラゴンパールのこと」

 え、なんでって……そりゃ聞いたから……。
 あ、ああそうか。ドラゴンパールを教えてくれたのは松下さんだった。
 そして今日、隊長と電話したときもドラゴンパールのこと話したから……。
 これは……油断してた。島田くんは「いずれ分かるから知らなくていい」って言ってたんだ。
 う……お……。どうやって誤魔化そうか。

「私もいろいろ調べたんだよ。……ホラ私、昼間ヒマだったから」

「ああ、なるほどね」

 ……よかった。
 怪しまれずに済みそうだ。

「なになにドラゴンパールって」

 聞き慣れぬ単語を耳にして理沙が割って入る。
 コイツ……。せっかく逃げ切れそうだったのに……。
 理沙の質問に島田は答えない。
 その態度は、明らかに真琴が先に答えるのを待っていた。
 ……どこまで知ったのか確かめるつもりなんだ、島田くんは。

「えっと……。番号が付いたあの白い玉のことよ。7個集めると願いが叶うらしいよ」

「なにその少年マンガ」

「まあ、パクリだよね。……例によって」

「願いが叶うってなによ。そんなことできんの?」

 当然の質問……。
 ここでどう答えるかが肝心だ。

「できるわけないじゃん。たぶんカレコレっていうゲームのストーリーのひとつだよ」

「ん? どゆこと?」

「ほら、カレコレが登場したとき〝大学にかけられた呪いを解こう〟ってあったじゃん。だから願いっていうのはゲームの目的、大学にかけられた呪いを解くことなんじゃないの?」

「え、じゃあ別にいいことないの?」

「……なにを期待したのよ、アンタ」

「いやほら、その……現実的ないいことっていうか、そんなカンジ」

「……それは無理なんじゃないの? ……カレコレはあくまでゲームなんだから」

「それは判んないぞ古川」

「え?」

 聞き返しながら真琴は、自分の演技が上手くいったという手応えを感じた。
 期待しながら島田の言葉を待つ。

「たしかにゲームをクリアするために集めるみたいだけど、願いはクリアした先にあるかもしれないだろ?」

 ……よし。
 島田が説明口調になったことで、真琴はようやく安心した。
 松下さんや隊長から教えてもらったことがバレたらめんどくさいもんな。
 島田くんは「ネタバレ禁止」にこだわってるんだから。
 
「クリアした先になにがあるのよ」

 いい具合に理沙が受けた。
 真琴は傍観の構えをとる。

「救い……があるといいな、とは思ってる」

 ん? これは島田くんらしくないセリフだ。
 まっすぐ問題解決に向かっていたはずの島田くんに私情みたいなものを感じる。
 なにかあったのかな?
 島田くんは島田くんで。

「救いってのは、つまり現実の方がハッピーエンドになるってこと?」

「もちろん。クリアした先に現実を解決するなにかがあると期待してる」

「なにかってなによ」

「分かんない。それは運営しか知らないんじゃないか? でも俺たちはそれに望みを託すしかないからカレコレやってんだ」

「ふ~ん。なおっちにも分かんないことがあるんだね」

「当たり前だろ。分かんないことだらけだよ」

「真琴もそうなの?」

「そうよ。分かんないけど、きっとなにかあるって信じて進めてる」

「……そうなんだ。私てっきり、なおっちと真琴はなんでも知ってると思ってた」

「そんなわけないでしょ」

「そう? ……まあそうだよね。まだ警察だって犯人捕まえられなくて困ってるんだもんね」

 警察か……。
 警察もいい迷惑だよな、ホント。
 今日にでもカレコレがクリアできるなら、松下さんと話をすることになるかもな。
 でも、もう理沙に隠す必要もないから気分的には楽だ。

 あ、そうだ。今のうちに聞いておこうかな。
 真琴は島田に、後回しにしていた伺いをたてる。

「ねえ島田くん、ウチらの星使ってさ、徳を買っちゃうのってどう思う?」

「徳を買う? ……ああ、古川の徳をもっと上に行かせるってこと?」

「そう」

「……いいんじゃないかな。キリのいいところで買いに行くといいよ」

「徳を上げたらどうなると思う?」

「それも分かんない。でもマイナスにはならない気がするし、特典も気になるし。うん、買おう」

「わかった。このステージが終わったら買いに行くね」

「そうしよう。そして、できれば今日中にクリアしよう」

「おお頼もしい。そなたらは余の宝ぞ」

「……なんのまねごと?」

「あれ? 知らなかった? 私けっこう歴史好きなんだ」

 ……それは答えになってるのか?
 まあ、理沙は理沙で自分の仕事をしてるんだ。
 島田くんが自分の携帯を貸してまで理沙にパチンコをさせてるのはたぶんアレ、売店の最高額商品、2千万円の「しんじつ」を買うためだろうし。

