かれん

青木ぬかり

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10月4日(火)

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 自省に近い気分で無言のまま真琴はカレコレに戻る。
 画面の中、「まこと」はサークル棟の直近まで来ていた。
 真琴はチームをサークル棟に踏み込ませる。

 すると長屋のような造りの建物、その部屋の入口がずらりと並ぶ通路にひとり、キャラがいた。

 白いシャツに青いズボン……。
 たぶんTシャツとジーパンなんだろう。
 このキャラが今度の主役かな?
 真琴はそのキャラに話しかけてみる。


『大人ってさ、おとなげボーボーだよね』

 ・はい
 ・いいえ


 ……は?

 ……おとなげ? ……なんのこと?
 ボーボーってことはつまり毛……「おとなげ」って大人の毛?

 いやでも……それって人それぞれじゃないの?
 まあ私は……それなり、だけど。


 ん~これ……どっち答えればいいの?
 例によってどっち答えてもいいヤツ?
 バカバカしいよな。どう考えても。
 真琴はとりあえず「はい」を選ぶ。


 『だよね!』


 …………え? なに? 終わり?
 もしかして私、間違った?
 よく分からないまま、真琴はもう一度話しかける。


『大人ってさ、おとなげボーボーだよね』

 ・はい
 ・いいえ


 さっきと同じだ。
 じゃあ今度は、と真琴は「いいえ」を選ぶ。

『そうかなあ……』

 あれ……これも終わりだ。
 三たび真琴は話しかける、が、キャラの反応は変わらなかった。
 なにこれ、つまりこのキャラはモブ……いわゆる「村人A」的なヤツなの?

 何度試しても同じようだったので、諦めた真琴はチームを移動させる。
 そうしてサークル棟にある部屋に入ろうと試みるが、どのドアも施錠されていた。

 6つ目に至ってようやくドアが開く。

 場面が室内に切り替わるとBGMが止み、画面はセピア色のようなモノトーンになっていた。

 ……ここか、今回は。
 ん? 「まこと」ひとりだけになってる。
 違う……これ、「まこと」じゃない。
 ……誰だ? ……これ。

 無音の室内、操るキャラクターの風貌は「まこと」ではなく、スカートを履いた髪の長い女の子だった。

 女の子はドアの前、そして画面の端では数人の男女のキャラがテーブルを囲んでいた。
 真琴は女の子をその集団に近付ける。


『だよね~。もう理解不能ってヤツ?』

『ホントな。もはやなに聞かれてんのかも解んないよな』

『いやいやいや、さすがにそこまでないよ』

 女の子をテーブルに寄せたときにそんなセリフが流れる。
 これは……サークル部屋で酒盛りかな?
 話に中身がないのでよく分からないものの、ノリとしてはそんな雰囲気だった。

 そのとき、ガチャという音とともにドアが開き、ひとりのキャラが入ってきた。


『お、帰ってきた。おい、ネタバレすんなよ』

『はい、オッケーっす』

『じゃあ次は……みっちゃんか。よし、がんばれ』


 え……なに?
 みっちゃんって……私のこと?
 がんばれって……なんのこと?

 状況がまったくみえない真琴は女の子を動かして、室内にいるキャラに次々と話しかける。


『だいじょうぶ、そんなに怖くないよ』

『しっかりしろよ。07の期待の星なんだから』

『どうした? 怖くなった?』


 だから、なんのことよ……。
 なにすりゃいいのよ。
 ぜんぜん分かんないし。

『……もしかして、酔っぱらい過ぎた?』

『新歓恒例のきもだめし、みっちゃんの番だよ』

『北体育館の入口のボードにサインして帰ってくればいいんだ。簡単だよ』


 ……なるほど、なんとなく分かった。
 これはなにかのサークルの歓迎会、そしてこの「みっちゃん」は今から「恒例のきもだめし」で北体育館に行くんだ。

 だからつまり、ドアを出て総合科学部あたりを経由して北体育館に行けばいいんだろう。
 でも……夜、酔っぱらった女の子が、ひとりで?
 そんなの……イヤな予感しかしない。
 真琴の脳裏に、理学部の話と似た展開がよぎる。

 どうせ行くしかないんだ……。だけど……。
 真琴はこのシナリオがせめて悲劇でないことを願う。

 まあ期待するだけムダ、どうせ悲しい結末なんだろう。
 端から諦めていた方がマシ……。覚悟を決めて真琴は女の子をドアに向けた。
 ガチャリ。


 果たして部屋を出ても世界に音はなく、そして画面はセピア色だった。
 さっき通路にいたキャラの姿もない。
 夜だと判るのは、全体が暗くて所々に照明が灯っているからだ。

 真琴は女の子をまず西方、総合科学部の方向に動かす。
 それにしても、きもだめし……か。
 いかにも大学生……子どもと大人の狭間にいる若者が好みそうな企画だ。

 音がないってのも怖いよな。たしかに。
 サークルの先輩が仮装して待ち伏せてんのかな、途中の道で。

 そうして女の子が総合科学部、ちょうど「まこと」が蝶と出会った辺りまで来たとき、女の子の動きが止まった。

 ……なんだ? ……なにが出てくる?

 女の子の間近、教養棟の陰から黒ずくめのキャラが二人、躍り出る。

 そのキャラたちは女の子の前まで来ると、女の子の顔に「プシュッ」となにかを吹き付けた。


『?!!』


 女の子の驚きを示す吹き出しが出たあと、すぐに画面は真っ黒になった。

 え? なにこれ。今のは……目潰し?


『え? ……キャッ! ちょっと、ちょっとやり過ぎ、やめ……やめてくださいよ』


 真っ黒な画面に女の子のセリフだけが表示される。
 ホントに困ってる。 ……やり過ぎだ、これは。


『わっ! ……え、なに? ……や、いや、やめてよ!』


 ん……おかしい。なにされてるのかわからないけど、脅かしの範疇ではなさそうだ。
 つまりこれ……は、事件?

 そのとき、真っ黒の背景が3回、白く光る。
 カメラのフラッシュのように。


『! ……ちょっと、いいかげんに……キャッ!』


 流れるセリフは女の子のものだけ、つまり黒い二人は無言なのだろう。

 ……これは怖い、怖いぞ。


『いやっ! いやだってば!』


 いよいよ冗談ではないと真琴が確信したとき、画面が状況を映す。


『いやぁぁぁっ!』


 女の子は目が見えぬまま暴れて二人を振りほどき、そして逃げる。
 まっすぐ……池がある方に。

 女の子が暴れたときに、黒いキャラのひとりからカメラのようなものが弾かれて飛び、弧を描いて茂みに落ちる。


『キャーッ』


 そして女の子は池に落ちた。
  おそらく目は見えぬままだ。
   酔っているので溺れている。


 黒い二人は池の端まで女の子を追い、転落の瞬間を見たが、飛び込んで助けることはなく、間もなく女の子は沈んだ。


 黒い二人はオロオロとその場を右に左に動く。
 そして、あろうことかそのまま逃げて行った。


「…………ヒドい」

 真琴は思わず口にした。

 この真琴の独り言に、理沙は一瞬だけ真琴を見たが、島田はまったくの無反応だった。

 誰もいなくなった画面……。しばらくして右の方から何人かのキャラが歩いてきた。


『お~い、みっちゃ~ん』

『みっちゃ~ん。どこだ~』


 戻りが遅い「みっちゃん」を心配して、どうやらサークル部屋から出てきたようだ。
 ……ここに沈んでるのに。


『どこ行ったんだろ、みっちゃん』

『帰ったかもね。怖がってたし』


 ……なんとも呑気だ。
 いましがた惨劇があったのに。


「草津よいとこ?」
「いちどはおいで」
「ああ、そっか」


 ん? なんだ今のは……。
 聞いたのは理沙、答えたのは島田くんだ。


『とにかく北体育館まで探そう。酔いツブれてるかもしれない』

『だね。お~い、みっちゃ~ん』


 キャラたちが北へ向かう。
 そのとき、ひとりのキャラが「?」という吹き出しを吐いて止まる。
 茂みに落ちたカメラを見つけたようだ。
 そしてカメラが光り、白い玉に変わる。
 これが五個目、⑤なんだ……たぶん。

 そう思ったが、キャラは白い玉……カメラを拾いあげると、それを持ったまま『みっちゃ~ん』と言いながら画面の上端に消えた。
 ……あれ?


「かかあ天下と?」
「からっ風」
「おお、ナツイね。それ」


 ……まただ。
 なにやってんのよ理沙は。

「理沙……アンタ、なにやってんの?」

「おとなげ?」

「…………ボーボー」

「うわあ……下品だなあ真琴は」

「いや清川、いいんだ。ボーボーで」

「マジ?」

「マジ」

「ふ~ん。……あ、ホントだ」

「ねえ、なんなのよ理沙。さっきから」

「合言葉だよ。古川」

「合言葉? ……なんの?」


 島田は黙って理沙の方に顔を向ける。

 はいはい。「見りゃ分かる」ってことね。
 真琴はズリズリと理沙に近付き、理沙の画面を覗き込む。

 ……え、これ……は、パチンコ屋さん?

 画面ではカレコレのパチンコ屋のように見える。
 でも、内装は同じだけど……雰囲気、間取りが違う。

 一昨日はイメージどおりのパチンコ屋……遊戯台がズラリと並んでいた。
 それが今は、だだっ広いフロアに1台だけが鎮座している。
 その周りは赤いカーペットが敷かれ、何人ものキャラが台を囲んでいた。

 えっと……パチンコ屋……だよな、これ。
 改装したの? ……いや、でも1台だけってヘンだよな。
 なにこれ……こんなパチンコ屋もあるの?

