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10月2日(日)
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ちゃぶ台に戻った真琴はカレンコレクションの世界に戻る。
新たに行けるようになったエリア……法学部に向かうチームつるぺたの足取りは重い。
……行きたくない。もうこれ以上心をかき乱されるだけの話を読みたくない。
なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ……。
ん? 待てよ……。教授の自殺は20年くらい前の事実。そして女の子の件はまだ霧の中にある。
もし……もし女の子の件も事実だったとして、もし私がこの女の子だったら何を望むだろう……。
いや、何を支えに生きていくだろう……。
私だったら……。たとえ20年の時を経ても……運営に化けるかもしれない。それだけの暗い恨みと深い悲しみが植え付けられたはずだ。
うん、今までで一番運営に相応しいのは……この女の子だ。
この女の子が運営であったなら、私は心からは憎めないだろう。
島田くんはどう思うだろう。
「……島田くん」
「ん?」
「運営の正体ってさ……あの女の子なんじゃないかな」
「……女の子って、教授にやられた子?」
「うん」
島田が携帯から視線を外し、床を見つめて黙る。
やがておもむろに口を開いた。
「可能性は……あるよな」
「だよね、そうだよね」
「だけどな古川」
「なに?」
「運営に共感しちゃダメだ。古川の性格なら、おおかた……あの女の子が運営だったら無理もない、なんて思ってるんだろ?」
「え……」
的を射た島田の指摘に、真琴は言葉に詰まる。
「古川、それは危険だ。何があっても運営に心を寄せちゃダメだ」
「……でも、もしあの子だったら……」
「憎めない、だろ?」
「……うん」
「たぶんそれも運営の思惑……。まだ見ぬ運営に勝手に同情してどうすんだよ」
「だって……」
「あのな古川、世の犯罪者は、一部のサイコパスを除いて、たいてい何かしらの不幸な事情を抱えて犯罪を犯すんだぞ。犯人の不幸と俺たちの被害は分けて考えるんだ」
「それは……うん、解ってる」
「いや、まだ解ってない。俺が想像するに、正体はさておき運営はきっと古川が共感するに足るだけの悲運を纏ってる。だからたぶん、少なくない共感者に支えられてんだよ」
「あ……」
「解ったか? 運営の闇に共感しちゃったら古川、お前が運営に取り込まれる可能性もある。小さくないぞ、その可能性」
「……うん、そうだね。気をつける」
徳……。ここで真琴の脳裏に浮かんだワードは「徳」だった。
これまで業の厄災に注目が傾きがちだったけど、カレコレは業を減らす手段とは別に、徳を増やす方法も用意しているんだった。
たしか、法学部のステージで出現する、スターで食事をする食堂……。
そして松下刑事は言っていた。徳の高い協力者が、まるで自分が運営の一部になったみたいで怖いと言っていたと。
徳は……もしかしたら運営へのいざないなのかもしれない。
いきなり運営サイドに立つことには強い抵抗感がある。
だけど少しずつ、そう……ゆっくりと優しく手招きされたなら……。
やりきれない物語と醜い現実で乱された心にそっと処方箋を差し出されたら……。
「恐ろしいね……運営」
真琴はたくさんの思いを込めてそう言った。
「うん、恐ろしい。いまだに得体が知れないし、法律的なこと抜きにすれば善悪さえ判らない」
「どんだけのエネルギーがあればできるんだろ。こんなこと」
「繰り返しになるけど古川、お前が運営になっちゃダメなんだぞ。特に古川は……何かある」
「……うん。今さらだけど不気味だね、私の……徳」
「ホントに心当たりないのかよ」
「うん。けっこう考えたんだけど、私だけ特別なことなんてないよ。……やっぱり」
「古川だけ特別……か。まあ、俺には特別だけどな」
「え……」
真琴は島田を見た。その顔は、なんともいえぬ優しい……頼もしい笑みを湛えている。
「もう……恥ずかしいじゃん……」
そう言いながら、真琴は心の隅にズシリと重い違和感を感じた。
……なに? なんだ? これは。
なにか大事なことだ……。
それだけは分かる……けど、掴める気がしない。
自分の心なのに自分の心じゃないみたいだ。
そしてその何かは形にならぬまま鈍く消えた。
……なんだったんだろ、今の……。
「……どうした?」
「え? ううん、なんでもない。ちょっと疲れたかも」
「しょうがないよ。毒がありすぎるよな、カレコレは。でもまあ、次の話はまだマシだ。いくらかは」
「……どこに行ったらいいの?」
「法学部の講堂。講義中だけど1人だけ寝てるヤツがいる」
「分かった」
真琴は気を立て直して法学部に向かう。敵が出す問題は小6のものが多くなった。
もうすぐ「中1社会」なんてのが出てくるのかな……。
法学部の建物の間近まで差し掛かったとき、真琴は画面下の中央、ステータスの部分に異変を見つけた。
……え? なにこれ……。おカネが……減ってく?
「島田くん」
「どした?」
「なんか……おカネ……どんどん減ってく」
「……どれ」
島田は真琴の携帯画面を覗き込む。自分の携帯画面を見ないということは、島田くんはカレコレじゃなくてカレン掲示板を見てたのか……。
「あ、ホントだ。清川のヤツ、気使うフリしやがって……」
「なに? なんのこと?」
「これ……清川の仕業だよ」
「そうなの? なにしてんの? 理沙は」
「……パチンコ」
「は?」
「あいつ……これがやりたかっただけじゃん……」
「カレコレで……パチンコができんの?」
「うん。ほら、大学の敷地から北に行けたろ?北のギリギリのところにあるんだよ。パチンコ屋が」
「理沙……。やっぱり悪巧みしてたんだ」
「そうみたいだ。だいたいあいつらしくないもんな」
「うん、私も思った。なんかおかしいぞって。で、どうすんの? ……これ」
「う~ん……」
「…………。」
「放っとこう」
「……いいの?」
「うん。たぶん清川は……勝つ」
「勝つって……パチンコで?」
「そう」
「なんで……そう思うの?」
「なんとなく……だよ。でも、けっこう自信あるよ。まあ見とけよ」
自信ありげな島田の言葉に首をひねりながらも、真琴は話を進めるために「まこと」を法学部の建物に踏み込ませる。
ん……理学部のときと違う。理学部は建物に入ると横からのアングルに切り替わったのに、法学部内は外と同じ……上からのアングルだ。
これは……広そうだな。そういえば私、本物の法学部には入ったことないよな。あんまり。
これ、間取りも再現してるのかな。
真琴は廊下をウロウロしているキャラクターに話しかけてみた。
『ああ忙しい。今日も合コンだよ』
……それは忙しいというのか?
甚だ疑問だったが、このキャラクターはストーリーとは無関係のようなので放っておくことにした。
真琴は一つひとつ順番に部屋に入り確認していくが、部屋はどこも閑散としていて、講義中だという講堂にたどり着かない。
島田に講堂の場所を聞こうと思ったとき、先に島田の方が口を開いた。
「古川、パチンコ屋に行こう」
「……へ? なんで?」
「やっぱり勝てるんだよ。たぶん……今日までは」
「勝てるって……パチンコで?」
「うん、ステータス見てみろよ」
言われて真琴はステータスを見る。
おカネは相変わらずどんどん減って……
……いや、増えていってる。
さっきまでみるみる減っていたチームつるぺたの所持金「¥」の数値は、あらためて見ると増加に転じていた。
なにこれ……どんどん増えてく……。減るときのペースとは比べ物にならない、すごい勢いだ。
たしか私、26,000円くらいに減ったところまでは確認してた。
それが、いつの間にか34,000円を超えてる…。
「……これ、当てたってこと? 理沙が」
「そう。掲示板見ると、今んとこ勝った書き込みしかないんだ。意図的に勝たせてるんだよ、運営が」
「それは……。でも私はいいよ。遠慮しとく」
「なんで?」
「いや私、パチンコとかやったことないし」
「大丈夫、バカでも勝てる」
「……バカじゃないし」
「ん? でもカネは役に立つ。今のうちに稼いどこう」
「……進めた方がいいんじゃないの? 話を」
「進めるのは……そう、昼間に掲示板で調べて一気に進めた方が無駄がない。でもカネは……もしかしたら二度とないチャンスかもしれない。だろ?」
「島田くん。今わたし、頭ん中にウインドウが表示されてるよ……。『はい』と『いいえ』」
「いや、『はい』と『オッケー』しかない」
「それしかない……の?」
「そう。いきなり根詰めてイヤな話を読むことない。うさ晴らしだよ、今日の残り、えっと……2時間弱」
必ず勝てるという部分には半信半疑だったが、島田の言うことにも理はあると真琴は考えた。
たしかに気分転換が要るよな。理学部の話は重すぎた。
「分かった。じゃ……教えてよね、やり方」
「うん。ま、俺もほとんどゲーセンでしかやったことないんだけどね」
「……じゃあ行くよ。北の端だね?」
「うん。俺も行く」
二人はそれぞれパチンコ屋に向かう。
理沙は当たりを続けているらしく、今も所持金は増え続けていた。
もう40,000円超えた……。必ずっていうのが本当だったとして、3人みんな勝ったら2時間後にはいくらになるんだろ……。
目的地……パチンコ屋はヤケクソ気味にサイケな色彩で輝いていた。
いかがわしさ満載……。それが真琴の第一印象だった。店の前に店員らしきキャラがいる。
『いらっしゃいませ。世界初のリアルタイムぱちんこパーラーパーラーへようこそ!』
……リアルタイム……ぱちんこ? なにそれ。
島田に聞こうかと思ったが、どうせ分からないことだらけ、聞くのはあとでもいいと考えて真琴は店内に入る。
予想を裏切らない配色の店内に切り替わると同時に携帯電話が大音量のノイズを放つ。真琴は慌てて音量を下げた。
これがパチンコ屋……。
本物のパチンコ屋もこんな、なんというか落ち着かない雰囲気なんだろうか……。
真琴は、たくさん並んでいるパチンコ台の前、客と思われるキャラのひとりに話しかける。
『うひょ~。止まらねえ~』
……どうやらこの客も勝っているようだ。真琴は別のキャラにも次々と話しかけてみる。
『すげえ……サイコーだ』
『……ブツブツ』
『いけっ! いけっ! ……よしっ!』
よく分からないな……。ホントに私にできるんだろうか?