 昨日までは、おカネで買える「しんじつ」に意味があるのか不安だったけど、裏パチンコを当てるのに資格が要るなら話は別だ。
 ……選ばれた人しか買えないんだから。

 今日でカレコレをクリアできるかもしれない。
 星で徳を買えば、私はさらに上位に食い込む。
 そして「しんじつ」を買う分の¥は手に入る。
 
 もしかしたら……いや、きっと今日がヤマ場なんだ。
 今はまだなにも判ってないけど、ほんの数時間後には状況が一変している可能性が高い。
 
 よし、それなら、ゴールが近いなら平気だ。
 どんなにイヤなストーリーでも進めてやる。
 真琴は己を鼓舞しつつカレコレを再開する。
 
 
 画面の中、農学部1階の廊下から再開した真琴は、主役である「先生」を探して建物内を歩く。
 そして3階の教室の前で佇む「先生」を見つけた。
 今回も学生のものと思われるセリフが流れる。

『だりぃよな実際。クローン技術のハナシなんてネットで調べりゃすぐ分かんのに』

『ホントそれ。しかもあの先生だからさ、妙な倫理観持ち込みそうじゃん』

『うわ……。オレ今、先生のクローン想像した』

『誰があんなブサイクのクローンつくるんだよ。やめてくれ』

『まあ、一生独身だよな。間違いなく』


 セリフが終わり、先生が教室に入る。
 先生を話題のネタにするのは中学生でも高校生でも同じだ。
 でも傷つくよな、確実に。
 学生はいつだって「共通の話題」を求めるんだ。
 集団と個……。でも、個となるしかない立場の人だって、どこか別の場所で集団に入ってないと心が折れるだろうな。

 学生の心ないセリフはしかし、真琴に新たな情報を与えた。
 先生は「クローン技術の講義に倫理観を語るような人」ということと「現在独身であり、一般的にいって容姿が優れない」ということだ。
 独身なんて今どきめずらしいもんじゃないけど……。
 カレコレが広大を模しているなら、助教授といえば皆それなりの年齢だ。
 真琴の頭の中に「孤独」という言葉が浮かぶ。

 さらに次のシーンを求めて建物内をウロウロしていると、今度は1階の一番奥、他とは違う茶色の扉の前でセリフが始まった。
 この扉は木製かな……。なんだか偉そうなカンジだ。

『……どうして私が移籍なんて』

『いや、悪い話じゃないと思いますよ。先方も是非にと言ってます』

『そんなはずありません。今までなんの付き合いもないんですから』

『あなたの実績を見たんでしょう』

『ごまかさないでください学部長。……理由はなんですか?』

『笹原先生のことです』

『! ……』

『ずいぶんお熱のようですね、私の耳に入るほどに。でも笹原先生にその気はない』

『……それ……は、個人的なこと……』

『恋慕うのは結構ですが、相手にその気がないのにいつまでも……というのはいかがなものでしょう。分別ある大人として』

『そんな……』

『とにかく笹原先生は今、大切な研究に取り組んでいるんです。先生は移籍していただくか。それとも他の道を探していただくか』

『え……。辞めろってことですか?』

『いえいえ、そんなことは言ってません。心機一転、あちらでの活躍を期待しています』

『……残る、という選択はないんですね』

『私の力ではいかんともし難いところです』

『……じゃあ、辞めます』

『え? ……いえ、そんな性急な……』

『……失礼します』


 そして先生が部屋から飛び出してきた。
 前回同様「!」という表示が出たが、今度は「まこと」の方に近付いてきた。


 『なに? ……あなたたちも私を笑ってるの?』
  ・はい
  ・いいえ


 つまり、一般的な基準で容姿に優れないこの先生は恋をしていて、まったく脈なしなのにあきらめられないんだ。
 それが度を超していて、学部で問題になった……。
 そんなところだろう。会話の内容からすれば。
 今でいうところのストーカー……。
 交際しているのならヤンデレっていうのかな。

 しかしいずれにしろ真琴は、この先生の状況を笑う気にはなれず、「いいえ」と答えた。

『そりゃそうよね……。みんな面と向かって悪口は言わないわ』


 あ……。行っちゃった。
 どうするんだろ、この先生は。
 大学を移るか、それとも辞めるかの二択。
 移籍の話を受ける方が現実的だけど……。

 その後も農学部ステージの物語は暗澹たるものだった。
 想いを寄せる教授が先生のことを陰で散々に言う場面……。
 チヤホヤされる女性助手を横目に黙々と働く先生……。
 エスカレートする学生の「先生イジり」……。
 そんな状況の中で、先生のセリフは徐々に教授への憎しみが滲むようになっていった。