「……理沙。アンタ、こんどは何やらかしたの?」

「……尋ねかたで判るよね。人柄って」

「……どっちの人柄が?」

「…………尋ねられた方」

「そうね。で、なによこれ」

「ん~と……なんだろ?」

「知らないの?」

「知らないよ」

 知らないってどういうことよ……。
 あり得るの? そんなこと。

「あえて言うなら裏パチンコ、だな」

 ここで島田が割って入る。
 真琴はすぐに島田を見た。
 その顔に驚きの色はない。

「なによその、裏パチンコって」

「そこに黒服の店員がいるだろ? 聞けば分かるよ」

「だってよ。理沙」
 
「ん」

 理沙はチームのすぐ近く、台から離れて立っているサングラスの黒服に話しかける。


『夢をかなえる違法パチンコエリアへようこそ。レートは表の百倍です』


 なんとも分かりやすい説明だ。
 ……これ以上ないほどに。

「うおおおっ。マジッすか」

「マジッすかって……あんたホントに知らないで来たの?」

「うん、そうだよ」

「……どういうこと?」

「あ、えっとね、昼間にカレン掲示板見てたらさ、なんか気になる書き込みがあったんだよね。さっきまで忘れてたんだけどね、真琴からヘンなこと聞かれたときに思い出したんだ」

「あ……ああ、パチンコ屋の壁に話しかけると……ってヤツね」

「そそそそ、それよそれ。それ確かめようとしたんだ。そしたらさ『草津よいとこ?』って聞かれたんだよ。壁から」

 ……なるほどね。たしかに理沙が運営を語ったときパチンコに触れた。
 筋は通ってる。そして島田くんは全部知ってるんだ。

 それにしても百倍か……。
 たしか普通のパチンコは1玉4円だっけ。
 ……てことは、1玉で……400円?
 普通のパチンコで1万円勝つなら100万円……。
 10万円なら……1,000万円?


 真琴の肩先、理沙の鼻息が荒い。
 こいつ……やる気だ。

「……ねえ古川さん」

「ダメよ理沙、ゼッタイ」

「ふん。人をイジメみたいに言わないでよ。……ねえ島田さん」

「ダメだ清川。……今は」

「く~、なおっちまで。あんたら生きてて楽しいの? こんなのゲームじゃん。ホントのおカネじゃないじゃん」

 理沙が駄々っ子になってしまった。
 ……別にいつもと変わらないけど。
 ん? 島田くん……「今は」って言った?

「島田くん」

「ん?」

「今はって……なに?」

「そのまんまだよ。今はやるときじゃない」

「え? なになに? あとでならいいの? ナルっち」

「清川、その呼び方は……ボツで。なんだか定着しそうで怖い」

「え~、ピッタリじゃん、ナルっち」

 ナルっち……。
 たしかに、なんともいえないパワーを感じる呼び名だ。
 あっという間に浸透するかもしれない。
 私と理沙の二人がそう呼び始めれば。

 ピッタリか……。
 ナルシスト……運営がつけた肩書きなのに。


 …………。いやいや、いま話すべきはこれじゃない。
 え~と……あ、そうだ「今じゃない」ってなによ。

「島田くん、じゃあ、やるべき時があんの?」

「う~ん……やるべきっていうか、どうせやるなら今じゃない方がいいと思うよ」

「なんで?」

「そこにいるキャラに話しかければ分かるはずだけど、その台、当たるかどうかは別にして、1回当たったら閉店まで玉が出っぱなしなんだよ。……たしか」

「え? ……百倍のレートで?」

「そう。だからこんな時間に当たっても、なんか損した気分になるよ、きっと」

「ああ、なるほどね……」

 真琴は時計を見る。
 ……ああもう、見にくいな。
 あ、11時過ぎてんだ、もう。
 不便だよな、カレコレの画面に時計ないの。

 島田に言われたとおりに理沙はキャラたちに話しかける。
 どうやらこの台が当たればノンストップで玉が出続けるので、1時間で3万発くらいになるらしい。
 カレコレのプレイ時間は1日6時間だ。
 午後7時に当たれば午前0時までに15万発。
 つまり、えっと……6,000万円か。

 これ……これが売店の最高額商品……「しんじつ」への道なの?
 たしか解析結果の資料で「しんじつ」は2,000万円だった。
 余裕で買える。……当たったなら。

 でも、そんなので手に入る真実って……どうなの?

「あ、私、そろそろ帰らなきゃ」

「……おとといと同じ手は通用しないぞ、清川」

「じゃ、どうすりゃいいのよ」

 この破れかぶれの理沙に、島田は意外にも考え込む。
 そして予想外の言葉を口にする。

「……まあ、気にはなるよな。たしかに」

「お……おお島田さん、解ってくれるの?」

「うん、よく解る。よし、見よう。どんな台なのか」

 ……え?
 なに? 結局やるの?
 ていうか、島田くんは知らないの?

 あ……そうか。パチンコはパチンコでダウンロードするから解析結果に載ってないんだ。
 知っておきたい……のかな?

「清川、行け」

「了解ですっ」

 理沙はいきなり満面の笑みだ。
 そんなにワクワクしなくていいのに。

 なにか嫉妬に似た感情が真琴に生まれる。
 なによ二人して……。

 とはいえ真琴も無関心ではなかった。
 浪費はしたくないけど、気にはなる。

「ん? あれ? 空いてない。誰か打ってるし」

 理沙の言葉で真琴もはじめて気が付いた。
 既に先客がいる。じゃあ、打てないの?

「あ」
「あ」

 声をあげたのはほぼ同時、理沙がさらにチームを台に近付けたとき、真琴と理沙の視線の先で先客のキャラが向きを変える。
 この人、終わった……のか?

 立ち去るなら手前……こちら側を向けばいいのに、客はその場で左右をキョロキョロする。
 そこに二人、黒服の店員が歩み寄る。

「あ……」
「あ……」

 真琴たちの目の前で、先客が黒服に引きずられていく。
 ここにきてようやく島田が手を止めて理沙の画面を覗きに来る。

 なるほどね……。
 ここまでは「載ってた」んだ。

 そうして3人で見守るなか、「りさ」が先頭のチーム「つるぺた」が無人の台へと向かう。
 途中で「まこと」と「なおっち」は離れ、「りさ」ひとりになった。


「……行くよ」

「うん」

「……大袈裟すぎだ。二人して」

「なによ、水差さないでよ」

「そうだな。悪い」

 いよいよ「りさ」が台に着く。
 すると画面にウインドウが表示された。


 『「CR 池」プレイしますか?』

  ・はい
  ・いいえ

「……これもパクりだよ。やりたい放題だな、相変わらず」

「だね。でも、いいんじゃないの? 存在がもう……なんてえの? 悪なんだし」

「ま、そりゃそうだ」

 ん? 二人とも何を言ってるんだ?
 まだダウンロードしてないのに。
 真琴は疑問をそのまま口にする。

「ねえ、なに言ってんの? ……ふたりして」

 真琴の言葉で島田と理沙が顔を見合わせる。
 ……なんだか二人だけで納得してるし。

「古川、あのな」

「うん」

「これ……この百倍パチンコな、マンガの丸パクりなんだよ。たぶん」

「……そうなの?」

「やっぱ真琴にゃ縁がないよね。映画にもなったけど」

「え? ……そんなに流行ってんの?」

「うん、流行ってた……と思うよ。私は」

「ふ~ん、そうなんだ」

 そんなことを話しているうち、ダウンロードが終わる。

 ……え? もう終わったの?

「……ねえ、なんか早くない? ダウンロード」

「そうね。データ小さいね。この前と全然ちがう」

「台までパクりかもしれないな、こりゃ」

「え? ……ああ、なるほどね」

 また分かんない話してるし。
 マンガ……パクり元の台に似てるってこと?
 ……まだ表示されてもいないのに。

 そして3人が注目するなか、問題のパチンコ台「池」が表示された。

「……やっぱり。……まんまだね」

「……ホントな」

 どうやら本当にマンガの台に似ているらしい。
 数字が揃えば当たりという台じゃなさそうだ。
 台の中央にくるくる回る皿が3段……数字はない。

「ね、なにこの台。どうなれば当たりなの?」

「簡単だよ真琴。いちばん下の皿の、Vって書いてある穴に入れば当たりだよ。……たぶんね」

「Vって……。そんなのどこにも書いてない……ってか見えないじゃん」

「だから一般論、つまり常識なの。……お分かり?」

  常識……
  常識……なの?
  常識……なら、仕方ないか。

「島田くんホント? 理沙が言ってんの」

「うん、たぶんね」

「なに確認してんのよ小娘。ホントだし。……ねえ、ところでナル夫さん」

「…………さ、カレコレに戻ろ」

「ナル夫、無視すんなし」

「……頼むからやめてくれ、その呼び方は」

「じゃあ打っていい?」

「……なんでそうなるんだよ」

「ダメなの? ……ね、ちょっとだよ。ちょっとだけ」

「…………う~ん」

「なによその気にさせといて。女に恥かかせないでよ」

「…………なんか違う気もするけど、まあいいか。じゃあ打ってみろよ。……ちょっとだけ」

「う~ん、なおっちステキッ! じゃあ打つよ!」

 ……まあ、流れとしてはそうなるよな。

 ここまできて「打つな」っていうのは子供だって我慢できない。まして理沙なら。

 ん、なんかおかしいぞ。
 あれ? ……まあいいか。

 「なおっち。ところでさ、これ……このボタン押せば玉が出るのかな?」

 「ん? どれ……ああホントだ。ハンドルじゃないんだな。じゃあ、強さ調節できないのかな」

 「1回だけ押すよ。……とりあえず」

 「うん」

 画面に表示された貧相なパチンコ台。
 その右下にある赤いボタン。
 理沙はそれを右手の人差し指で1回、ちょこんと押した。
 台の左端をつたい、銀の玉が弾かれて躍り出る。

「……出たよ。1個だけ」

 3人の目が、打ち出された玉の軌跡を追う。
 ちょうど台のてっぺん近くに落ちた。
 そしてなにも起こらぬまま釘の森をくぐり、玉は台の底に消える。


「あの押しかたでこの飛びかたなら、やっぱ強さの調節がないんだ。カンペキ運まかせだな、こりゃ」

「つまり、こないだの台みたく自動で玉が出るんじゃないんだね」

 真琴もなんとなく理解した。

「そうらしい。なんせ1玉400円だしな」

 ……そうか、そうだった。
 百倍なんだ。なにもかも。

 ふと真琴が理沙を見ると、その右手が小動物……リスかハムスターのように小刻みに動いていた。
 そして画面を見ると、連射された玉が連なってヘビみたいになっている。うわああああっ。

「うわああああっ」

 思考と言葉を完全にシンクロさせながら、真琴はとっさに理沙の腕を掴む。

「……っと。なによ真琴、ビックリさせないでよ」

「どの口が言ってんのよ。1玉400円よ。これ」

「知ってるし、そんなの」

「じゃあなんでマシンガンみたいに打ってんのよ。1万円くらい消えたんじゃないの?」

「かもね」

「かもねって……理沙……」

 呆れ顔の真琴をよそに、理沙は大きなため息をついて呆れ返す。

「真琴、さっきも言ったけどさ」

「なに……よ」

「こんなのホントのおカネじゃないじゃん。いちいち大騒ぎしないでよ」

 ……これは……開き直り、か?