真琴は空いている台の前に「まこと」を立たせてボタンを押す。
【CRプラスチック・エデン】
プレイしますか?
・はい
・いいえ
なんでもいいか。とりあえず「はい」だ。
画面に「ダウンロード中」の表示が出る。
……ん、長いな。これ、カレン本体やカレコレよりよっぽど重いんじゃないの?
ゆっくりと進むダウンロードの表示を見て真琴はそんなことを考えた。
「島田くん……これ、けっこう重いね」
「そうみたいだな」
島田くんもダウンロード中みたいだ。
待つあいだに真琴は島田にパチンコのやり方を尋ねた。
……なんだ。なにもしなくていいってことじゃないか……。
それが真琴の感想だった。
どうやら玉を打ち出すハンドルを回して、ちょうど左上あたりに玉を打ち続ければいいらしい。
場合によっては当たったときに右に打たなきゃいけないみたいだけど、そのときは台が右に打てと言うらしい。
本物のパチンコもそうなのか?
楽しいのか? ……それは。
そうしてダウンロードが終わり、画面はパチンコ台を映す。
……なんかイメージと違うな。
思ったより洒落た雰囲気だ。
「方向キーで打ち出す強さを変えられるらしい。だからまずは右だ」
「あ、うん。分かった」
そう答えはしたものの、真琴はそのまま画面を見ていた。すると映画の予告編のようなものが始まった。
画面がパチンコ台に替わってから店内の騒音が消えていたので真琴は携帯の音量を戻す。
〝西暦2021年、国連は太平洋の中央に永世中立の「エデン共和国」を建国した。日本からやってきたテルユキは、入国したその日にマリーと出会う……〟
そんな文章が流れていく。背景には群青の海にポツンと浮かぶ正方形の島が描かれていた。
え……と、これ、パチンコ……でしょ?
パチンコってほら、数字が揃えば当たりってヤツでしょ? 違うの?
なんでこんな……SFみたいな物語が紹介されてんの?
「……これ、始めていいの?」
「ん? なに? デモ画面見てんの? いいよそんなの。早く始めろよ、時間がもったいない」
「そう……なんだ」
デモ画面……物語の紹介はまだ続いていたが、島田に促されたので真琴は右の方向キーを押す。するとパチンコ玉が打ち出され始めた。
「これ、なにがどうなったらいいの?」
「ああ、台のちょうど真ん中辺りに玉が入るところ、入賞口があるんだ。そこに入ると画面の数字が回る。あとは当たるのを待つだけ」
「ふ~ん」
真琴は画面の中央の入賞口……と思われる部分を見つめる。
……あ、入った。
軽快な音楽と共に画面の図柄が回りだす。
カレコレとは段違いの音質……。やけに本格的だな、これ。
次々と入賞口に玉が入る。そのたびに画面……パチンコ台の中の画面の下に、黒い携帯電話のような小さいマークが増えていく。
「島田くん、下のこの……携帯みたいなの……なに?」
「ああ、それは保留だよ」
「……保留?」
「うん。これは4個まで貯まるみたいだな」
これもまた真琴にはよく分からなかったが、1フレーズの音楽が終わると同時に図柄が283で止まり、再び動き始めたときに携帯電話のマークがひとつ減ったのを見て仕組みを理解した。
ああ、なるほど、4回分なんだ。
そうしておよそ10回転……。真琴が「ほんとに何もしなくていいんだ」と思い始めたとき、画面に人物の絵とセリフが表示された。
【テルユキ】
ほんとに20時間なんですか?
【マリー】
ええ、エデンの大切な理念ですから
……なんだ? どうしたらいいんだ?
「島田くん。なんかセリフが出たよ」
「放っといていいよ」
そうなのか。しかしこのセリフ、意味ありげだけどなんの脈絡もないし、なんのことを言ってるのかサッパリだ。
それからもしばらく、数回に一度の割合で画面に変化があった。
【テルユキ】
山があるんですか? エデンに
【リリィ】
ええ、2000m級の立派な山よ
「…………。」
【ヨウイチ】
知らないの? こいつフラれたんだよ
【ハオラン】
そうなのか? あんなに仲がよかったのに
……やっぱりサッパリ分からない。分からないけど、なにかちゃんとした物語がベースにあることは判る。
どんなお話なんだろう?
あ、そうだ、おカネ……おカネはどうなって…
「あ……」
真琴は画面の上、そこに小さく「¥」の表示を見つけた。数字は小刻みに変動している。
「島田くん。これ……おカネはどうなってんの?」
「1玉4円」
「え?」
「俺たちが1発打つたびに4円減ってるんだよ、これ。今は清川が増やしてっから、まだ全体では増えていってるけどな」
「それって、ホントのパチンコも同じなの?」
「ええと、うん。ギャンブルとしてのレートは同じだな。まあ、今は1円パチンコ……1玉1円のやつの方が多いのかな?」
「そうなんだ。でも、このペースで4円ずつ減ってったら……けっこう……」
「ああ、たぶん1時間で2ま」
そのとき、真琴の携帯が「ピコーン」と異質な音を立てた。
なんだろうと思って画面に目を戻すと、保留マークの最後、その色が赤かった。
「島田くん、この保留ってヤツ、赤いのが出たよ」
「お、当たるかもな、それ」
赤いと当たるのか? ホントに運まかせだな。
玉は自動でどんどん打ち出されるから、ただ見てるだけ……。何にもしてない。
そうしてその赤い保留の順番が来るまでの3回転は、回転が始まるたびに上から星が降ってきた。
緑の星……緑の星……そして赤の星。
豪華なシャンデリアを揺らしたようなキラキラした音と共に無数の星が降る。
よく分からないけど、赤の順番が来たときに何か起こる……。それが真琴にも理解できた。
そしていよいよ赤の番が来た。
回転開始と同時に上から降る星は赤……。そして、何か分からないけど画面の上下にある仕掛けみたいなものがガタガタ揺れた。
と思ったら、その仕掛けが眩しい光と甲高い音を伴って画面の中央で合わさった。
正方形の……これは、島……か?
そして仕掛けが元の場所に納まると、画面には人物とセリフが表示される。
【グレン】
国防を任せる? ミサキにか?
【ジン】
ああ、適任だろ?
今までのセリフより一層意味深げだ。それにセリフの色が……赤い。
これ、もしかして……当たったの?
「島田くん、なんか……にぎやかな感じだけど、これ、当たったの?」
「まだまだ、当たるかも……だ」
当たってないのか。あ、そうか、数字が揃ったときが当たりなんだった。
でも、この大袈裟なカンジは……当たるんじゃないのかな……。
やがて図柄、数字が止まり始める。
左が……6。右が……6。
『リーチです』
初めて声がした。そうか、これでやっとリーチなのか……。
中央の数字が一旦停止しながらゆっくりスクロールする。
3…4……5……。
6で止まれば当たりだ。真琴は「止まれ」と念じる。
……6。止まった……。
って、あれ? ……7……8……
外れた……。いや、止まらない。それどころか、なんだか回転が速くなった。
そこで画面は一度真っ白になったあとで暗転し、画面中央に文字を映す。
再 会
なに? 当たってないの?
そもそも画面から数字が消えてるし……。
文字が消えると、扉が開くように画面に縦の光が走り、広がっていく。
ん……んん? なんだ? 今度は……。
画面は物語のワンシーンのような絵に切り替わった。
空には何個ものライトがあり、昼間の明るさだ。
そして空に向かって太い六角形の柱が何本も伸びている。
幻想的なメロディーと共に絵が切り替わっていく。
よく見ると画面の右上に小さな枠があり、なにか書いてある。
文字があまりに小さいので真琴は画面に目を近付けた。
〝マリーと再会できれば大当たり!〟
…………。
つまり、この物語の「テルユキ」という人が、なんでか知らないけど「マリー」を探していて、再会できればいいらしい。
「お、なんかアツそうだな。そのリーチ」
アツそうってなによ。当たりそうってこと?