 そうして悪意と孤独に苛まれながら悪質なストーカーと化した先生は、明け方に笹原教授のマンションの前で車を停めていた。
 ここまでのストーリーから真琴は、笹原教授が出てくるのを待ち伏せして先生が刃物かなにかで襲いかかるという展開を予想した。
 だが、真琴の予想は外れた。
 恋人か定かでない女性とマンションから出てきた笹原教授がマンション前のゴミ捨て場でゴミ出しをしてから車に乗って画面の外に消えたあと、先生はそのゴミを持ち帰ったのだ。
 そして持ち帰ったゴミを自分の部屋で広げ、目当てのものを取り出す。
 それは使用済みの避妊具だった。

 さらに次の場面で先生は、学部長室で正式に辞意を伝えた。
 理由は〝こどもを授かったから〟……。
 最後、先生は独りお腹をさすりながら「ふふ、ふふふ……」と漏らす。
 そのお腹に白い玉が浮かび上がり、スーッと画面の上に消えた。

 このステージは、切り替わった場面で農学部の建物前に前に並ぶチーム「つるぺた」のところに白い玉が降りてくるところで終わった。
 〝ピコーン〟……。
 いつもの効果音とともにステータスに6個目のドラゴンパールが加わる。
 空の球体が照射を広げ、行動範囲の拡大を告げる。

 絶望の果ての狂気……。
 真琴はこの物語の感想を表す言葉が見つからなかった。
 そしてゲームの中の物話と理解しながらも、生まれてくる子の運命を案じた。
 追い詰められていたとはいえ、先生は一線を越えてしまった。
 通常の愛情を注げるとは思えない。
 もとは家畜に尊厳を認めていたような人だ。ならばその逆……当然のように尊厳を認められる「人間」を家畜になぞらえることも易いのではないか。
 そんなおぞましい想像までが真琴の頭をもたげた。
 
 しかし、物語の先をいくら考えても答えは出ないと真琴は割り切る。
 ステータス上の所持金「¥」は4千万近くまで増えていた。
 時刻は午後8時過ぎ……。
 ドラゴンパールはあと1個だ。
 
 じゃあここで、徳を増やしに食堂に行こうかな。

「島田くん。今から買いに行くよ、徳」

「お、農学部終わった?」

「うん。……後味悪すぎ。めっちゃ暗い気分になった」

「……たしかにな。あ、そうだ。買いに行くんなら、そのまま北に行けばいいよ」

「え? 戻るんじゃなくて?」

「うん。農学部が終わってエリアが広がったんなら、繋がったんだよ。スタート地点まで」

「ああそうか。1周したんだ。大学を」

「マップはね。まだ新しいエリアの話はやってないだろ?」

「うん、残ってるのは工学部だね」

「そう。でもまあ、キリがいいから買っとけよ」

「わかった、そうする。それにしてもすごいね理沙。飽きないの?」

「ん? 私? ……そういえば飽きないね。叩けば叩くだけおカネが増えていくのって快感だよ。……て、猿みたいだね、これじゃ」

 理沙が何気なく口にした「猿みたい」という言葉は、思いのほか強く真琴の心に響いた。
 猿みたい……か。
 本性を押し殺すのが「人間」なのかな……。
 知能なんて、それこそ相対的なもんなんだし。


 星を徳に換えることができるという食堂は、カレコレの始めのうちに登場した法学部の西にあるので、真琴はチームを北上させて食堂に向かう。

 次のステージ……工学部の物語を始めるつもりはないものの、新たなエリアを通って食堂に向かうので自然と工学部の前を通る。
 途上になにかキャラクターがいれば、真琴は自然と話しかけてみる。

『世界には、7個集めると願いが叶うドラゴンパールっていうものがあるらしいよ』
 ・へえ
 ・そうなんだ

 ああ、ここでようやくドラゴンパールを知るんだ。……本来なら。
 これも回答はどっちでもよさそうだけど……。
 真琴は「そうなんだ」を選ぶ。

『……ていうか、もう6個も持ってるじゃん! すごいね!』

 なるほどね。このセリフと併せて、ステータス下の○がそのドラゴンパールだってことが確実に伝わる。
 安っぽいのは見た目だけ……。
 ホントによく考えられてるよな、カレコレのシナリオ。

 真琴はさらにチームを北上させる。
 周りを舞う蝶は白いまま……。って、あれ? なんか光ってない?
 それは真琴の勘違いではなく、蝶が飛んだ軌跡が尾を引くようにキラキラと白く輝いていた。
 しかし蝶の行動に変わりはない。
 相変わらず迷惑な質問を投げてくる。

『まことの理想の異性ってどんなかんじ?』

 ああもう、空気読んでよ……。
 そんな呑気な話してる場合じゃないでしょ。

 しかし蝶に逆らう術がない真琴はチラリと島田を見てから、島田に覗かれないようにして回答を書いていく。
 ふう……緊迫感があるのかないのか、ワケ分かんないカンジになってきたな。