 ふざけてるのとはちょっと違う。
 判断に迷う真琴は、救いを求めて島田を見る。

 島田は、なにか微笑ましいものを見るような顔をしていた。
 理沙も倣って島田を見る。

 二人の視線を受け止めながら、やれやれといった雰囲気で島田が口を開く。

「なんとも言えないな。うん」

 なにそれ。どういう意味よ。
 ハッキリしてよ、島田くん。

 真琴が憤慨に近い追及を口にしようとしたとき、画面に異変を感じた理沙が「あ、入った」と言った。
 3人の目が再び画面に集まる。

「…………なに? ……これ」

 画面は切り替わり、灰色の円を映している。
 穴が3つ……これはたぶん、いちばん上の皿だ。
 真上から見た皿……穴のひとつは赤く縁取られている。
 そしてその縁を1個のパチンコ玉が勢いよく転がっていた。

「役物……一段目の皿だな」

「うん、なんとなく分かる。で、赤い穴に入ればいいの?」

「そうそう」

「じゃあ、こうして眺めて祈っとけばいいの?」

「そうそう。…………じゃないかもしれない」

「ん……どゆこと?」

「普通のパチンコなら……うん、あとは運を天にまかせて祈るだけなんだ」

「ああ、つまり普通じゃないかもってことね」

「うん。清川、なんかできないの? 画面タッチしたりして」

 島田の言葉を右に聞きながら、返事をするでもなく理沙は画面をタッチする。

「……なんも起こんないよ」

「そっか……」

「……ん、んん? ……あれ? 動く……ってか……あれ?」

「理沙? どうしたの?」

「ああ、これ……ゲームになってんだ」

「……どういう意味?」

「なんかね、傾けるとね、この皿も傾くみたい」

「……なるほど。スマホに絶対ついてる機能だもんな」

 ……携帯電話を傾ければ皿も傾く。
 つまり上手に玉を導いて赤い穴に入れるゲームか。

「なんかさ、昔あったね。そんなかんじのアプリ」

「あったあった。けっこうスケールのおっきい……冒険みたいなのもあった」

 真琴と島田は懐かしげに話をする。
 だが理沙は会話に交ざらない。
 触れんとばかりに顔を画面に近付けて、荒い鼻息を吹きかけている

「……ねえ理沙」

「入ったあぁぁ!」

 ダメだ……聞こえてない。

「なに? 入ったの清川」

「うんっ! お? ……うおおっ! 二段目! 圧倒的二段目!!」

 ……なによその「圧倒的」って。
 理沙は興奮状態、鼻からなにか出てきそうだ。
 島田も気になるようで、顔と画面のわずかな隙間を覗き込む。

「今度は穴5個か」

「いれるいれるいれるいれろれろれろ……」

 理沙、呪文唱えてるし……。
 ほんの10分くらいでこの病的なオーラ……。
 ああ、ギャンブルってこわいなあ。


「ぎゃー」

 お、どうやら今度は失敗したみたいだ。
 やれやれ。

「ついに三段目! 運命の三段目!!」


 あれ? ……なに? 「ぎゃー」って喜びだったの?
 三段目ってことは……最後の皿ってこと?
 さすがの真琴も無関心ではいられず、島田と反対の左側から理沙の画面を覗く。

 そこに映る最終ステージ……三段目の皿にはたくさんの穴が空いていた。そしてかなりの速さで回転していた。あくまで真琴の印象として。

 ひとつだけ二重の赤線で囲まれた穴がある。これに入れば当たりなの?
 Vとか書いてないじゃん。……理沙、偉そうに「常識」とか言ってたクセに。

「あ……」

 当たりが別の穴に切り替わったように見え、真琴は思わず声を出した。
 見間違え……じゃないよな、今の。

「は? なによこれ。動くなっての!」

 ……見間違えじゃないらしい。理沙が戸惑ってる。
 でもこれ、もしかして当てちゃうんじゃないの?
 真琴は、理沙の鼻から垂れるつらら越しに島田を見る。

 隙間から覗く島田の表情は、ひとことでいうと「複雑」だった。
 単に当たりを期待している顔ではなかった。
 なにか難しいことを考えてる……。そんな顔だった。
 そして、尋ねることを拒む気配を出していた。
 ……なに考えるの?島田くん。

 「あああっ!」

 真琴の思考は理沙の叫びで中断される。
 終わったか? ……今度こそ。

「ふおおお……アブなかった」

 見れば、まだ玉は皿の上をゆらゆらと転がっていた。
 なによ、まだ終わってないじゃん……。

「……理沙、あんた大袈裟よ」

「うるさい貧乳! わたしゃ命がけなんだよ。黙っとけ」

 命がけって……この女、ホントのおカネじゃないとかなんとか言いながら、あっという間に依存性だ。

 理沙のデタラメぶりを共感しようと島田を見ると、島田は島田で依然として複雑な面持ちだった。

 もう、なんなのよ。……二人とも。

 感情の質はまったく異なるものの、理沙も島田もなにかに集中していた。
 その姿は激しく能動的で、真琴はなにか自分ひとりだけが己の意志を持たぬ者のような気がして心細くなる。
 そして、この動かぬ時間……この濁った気持ちが早く終わることを願った。

「ふぬ~! あ……だ……だっ……」

 理沙が解釈不能な声を出す。
 ……どんな叫びよ。どうなったのよ。

 理沙は画面に顔を埋めているので判らない。
 真琴はそっと島田に視線を投げ、結末を眼で尋ねた。

 島田は真琴の視線を受けたまま、ゆっくりと首を横に振る。
 ……ダメだった、ということか。

「……惜しかったな、清川」

 島田の慰めにも理沙はしばらく動かなかった。
 ……確かに惜しかった、と思う。

「うううう……ちくしょう。インチキ……」

「……え?」

「インチキ! こんなのインチキだ!」

 やっと顔を上げて口を開いた理沙が口にしたのは、真琴が思わず聞き返してしまうような恨みの言葉だった。

「ちょ……ちょっと理沙、あんたムキになりすぎ」

「あとちょっと、あとちょっと……ううん違う。入ってたんだ。入ってたのに」

「え? ……ちょっと理沙、なに言ってんの?」

「ねえ、真琴も見てたでしょ? あんまりじゃない? あんなの」

 見てたでしょって……。正直なところ最後の方は理沙の鼻水を眺めながら考えごとをしていたので画面を見ていなかった。
 というより、興奮状態の理沙の掌中の画面を注視するのは至難だった、と思う。

「……えげつないタイミングだったな、たしかに」

 え……なに? 島田君は見てたの?
 なんか深刻そうな顔してたけど……。

「だよね! ぜったいインチキだよ」

「理沙……それは……」

「いや、あり得るぞ。それ」

 え? ……あり得るの? そんなこと。
 運営が……インチキ?
 理沙に同意を示した島田に真琴は問う。

「島田くん……その、運営は悪者だけど、でも卑怯なことはしないっていうか……」

「清川の操作は上手かった。そして当たり穴に入ると思ったとき、穴が切り替わったんだ。インチキを疑いたくなるほど見事なタイミングで。だからつまり、清川には〝当てる資格〟がなかったのかもしれない」

 なにかの烙印を押すような言葉に理沙が食い付く。

「なによそれ。わたしの徳がゼロだから? マジメにやってこなかったからダメだったっての?」

 理沙の興奮は治まらない。
 島田くんも島田くんだ。わざわざこの状態の理沙を刺激しなくてもいいのに……。
 ……なにか確信があるの? 島田くん。

「清川」

「……なによ」

「お前、みっちゃんの話はクリアしたか?」

「は? したし。みっちゃん溺れたし」

 理沙の答えを聞いて、島田は人差し指を額に当てて少し考える。
 ……なに? なに考えてんの?