島田くんの様子だと、特に珍しいものを見ている風じゃない。ということは、本物のパチンコもこんなカンジなんだ。……きっと。
そして画面は次々と近未来的な町並みを映しながら進み、物語の「テルユキ」という人はひとつの家の玄関の前に立つ。
『ここだ……』
ここなのか。……よく分からないけど。
そして「テルユキ」がインターホンを押すと玄関が開いた。黒人女性が顔を出す。
ええと……。この人は「マリー」じゃない……よな。
『ええと、どちらさま?』
『あの僕、ジンさんに言われてここに……』
画面は黒人女性の肩越し……廊下の奥をズームアップする。「ドクン…ドクン…」という効果音が、今がまさにクライマックスだと語る。
そして画面は一旦停止する。
……ああもう、もったいぶりすぎなんじゃないの? あんまりにも。
焦れながらも真琴は心の中で「これだけ大袈裟なんだから当たるのかな」と思っていた。
なんだろ、この、じれったいけどワクワクしたカンジは……。
そして画面は動き、ズームアップされた先に黒人の男の子が現れた。画面に数字が浮かび上がる。
676って……え? なに? もしかして、外れたの?
「あ~あ、惜しかったな」
「……これ、外れたんだ……」
「そうだよ」
「なにが悪かったの? わたし」
真面目な顔で言う真琴を見て島田が愉快そうに笑う。
「いや、古川は何も悪くないよ。はじめっから当たってなかった。それだけだ」
「あんなに思わせぶりに……外れるんだ」
「そんなもんだよ」
……そんなもの、か。
まあ、なにもしてない……。ただ見てるだけなんだから、どうすればよかったかなんて愚問、的外れなんだ。
それにしても無駄に本格的すぎるような気がするな……。このパチンコ。
本物のパチンコがどうであれ、この、カレコレのパチンコは……かなり手が込んでる。
物語もなんだか気になるし……。というか、なんとなく物語の輪郭が見えてきたような気がする。
そうしてしばらく画面を見つめていると、再び赤い色の保留が来た。
……こんどは当たるかな。
その赤い保留の順番が来たとき、例によって人物とセリフが表示された。
【グレン】
ミサキと引き逢わせるのか? ミアを
【ジン】
ああ、「いつでもいいよ」だそうだ
【グレン】
叡智の融合……だな
うん? なんだか……もの凄くスケールの大きな話みたいだ。
さっきからこの「ジン」という人と「グレン」という人は物語の裏側のような会話をしてる。
そして最後のセリフの色……これは、金色……か?
「お、今度こそ当たるかもな」
「え……う、うん」
そしてさっきのリーチと同じように、派手な音と共に仕掛けが出てきて真ん中に四角い島を作る。
そしてそれが開いたとき、画面には大きな月を背にして微笑む青い瞳の女性が映し出されていた。
うん、たしかこの人が……「マリー」だ。
「うお、なんだそれ。丸パクりじゃん」
「え? なんのこと?」
「いや、そっくりな演出があるんだよ。本物のパチンコに」
「へえ……そうなんだ」
そして次に、画面は青い風景を映す。
これは……夜の公園か?
黒い携帯電話を握りしめる大きな手……。画面右上の枠には「想いは伝わるのか?」と書かれている。
ん? 携帯から何か取り外した……。これは……イヤホン?
ああ、携帯電話だと思ってたのは音楽プレイヤーなんだ。
画面の中、イヤホンを持つ手が左に流れる。そして白く細い手がそれを受け取った。
いつの間にか流れ始めたロックバラードのような洋楽が段々と音量を増し、画面は空……満月を映す。
「テルユキ」っていう人の隣に「マリー」がいるんだ、今。
そして満月の蒼がモノクロに変わり、音が停止する。
〝 ツキガ…… 〟
ん? なんだ?
〝 ツキガキレイデスネ 〟
白抜きの片仮名が刻まれた刹那に仕掛けが閉じた。
画面は七色に光っている。そして突き抜けるような高い音……。
なに? なによ今度は。
画面いっぱいに弾ける無数の星と共に仕掛けが開くと、そこには潤んだ瞳で優しく微笑む「マリー」がいた。
『ふふ、さあ帰りましょう、テルユキさん』
洋楽はサビを奏で、ゆっくり数字が浮かび上がる。
……777。画面は全部のライトが点いたかのように眩しい。
そして現れた「大当たり」の文字……。
『右打ち、ですよ』
「…………。」
「お? おお古川、右打ちだ」
「これ……今度は当たったんだね?」
「そうそう、当たり。あとはずっと右に打ってればいい」
「うん、わかった」
真琴は右の方向キーを押して玉を右側に打つ。
ホントに当たった……。うわ……どんどんおカネが増えてく。
それからすぐに島田も当たり、チームつるぺたは3人総掛かりでお金を増やし続けた。
そして午前0時、カレコレの終了時刻がきて画面は「セーブ中」になった。
チームのお金「¥」は187,688円になっていた。
「……勝ったね。ホントに」
「うん、上出来だ」
「ね、このパチンコ台、ほんとにあるの?」
「いや、聞いたことないな」
「でも、なんかリアルなんじゃない? 無駄に」
「うん。もしかしたら俺が知らないだけで、ホントにあるのかも」
真琴は大当たりを続けながらたくさんの演出……物語のエピソードを見て、この「プラスチック・エデン」というストーリーの全体像をほぼ理解した。
物語との出会い方という点では、入ってくる情報の順序がまるでデタラメ……今までに経験したことのない類いのものだったが、登場人物への感情移入という点ではかなり惹きつけられるものがあった。
小説とも映画とも違う、ひとつのメディア……。真琴は初めて接したパチンコにそんな印象を受けた。
本物のパチンコをしてる人たちはどうなんだろう……。
試しに島田に尋ねてみると、島田は「誰もそんなこと考えてないよ」と即答したあとで「いや……」と言い、そして「そういえばパチンコで採り上げられて原作のブームが再燃するパターン……多いよな、意外と」と改めた。
どうやら今、パチンコはそういう商売になっているようだ。
真琴はこれまで全く関心を持たず、むしろ嫌悪を抱いていたパチンコ産業のひとつの側面に触れて新鮮な思いがした。
「でもな古川、所詮パチンコはギャンブル……。どんなに上手く立ち回っても健全なものにはならないよ」
「え? うん。分かってるよ。なんでそんなこと言うの?」
「だってお前、今、パチンコも悪くないなって顔してたぞ」
「あ、バレた?」
「ま、気晴らしにはなったろ?」
「うん、そうだね。面白かった。でも、これがホントのおカネだったら……ヤバいね」
「うん、ヤバい。あ、そうだ。カレコレタイムも終わったから、ちょっと掲示板見てみようか。みんながどんな状況なのか」
「うん、そうだね」
二人はカレン掲示板を開いて情報を漁る。
ん? また炎上してそうな掲示板がある。
〝アプ研、やっぱり運営とグルだった!〟
……え? なんでまたアプ研が槍玉に挙げられてんの?
「古川」
「ん?」
「さっきのパチンコのストーリー、どうも広大のアプ研っていうサークルが作ったノベルゲームが原作らしいぞ」
ああ、そういうことか。
……って、どういうことだ?
真琴は目下炎上中のその板を開いた。
〝アプ研、やっぱり運営とグルだった!〟
1)10/2/0:12
カレコレのパチンコってアプ研が作ったんじゃね?
アプ研が出したゲームだぞ、プラスチック・エデン
2)10/2/0:18
それをこの時間に立ちあげるお前はなんだ?
3)10/2/0:21
いやそれは……察しろよ
4)10/2/0:23
勝ったんだな?
5)10/2/0:24
ああ。よくできたもんだ
いや、問題はそこじゃねえ、アプ研だ
どういうことだよ、これ
6)10/2/0:28
なにあれアプ研が作ったの?
7)10/2/0:31
いや、あのパチンコの原作っていうのかな、「プラスチック・エデン」ていう話がもともとアプ研のゲームなんだよ。
8)10/2/0:33
ホントかよ
9)10/2/0:34
マジだって。
普通にアプリマーケットにあるぞ。
10)10/2/0:35
パチンコ、スゲーよくできてんじゃん
あんなのアプ研にはつくれねえよ
11)10/2/0:37
じゃあなんだよ
運営が勝手にタイアップしたってのか?
12)10/2/0:39
わかんねえ
13)10/2/0:39
ホントにあった
あらすじ見たけどマジで原作っぽいな
14)10/2/0:41
だろ?