 そうして蝶の質問に気を削がれながら食堂を目指していたところ、ちょうど工学部の前にいたキャラに話しかけた。


 『これからはAIだよね』
  ・はい
  ・いいえ

 あ、このカンジ……。
 食堂に着く前に主役に当たっちゃったかな?
 昼にも話題になったけど、AIか……。
 まあ、工学部ステージらしいネタではある。
 そして、客観的にいってAIの研究は現実社会でも注目のトピックスだ。
 真琴は「はい」と答えた。


 『だよね! そんでもってビッグデータだよね?』
  ・はい
  ・いいえ


 ……これはどうなんだろう。
 真琴は手を止めて考えてみる。

 ビッグデータって……。
 午前中に「カレンユーザの各種統計データ」を視たときには自然と思い浮かんだけど……。こうやって聞かれると考えさせられるな。
 だって、答えなきゃいけないんだから。

「島田くん」

「ん? どした?」

「ビッグデータって、なに?」

「……もしかして今、それ聞かれてんのか? 古川は」

「うん。工学部の前で」

 島田は天井を見上げてなにかを考え始めた。
 その思案は真琴への回答ではなく、もっと別のことに向けられているようだった。
 真琴は状況が判らぬまま島田の言葉を待つ。

「清川」

「はい?」

「打ち止めだ」

「はい?」

「パチンコ終了。携帯を元に戻そう」

「え~なんで?」

「もう充分稼いだじゃん。それに……うん、そう……俺も自分のカレコレ進めた方がいいみたいだ」

 ……なんだ?
 私の質問を無視して……理沙はパチンコ終了?

「無視しないでよ。ちゃんと説明して」

 真琴は不服をあらわにして島田に詰問する。
 それを受け、ようやく島田は真琴の方を向いた。

「ビッグデータ……だいたいのことは解ってるだろ? ……古川なら」

「そりゃまあ……なんとなくはね。でもなんか、こうやってキャラに聞かれると、ちゃんと答えなくちゃいけない気がして」

「ええと、たしかそのキャラの質問って『これからはビッグデータだよね』ってヤツだっけ」

「ん……まあ、そんなカンジだね」

「それなら『はい』でいいんじゃないの?」

「そう……ね。まあ、そうだとは思うけど……」

「それよりも古川が俺を追い抜きそうだから予定変更だ。清川のパチンコは終わらせて俺も自分のカレコレを進めたい」

「べつにいいじゃん。なおっちより真琴が進んでも」

「ゴメン清川、これが俺と古川の作戦なんだ」

「ふ~ん。でもさ、もったいなくないの? せっかく当たってんのに」

「もう4千万超えてるじゃん。充分だよ。……今日は」

「……分かったよ。邪魔はしたくないしね」

 自分を置き去りに島田が次々と方針を決めていく。
 その感覚に苛立ちを覚え、真琴は重ねて島田に問う。

「島田くん」

「ん?」

「私が追い付いちゃうから予定変更って……。ホントにそれだけの理由?」

 真琴は努めて疑惑の瞳をつくり、島田の表情……それこそ眉ひとつの動きも見逃さないという気迫を込めて島田を見つめた。
 これに島田が諦めたように表情を崩す。

「隠しごとをするつもりはないよ。予定変更の理由は、古川が食堂に行く前に工学部ステージの主役に捕まっちゃったからだ。それがどうして問題なのかは……そうだな、すぐに判ると思う」

「進めれば判るってヤツ? ……例によって」

「ん~、いつものそれとはちょっと違うような、違わないような」

「ぶふ~。モヤモヤしまくりだよ私」

「いや、ホントすぐに判ると思うよ。ちょっとのガマンだ。それにビッグデータのことは、それこそ……工学部ステージを進めながら考えた方がいい」

「…………。」

「いやホント、すぐに判るから。それにホラ、なんだか清川が嬉しそうだぞ」

 言われて真琴が理沙を見ると、島田の言葉どおり理沙はワクワクを隠せない表情で真琴と島田のやりとりを眺めていた。

「……なによ」

「いや、夫婦げんかって楽そうだなって……」

「……アンタはいいの? パチンコ終わりで」

「うん、いいよ。アンタたちの邪魔はしない。それに、なおっち真剣だし」

 真剣? ……まあ、真剣といえば真剣そうだけど……。
 それよりも、なんかこう……急に必死になってるように見えるのは気のせいかな。

 でもまあ仕方ないか。ここまで島田くんの言うとおりにやってきたんだし、今さら方針を変えるつもりもない。
 残り時間のことも考え、真琴はこれ以上の追及をしないことにした。