「でも清川は最後の合言葉を知らなかったよな?」

「え? ああ、あの『おとなげボーボー』ってヤツ?」

「そう、それ」

「知らないよ、そんなの。真琴が即答したときビックリしたもん」

「それだ」

「どれよ」

「古川はカレコレで合言葉を知ってた。たぶん、なんかの条件を満たすと出現するキャラに教えてもらったんだ」

 ……そうなのか? あの、サークル棟にいたモブみたいなキャラには出現条件があるのか?
 たしかに、理沙がすでにみっちゃんの話をクリアしているのなら、ストーリーの進み具合は私と同じか、あるいは理沙の方が進んでいる。

「まあ、俺の推測に過ぎないんだけどな。でも、いずれにしてもこのパチンコ台は一筋縄ではいかないんじゃないかな」

「うう、なんか……ムカつく」

「八つ当たりは俺じゃなく古川にしてくれ」

「……うん、わかった。……おいボーボー」

「……ボーボーじゃないし」

「じゃあ……ツルツル」

「ツルツルでもないし」

「じゃあなによ」

「なにって……丁度いいカンジ?」

「ほほ~う。手入れにぬかりはない、と?」

 くそう……こいつ……島田くんがいるところでなんのハナシしてんのよ。
 逃げなくちゃ……。この、品のない話題から。
 真琴は大げさな仕草で時刻を確認する。

「あ、もうこんな時間。ね、少しでも進めとこうよ、カレコレ」

 真琴の言葉で島田も時計を見る。
 午後11時半……あと30分しかない。
 でも……あと30分あるんだ。

「そうだな……戻ろう。カレコレに」

「え~マジでぇ? 確かめようよ。真琴がいう『丁度いいカンジ』ってヤツ」

 ……なんてことを言い出すんだこいつは。
 まあ、島田くんが相手にするわけないけど。

「それも気になるけど、今はカレコレだ清川」

「はぁ~い」

 ん……今、なにか問題発言があったような気がするけど……気のせいか。
 とばっちりでイジられた真琴を置き去りにして、島田と理沙はカレコレを再開する。
 どこか腑に落ちないまま、真琴もカレコレの画面に戻る。
 私は、たしか「みっちゃん」が溺れて、サークル棟にいた人たちが呑気に探しに来ていたところだった……はず。

 画面を見るとそこは池のほとり、みっちゃんが溺れた場所だった。
 キャラクターは一人もいない……。あ、そうか、みっちゃんを探しにきた人たちはそのまま画面の上……北体育館の方に行ってしまったんだ。
 で、どうすればいいの?
 真琴はとりあえず方向キーを押してみた。
 すると場面が切り替わり、画面は色を取り戻してチーム「つるぺた」がサークル棟に佇んでいた。
 それから、もはやお馴染みとなったシーン、天の球体が照射を広げる演出があり行動範囲の拡大を知らせた。

 あれ? ええと、たしか、みっちゃんを襲った人が落としたカメラが光の玉になって、みっちゃんを探しに来た人がそれを拾って持ってっちゃったんだ。
 ……どうなるんだろ? あれは。

 気にはなるものの、ストーリーの進行やステージクリアと玉の獲得は同義ではないことを島田から聞いていた真琴は、とりあえずチームを新たなるエリアへ向かわせる。
 その途上で白い蝶が問いかけてくる。

『ねえ、みっちゃんはかわいそうだよね』

 ・はい
 ・いいえ


 ……あたり前だ、そんなの。
 真琴は迷わず「はい」と答える。
 すると蝶は「まこと」の前に留まったまま質問を続けてきた。

『許せないよね、あの犯人』

 ・はい
 ・いいえ


 これにも迷うことなく「はい」と答える。
 そして蝶の質問は続く。

『せめて助ければよかったのにね。逃げないで』

 ・はい
 ・いいえ


 ……なんでこんな、訊くまでもないことを尋ねてくるんだろう。
 いままではこう、なんていうか、微妙な質問が多かったのに……。

『サークルも悪いよね。お酒飲んで肝だめしなんて』

 ・はい
 ・いいえ


 これも「はい」だ、心情としては。
 だけど、そんな企画をやっているサークルはあるだろう、今でも。
 徐々に蝶らしい質問になってきた。
 でもここは「はい」だ。
 ……学生の倫理として。
 真琴は「はい」を選ぶ。

『でもさ、みっちゃんもガード甘かったよね』

 ・はい
 ・いいえ


 これ……は、どうなんだ?
 そう言い切れるのか?
 1年生である真琴は、半年前の自分を省みる。
 入学当時の、あの開放感と浮ついた気分、そして大学のお祭りムード……。
 たまたま自分が危険な目に遭わなかっただけ、選んだサークルが真面目だっただけ、そんな気がする。
 悪いのは犯人、みっちゃんに落ち度はない。……決して。
 真琴はここで「いいえ」を選んだ。

『そう思うの? ……本当に』

 ・はい
 ・いいえ


 うお……。念を押してきた。
 でも、ブレちゃダメだ。
 真琴は意を決して「はい」を押す。

『ふふふ……』

 蝶が舞い上がり、「まこと」たちの周りをひらりと一回りする。
 なんともイヤな感じだ。

 そして再び「まこと」の前で止まり質問を繰り出す。

『あんな危ない遊びを黙認する大学ってダメだよね』

 ・はい
 ・いいえ


 今度は大学の瑕疵を問うのか……。
 真琴はしばし考え込む。
 みっちゃんの事件がフィクションなのか事実なのかはさておき、大学は事件を防ぐことができただろうか。
 たぶん答えは「否」だ。たしかに構内の規則や監視を厳しくすれば構内での発生はなかっただろう。
 でもこの大学の周りはド田舎……そして多くの学生はアパートで一人暮らしなんだから、敷地の外で同じような企画はいくらでもできる。
 大学に非はない。……微妙だけど。
 蝶の反応を心配しながら真琴はこの質問に「いいえ」と答えた。

『そっかぁ……』

 蝶が再び「まこと」の周りを舞う。
 1回、2回……3回。
 ……マズい、しくじったか?

 3周した蝶が「まこと」の前で止まる。
 真琴は無意識に息を止めて蝶の言葉を待った。

『まこと、これあげる』

 そのセリフが表情されると、蝶のところに白い玉が現れ、ふわりと「まこと」の方に飛んできた。
 そして画面下、ステータスの箇所に五個目の玉、⑤が加わった。
 玉がもらえたってことは、正解だった……のか?

 今ひとつ自信が持てない真琴は、そういえば理沙が真琴よりもストーリーを進めているかもしれないことを思い出し、理沙に尋ねる。

「ねえ理沙」

「なに?」

「理沙はもらった? ……えっと、五個目の玉」

「ん、玉? ……ああこれね、うん、もらったよ」

 ……もらったのか、理沙も。
 理沙はどんな回答をしたんだろう。

「理沙、みっちゃんも大学も悪くないよね」

「え……どうだろ? なんて答えたか憶えてないや」

 なんとも理沙らしい。
 おそらく自分とは違う回答をしたはずだ。
 つまり、どう答えても玉はもらえるのか?

「落ち度があった? ……みっちゃんに」

 食い下がる真琴を横目に、理沙は携帯を操作しながら答える。

「う~んと、対応はマズかった、と思うよ」

「……対応?」

「そ」

「なによ……対応って」

「抵抗しない」

「は?」

「わたしだったら抵抗しない」

「……なんで?」

「だってさ」

「だって、なによ」

 真琴が執拗に食い下がるので、理沙は面倒くさそうに顔を上げて真琴を見た。

「……マジになんのもアレなんだけどさ」

 理沙にしては珍しく前置きをした。
 真琴は次の言葉を待つ。

「生きててナンボ……でしょ?」

 ……まただ、今日はもう何回目だろう。
 理沙の言葉にハッとする。
 返す言葉を探しあぐねる真琴に理沙は続ける。

「大学も悪いよ。ちょうちょの言うとおりだよ」

 ……もしかしたら、もしかしたら理沙は「大学」というものに失望しているのかもしれない。
 私より、いや、私が知る誰よりも……ずっと。

 そんなことを考えているうち、なんとなく時刻を確認すると、まもなく日付が変わろうとしていた。
 ……これで終わりか、今日のカレコレは。
 真琴は最後に、とチームのステータスを確認する。


  つるぺた まこと

  ¥:488330円
  ☆:1295
  ○:①②③④⑤


 ……おカネも星もずいぶん貯まった。なにせまったく使ってないんだから。
 ゲーム内に金貸しがいるんだからお金はアテにならないけど、星は……星のランキングはさらに上ったかもしれない。
 そして画面は強制セーブになり、カレコレのプレイ可能時間の終わりである午前0時を告げた。
 カレンの通常画面に戻ったあと、個人ステータスが目に入る。

 
  287718B
  小娘(箱入り)
  徳:461
  業:66


 肩書きに変わりはない、業にも大きな変化はない……けど、徳は……。
 えっと……たしか最後に確認したときはまだ250くらいだったはず。
 つまり、この6時間のプレイで200くらい増えたんだ。私の徳は。

 ん? ……あれ?
 461……てことは……。
 真琴がカレンを操作すると、案の定「あなたへのお知らせ」のところにNEW!の表示があった。
 そうだよな……。徳には特典があるんだ。
 ……喜ぶべきかは別にして。

 真琴が「あなたへのお知らせ」を開くと、実に5通もの通知が届いていた。
 ひとつずつ内容をあらためる。


〝徳270突破おめでとうございます! 特典としてあなたはどれかひとつの掲示板の匿名表示を解除できます〟


 ああこれか。これで例の……学生課の白石さんへの悪口が連なる掲示板が実名表示になったんんだ。
 でも……そうなのか。無制限じゃなくてひとつだけなんだ。
 じゃあよっぽど頭に来たんだろうな。その、特典を使った人も。
 私なら……私ならやっぱり〝どんどん書こう! あの人の片思い〟の板かな……。
 私の片思いを晒したのが誰なのか、やっぱり気になる。

 でも……その掲示板の匿名を解除しちゃったら、私の関心事も解決するけど、他の人たちも大変なことになっちゃうよな。
 書き込んだのは大抵……秘密を知ってる親しい人なんだから。

 賢明な判断で特典の行使を思いとどまった真琴は、他の通知を確認する。


〝徳300突破おめでとうございます! 特典としてあなたは他のユーザの個人ステータスを見ることができます。カレントップページの入力フォームに知りたいユーザの学籍番号を入力してご利用ください〟


 ……なんだこれは。
 こんなのもあるのか。
 名前じゃなくて学籍番号ってのがミソだな。
 みんなの学籍番号なんて知らないから、ステータスを知りたいならそれとなく学籍番号を尋ねるか、別の方法で調べるしかない。
 でも私は他人のステータスに興味なんかない……ことも、ないな。
 愛や早紀、それと……伊東隊長あたり。
 早紀はおそらく平凡だ。だけど賢者だった2人はなにか特殊なことになってる気がする。
 2人の現時点の肩書きも気になる。……おそらくもう「賢者」じゃない。