もう真っ黒だろ、アプ研
15)10/2/0:41
マジだった……
結局アプ研が犯人かよ
16)10/2/0:44
ゲームの方だけ見た。
これがパチンコになってんの? カレコレで。
17)10/2/0:45
待て待て、今回は慎重にいこう。
まずは警察だ。
「これ……が、なんで今になって炎上してんの?」
板の冒頭を読みながら真琴は、日付が1日前であることに気が付いた。
「カレコレ初日の時点で気付いた人が立ち上げてるけど、昨日の昼までは炎上してなかったみたいだ。昨日カレコレが閉じてから一斉に新しい板が立ったから埋もれてたんだな」
この板……。立ち上げられたのはカレコレ初日が終わってすぐ……。
つまりちょうど24時間前。もう丸1日経ってる。
前回……カレン騒動が始まったときのアプ研への追及が肩透かしに終わったからか、今回は静観……いや、先に警察に言おうという流れで一旦は落ち着いている。
そして板の中で昨日の午前中に警察に報告したという書き込みがあり、それによれば警察は「調べてみます」と言ったらしい。
警察の捜査待ち……。板はそういう雰囲気になっていたのだが、カレコレ2日目……パチンコ屋に行った沢山の人たちがパチンコの「CRプラスチック・エデン」と原作のゲーム「プラスチック・エデン」の同一性を確かめて、今になって炎上している。そんな状況だった。
「私……昨日の午後に警察に行ったのに……松下さん、何も言ってなかった……」
「松下って、刑事の名前?」
「……それにそのとき、まだ誰も消火器を見つけてないのは、まだ誰もお金を貯めてないからだって言ってた」
「うん? 古川?」
「でもホントはいっぱいいたんだよね。……昨日の時点でおカネ貯めた人」
「待て古川」
「パチンコに行った人はみんな勝ったんでしょ? だったら消火器を買うおカネなんて軽く越えた人達がいたはずなのに……。松下さんは……」
「おい古川」
「わたしに……隠したんだ……」
「それは違う」
「なにが……違うの?」
「警察まで疑ったらおしまいだ。たぶんこの件、昼の時点では警察にとって、沢山ある情報の中のひとつに過ぎなかったはずだ」
「……じゃ……誰もおカネが貯まってないっていうのは?」
ここで島田は視線を落とした。沈黙が降りたが、真琴はそのまま島田の答えを待つ。
「ここまで狙ってたのかは判らないけど……」
そう切り出して、島田は言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。
「昨日パチンコに行った人はみんな勝ってる。そして、玉が出続けてるパチンコを途中でやめたりはしない。だから……」
「……だから?」
「初日にパチンコで稼いでた人は、カレコレが終わる午前0時までパチンコ屋に釘付けにされてたんじゃないかな」
「でも、そんなのランキング見れば……あ、そうか」
「……うん。星と¥のランキングは今から6時間前、2日目のカレコレが始まると同時くらいに公開されたろ? だから警察もそれまでは、ガッポリ金を貯めたチームの存在を知らなかった」
「……うん。そうかもしれない……」
「あるいはそれを知った上で、『カネが貯まった状態で売店に行った人はまだいない』っていう意味で言ったんじゃないのか? とにかくあれだ古川、警察まで疑ったら信じるものがなくなる。……運営の罠じゃないか?これも」
「……計算できるものなの? そこまで」
「分からない。分からないけど、信じられるものがなくなったら、その先で待ってるのは運営だぞ。たぶん」
「…………。」
「古川、たぶん世の中には、純粋に憎める悪と、人を惹き付ける悪があるんだ」
「運営は……あとの方だね。明らかに」
「だから気を付けなきゃダメだ。もう一度よく考えろ、その刑事は信用できないヤツか?」
真琴の脳裏に、これまで接した松下の姿が浮かぶ。
そうだ、松下さんは信じていい。……信じなきゃ。
「ううん。すごく誠実な人だよ。その刑事さんは」
「だったら信じるんだ。なんなら直接問い質せばいいじゃんか」
「そっか。そうだよね。聞けばいいんだよね」
真琴の思考は束の間、松下から受け取った黒い携帯電話に飛ぶ。が、すぐに自分の携帯電話の画面に戻った。
そして板の最後……炎上の様子を見る。
板では原作……ゲーム版「プラスチック・エデン」の制作スタッフが実名で挙げられ学部や住所が晒されている。
現役……在学中の女子が多い。そしてプロデューサーは……あの無精髭の小暮先輩だ。
そこへ今、学生たちが押しかけようとしている。
真琴は小暮と電話番号を交換していたことを思い出し、反射的に電話をかける。
今まさに大変なのは……連絡すべきなのは……こっちだ。
携帯電話を持つ手に力が入り、呼び出し音と鼓動がシンクロする。
(……お前ってさ、大変なときに限って現れるよな)
繋がった……。
「小暮先輩、そっちは大丈夫なんですか?」
(……ま、あんまり大丈夫とは言えないな)
電話口の向こうに罵声が聞こえる。
どういう状況なんだろう……。
「押しかけて来てるんですね?」
(ああ……うん。でも、もう警察も来てる。俺たちは部屋に閉じこもってるよ)
「俺……たち?」
(そ。なんかヤバそうだったから、関係するヤツみんな俺んちに集めたんだ。なんとか間に合った)
そうか。それなら良かった。……ホントに。
「それは、なんというか……ファインプレーでしたね」
(まあな。でも、なんか埒が明かない感じだ。このまま朝になんじゃねえの?)
「……小暮先輩」
(ん?)
「濡れ衣なんですよね? アプ研は」
(当たり前だろ。なんだよ、お前まで疑って電話してきたのかよ?)
「いえ、そういうワケじゃ……」
(じゃあなんだよ。興味本位か?)
「いえ、ただ心配で……。その……女の子の名前も挙がってたから……」
(それなら大丈夫だ。ここに集まってる)
「はい、よかったです」
(それだけならもう切るぞ。じゃあな)
「あ……」
切られてしまった……。そりゃそうか。
大変なときに呑気に電話した私が悪いんだ。
それにしても、今の大学を覆う集団の心理は怖い。
匿名の界隈で起こった炎が、即座に実物の背中に火を着ける。
カレコレのせいで、ゲームと現実の間にあるはずの敷居が外されたみたいだ。
「……古川、誰にかけたんだ?」
思案顔の真琴に島田が尋ねる。
「え? ああゴメン。あのゲーム作ったアプ研の人」
真琴の返答に島田が首をかしげる。
「……なんでそんな人知ってんの? お前、パチンコのこともゲームのことも知らなかったじゃん」
「うん……」
真琴は、最初のアプ研騒ぎのときに小暮と知り合ったこと、そして小暮から聞いたアプ研の実態を島田に打ち明けた。
島田は神妙な面持ちで真琴の話を聞く。
やっぱり、いい気はしないよな。……あんまり。
話しながら真琴はどんどん申し訳ないような気持ちになっていった。
「……それで、なんで電話したんだ?」
「……え?」
「ただ心配だっただけか?」
「うん。女の子の実名も掲示板で出てたし……」
言いながら自分の言葉に違和感を覚える。
……違う。私……腹が立ったんだ。たぶん。
この、掲示板のノリそのままで短絡的に押しかけてる人たちに。
「古川は頭にきたんだよ。違う?」
「そうだね。でもバカだよね。なにができるわけでもないのにね」
口で言葉を発しながら、真琴の頭はこの事態の解決策を模索していた。
再び部屋に沈黙が訪れる。
そして真琴はひとつの案にたどり着いた。
「……島田くん」
「うん」
「聞いてくれる? 私の案」
「もちろん」
そう答える島田の顔にはやる気が満ちていた。
真琴は、アプ研を窮地から救うために思いついた策を島田に説明した。
島田は黙ってそれを聞く。
「……なるほどね、うん」
真琴の案を聞き終えて、島田はうなづいた。
「どうかな? ……これ」
「悪くはないんじゃないかな。……ちょっと考える」
島田は携帯電話を弄りながら思案する。
真琴は黙して島田の次の言葉を待った。
「うん。やろうよ、それ。リスクはゼロじゃないけど、直ちに悪いことは起こらないはずだ」
「危なくないかな?」
「たぶん大丈夫だよ。そもそも使うためにある特典なんだし。運営はアプ研のことなんて何とも思ってないだろうし。それに……」
「それに……なに?」
「あ、うん、いや……どのみち運営からみたら、もう既に古川は『目立つ存在』だと思うし……な」
そうか。そうかもしれないな……。
不自然な徳のことといい、警察と関わっていることといい、他にもいろいろと私の動きは「目立たない」という行動指針から外れている。
それに気付かない運営じゃないだろう。
でも、怖れるほどのリスク……デメリットは……たぶん、ない。
今から私がやろうとしているのは、運営が用意したシステム……ルールの範囲内での行動なんだから…。
「……じゃ、やるよ」
「うん、やるなら早い方がいい」
真琴は、徳が230を越えたときに追加されたメニュー「アンケートを実施する」を開く。
そしてアプリを操作して、実施するアンケートの内容を入力していく。
回答期限はアンケート開始から最低12時間以上の時間をとってください……か。
まあいい、これはたいした問題じゃない。
そしてアンケート内容の入力を終えると、次に未回答者の処遇を設定する画面が出てきた。
~ 未回答者への処遇を選んでください ~
□ なし
□ 業+10
□ 業+20
□ 業+30
□ 業+40
□ 業+50
□ 業の特典(500)執行
これは……穏やかじゃないな。あの性体験のアンケートも未回答者へのペナルティが設定されていたんだろうか?