「……わかったよ。とりあえず進める」

「よし。それじゃ清川、俺たちは携帯チェンジな」

「うい」

 結局、パチンコ中止の理由は「進めれば判る」、ビッグデータのことは「進めながら考えろ」か……。
 そもそもさ、途中でキャラに話しかけちゃマズいんだったらそう言ってくれなきゃダメじゃん。
 島田くんらしくもない。

 でもまあ、決まったからにはそのとおりにしよう。
 そして、「すぐに判る」って言うんだから、すぐに知りたい。
 真琴は気持ちを切り替えてカレコレに戻り、主役らしきキャラの『ビッグデータだよね?』という質問に「はい」と答えた。

『だよね! じゃあさ、見せたいものがあるんだ。一緒に来てよ!』

 主役キャラは、そんな嬉しそうなセリフを吐いたのち、チームの中から「まこと」だけを連れて工学部の建物の中に消えた。

 ザッザッザ……。
 そんな効果音とともにキャラは「まこと」を連れて建物内に消え、場面が切り替わった。
 そこは古いアニメを連想させる、いわゆる「研究所」のような場所で、たくさんの機器類が並んでいた。
 そして、その中央に鎮座するのは人形のようなものだった。
 状況からして、ロボットのようだ。
 キラキラと蝶が室内を舞うなか、キャラのセリフが表示される。
『すんごいおカネかかったけど、ようやく出番だよ。超まこと』
 ……超……まこと?
 なに? 私がモデルなの? このロボット……。
 髪の毛がないからイメージ沸かないけど……。


『どうしたの? もしかして心配?』
  ・はい
  ・いいえ


 この強引な展開……。ここはさすがに正直に心配を訴えていいよね。
 真琴は素直に「はい」と答える。

『大丈夫、人間以上の性能だよ。コイツは』

 いや、そういう心配じゃないんだけどな……。
 そんな真琴の気持ちをよそに、キャラはロボットの前に立ち、ロボットにカツラを乗せた。

『きっとキミより優秀だよ。なんたってなんでも知ってるし、それに忘れない』

 ……なんでも知ってて、そして忘れない、か。
 それはたしかに優秀だろうけど、その性質は「コンピュータ」のものだ。
 人の優劣を語る物差しのひとつに過ぎないでしょ。
 そんな真琴の思いを見透かしたようにキャラはセリフを続ける。

『え?こころ?こころならあるよ、ほら』

 そうしてキャラは思いもよらぬ行動に出る。
 キャラの手元にパッと虫採り網のようなものが表示されたかと思うと、キャラは室内を舞う蝶……今までさんざん真琴を悩ませていた蝶を捕まえてしまったのだ。

 え……「こころ」って、蝶のこと?

 捕まえた蝶をロボットに押し込んだキャラは、ロボット……「超まこと」の方を向いて『これをこうして……よし』と言った。

『じゃ、キミは少し休んでるといいよ』

 そのセリフとともに、画面の上から檻が落ちてきて「まこと」は閉じ込められてしまった。
 檻の中で「まこと」は忙しく動き回る。
 慌てているという表現なんだろう。
 キャラの『超まこと、起動!』というセリフでロボット……「超まこと」が起動する。
 外見上、もともとの「まこと」との違いは目と口だ。
 目は「まこと」が点だったのに対し「超まこと」は++だ。
 そして口は、腹話術の人形のように口の両端から下に線が入っている。

『じゃあ、いってきまーす!』

 そう言ったのは「超まこと」だ。
 やはり口の動きは腹話術の人形みたいだ。
 一連の流れを眺めているしかない真琴をよそに、「超まこと」は部屋を出ていった。
 そして場面が切り替わる。

超まこと『ゴメン、おまたせ!』
りさ『なにしてたの? まこと』
超まこと『ん? ちょっとヤボ用』
なおっち『まあいいよ。行こう』

 ……溶け込んでるし。
 気付けよ、こいつら。
 で、どうなんのよ、これから。
 真琴は、まるでなにごともなかったかのように「超まこと」が先頭となったチーム「つるぺた」を動かしてみる。
 ……動く。
 つまり、このまま続けろってことか。
 閉じ込められた「まこと」はだいじょうぶなの?