 まあ、この特典も今すぐどうこうするようなものじゃない、か。
 よし、3個目の通知だ。


〝徳350突破おめでとうございます! 特典としてあなたにいくつか「業の特典」の匿名サンプルをご用意しました。是非ご覧ください〟


 業の特典……。つまり「他人に知られたくないこと」のサンプル……。
 これを私に見せて、運営はどうしたいのよ。
 いや、「私に」じゃない。徳を積んだ者……つまり真剣にカレコレに取り組んでいる者たち。
 そして、おそらくは元から真面目な学生生活を送っていた人たちなんだ。
 その人たちが、匿名とはいえ「業の特典」の内容を見る……。
 ええと、そうなるとつまり……学生が抱える負の側面を知ることになるから……。
 この特典……おそらく運営のねらいは、徳の高い学生の心を更に運営側に寄せることだ。
 私はそこまで単純じゃない……つもりだけど、これも「見ずにはいられない」類のものだ。
 また今度、ひとりになったときに見よう。……こっそりと。

 特典はあと2つか。
 そのうちのひとつを私はもう知ってる。……おそらく。


〝徳400突破おめでとうございます! 特典としてあなたのカレン上では、すべての掲示板の記入者が実名表示になります〟


 そう、これだ。
 警察が初めに獲得した協力者……松下刑事の説明では、その人は徳が400を少し超えた状態ですべての掲示板が実名表示になっていたということだった。
 徳270の特典を行使するまでもない、私はもう、掲示板の全部を実名で見ることができるんだ……。
 怖いけど、失望するかもしれないけど、知らなくちゃ。
 まずはそう、例のあれ、「古川真琴は島田直道が好き」って書き込んだのが誰なのか……を。

 すぐにでも確かめたい衝動を抑えながら真琴は最後、5個目の通知を開く。


〝徳450突破おめでとうございます! 特典としてあなたのカレンアプリに「各種統計データ閲覧」の機能が追加されました。カレンユーザの傾向を多角的に集約したので是非ご覧ください〟


 これ……は、初めて知る機能だな。
 カレンユーザの傾向? なにそれ?
 松下さんが見せてくれた「アンケート結果」みたいなカンジかな。
 いや、もっと深い内容だ、きっと。なんといってもすべての情報を握っている運営の手による統計なんだから。
 そしてこれは「知らなきゃよかった」と思うことが満載な予感がする。


 全部の通知を確認した真琴は、ふぅ、という軽いため息とともに画面から顔を上げた。
 その仕草に反応するように島田が真琴の表情を窺うようにチラリと視線を寄越したが、すぐに携帯の画面に目を戻した。
 ……なに? 今の。

 理沙の方は、なにやら食い入るようにして手元の画面を見ている。
 なに見てんだろ。理沙は。
 気になる真琴は理沙の背後ににじり寄り、肩越しに画面を覗く。

「理沙アンタ……。まだ引きずってんの?」

「そうよ悪い? あれ絶対インチキなんだから」

 理沙が見ていたのはカレン掲示板、それも新しく立てられたと思われる〝裏パチについて〟という板だった。
 結構な勢いで書き込みが増えているようだ。

「で、いるの? ……当たった人」

「んにゃ、いないみたい。だからみんな私とおんなじでインチキを疑ってる」

「……そうなんだ」

「ほら私はさ、1回だけだったじゃん。惜しかったの。でもね、何回も同じ目にあった人もいるみたい」

 なるほどそれならインチキ……いかさまを疑いたくもなるだろう。
 でも、いかさまって、なんかこう……運営っぽくないっていうか、なんていうか……。
 カレコレにおける「裏パチンコ」の位置づけについて真琴が考えてみようとした矢先、ちゃぶ台の上で真琴の携帯電話がメッセージの着信を告げた。
 ……こんな時間に、ってことは愛か早紀……かな?
 真琴はメッセージを見て目を疑う。

『ィエー! うちら大富豪』

 発信者は早紀だった。
 ……大富豪って、まさか……。
 真琴はすぐに確認の返信をする。

『大富豪って、まさか当てたの? 裏パチンコ』

『そう! ジャンジャンバリバリ!』

『アンタが当てたの?』

『ううん、当てたのは愛だよ。私は何回やっても当たんなかった』

 愛が当てた……。そして早紀は当てられなかった。
 やっぱりなにかあるのか? 「当てる資格」みたいなものが。

『で? いくらになったのよ、チームのおカネ』

『ざっと4千万』

 ……4千万。これまたスケールの大きな金額だ。
 金貸し「アイコム」の件といい裏パチンコの出現といい、カレコレ上の「¥」は日毎に桁を上げている。
 あれ? それなら、愛たちのチーム「三中」はカレコレの売店に行けば買えるんだ……。
 2千万の「しんじつ」を。


「……古川、どうかしたのか?」

 考え込みながらメッセージのやりとりをしている真琴が心配になったのか、島田が尋ねてきた。

「え? うん。あのね、学科の友達が当てたみたい。裏パチンコ。4千万くらい稼いだみたいだよ」

「なによそれ! せっかくインチキってことで慰め合ってたのに。枕営業なの?」

「清川、ちょっと黙れ」

「ぐ……う……」

 島田の表情は真剣だ。時計で時刻を確認し「マズいな」と言った。
 そして眉間にしわを寄せて何か考えている。
 いつもの理沙であれば「ナルシスト」ネタで島田にちょっかいを出すところだが、それすらも拒む雰囲気だった。

 長く感じられた無言だが実際は1、2分だろう。
 島田は「とりあえず」と前置きして口を開く。

「電話だ古川。その……当てたチームに」

「え、電話? ……なんで?」

「いいから早く。時間がない」

 時間が……ない?
 私、なんか見落としてる?
 特典の通知で一気に情報が入ってきたからかな?島田くんの考えてることが読めない。
 読めぬまま真琴は、言われたとおり早紀に電話をかける。


(どしたの真琴、急に電話なんて)

 どうしたのって……どうしたんだろ?

「あ、いや、あのね、島田くんが電話しろって」

(彼氏が? うちらに? なんで?)

「え~と……う~んと」

 携帯を耳に当てたまま真琴が考え込んでいると、島田が肩を叩く。
 見ると手のひらを差し出している。
 電話をよこせ、ということか。

「もしもし、島田です。うん、そう、その島田。はじめまして。それであの……え? いや、要らないけど……いや、それもいいんだけど」

 ……なんだ?
 早紀は浮かれていた。一方の島田くんは深刻そうだ。
 そもそも早紀は理沙と同類の性格……話が噛み合っていないのが見てとれる。

「えっと……あの」

 島田も業を煮やしたようだ。
 ついにそれを口にする。

「話が通じる人に替わって」

 電話の向こうにいる早紀のリアクションを想像し、真琴は思わず吹き出す。
 そして電話口は「話が通じる人」……愛に替わったようだ。

「ああどうも。それで今はどこに……え、それじゃダメだ。え? なんでって……あのさ、たぶん午前1時に更新されるよ、ランキング。だからあの……うん、そう」

 あ……そうか、それか。
 定期更新なら¥と☆のランキングが午前1時に切り替わるんだ。
 そこで愛たちのチーム「三中」が4千万円ものおカネを獲得したことが公になる。

 今、業を減らしたい上級生たちが求めているもの……。
 それは「カルマトール」つまり、それを買うための「¥」だ。

 避難……。それが真っ先に真琴の頭に浮かぶ。
 逃げなくちゃ……押しかけてくる。
 私たち教理1年の女子が三中という愛称なのは学部のみんなが知ってる。
 チーム「三中」が誰なのかなんて半ば公然のことなんだ。

 ん? ……じゃ、私も……危険、なのか?
 実態は異なれど、それを知らないみんなは私も「三中」のひとりだと思うはずだ、間違いなく。
 ようやくそこまで考えが至った真琴が島田を見ると、ちょうど通話を終えるところだった。
 愛に替わってから話はスムーズに進んだようだ。
 真琴は携帯電話を受け取りながら島田に確認する。

「この部屋、てか私も避難しなきゃ……だね?」

「そう。あっちの三人はとりあえず男子……平野っていうの? そいつの家に逃げることになった。俺たち……というか古川も早くこの部屋から出るんだ」

「……どこに?」

「ん、まあ……清川の家が妥当だろうな」

「ん、まあ、おれのベッドがだとうだろうな」

「……清川、茶化すなよ。割とアブない状況だぞ、今」

「え~いいじゃん。もう同棲しちゃいなよ」

「まあ理沙の部屋に逃げるとして、明日の講義とかどうすんの? 私」

「それは……1時にランキングが公開されてどんな騒ぎになるのか次第だけど、たぶん講義に出られる状況じゃなくなるんじゃないかな」

「そっか。……そうかもね」

「うわ完全スルーだし、私の提案」

 真琴は時刻を確認する。
 午前0時35分……。
 急がなきゃ。

「わかった。行こう、理沙の部屋に」

「よし、じゃあ……俺は原付だから先に行って駐輪場で待っとくから、二人は一緒に自転車で」

「うん、わかった」

「ちょっ、ちょっと待ってよナルっち。ナルっちもウチに来んの?」

「え? いや……そうだな。俺は二人が無事に到着したら自分の家に帰ろうかな」

「あ、そう? ……わかった」

 理沙の部屋はキレイだ。見られて恥ずかしいものもない。
 理沙としては島田くんと絡みたくて言ったようだが、島田があっさり打ち切ったので肩透かしを食ったようだ。
 そして各々がいそいそと手荷物をまとめて真琴の部屋を出た。


 島田の原付バイクが暗がりに消え、真琴と理沙はそれぞれ自転車にまたがる。
 いつもなら並走して品のない話をするところだが、真琴は自転車を理沙の後方につけた。
 我が身の危険を案じてのことではない。
 先刻に垣間見た理沙の意外な内面の数々が、真琴をして理沙への接し方を惑わせていたからだった。

 理沙……。いつもフザけてばかりの姿が本性ではないような、そう思わせる発言が何度もあった。
 テキトーだけど憎めないキャラ……。そう評していた親友が、そう、それこそ道化師……内に何か重たいものを抱えつつおどけているような、そんな存在に思えてきた。