たしか回答は必須となっていたけど、回答しないとどうなるかは書かれていなかったはず。
まあ……業が10増えるというペナルティでも、受けるダメージは人によってまちまちだろうけど。
ちょっと迷ってから、真琴は未回答者の処遇を「なし」にした。
そして「アンケートを開始する」というボタンをタップする。
それから2分ほど経って、真琴の、そして島田の携帯が相次いで例の不協和音を奏で、アンケートの開始を告げた。
真琴は自分が発したアンケート、そのお知らせを開く。
〝カレンユーザのみなさんにアンケートです。本アンケートは回答必須なので、必ず期限までに回答してください。回答期限は10月3日14:00です〟
【アプリ研究会はカレン運営に関係していると思いますか】
□ はい
□ いいえ
……うん、これでいい。これは全ユーザーへの問いだ。
カレンを介している以上、「はい」と答えるには多少なりとも覚悟が要るだろう。
ただのお祭り気分で騒ぎに加わってる人にその覚悟はない。そして、本心でアプ研を疑っている人なんて、ほんの一握りだろう。
真琴は自分が作ったアンケートに「いいえ」と答える。ご丁寧に確認画面が出たので、その画面の送信ボタンをタップすると
[送信されました]
というメッセージが表示された。
「……収まるかな? これで」
「たぶん騒ぎは収まるよ。このアンケートは集団心理で熱くなっちゃった人の頭に冷や水をぶっかけた。『お前は本当にアプ研が怪しいと思ってんのか?』ってね」
「そうだといいけど……」
「本当にアプ研を疑ってる人もいるだろうけど、そういう人たちも警戒して退いていくよ。アプ研の話は警察の捜査に任せようと思うはずだ」
「そう……かな……」
「古川」
「ん?」
「自覚はないだろうけど、ある意味……というか事情を知らない多くの人からすれば、古川は今、運営の一部になったようなもんだ」
「え?」
ズシリ……。真琴の胸に鈍い痛みが生まれた。
「だってそうだろ? 古川はひとりの1年生としてじゃなく、運営の威を借りて問いかけを発したんだ」
「……そうだね」
それきり真琴は黙りこむ。島田の言葉が意味するところ……それを咀嚼して、さらにその先に思考を巡らせる。
私が運営の……一部?
……でも『一部』って、もしかして集めれば『全部』になるんじゃないの?
島田の指摘は、これまでまったく見えぬ運営の姿……その大きさに怯えていた真琴の頭中に、ぼんやりと別の姿を想像させた。
「ま、心まで運営に染まらなければ問題ないよ。だからそんなに考え込むなよ」
「え? あ、うん……分かった」
島田の言葉が真琴の思考を中断させた。
そして同時に真琴の携帯が着信を告げる。
画面を見ると、電話をかけてきたのはアプ研の小暮だった。真琴はすぐに電話に出る。
「小暮先輩。どうなりましたか、そっちは」
(うん……。なんかあいつら、アンケート見てから急に静かになって、サーッと帰ってった。ホント、サーッと)
「じゃあ、騒ぎは収まったんですね?」
(ああ、あっという間にな。……なあ古川)
「はい」
(これ……お前がやったの?)
「……それは……内緒です」
(……そうか。……うん。まあ、いつか礼はするよ。ありがとな)
電話が切られた……。
でもよかった。どうやら狙いどおりの展開になったようだ。
「島田くん、収まったみたい。アプ研の騒ぎ」
「よし、狙いどおりだな」
「うん、よかった」
「さて、と。じゃ、そろそろ帰ろうかな」
「え……帰るの?」
「え……泊まるの?」
島田の返しに真琴はドキッとした。
いやいやいや、ダメダメダメ、まだまだまだ……。
急に落ち着きがなくなった真琴を見て島田が笑う。
「帰るよ。今日からは講義も始まるからな。ちゃんと寝とかないと」
「そうだね。わかった。明日……って言っても今日だけど、また3人で集まってカレコレすんの?」
「うん。どっちでもいいけど清川次第だな。でも、たぶん来るだろ、清川は」
「そうだね」
「古川、運営が仕掛けたこの陰気な祭りに清川みたいなキャラは貴重だよ。俺と古川だけでやってたら、たぶん暗くなる。せっかく……あ、いや……」
「うん、分かってる。理沙のキャラは、それだけで戦力だよ。ムードメーカーは欠かせない」
「そ、だからしばらくはチームつるぺたを第一に考えよう。気を使うようなヤツじゃないのが清川のいいところだし」
「……ホントにね」
「じゃ、帰る。おやすみ」
「うん、バイバイ」
真琴は玄関で島田を見送った。
夕方にシャワーを浴びたが、サッパリしたい気分だったのでもう一度シャワーを浴びることにした。
ぬるい湯を浴び、真琴は念入りに体を洗う。
それは油断をすれば自分に入り込み侵食しようとする運営の影を洗い流す儀式のようだった。
……自分は運営の一部なんかじゃない。
だが否定するほどに真琴の心の中、そこに運営が占める場所は大きくなっていくようだった。
そして真琴はシャワーのノズルをきつく締めながら、揺れていた心を定める。
呑み込まれないためには……運営を無視するんじゃない。そして逃げるんでもない。
ちゃんと向き合うんだ。……目を背けず、真っ向から。
気持ちに結末を付けてバスルームを出た真琴はパジャマを着て、タオルで髪を拭きながら携帯電話を手に取ってカレンを立ち上げる。
もうカレンの画面を見ても動じることはない。
このフザけた画面の向こうにいる運営の正体を突き止めてやる。
ただ、今はまだその時じゃない。それだけのことなんだ。
携帯電話を持ったままベッドに横になった真琴は、自分にそう言い聞かせながらカレンのアンケート……性体験に関するアンケートに回答した。
そして、この騒動が収束したあとに島田と二人で綴る物語を夢想しながら眠りについた。
新たに行けるようになったエリア……法学部に向かうチームつるぺたの足取りは重い。
……行きたくない。もうこれ以上心をかき乱されるだけの話を読みたくない。
なんでこんな思いをしなきゃいけないんだ……。
ん? 待てよ……。教授の自殺は20年くらい前の事実。そして女の子の件はまだ霧の中にある。
もし……もし女の子の件も事実だったとして、もし私がこの女の子だったら何を望むだろう……。
いや、何を支えに生きていくだろう……。
私だったら……。たとえ20年の時を経ても……運営に化けるかもしれない。それだけの暗い恨みと深い悲しみが植え付けられたはずだ。
うん、今までで一番運営に相応しいのは……この女の子だ。
この女の子が運営であったなら、私は心からは憎めないだろう。
島田くんはどう思うだろう。
「……島田くん」
「ん?」
「運営の正体ってさ……あの女の子なんじゃないかな」
「……女の子って、教授にやられた子?」
「うん」
島田が携帯から視線を外し、床を見つめて黙る。
やがておもむろに口を開いた。
「可能性は……あるよな」
「だよね、そうだよね」
「だけどな古川」
「なに?」
「運営に共感しちゃダメだ。古川の性格なら、おおかた……あの女の子が運営だったら無理もない、なんて思ってるんだろ?」
「え……」
的を射た島田の指摘に、真琴は言葉に詰まる。
「古川、それは危険だ。何があっても運営に心を寄せちゃダメだ」
「……でも、もしあの子だったら……」
「憎めない、だろ?」
「……うん」
「たぶんそれも運営の思惑……。まだ見ぬ運営に勝手に同情してどうすんだよ」
「だって……」
「あのな古川、世の犯罪者は、一部のサイコパスを除いて、たいてい何かしらの不幸な事情を抱えて犯罪を犯すんだぞ。犯人の不幸と俺たちの被害は分けて考えるんだ」
「それは……うん、解ってる」
「いや、まだ解ってない。俺が想像するに、正体はさておき運営はきっと古川が共感するに足るだけの悲運を纏ってる。だからたぶん、少なくない共感者に支えられてんだよ」
「あ……」
「解ったか? 運営の闇に共感しちゃったら古川、お前が運営に取り込まれる可能性もある。小さくないぞ、その可能性」
「……うん、そうだね。気をつける」
徳……。ここで真琴の脳裏に浮かんだワードは「徳」だった。
これまで業の厄災に注目が傾きがちだったけど、カレコレは業を減らす手段とは別に、徳を増やす方法も用意しているんだった。
たしか、法学部のステージで出現する、スターで食事をする食堂……。
そして松下刑事は言っていた。徳の高い協力者が、まるで自分が運営の一部になったみたいで怖いと言っていたと。
徳は……もしかしたら運営へのいざないなのかもしれない。
いきなり運営サイドに立つことには強い抵抗感がある。
だけど少しずつ、そう……ゆっくりと優しく手招きされたなら……。
やりきれない物語と醜い現実で乱された心にそっと処方箋を差し出されたら……。
「恐ろしいね……運営」
真琴はたくさんの思いを込めてそう言った。
「うん、恐ろしい。いまだに得体が知れないし、法律的なこと抜きにすれば善悪さえ判らない」
「どんだけのエネルギーがあればできるんだろ。こんなこと」
「繰り返しになるけど古川、お前が運営になっちゃダメなんだぞ。特に古川は……何かある」
「……うん。今さらだけど不気味だね、私の……徳」
「ホントに心当たりないのかよ」
「うん。けっこう考えたんだけど、私だけ特別なことなんてないよ。……やっぱり」
「古川だけ特別……か。まあ、俺には特別だけどな」
「え……」
真琴は島田を見た。その顔は、なんともいえぬ優しい……頼もしい笑みを湛えている。
「もう……恥ずかしいじゃん……」
そう言いながら、真琴は心の隅にズシリと重い違和感を感じた。
……なに? なんだ? これは。
なにか大事なことだ……。
それだけは分かる……けど、掴める気がしない。
自分の心なのに自分の心じゃないみたいだ。
そしてその何かは形にならぬまま鈍く消えた。
……なんだったんだろ、今の……。
「……どうした?」
「え? ううん、なんでもない。ちょっと疲れたかも」
「しょうがないよ。毒がありすぎるよな、カレコレは。でもまあ、次の話はまだマシだ。いくらかは」
「……どこに行ったらいいの?」
「法学部の講堂。講義中だけど1人だけ寝てるヤツがいる」
「分かった」
真琴は気を立て直して法学部に向かう。敵が出す問題は小6のものが多くなった。
もうすぐ「中1社会」なんてのが出てくるのかな……。
法学部の建物の間近まで差し掛かったとき、真琴は画面下の中央、ステータスの部分に異変を見つけた。
……え? なにこれ……。おカネが……減ってく?