 強制的に「まこと」と入れ替わった「超まこと」を操り、真琴はチームを食堂に向かわせる。
 入れ替わることにどんな意味があるのか不明のままだが、蝶がいなくなったことで煩わしい質問攻めからは解放された。
 途中、3人の学生らしきキャラが画面に現れたが、真琴はそれを無視して食堂を目指す。
 ヘタに関わって妙な展開になることを懸念したからだ。
 しかし、通り過ぎようとしたところでセリフが表示された。

学生A『マジあいつ、いらなくね?』

学生B『いいじゃん。カネ持ってんだから』

学生A『でもあいつがいるとシラケるんだよな』

学生B『割り切ろうぜ。カネづるとして』

 なんだこの、どうでもいい会話は……。
 二人の学生が、誰かの悪口を言ってることは分かる。
 セリフが終わったらそのまま食堂へ行こうと真琴が思っていたら、「超まこと」が勝手に動き出し、学生に割って入る。

超まこと『楽しそうだね!悪口』

学生A『……なんだよいきなり。誰だよお前』

超まこと『私まことっていうんだ』

学生B『で、なんか用?』

超まこと『私も混ぜてよ、楽しそうだから』

学生A『……まあ、べつにいいけど』

 先を急ぎたいのに学生の立ち話に割り込んだ「超まこと」は、その後もしばらく学生と話をした。
 話の内容はどうでもいいこと……学生の陰口だった。
 始めのうちは「へえ」とか「そうなんだ」と合いの手を入れていた「超まこと」は、徐々に「でもさ」と自分の意見を織り混ぜるようになり、最終的には「超まこと」が説教しているような雰囲気になった。

学生A『……なんかムカつくな、こいつ』

学生B『だな。もう行こうぜ、放っといて』

 正論を吐く「超まこと」にイライラしてきた学生キャラは、そう言って会話を打ち切った。

 学生キャラたちが向きを変えて立ち去ろうとしたとき、『えいっ』と言いながら「超まこと」がなにかを発射し、学生キャラをはじき飛ばす。
 なにこれ……。俗にいうロケットパンチみたいなヤツ?
 まあ、ロボットなんだからビックリしないけど……。
 やけに好戦的だな、「超まこと」……。
 ロボットになった分身の気質にそんな感想を抱いたが、発する言葉は正論……学生の陰口をたしなめるものだった。
 なので真琴は、やり過ぎという感じはあるものの悪い印象は抱かなかった。
 むしろ好印象……スカッとした気分だった。

 学生キャラがはじき飛ばされて再びチームを動かせるようになったので、真琴は引き続き食堂を目指す。

「く……」

 声を漏らしたのは島田だった。
 冷静な島田らしからぬ声だったので、なにごとかと真琴は問う。

「……どうしたの?」

「……いや、なんでもない」

 なんでもないって……。
 なんでもないなら教えてくれてもいいじゃん。
 まあいいか。本人が「なんでもない」っていうなら。
 そのとき、後頭部に衝撃が走り、真琴の視界に火花が散る。
 一瞬なにが起こったのか分からなかったが、振り向いて真琴は状況を知る。
 理沙が真琴の頭を叩いたのだ。

「……なにすんのよいきなり。痛いじゃないの」

「あ、ゴメン。つい……」

「なんでいきなり叩かれなきゃなんないのよ。なんかした? 私」

「だって……」

 今度は理沙だ。
 ……なんなの?

「清川、これがパチンコ中止の理由だ。……正解だったろ?」

「なるほどね。これはエグイね」

 なんのことを言っているのかサッパリ分からない。
 知る権利はあるよな。……いきなり叩かれたんだから。

「なんなのよ。二人とも」

「ある種のビッグデータだよ」

「それ説明になってないよ島田くん。なにが起こってんの?」

「あと5分」

「え?」

「あと5分で古川にも分かる」

「言えないこと?」

「言えなくはない……けど、5分待って自分で知った方がいいと思う」

「なにそれ、あんまりじゃないの?」

 真琴の憤慨を受けつつも島田は手を休めずカレコレを進めている。
 ネタバレ禁止もここまでくるとガマンできない。
 真琴がさらに不満を口にしようとしたとき、島田がそれを制するように言う。

「よし。きた」

「……今度はなに?」

「画面を見るんだ古川」

「え? 画面?」

 はぐらかされたようで気分が悪いが、言われたとおり真琴は携帯電話の画面を見る。
 するとチームの最後尾になにかが飛んできて「なおっち」を突き飛ばして入れ替わった。
 あ……これ、もしかして……。

「島田くん、もしかして『超なおっち』になったの?」

「そう。そしてコイツがあれ……古川が叩かれた理由だよ」

「めっちゃタチ悪いね、これ」

「……つまり、私がロボットと入れ替わったとき、島田くんたちの画面でも入れ替わったんだね」

「そうそう。それがこう……ヤなカンジなんだ」

「ヤなカンジって……私が?」

「正確にはロボット……『超まこと』がね」

「なにその絶望的センス」

「清川ももうすぐ『超りさ』になるよ」

「え~」

「オレがロボットになったから、もう古川も分かるよ。カレコレに戻れば」

「……いきなり叩かれるほどの理由が?」

「うん。……まあ、叩いたのは清川だけどね」

「わかった」

 ならば、と真琴はカレコレに戻りチームを移動させる。
 なにが起こるっていうの?