「真琴……なにコソコソ尾けてんのよ。いやらしい」

「え、あ、うん。ゴメン」

 やっぱり不自然だよな……。
 理沙に促されるかたちで真琴は理沙に並ぶ。

「それにしてもさ、たいしたもんだね、なおっちは」

 ……よかった。
 なにを話そうかと考えていたところに理沙から話題を振ってきた。

「うん。頼もしいね、ホントに」

「ボヤボヤしてたら寝取るよ、私」

「やめてよ理沙、ヘンなこと言うの」

「だったらゴーだよ真琴。でもまあ、なおっちも真琴にベタ惚れだから心配ないか」

「そ、そっかな。大丈夫……かな?」

「自分でわかんないの? そんくらい」

「わかんないよ、全然」

「そんなもん? ……まあ、そうかもね」

 理沙が遠い眼で言う。
 ……ダメだ。やっぱり理沙の正体が掴めない。
 今までは、いくらでも油断していい相手だったのに……それがなんだか私より大人みたいだ。

「なおっち……ホントに帰っちゃうのかな、今日」

「……どうだろ。理沙んちに着いたら上がってもらったら?」

「ああ、うん、そだね、そうしよ。やっぱさ、心細いじゃん? ウチらふたりじゃ」

「心細いって、今の状況が?」

「それしかないじゃん。アンタら二人はそもそも特別なのに、そのうえ別口であんたにカネ持ち疑惑が沸き上がるんでしょ? おお怖い」

「まあ……そうだね」

 確かに理沙の言うとおりだ。
 ただでさえ警察や元「賢者」、そのほかいろんな人たちの期待と助力を受けて慎重に立ち回ってるところに、愛たちが大金を手にしたせいで逃げなきゃなんないなんて……。


 …………え?

 そもそも特別って……え?

 ……なんで……なんで理沙の口からそんな言葉が出てくんの?

 自転車を漕ぐ真琴の足が止まる。
 その真琴を、理沙がつまらなそうな顔で振り返る。

「なによ今度は。ウンコ?」

「……理沙」

「だからなによ。まさか漏らした?」

「そもそも特別って……なんのこと?」

 おずおずと尋ねる真琴をしげしげと見つめ、理沙はつまらなそうな顔のままだ。

「なんのことって、違うの?」

 端的な追及に真琴は戸惑う。
 ……なんて答えたらいいの?

 真琴の無言、そして当惑の気配はむしろどんな言葉よりも雄弁だった。
 理沙はやれやれとでもいうように息を吐きながら「ま、私はどうでもいいんだけどね」と言って「はやく行こ。真琴」と、ペダルに足を乗せてこの話題を打ち切ろうとした。

 ……ダメだ。
 この話、ここで終らせちゃダメだ。

 理沙の背を見る真琴の心が警鐘を鳴らす。
 失うぞ……と。

「理沙」

 真琴は理沙を呼ぶ。
 自分でも驚くほど切実な響きだった。

「……真琴」

「うん」

「いいから来なよ、隣にさ。時間ないんでしょ?」

 理沙の声はいつになく優しかった。
 真琴は言われるまま理沙の横に並ぶ。

「あの……さ」

「……うん」

「真琴となおっちがなんかコソコソやってんの、気付かないほど間抜けじゃないよ。私」

「……うん、ごめん」

「え? ……なんで謝んの?」

「え? ……謝るところじゃないの?」

 自転車を漕ぎながら理沙は首をかしげる。
 そして妙なことを言い出す。

「だって……ポシャるじゃん。私に喋ったら」

 …………う~ん。
 確かに、そう考えたからこそ理沙には秘密にしてたんだ、いろいろと。
 ……でも、本人が言うの? ……それを。

「そもそもアンタたちがやってること、私に教えようとしたら耳塞ぐね。私は」

「……は?」

「だって厄介そうじゃん。それにさ、おいそれと他人にベラベラ言えないんでしょ?」

「……まあ……そう、だね」

「じゃあ気にしないでよ。そんな面倒くさいこと、私に言わなくて正解だし」

 これは……自覚があるというのか?
 なんとも言えずにいる真琴に理沙が続ける。

「ねえ真琴、私が尊敬してる人って誰だと思う?」

「え……なによいきなり。わかんないよ、そんなの」

「高田純次」

「…………ああ、なるほど」

「あの人格を目指してんのよ。私は」

「だからいつもフザけてんの?」

「そ。でもバカじゃないし」

「……うん、そうらしいね」

「これがけっこう難儀なんだよ。友だち選びが」

「そう……なの?」

「うん。テキトーなことばっか言ってるけど、ホントのバカとは合わないじゃん」

「ああ、それはそうかもね」

「だから真琴はちょうどいいんだ。私には」

「誉めてんの? ……それ」

「当たり前じゃん。誉め言葉だよ。とびっきりの」

 ちょうどいい……が、とびっきりなのか。
 ……いや、案外そんなもんだよな。友だちって。

 理沙の本質にさらに踏み込み、かつ真琴に芽生えかけた理沙への畏れも消えた。
 うん……これでよかったんだ。
 ……きっと。

 そこからは短い道中を二人して島田をネタに進み、理沙のアパートが見えるころには二人の間にある空気はすっかり元どおりになっていた。

 アパートに着く手前で二人は自転車を降り、息をひそめて駐輪場……原付に股がって携帯電話を弄る島田に忍び寄る。
 画面に集中している島田は真琴たちに気付かない。


「ぎゃーっ!」

「うおっ」

 背後、それもほぼ耳もとで響いた理沙のオレンジ色の叫びに、島田の全身がビクッとする。

「チッ!」

「……なんだよチッって。それ俺のセリフだろ」

「え? いや、リアクションがショボかったから……」

「そうか? ……かなりビビったぞ、今のは」

「だてにナルシストはやってないね、なおっち」

「……いや、やってないぞ」

「んもう、またまたぁ。まあいいや。ね、上がってよ、なおっちも。ほら、自信過剰なのがひとりいたほうが私たちも安心だフォン」

 うん、やっぱり島田くんがいた方が安心だ。
 チーム……三人でいよう、今夜は。

 安堵しかけた真琴だったが、島田は予想にない反応をする。

「あ、えっと……やっぱ今日は帰るよ、俺は」

 ……え、ホントに帰るの?
 宿主……理沙が上がれって言ってんのに?

「……ナル夫、アンタ……なんかあるね」

「なんかってなんだよ」

「やましいことが、よ。大事なステディと怯える乙女を置き去りにするなんて外道じゃん」

 そうだよ、理沙の言うとおりだ。
 島田くんは、この……先が見えない状況で私たちを置いて平然といなくなるような人じゃないはずだ。

「外道は言い過ぎだろ。まあ、ヤバそうになったら戻ってくるよ」

 ……なにかあるのか? ……本当に。
 真琴は島田の表情に眼を凝らす。

「いやホント、危ないようだったらすぐ戻ってくるって。……とりあえず寝られるときに寝といた方がいい」

 ……寝る? 今のうちに体を休めるってこと? 
 食い下がれないこともなさそうだけど……。
 私は……島田くんを信じてる。

「理沙、いいよ。たぶん理沙んちなら大丈夫だよ」

「いいの真琴? なんか怪しいよ。この男」

 ……「この男」って。……この女。
 まあ理沙も本気じゃないのは判る。


「じゃ、そういうことで」

 結局、さほどの慰留もないまま、島田は帰ってしまった。
 残った二人で理沙の部屋の玄関をくぐる。


 時刻はちょうど午前1時、携帯電話が不協和音を奏で、「みなさんへのお知らせ」の新着を告げた。
 ……いま公開された。
 ¥と☆、その上位20チームが……。

「来たみたいね。カネ持ちランキング」

 理沙は部屋の中央、ガラステーブルに肘を立て、早速カレンを立ち上げる。
 初秋ながら部屋のカーペットは厚手で、夏休み前に理沙の部屋に来たときとは別のものに替えられていた。

 案外マメなんだな……理沙。
 そんなことを考えながら真琴もテーブルに着き、カレンを、そして「みなさんへのお知らせ」を開く。

「……目立ってるね。思いっきり」

「逃げて正解だったね、こりゃ」

 真っ先に開いた¥のランキング、それはこの避難が正しい行動であったことを瞬時に理解させるに充分なものだった。


   1位「FBI」  48,225,833円
   2位「三中」   41,083,331円
   3位「げんぞう」 16,390,827円
   4位「エロ三羽」   1,924,005円
   5位「RINO」   1,889,765円
   6位「おだてぶ」  …………
   7位 ……

 これを見るかぎり、例の「裏パチンコ」を当てたのは3チームしかいない。
 とりわけ1位の「FBI」というチームと「三中」が飛び抜けている。
 ええと……たしか「カルマトール1000」って80万円だから……。
 4,000万円で50個買えるのか。

 これは……やっぱり放っておかないよな。業を減らすのに躍起になっている人たちは。
 そう分析していた真琴の思考を遮るように、携帯電話が着信を告げる。
 ……誰だ? ……これは。
 ディスプレイには相手の携帯電話番号が表示されている、が、真琴の電話帳にも登録がなく、誰なのか判らない。


「真琴、出ちゃダメだよ」

 理沙が言う。真琴はその理沙を見て聞き返す。

「出ない方がいい……のかな。やっぱり」

「あったり前じゃん。アンタ潰されるよ」

 潰されるって、そんな物騒な……。

「真琴、いいかげん自分がいる位置を自覚しなよ。いいから電話ぶっち切って掲示板見な」

 自分がいる位置、か。……て、どこよそれ。
 正直、成り行きでこんなことになってると思うんだけど……。
 まあいいか、と理沙に言われたとおり真琴は電話を拒否してカレン掲示板を開く。

 目立って勢いがあるのは2つ
   〝裏パチについて〟
   〝カネ持ちを捕まえろ〟
だった。

 〝裏パチについて〟はさっきも見た。当てた人間がいることが判ったから、きっと今はその「当て方」が話題になってるんだろう。
 だから問題はもうひとつの〝カネ持ちを捕まえろ〟の方だ。
 真琴はその板を開く。


 〝カネ持ちを捕まえろ〟

1)10/05/01:02田村優一(農3)
 おい! この「FBI」と「三中」って誰か知らねえの?
 とっ捕まえてカネもらおうぜ

2)10/05/01:03井上香樹(文3)
 だな
この人たちにカネ分けてもらえばみんな助かる

3)10/05/01:05坂本香奈(総2)
 でも分けてくれますかね、簡単に

4)10/05/01:06田村優一(農3)
 >>3
 甘っちょろいこと言ってる場合じゃねえ!
 こいつらだって良心はあんだろ

5)10/05/01:08森崎健太(教3)
 「三中」てのは教理1年の女子3人組だぞ。

6)10/05/01:09高田翔(経2)
 とにかく特定が先だのう

7)10/05/01:09武井天吾(工4)
 >>5
 こマ?