「島田くん」
「どした?」
「なんか……おカネ……どんどん減ってく」
「……どれ」
島田は真琴の携帯画面を覗き込む。自分の携帯画面を見ないということは、島田くんはカレコレじゃなくてカレン掲示板を見てたのか……。
「あ、ホントだ。清川のヤツ、気使うフリしやがって……」
「なに? なんのこと?」
「これ……清川の仕業だよ」
「そうなの? なにしてんの? 理沙は」
「……パチンコ」
「は?」
「あいつ……これがやりたかっただけじゃん……」
「カレコレで……パチンコができんの?」
「うん。ほら、大学の敷地から北に行けたろ?北のギリギリのところにあるんだよ。パチンコ屋が」
「理沙……。やっぱり悪巧みしてたんだ」
「そうみたいだ。だいたいあいつらしくないもんな」
「うん、私も思った。なんかおかしいぞって。で、どうすんの? ……これ」
「う~ん……」
「…………。」
「放っとこう」
「……いいの?」
「うん。たぶん清川は……勝つ」
「勝つって……パチンコで?」
「そう」
「なんで……そう思うの?」
「なんとなく……だよ。でも、けっこう自信あるよ。まあ見とけよ」
自信ありげな島田の言葉に首をひねりながらも、真琴は話を進めるために「まこと」を法学部の建物に踏み込ませる。
ん……理学部のときと違う。理学部は建物に入ると横からのアングルに切り替わったのに、法学部内は外と同じ……上からのアングルだ。
これは……広そうだな。そういえば私、本物の法学部には入ったことないよな。あんまり。
これ、間取りも再現してるのかな。
真琴は廊下をウロウロしているキャラクターに話しかけてみた。
『ああ忙しい。今日も合コンだよ』
……それは忙しいというのか?
甚だ疑問だったが、このキャラクターはストーリーとは無関係のようなので放っておくことにした。
真琴は一つひとつ順番に部屋に入り確認していくが、部屋はどこも閑散としていて、講義中だという講堂にたどり着かない。
島田に講堂の場所を聞こうと思ったとき、先に島田の方が口を開いた。
「古川、パチンコ屋に行こう」
「……へ? なんで?」
「やっぱり勝てるんだよ。たぶん……今日までは」
「勝てるって……パチンコで?」
「うん、ステータス見てみろよ」
言われて真琴はステータスを見る。
おカネは相変わらずどんどん減って……
……いや、増えていってる。
さっきまでみるみる減っていたチームつるぺたの所持金「¥」の数値は、あらためて見ると増加に転じていた。
なにこれ……どんどん増えてく……。減るときのペースとは比べ物にならない、すごい勢いだ。
たしか私、26,000円くらいに減ったところまでは確認してた。
それが、いつの間にか34,000円を超えてる…。
「……これ、当てたってこと? 理沙が」
「そう。掲示板見ると、今んとこ勝った書き込みしかないんだ。意図的に勝たせてるんだよ、運営が」
「それは……。でも私はいいよ。遠慮しとく」
「なんで?」
「いや私、パチンコとかやったことないし」
「大丈夫、バカでも勝てる」
「……バカじゃないし」
「ん? でもカネは役に立つ。今のうちに稼いどこう」
「……進めた方がいいんじゃないの? 話を」
「進めるのは……そう、昼間に掲示板で調べて一気に進めた方が無駄がない。でもカネは……もしかしたら二度とないチャンスかもしれない。だろ?」
「島田くん。今わたし、頭ん中にウインドウが表示されてるよ……。『はい』と『いいえ』」
「いや、『はい』と『オッケー』しかない」
「それしかない……の?」
「そう。いきなり根詰めてイヤな話を読むことない。うさ晴らしだよ、今日の残り、えっと……2時間弱」
必ず勝てるという部分には半信半疑だったが、島田の言うことにも理はあると真琴は考えた。
たしかに気分転換が要るよな。理学部の話は重すぎた。
「分かった。じゃ……教えてよね、やり方」
「うん。ま、俺もほとんどゲーセンでしかやったことないんだけどね」
「……じゃあ行くよ。北の端だね?」
「うん。俺も行く」
二人はそれぞれパチンコ屋に向かう。
理沙は当たりを続けているらしく、今も所持金は増え続けていた。
もう40,000円超えた……。必ずっていうのが本当だったとして、3人みんな勝ったら2時間後にはいくらになるんだろ……。
目的地……パチンコ屋はヤケクソ気味にサイケな色彩で輝いていた。
いかがわしさ満載……。それが真琴の第一印象だった。店の前に店員らしきキャラがいる。
『いらっしゃいませ。世界初のリアルタイムぱちんこパーラーパーラーへようこそ!』
……リアルタイム……ぱちんこ? なにそれ。
島田に聞こうかと思ったが、どうせ分からないことだらけ、聞くのはあとでもいいと考えて真琴は店内に入る。
予想を裏切らない配色の店内に切り替わると同時に携帯電話が大音量のノイズを放つ。真琴は慌てて音量を下げた。
これがパチンコ屋……。
本物のパチンコ屋もこんな、なんというか落ち着かない雰囲気なんだろうか……。
真琴は、たくさん並んでいるパチンコ台の前、客と思われるキャラのひとりに話しかける。
『うひょ~。止まらねえ~』
……どうやらこの客も勝っているようだ。真琴は別のキャラにも次々と話しかけてみる。
『すげえ……サイコーだ』
『……ブツブツ』
『いけっ! いけっ! ……よしっ!』
よく分からないな……。ホントに私にできるんだろうか?
真琴は空いている台の前に「まこと」を立たせてボタンを押す。
【CRプラスチック・エデン】
プレイしますか?
・はい
・いいえ
なんでもいいか。とりあえず「はい」だ。
画面に「ダウンロード中」の表示が出る。
……ん、長いな。これ、カレン本体やカレコレよりよっぽど重いんじゃないの?
ゆっくりと進むダウンロードの表示を見て真琴はそんなことを考えた。
「島田くん……これ、けっこう重いね」
「そうみたいだな」
島田くんもダウンロード中みたいだ。
待つあいだに真琴は島田にパチンコのやり方を尋ねた。
……なんだ。なにもしなくていいってことじゃないか……。
それが真琴の感想だった。
どうやら玉を打ち出すハンドルを回して、ちょうど左上あたりに玉を打ち続ければいいらしい。
場合によっては当たったときに右に打たなきゃいけないみたいだけど、そのときは台が右に打てと言うらしい。
本物のパチンコもそうなのか?
楽しいのか? ……それは。
そうしてダウンロードが終わり、画面はパチンコ台を映す。
……なんかイメージと違うな。
思ったより洒落た雰囲気だ。
「方向キーで打ち出す強さを変えられるらしい。だからまずは右だ」
「あ、うん。分かった」
そう答えはしたものの、真琴はそのまま画面を見ていた。すると映画の予告編のようなものが始まった。
画面がパチンコ台に替わってから店内の騒音が消えていたので真琴は携帯の音量を戻す。
〝西暦2021年、国連は太平洋の中央に永世中立の「エデン共和国」を建国した。日本からやってきたテルユキは、入国したその日にマリーと出会う……〟
そんな文章が流れていく。背景には群青の海にポツンと浮かぶ正方形の島が描かれていた。
え……と、これ、パチンコ……でしょ?
パチンコってほら、数字が揃えば当たりってヤツでしょ? 違うの?
なんでこんな……SFみたいな物語が紹介されてんの?
「……これ、始めていいの?」
「ん? なに? デモ画面見てんの? いいよそんなの。早く始めろよ、時間がもったいない」
「そう……なんだ」
デモ画面……物語の紹介はまだ続いていたが、島田に促されたので真琴は右の方向キーを押す。するとパチンコ玉が打ち出され始めた。
「これ、なにがどうなったらいいの?」
「ああ、台のちょうど真ん中辺りに玉が入るところ、入賞口があるんだ。そこに入ると画面の数字が回る。あとは当たるのを待つだけ」
「ふ~ん」
真琴は画面の中央の入賞口……と思われる部分を見つめる。
……あ、入った。
軽快な音楽と共に画面の図柄が回りだす。
カレコレとは段違いの音質……。やけに本格的だな、これ。
次々と入賞口に玉が入る。そのたびに画面……パチンコ台の中の画面の下に、黒い携帯電話のような小さいマークが増えていく。
「島田くん、下のこの……携帯みたいなの……なに?」
「ああ、それは保留だよ」
「……保留?」
「うん。これは4個まで貯まるみたいだな」
これもまた真琴にはよく分からなかったが、1フレーズの音楽が終わると同時に図柄が283で止まり、再び動き始めたときに携帯電話のマークがひとつ減ったのを見て仕組みを理解した。
ああ、なるほど、4回分なんだ。
そうしておよそ10回転……。真琴が「ほんとに何もしなくていいんだ」と思い始めたとき、画面に人物の絵とセリフが表示された。
【テルユキ】
ほんとに20時間なんですか?