 そして、食堂まであと少しというところで『超なおっち』がスーッとチームの先頭に回り込んで対面する。


 『通販って便利だよね』
  ・はい
  ・いいえ


 なに? 蝶がいなくなったと思ったら今度は仲間から質問されんの?
 辟易しながら真琴は「はい」と答えた。


 『例のマッサージ器の具合はどう?』
  ・はい
  ・いいえ


 真琴は、理沙に叩かれた理由を瞬時に理解した。


「……分かったよ。たしかにタチ悪いね、これは」

「でしょでしょ? なおっちなんかね、『どうしてロリコンになったの?』って聞かれてたよ」

「……テキトー言うなよ清川」

「遠からず……じゃないの? 今、ちょっと間があったし」

「あのな清川……」

「やめなよ理沙。ねえ島田くん。仲間割れを狙ってんのかな、これ」

「いや、ちょっと考えれば解るだろ。これがチームメイトの言葉じゃないことは」

「そっか……そうだよね。運営が握ってる情報を小出しにしてるだけだよね、これは」

「うん。……でもイヤな気分だ。なんでこんなことすんだろな、運営は」

「なんでって、もともとヤなヤツじゃん、運営」

 もともとヤなヤツ……か。
 理沙にしてみればそういう感想になるのかな。
 そう納得しかけたところで理沙がつぶやく。

「……まあ、なんとなく『らしくない』感じはするけどね」

 らしくない……。
 やっぱり理沙だって運営に対して思うところがあるんだ。
 たしかにこれはチームメイトの言葉じゃない。
 ゲームの演出上、ロボットになった仲間から言われてるけど、あくまで運営の言葉だ。

「これの狙いが仲間割れじゃないなら、ここにきて念押ししてんのかな」

「……なるほど。そうかもしれない」

「どういう意味よ」

「これ……『ここまできて逃げるなよ』って言われてる気がする」

「ああ、爆弾の小さいバージョンみたいだもんね」

「うん。『こっちはいろいろ知ってんのを忘れるな』って言われてる気分」

「その効果はあるね。充分すぎるくらい」

「……理沙はなに言われたの?」

「それを訊くなら自分からだよ、真琴」

「え……。言えないし」

「やっぱ小爆弾だね。私も言えない。大したことじゃないんだけどね」

「古川の見立ては正しいかもな。オレ実際、爆弾のこと忘れかけてたもん」

 忘れかけてた……。
 そうだよな。運営に握られた爆弾は、カレンが豹変した9月28日に1回見せられただけ……それはたぶんみんなも同じだ。
 じゃあ、逃げないように念を押したというより「自分の立場を忘れるな」って言いたいのかな、運営は。

 そもそも実害……というか晒し者にされたのは最初の2人だけで、しかもその2人は犯罪者だったんだ。
 運営が2人を晒し者にしたのは「私刑」……。違法だけど理由があった。
 つまり2人を例外とするなら、運営はまだ実害を出してない。
 やろうと思えばいつでもやれるのに、だ。