8)10/05/01:10三井和也(理1)
 マジだよ。いつもそう呼ばれてんもん。
 でも連絡先とか知んね。

9)10/05/01:10斉藤匠(理3)
 じゃあ三中ってのが捕まるのは時間の問題だな。

10)10/05/01:10篠原竜一(法3)
 FBIってなんだよwwwwww
 警察か!

11)10/05/01:11森崎健太(教3)
 くそっダメだ 
 三中のヤツら電話出ねえ

12)10/05/01:11浅海陽子(文1)
 どうせビビッて家にいんだろ
 行けよ誰か

13)10/05/01:12平野昌充(教1)
 FBI……福井、馬場、井手……

14)10/05/01:14甲斐田拓真(教1)
 迅速な俺氏、三中の一人の家に行くも留守

15)10/05/01:14木田正二(理1)
 教理1年の女3人って、あの、お高くとまった連中だろ?
 前からイラッとしてたんだよな。
 懲らしめようぜ。

16)10/05/01:15渡辺諒介(工3)
 >>13
 分かった! 二類の一年のオタクどもだ!

17)10/05/01:16田村優一(農3)
 オタク……それは男か?

18)10/05/01:17渡辺諒介(工3)
 男。いかにもなオタク

19)10/05/01:18片山聖哉(経3)
 そっちの方がハナシが早そうだな


 …………。
 どうやら事態は相当に深刻……。
 島田くんの言うとおり明日……というか今日は講義に出るどころじゃなさそうだ。
 しかし実名表示だと生々しいな。女子とは思えない書きぶりもまる見えだ。
 それに平野……。しれっと三中から話題を逸らしてるし……。
 愛の入れ智恵かな、とにかくこのヤバい人たちの目は「FBI」というチームの方に向いた。
 それになによこの、「前からイラッとしてた」って。
 そもそも誰よアンタ。

 掲示板への書き込みはリアルタイムでどんどん増えていく。
 私たちはともかく、「FBI」っていうチームの人たちが危険だ。

 掲示板を追っていた真琴の携帯電話が再び着信を告げる。
 ……また知らない番号からだ。
 真琴は通話を拒否し、少し考えたのちに島田に電話することにした。
 島田にしてはめずらしく、電話に出るまでにコール10回ほどの間があった。

(もしもし)

 ん、なんかテンションも低いぞ……。
 まあ、はしゃぐタイプじゃないけど。

「ああ島田くん。掲示板見た?」

(…………掲示板って、どの?)

「どのって……裏パチのヤツに決まってんじゃん」

(あ、ああ見たよ。とりあえず今はもういっこのチームに目が行ってるな)

「うん。そのFBIって人たち助けたいんだけど、松下さんに電話してもいいかな?」

(え? ……今、ひとりなのか? 古川は)

 どういうお尋ねだ? これは。
 声からして様子がおかしいし、なんだこの違和感は。

「理沙と一緒にいるよ。島田くんも知ってんじゃん」

(刑事との関係、清川に言ったのか?)

 ああ、そっちの心配か。
 ……でも、それだけ?

「理沙はアホだけどバカじゃないんだよ。そのハナシはまた今度」

(そうか、じゃ……刑事に電話してあげた方がいい……と思う)

「わかった、そうする。んで、島田くんはこっち来ないの?」

 ここで返答までに間が入る。
 なんなのよ、もう。

(ん~と、まだ行けないな。危険になったら教えてよ。すぐ行くから)

「……そう、わかった。じゃあね」

 真琴は電話を切る。なんともイヤな余韻だ。
 
 だが事態は急、真琴は松下刑事から借りている白い携帯電話を手に取った。
 先刻の島田とは異なり、松下は1回目のコールが終わらぬうちに電話に出た。

(ああ古川さん、電話しようかと思ってたんだ。今どんな状況?)

「え……どんな状況って……私が、ですか?」

(うん。友だちが当てただろ? 例のパチンコ)

 ……あれ、これ「三中」のことを言ってるよな、松下さん……。
 賢者がらみで愛のことは話した……けど、チーム名とか、そんな話までしてたかな。
 松下の第一声で思考が逸れた真琴は、松下に電話をした理由を忘れそうになる。

「はい……たしかに友だちが当てました。それで電話したんです」

(うん。古川さんは安全なの? 今は)

「ええ、はい。チームは別々ですし、私は自分のチームの友だちの家に」

 受話器の向こう側で松下が安堵するのを感じた。

(それならよかった。ほら、もうひとつ……あ、いやふたつか……大金を手にしたチームがあったろ? 警察は今、その学生たちを保護するのに大慌てなんだ)

 なるほど。
 たしかにこれはもう、否応なく警察の仕事だ。学生の身に急迫の危険があるんだから。
 ……でも、なんかこう、妙に明るくない?
 松下さんの……声が。

「それで、おカネ持ちになった学生は無事なんですか? ……みんな」
(ああ……うん、たぶん大丈夫。まだ全員は保護できてないけどね。暴徒になってる学生も、押しかけてみたものの玄関を破壊するまではできないでいるから、そこにウチら……警察が行って事態を収集してるところなんだ。まだ途中だけどね)

「そうですか……。それなら安心しました」

(友だちのチーム……三中だっけ、なかなか迅速に行動したね)

「ああ、はい。私の替わり……ていうか本当の三中じゃない男子がチームにいるので、そっちに避難しました」

(うん、知ってる。古川さんの彼氏のアドバイスで、だよね)

「……はい、そうですね。……松下さん、誰から聞いたんですか?」

(え? ……ああ、無事を確認するために直接話を聞いたんだよ。えっと、大神……愛さんだっけ)

 そういうことか。
 ……で、なんで私には警察から連絡がなかったのよ。

「なんで私には電話がこなかったんですか?」

(だって古川さんは裏パチンコを当てたチームの人間じゃないだろ? 捜査本部でもごく一部なんだよ。古川さんの事情を知ってるのは。だから全体としては古川さんは今回の騒動ではノーマークなんだ、表向きは)

 そう……なのか。まあ、矛盾はないような気がする。
 大金を手にした学生に心配がないなら、松下さんへの用件は済んじゃったな……。
 安堵感も相まって、真琴はしばし沈黙する。

(古川さん)

「……はい」

(かなりの切れ者だね、古川さんの彼氏は)

「え……ええ、そうですね」

(きっと素敵なカップルなんだろうね。二人は)

「……この非常時になに言ってるんですか。松下さん」

 松下が切り出した話題に、真琴は照れが半分、本気が半分で非難する。
 それに応える松下は穏やか、そして落ち着いていた。

(……古川さん)

「なんですか?」

(彼氏を手放さないでね。二人で協力して、このカレン騒動にケリをつけてよ)

 ……なんだ?
 こんなときに、たかが大学生の恋路の心配するの?
 ……大規模事件の捜査の渦中で、警察官が。

「松下さん」

(ん?)

「教えてもらいたいことがあるんです」

(……なに?)

「あの、カレコレに出てくる白い玉……ステータスの一番下に表示される○はなんなんですか?」

(え? ……知らないの?)

「はい。そもそも松下さんが言ったんじゃないですか。私は知らないまま進めろって。島田くん……あ、私の……その……パートナーはそれを真に受けて教えてくれないんですよ。なんにも」

(そうなんだ。……誠実なんだね、彼氏さんは)

 んんん? なんだかやけに島田くんを持ち上げてないか? 今日の松下さんは。
 男だから? そんな理由?

 どうにもふさわしい理由が見当たらない真琴は、苛立ちに似た感覚をおぼえ、そして黙る。
 沈黙を破ったのは松下だった。

(カレコレの白い玉……。あれはね……ドラゴンパールっていうんだ)

「…………は?」

(7個集めると、ひとつだけ願いが叶う)

「は?」

(例によってパクリだよ。まあ、パロディと呼べなくもないけど)

「願いごとって……なんでもいいんですか?」

(いやいやいや、そんなわけないよ。古川さんは今、いくつ集めたの?)