【マリー】
ええ、エデンの大切な理念ですから
……なんだ? どうしたらいいんだ?
「島田くん。なんかセリフが出たよ」
「放っといていいよ」
そうなのか。しかしこのセリフ、意味ありげだけどなんの脈絡もないし、なんのことを言ってるのかサッパリだ。
それからもしばらく、数回に一度の割合で画面に変化があった。
【テルユキ】
山があるんですか? エデンに
【リリィ】
ええ、2000m級の立派な山よ
「…………。」
【ヨウイチ】
知らないの? こいつフラれたんだよ
【ハオラン】
そうなのか? あんなに仲がよかったのに
……やっぱりサッパリ分からない。分からないけど、なにかちゃんとした物語がベースにあることは判る。
どんなお話なんだろう?
あ、そうだ、おカネ……おカネはどうなって…
「あ……」
真琴は画面の上、そこに小さく「¥」の表示を見つけた。数字は小刻みに変動している。
「島田くん。これ……おカネはどうなってんの?」
「1玉4円」
「え?」
「俺たちが1発打つたびに4円減ってるんだよ、これ。今は清川が増やしてっから、まだ全体では増えていってるけどな」
「それって、ホントのパチンコも同じなの?」
「ええと、うん。ギャンブルとしてのレートは同じだな。まあ、今は1円パチンコ……1玉1円のやつの方が多いのかな?」
「そうなんだ。でも、このペースで4円ずつ減ってったら……けっこう……」
「ああ、たぶん1時間で2ま」
そのとき、真琴の携帯が「ピコーン」と異質な音を立てた。
なんだろうと思って画面に目を戻すと、保留マークの最後、その色が赤かった。
「島田くん、この保留ってヤツ、赤いのが出たよ」
「お、当たるかもな、それ」
赤いと当たるのか? ホントに運まかせだな。
玉は自動でどんどん打ち出されるから、ただ見てるだけ……。何にもしてない。
そうしてその赤い保留の順番が来るまでの3回転は、回転が始まるたびに上から星が降ってきた。
緑の星……緑の星……そして赤の星。
豪華なシャンデリアを揺らしたようなキラキラした音と共に無数の星が降る。
よく分からないけど、赤の順番が来たときに何か起こる……。それが真琴にも理解できた。
そしていよいよ赤の番が来た。
回転開始と同時に上から降る星は赤……。そして、何か分からないけど画面の上下にある仕掛けみたいなものがガタガタ揺れた。
と思ったら、その仕掛けが眩しい光と甲高い音を伴って画面の中央で合わさった。
正方形の……これは、島……か?
そして仕掛けが元の場所に納まると、画面には人物とセリフが表示される。
【グレン】
国防を任せる? ミサキにか?
【ジン】
ああ、適任だろ?
今までのセリフより一層意味深げだ。それにセリフの色が……赤い。
これ、もしかして……当たったの?
「島田くん、なんか……にぎやかな感じだけど、これ、当たったの?」
「まだまだ、当たるかも……だ」
当たってないのか。あ、そうか、数字が揃ったときが当たりなんだった。
でも、この大袈裟なカンジは……当たるんじゃないのかな……。
やがて図柄、数字が止まり始める。
左が……6。右が……6。
『リーチです』
初めて声がした。そうか、これでやっとリーチなのか……。
中央の数字が一旦停止しながらゆっくりスクロールする。
3…4……5……。
6で止まれば当たりだ。真琴は「止まれ」と念じる。
……6。止まった……。
って、あれ? ……7……8……
外れた……。いや、止まらない。それどころか、なんだか回転が速くなった。
そこで画面は一度真っ白になったあとで暗転し、画面中央に文字を映す。
再 会
なに? 当たってないの?
そもそも画面から数字が消えてるし……。
文字が消えると、扉が開くように画面に縦の光が走り、広がっていく。
ん……んん? なんだ? 今度は……。
画面は物語のワンシーンのような絵に切り替わった。
空には何個ものライトがあり、昼間の明るさだ。
そして空に向かって太い六角形の柱が何本も伸びている。
幻想的なメロディーと共に絵が切り替わっていく。
よく見ると画面の右上に小さな枠があり、なにか書いてある。
文字があまりに小さいので真琴は画面に目を近付けた。
〝マリーと再会できれば大当たり!〟
…………。
つまり、この物語の「テルユキ」という人が、なんでか知らないけど「マリー」を探していて、再会できればいいらしい。
「お、なんかアツそうだな。そのリーチ」
アツそうってなによ。当たりそうってこと?
島田くんの様子だと、特に珍しいものを見ている風じゃない。ということは、本物のパチンコもこんなカンジなんだ。……きっと。
そして画面は次々と近未来的な町並みを映しながら進み、物語の「テルユキ」という人はひとつの家の玄関の前に立つ。
『ここだ……』
ここなのか。……よく分からないけど。
そして「テルユキ」がインターホンを押すと玄関が開いた。黒人女性が顔を出す。
ええと……。この人は「マリー」じゃない……よな。
『ええと、どちらさま?』
『あの僕、ジンさんに言われてここに……』
画面は黒人女性の肩越し……廊下の奥をズームアップする。「ドクン…ドクン…」という効果音が、今がまさにクライマックスだと語る。
そして画面は一旦停止する。
……ああもう、もったいぶりすぎなんじゃないの? あんまりにも。
焦れながらも真琴は心の中で「これだけ大袈裟なんだから当たるのかな」と思っていた。
なんだろ、この、じれったいけどワクワクしたカンジは……。
そして画面は動き、ズームアップされた先に黒人の男の子が現れた。画面に数字が浮かび上がる。
676って……え? なに? もしかして、外れたの?
「あ~あ、惜しかったな」
「……これ、外れたんだ……」
「そうだよ」
「なにが悪かったの? わたし」
真面目な顔で言う真琴を見て島田が愉快そうに笑う。
「いや、古川は何も悪くないよ。はじめっから当たってなかった。それだけだ」
「あんなに思わせぶりに……外れるんだ」
「そんなもんだよ」
……そんなもの、か。
まあ、なにもしてない……。ただ見てるだけなんだから、どうすればよかったかなんて愚問、的外れなんだ。
それにしても無駄に本格的すぎるような気がするな……。このパチンコ。
本物のパチンコがどうであれ、この、カレコレのパチンコは……かなり手が込んでる。
物語もなんだか気になるし……。というか、なんとなく物語の輪郭が見えてきたような気がする。
そうしてしばらく画面を見つめていると、再び赤い色の保留が来た。
……こんどは当たるかな。
その赤い保留の順番が来たとき、例によって人物とセリフが表示された。
【グレン】
ミサキと引き逢わせるのか? ミアを
【ジン】
ああ、「いつでもいいよ」だそうだ
【グレン】
叡智の融合……だな
うん? なんだか……もの凄くスケールの大きな話みたいだ。
さっきからこの「ジン」という人と「グレン」という人は物語の裏側のような会話をしてる。
そして最後のセリフの色……これは、金色……か?
「お、今度こそ当たるかもな」
「え……う、うん」
そしてさっきのリーチと同じように、派手な音と共に仕掛けが出てきて真ん中に四角い島を作る。
そしてそれが開いたとき、画面には大きな月を背にして微笑む青い瞳の女性が映し出されていた。
うん、たしかこの人が……「マリー」だ。
「うお、なんだそれ。丸パクりじゃん」
「え? なんのこと?」
「いや、そっくりな演出があるんだよ。本物のパチンコに」
「へえ……そうなんだ」
そして次に、画面は青い風景を映す。
これは……夜の公園か?
黒い携帯電話を握りしめる大きな手……。画面右上の枠には「想いは伝わるのか?」と書かれている。
ん? 携帯から何か取り外した……。これは……イヤホン?
ああ、携帯電話だと思ってたのは音楽プレイヤーなんだ。
画面の中、イヤホンを持つ手が左に流れる。そして白く細い手がそれを受け取った。
いつの間にか流れ始めたロックバラードのような洋楽が段々と音量を増し、画面は空……満月を映す。
「テルユキ」っていう人の隣に「マリー」がいるんだ、今。
そして満月の蒼がモノクロに変わり、音が停止する。
〝 ツキガ…… 〟
ん? なんだ?