 またしても長考の構えになりかけた真琴は、島田の視線を気配で感じた。
 なので考えつつもチームを移動させる。
 食堂はもうすぐだ。

『ホント高菜ピラフ好きだよね、まこと』
 ・はい
 ・いいえ

 食堂が目の前という位置で「超なおっち」が発した言葉に真琴は動揺する。

 これ、は……。
 どこまで知ってんのよ。私のこと……。
 
「島田くん」

「うん?」

「私たちのこと、どこまで知ってんの? 運営は」

「……それは人それぞれじゃないかな」

「なんか私の好物まで知ってんだけど」

「その程度のことなら知ってるだろ、そりゃ」

 島田の言葉には「なにをいまさら」という響きがあった。
 しかし、えもいわれぬ怖さを感じる真琴は重ねて尋ねる。

「高菜ピラフが大好きって、たぶん誰にも言ったことないよ、私」

 顔色で真琴の心境を汲んだのか、島田はこれに答える。

「まあ落ち着こう。そんで、進めながら聞いて」

「……わかった」

「さっきオレ、ある種のビッグデータだって言っただろ?」

「うん」

 聞きながら真琴は、チームを食堂に到着させた。

「ちょうど今、般教の経済学でそんな講義を受けてんだ」

「どんなハナシ?」

「企業が持つ情報の大きさと扱い方のハナシ」

 食堂のカウンターで店員に話しかけるとメニューが表示された。


 →・牛丼   ☆20
  ・メガ牛丼 ☆50
  ・ギガ牛丼 ☆100
  ・テラ牛丼 ☆200
  ・ペタ牛丼 ☆400

 ……なによこれ。牛丼しかないじゃん。
 カーソルは「牛丼」の位置にあり、右上の小さなウインドウには「徳が2~5増える」とある。

「どういう話なの? それって」

「通販のサイトとかだと……そう、たとえばカーテンを探してて、ある品物の詳細を見たとき、下の方にそれに似たものとか関連したものが表示されたりするだろ」

「ああ、うん」

 画面に表示されているチームの星は1497……。
 真琴はカーソルを一番下の「ペタ牛丼」に合わせる。
 効果は「徳が100増える」か……。

「それは販売戦略として自然だろ?」

「そうだね」

「でも通販サイトの閲覧履歴、つまりその人の消費動向が他のサイトにも反映されてるのが実情で、けっこう微妙な問題なんだ」

 カレコレを進めながら島田の話を聞いていたが、ここで真琴は手を止めた。

「どういうこと?」

「つまり、まったく関係ない他のサイトを見ているときでも、そこに表示される広告はユーザの情報を踏まえて表示されてるってこと」

「閲覧履歴、てか情報が漏れてるってこと?」

「漏れてるっていうのとはちょっと違うんだ。これもカレンに似てるけど、誰も読まないような利用規約にちゃんと記載されてるんだよ。その、情報の取り扱いについて」

「……同意してるんだね。つまり」

「そう。物を売る側からしたら、こんなに効果的なものはないんだよ。エロいものばっかり見てるヤツは、表示される広告もエロい」

「まるで見てきたように語るね、なおっち」

「チャチャ入れるなよ清川。でも実際、オレのケータイに表示される広告はエロい」

「なにそのカミングアウト」

「いや、オレがエロいもの見てなくても、自然とそうなるんだよ」

「なにその言い訳」

「オレが『18歳男子』っていう情報だけで充分なんだ。エロいものを勧めるのには」

「ああ、それも情報なんだ」

「うん。いちばん重要な部分かもしれない。古川、手が止まってるぞ」

「え? ……ああ、うん。食堂着いたけど、星はどれくらい使っていいの?」

「あ、食堂着いた? ありったけ使っていいよ、星は」

「そうなの? あとで必要になったりしない?」

「しない。星は徳を買うしか用途がないみたいだ。で、どうせ使うなら古川に注ぎ込んだ方がいい」

「わかった」

 真琴は少しためらいつつも「ペタ牛丼」を買う。
 店員の「ありがとうございます~」というセリフと「チャリーン」という効果音にあわせて星が減った。
 これで100増えたんだ。……徳が。
 ありったけ使えという言葉を受けて、真琴が2杯目のペタ牛丼を買う。
 チャリーン……。
 これで200……。

「でもこの仕組み、始めはけっこう社会問題になったらしいよ。講義の受け売りだけどね」

「たしかに気持ち悪いよね」

「敏感な人はアレルギー反応を起こして反発したみたいだけど、結局は『きちんと規約に記す』で押し切られたんだって。物が売れるのはいいことだし、逆らえない流れだったって」

 3杯目のペタ牛丼、これで300……。

「それで、さっきの私の高菜ピラフはなんなのよ」

「ああ、そうだった。オレが言ったのはネットのハナシだけど、これがネットだけじゃないんだよ」

「……ネットだけじゃない?」

「今、いろんなところでポイントってのがあるだろ? あれだよ」

「え? ……コンビニとかの?」

「コンビニのポイントってのはないだろ? あるのは『コンビニでも貯まる』なにかのポイント」

「言われてみれば……そうだね」

「もうどれがなんのポイントだか分からない状態になってるけど、ウチら消費者はタダでポイントをもらってるワケじゃない」

「え……タダじゃないの?」

「情報を売ってるんだよ。……自分の」


 島田の言葉に、真琴は目が覚めるような感覚を覚えた。
 たしかに今、巷にはポイントが溢れてる。
 そして島田くんが言うとおり、そのポイントは「なにかのポイント」だ。
 そのお店のポイントじゃない。
 つまり、繋がってるんだ……。
 そして企業はムダなことはしない。……絶対に。

「儲かるんだね。……情報は」

「そう。そうやって情報が売られることに同意しちゃってるんだから文句のつけようがない」

 ここで真琴は自分の父を思い浮かべた。
 お父さんは徹底してポイントのたぐいを嫌ってた。
 つまり解ってたんだ。今のポイントの仕組みを。

 真琴は急に自分の両親が頼もしく思えてきた。
 大学に入って、大人に近付いた気分どころか無教養な大人よりも世の中を知っているつもりになりかけていた自分を恥じる。
 もう少し、もう一段上のステップから眺めないといけない……。
 そんな焦燥に似た思いが真琴を襲う。
 今日がヤマなら……。クリアする前にお父さんと話がしたい。
 一度タイミングを見て席を外そう。
 そう決めて、真琴率いるチーム「つるぺた」は食堂を出た。
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