「私は今、5個です」

(そっか……。まあ、もうすぐ分かるよ。カレコレを進めれば)

「これ以上のことは教えてくれないんですね?」

(……そう言われると心苦しいけど、僕も彼氏の意思を尊重したい)

 真琴は不承不承「分かりました」と返事をして通話を切る。
 結局最後まで島田くんを持ち上げてたな。……松下さん。
 それにしても……「ドラゴンパール」って……。
 なんでもアリだな、もう。

 松下から聞いた情報を咀嚼していた真琴は、背中に生暖かいものを感じて振り返る。
 真後ろで理沙が怨めしそうな上目遣いでこちらを見ていた。

「……なによ、理沙」

「真琴」

「だからなによ」

「今度その刑事に会ったら言っといて」

「……なにを?」

「チームにはもう一人いるんだぞって」

「いるんだぞって……理沙アンタ、関わらないんじゃなかったの?」

「関わらないよ」

「……なにが言いたいの?」

「いや……彼氏と二人で、とか言ってたじゃん今の刑事。だから」

「だから?」

「ムカついただけ」

 ……なるほど理沙の憤慨はもっともだ。
 理沙だってチームの一人……。少なくとも私のチーム「つるぺた」がカレコレを進める上では欠かせない。
 ここで真琴の脳裏に浮かんだのは、チームを結成したときに考慮したひとつの要素……「多様性」だった。
 理沙のおかげでずいぶん視野が広くなったと思う。
 ……カレンに関することでも、現実でも。

「ねえ真琴、星のランキングも見てみようよ」

 理沙が話題を変えたので、真琴は「うん」と言って、理沙と同時に星のランキングを開く。


  1位 「つるぺた」 1,295個
  2位 「かもねぎ」 1,221個
  3位 「RINO」 1,077個
  4位 「うんえい」  997個
  5位 「ハムコミ」  993個
  6位 「有望株」   964個
  7位 「○同好会」  ………
  8位 「へにくす」


「……なんで1位? ウチら」

 めずらしく理沙が驚いている。
 真琴の心境も右に倣え……ビックリだ。辛うじて返事をする。

「……つまり、他のチームは星を消費したんだね」

「それって、カレコレで星を徳に換えたってこと?」

「たぶん……そう」

「じゃあ、みんな徳を上げようとしてんの?」

 いや、それは違う……。「みんな」じゃない。
 どちらかといえば余裕のある人たちのはずだ。星を消費して「徳」を上げようとするなんて。

 たしか昨日の時点で、すでに1位は1,300を超えていた。
 つまり、星で上位にあったチームの多くが同じ動きをしたんだ。
 ランキングに入ることで目立つのがイヤだったとか、そんなつまらない理由じゃない。間違いなく徳を上げにきてる。

 あ……そうか、そもそも「徳の特典」にどんなものがあるのかは「お楽しみ」としか示されてなかったんだから、徳の特典になんらかの救いを求める動きなのか、これは。
 うん、きっとそうだ。そう考えれば自然な動き……むしろ星に無関心な私たちの方が希有だから1位になっちゃったんだ。

 そうして星のランキングの変遷を分析した二人の関心は当然、徳のランキングに向かう。
 なにも言わず、二人ともがそれぞれ徳のランキングを開いていた。
 こちらは定刻に更新される星と¥のランキングとは違い、上位50人の学生の学籍番号がリアルタイムで更新される。
 そして真琴は、自分の位置を知る。


     48位 287718B:461


 ランクイン……48位か。
 48位と聞くと大したことないように聞こえるけど違う。
 カレンユーザは7,000人以上……いや、おそらく8,000に近いから、私は上位1パーセントに入ったんだ。
 しかも、徳を買うことができる星を残して……。


「ねえ真琴、この48位って真琴だよね」

 理沙も気がついたようだ。

「うん。ここでも入っちゃったね……ランキングに」

「これ、星使えばもっと上に行くんじゃないの?」

「……そうなるね、うん」

 そうだ、そういうことだ。
 いくらで買えるのかは知らないけど、私には星の貯蓄がある。
 実質はもっと上位に行ける位置にある。


「買いなよ、徳」

「え?」

「なにかがあるんじゃないの? 徳を極めた先に」

「……そうだね。なにかあるよね。……たぶん」

「他のチームのことは知らないけどさ、ウチら3人の星をぜーんぶ真琴に注ぎ込んだらさ、とんでもないことになるんじゃないの?」

「かもしれないね、うん」

 たしかにそうだ。
 でも、いったいなにがあるんだろう。
 今の時点でも、かなりインパクトがある特典があったのに。


 真琴が考え込んでいると、理沙が何かに気がついたように言う。

「あ、そういやさ、徳の特典ってどんなのが来たのよ」

「え……。う~んと、いろいろ」

「見せてよ、私にも。ほら私、なんたって徳ゼロだし」

「うん、いいよ」

 そうして真琴は理沙に徳の特典、その内容が記載された「あなたへのお知らせ」を見せる。
 とたんに理沙の目が妖しく光る。

「真琴、見よう」

「え……なにを?」

「真琴の秘密をバラした不届き者の正体に決まってんじゃん」

 ああ、それか。
 掲示板の実名表示か。
 不届き者って……アンタ、そもそも口コミでバラしてなかった?

 しかし理沙の提案は真琴にとっても少なからぬ関心事であったので、覚悟を決めて「それ」を確かめることにした。
 自分で言い出したところをみると、書き込んだのは本当に理沙ではないみたいだし。

 そして真琴はそれを見る。


92) 9/28/20:41 野崎裕(法3)
 教理1年の古川真琴は法学1年の島田直道が好き。


 ……え?
 野崎先輩? ……サークルの?
 なに? なんで野崎さんが?

 真琴が動きと思考を停止させていると、理沙が耳もとでささやく。

「……次は逆の方だよ。真琴」

 理沙の言葉に返事も返せないまま、真琴は画面をスクロールさせる。


「あ……」


459) 9/29/02:47 島田直道(法1)
 法学1年の島田直道は教理1年の古川真琴が好き



 画面の文字列を眺めているような、それでいて思考が停止したような感覚で真琴は動きを止める。
 それを現実に引き戻してくれたのは理沙の声だった。

「え……と、じゃ……私、帰るね」

「……帰るって、アンタの家でしょ。ここ」

「あ、もうこんな時間……寝なくちゃ。おやすみ真琴」

 そう言って理沙は部屋を出ていこうとする。

「だからアンタの家でしょ、ここは」

「前にも言ったじゃん。ホラ私、いつもトイレで寝てるんだ」

 理沙の軽口で真琴の心がほぐれていく。
 これは……心遣いか。……理沙の。
 真琴は気を取り直すように大きくため息を吐く。
 礼には及ばない……。理沙の顔にそう書いてある。

「理沙、考えるよ。……これがどういうことなのか」

「ん、いいよ」

 理沙が真琴の隣に腰を降ろす。
 そして真琴がこの件の検証を切り出す。

「つまり、これが島田くんの怪しい挙動の原因……だよね」

「うん、そう思う。なおっちは知ってたんじゃないの? 掲示板がこんな風になること」

 そう……島田くんは「徳が400を超えた人は全部の掲示板が実名表示だった」という情報を知っていた。
 そして私の徳が400を超えたから……ヘンな行動をとったんだ。
 私の反応を怖れて……かな?
 どう反応すべきかは、これがどういうことなのかを考えてからだ。
 あ、そうか。つまり私の「反応」を待ってるんだ。島田くんは。

「理沙はどう思う? ……これ」

 ほんのちょっとだけ理沙が考える。
 いや、言い淀んでいる……。そんなカンジだ。

「あの……さ、真琴」

「なに?」

「真琴がなおっちを好きだってこと、真琴から直に聞いてた人は少ないかもしんないけど、けっこうバレバレだったんだよ」

「え? ……そう……なの?」

「うん。特にサークルの男子の中では、いつ二人が付き合うのか、なんてハナシで盛り上がってた」

 そう……なのか。
 バレバレだったんだ。
 私の……想いは。

 今更ながらに落胆に似た感情で真琴が黙っていると、明るい声で理沙が言う。

「で、なにか問題あんの? これ」

 それは大アリ……出かかった言葉を真琴は飲み込む。
 問題……か。

「そう……ね。問題があるとすれば、私がからかわれてるだけ……ってか、単に遊ばれてるってか、みんなの笑いものになってるような怖さ……だね」

「それはない。それはないよ真琴。なおっちと一緒にいて、それくらいは解るんじゃないの?」

 言われてみればたしかにそうだ。
 島田くんに限って、そんな不誠実なことはしない。
 じゃあなんなのよ。これは。

「じゃあ掲示板のこれ、どうしてこうなったと思うのよ。理沙は」

「う~ん……それは本人を問い質すのが手っ取り早いと思うけど……」

「その前に理沙の想像を聞かせてよ。アンタ得意でしょ、こういうの」

「掲示板の騒ぎに乗じて野崎さんがやった。そのまんまだと思うよ」

「それ……は、悪意じゃなくて?」

 理沙は大げさにブルブルと首を振る。
 まるで壊れたみたいだ。

「野崎さんはイイ人だよ。はたから見てて両思いの二人の背を押しただけ。そんだけだよ、たぶん」

 ……背を押しただけ、か。
 たしかに野崎さんはいい人だ。イタズラでこんなことをする人じゃない。
 じゃあつまり、島田くん本人の書き込みも……。

「島田くん本人の書き込みは、島田くん本人の意思……ってことだね」

「ああ、それは間違いないよ。おおかた野崎さんからハッパかけられたんだろうけどね」

 ……そうか、そうだよな。
 だから島田くんは「危険になったらすぐ戻る」って言ったんだ。
 そして松下さん……。松下さんはこの状況を見越して電話口で私に「彼氏を手放さないでね」なんて言ったんだ。
 松下さん……警察は当初から協力者のおかげで実名で掲示板を見ていたんだから……。

 真琴の中で島田、そして松下の言動に説明がついたところで肩の力が抜けた真琴は、安堵とともに急に疲労感を覚える。
 そろそろ寝ないとな……。
 それこそ島田くんが言い訳で口にしたとおり「休めるうちに休んだほうがいい」だよな。
 どうせ講義に出られる状況じゃないし、「徳の特典」の中身とか、これからどうするかなんてのは起きてからゆっくり考えればいいんだ。

 眠気まで襲ってきた真琴は理沙に言う。

「安心したら眠くなっちゃった。もう寝よ。理沙」

「そうだね。寝よ寝よ」

 真琴と理沙、二人でシングルベッドの上の布団に潜り込む。
 理沙は「ここでまさかのアブノーマル!」などと言ってふざけているが、さすがの理沙も眠そうだ。
 そして真琴は島田にメッセージを送る。

『心配いらないよ。おやすみ、また明日』

 電話をかけたときと違い、すぐに返信が来る。

『よかった、ホントに。おやすみ。なにかあったらすぐ呼んで』

 ああ……やっぱり私、この人が好きだ。
 そんなことを思い、理沙の「アンタってホントまな板だよね」という声を遠くに聞きながら真琴はあたたかい気持ちで眠りに落ちた。
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