〝 ツキガキレイデスネ 〟
白抜きの片仮名が刻まれた刹那に仕掛けが閉じた。
画面は七色に光っている。そして突き抜けるような高い音……。
なに? なによ今度は。
画面いっぱいに弾ける無数の星と共に仕掛けが開くと、そこには潤んだ瞳で優しく微笑む「マリー」がいた。
『ふふ、さあ帰りましょう、テルユキさん』
洋楽はサビを奏で、ゆっくり数字が浮かび上がる。
……777。画面は全部のライトが点いたかのように眩しい。
そして現れた「大当たり」の文字……。
『右打ち、ですよ』
「…………。」
「お? おお古川、右打ちだ」
「これ……今度は当たったんだね?」
「そうそう、当たり。あとはずっと右に打ってればいい」
「うん、わかった」
真琴は右の方向キーを押して玉を右側に打つ。
ホントに当たった……。うわ……どんどんおカネが増えてく。
それからすぐに島田も当たり、チームつるぺたは3人総掛かりでお金を増やし続けた。
そして午前0時、カレコレの終了時刻がきて画面は「セーブ中」になった。
チームのお金「¥」は187,688円になっていた。
「……勝ったね。ホントに」
「うん、上出来だ」
「ね、このパチンコ台、ほんとにあるの?」
「いや、聞いたことないな」
「でも、なんかリアルなんじゃない? 無駄に」
「うん。もしかしたら俺が知らないだけで、ホントにあるのかも」
真琴は大当たりを続けながらたくさんの演出……物語のエピソードを見て、この「プラスチック・エデン」というストーリーの全体像をほぼ理解した。
物語との出会い方という点では、入ってくる情報の順序がまるでデタラメ……今までに経験したことのない類いのものだったが、登場人物への感情移入という点ではかなり惹きつけられるものがあった。
小説とも映画とも違う、ひとつのメディア……。真琴は初めて接したパチンコにそんな印象を受けた。
本物のパチンコをしてる人たちはどうなんだろう……。
試しに島田に尋ねてみると、島田は「誰もそんなこと考えてないよ」と即答したあとで「いや……」と言い、そして「そういえばパチンコで採り上げられて原作のブームが再燃するパターン……多いよな、意外と」と改めた。
どうやら今、パチンコはそういう商売になっているようだ。
真琴はこれまで全く関心を持たず、むしろ嫌悪を抱いていたパチンコ産業のひとつの側面に触れて新鮮な思いがした。
「でもな古川、所詮パチンコはギャンブル……。どんなに上手く立ち回っても健全なものにはならないよ」
「え? うん。分かってるよ。なんでそんなこと言うの?」
「だってお前、今、パチンコも悪くないなって顔してたぞ」
「あ、バレた?」
「ま、気晴らしにはなったろ?」
「うん、そうだね。面白かった。でも、これがホントのおカネだったら……ヤバいね」
「うん、ヤバい。あ、そうだ。カレコレタイムも終わったから、ちょっと掲示板見てみようか。みんながどんな状況なのか」
「うん、そうだね」
二人はカレン掲示板を開いて情報を漁る。
ん? また炎上してそうな掲示板がある。
〝アプ研、やっぱり運営とグルだった!〟
……え? なんでまたアプ研が槍玉に挙げられてんの?
「古川」
「ん?」
「さっきのパチンコのストーリー、どうも広大のアプ研っていうサークルが作ったノベルゲームが原作らしいぞ」
ああ、そういうことか。
……って、どういうことだ?
真琴は目下炎上中のその板を開いた。
〝アプ研、やっぱり運営とグルだった!〟
1)10/2/0:12
カレコレのパチンコってアプ研が作ったんじゃね?
アプ研が出したゲームだぞ、プラスチック・エデン
2)10/2/0:18
それをこの時間に立ちあげるお前はなんだ?
3)10/2/0:21
いやそれは……察しろよ
4)10/2/0:23
勝ったんだな?
5)10/2/0:24
ああ。よくできたもんだ
いや、問題はそこじゃねえ、アプ研だ
どういうことだよ、これ
6)10/2/0:28
なにあれアプ研が作ったの?
7)10/2/0:31
いや、あのパチンコの原作っていうのかな、「プラスチック・エデン」ていう話がもともとアプ研のゲームなんだよ。
8)10/2/0:33
ホントかよ
9)10/2/0:34
マジだって。
普通にアプリマーケットにあるぞ。
10)10/2/0:35
パチンコ、スゲーよくできてんじゃん
あんなのアプ研にはつくれねえよ
11)10/2/0:37
じゃあなんだよ
運営が勝手にタイアップしたってのか?
12)10/2/0:39
わかんねえ
13)10/2/0:39
ホントにあった
あらすじ見たけどマジで原作っぽいな
14)10/2/0:41
だろ?
もう真っ黒だろ、アプ研
15)10/2/0:41
マジだった……
結局アプ研が犯人かよ
16)10/2/0:44
ゲームの方だけ見た。
これがパチンコになってんの? カレコレで。
17)10/2/0:45
待て待て、今回は慎重にいこう。
まずは警察だ。
「これ……が、なんで今になって炎上してんの?」
板の冒頭を読みながら真琴は、日付が1日前であることに気が付いた。
「カレコレ初日の時点で気付いた人が立ち上げてるけど、昨日の昼までは炎上してなかったみたいだ。昨日カレコレが閉じてから一斉に新しい板が立ったから埋もれてたんだな」
この板……。立ち上げられたのはカレコレ初日が終わってすぐ……。
つまりちょうど24時間前。もう丸1日経ってる。
前回……カレン騒動が始まったときのアプ研への追及が肩透かしに終わったからか、今回は静観……いや、先に警察に言おうという流れで一旦は落ち着いている。
そして板の中で昨日の午前中に警察に報告したという書き込みがあり、それによれば警察は「調べてみます」と言ったらしい。
警察の捜査待ち……。板はそういう雰囲気になっていたのだが、カレコレ2日目……パチンコ屋に行った沢山の人たちがパチンコの「CRプラスチック・エデン」と原作のゲーム「プラスチック・エデン」の同一性を確かめて、今になって炎上している。そんな状況だった。
「私……昨日の午後に警察に行ったのに……松下さん、何も言ってなかった……」
「松下って、刑事の名前?」
「……それにそのとき、まだ誰も消火器を見つけてないのは、まだ誰もお金を貯めてないからだって言ってた」
「うん? 古川?」
「でもホントはいっぱいいたんだよね。……昨日の時点でおカネ貯めた人」
「待て古川」
「パチンコに行った人はみんな勝ったんでしょ? だったら消火器を買うおカネなんて軽く越えた人達がいたはずなのに……。松下さんは……」
「おい古川」
「わたしに……隠したんだ……」
「それは違う」
「なにが……違うの?」
「警察まで疑ったらおしまいだ。たぶんこの件、昼の時点では警察にとって、沢山ある情報の中のひとつに過ぎなかったはずだ」
「……じゃ……誰もおカネが貯まってないっていうのは?」
ここで島田は視線を落とした。沈黙が降りたが、真琴はそのまま島田の答えを待つ。
「ここまで狙ってたのかは判らないけど……」
そう切り出して、島田は言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。
「昨日パチンコに行った人はみんな勝ってる。そして、玉が出続けてるパチンコを途中でやめたりはしない。だから……」
「……だから?」
「初日にパチンコで稼いでた人は、カレコレが終わる午前0時までパチンコ屋に釘付けにされてたんじゃないかな」
「でも、そんなのランキング見れば……あ、そうか」
「……うん。星と¥のランキングは今から6時間前、2日目のカレコレが始まると同時くらいに公開されたろ? だから警察もそれまでは、ガッポリ金を貯めたチームの存在を知らなかった」
「……うん。そうかもしれない……」
「あるいはそれを知った上で、『カネが貯まった状態で売店に行った人はまだいない』っていう意味で言ったんじゃないのか? とにかくあれだ古川、警察まで疑ったら信じるものがなくなる。……運営の罠じゃないか?これも」
「……計算できるものなの? そこまで」
「分からない。分からないけど、信じられるものがなくなったら、その先で待ってるのは運営だぞ。たぶん」
「…………。」
「古川、たぶん世の中には、純粋に憎める悪と、人を惹き付ける悪があるんだ」
「運営は……あとの方だね。明らかに」
「だから気を付けなきゃダメだ。もう一度よく考えろ、その刑事は信用できないヤツか?」
真琴の脳裏に、これまで接した松下の姿が浮かぶ。
そうだ、松下さんは信じていい。……信じなきゃ。
「ううん。すごく誠実な人だよ。その刑事さんは」
「だったら信じるんだ。なんなら直接問い質せばいいじゃんか」
「そっか。そうだよね。聞けばいいんだよね」
真琴の思考は束の間、松下から受け取った黒い携帯電話に飛ぶ。が、すぐに自分の携帯電話の画面に戻った。
そして板の最後……炎上の様子を見る。
板では原作……ゲーム版「プラスチック・エデン」の制作スタッフが実名で挙げられ学部や住所が晒されている。
現役……在学中の女子が多い。そしてプロデューサーは……あの無精髭の小暮先輩だ。
そこへ今、学生たちが押しかけようとしている。
真琴は小暮と電話番号を交換していたことを思い出し、反射的に電話をかける。
今まさに大変なのは……連絡すべきなのは……こっちだ。
携帯電話を持つ手に力が入り、呼び出し音と鼓動がシンクロする。
(……お前ってさ、大変なときに限って現れるよな)
繋がった……。
「小暮先輩、そっちは大丈夫なんですか?」
(……ま、あんまり大丈夫とは言えないな)
電話口の向こうに罵声が聞こえる。
どういう状況なんだろう……。
「押しかけて来てるんですね?」
(ああ……うん。でも、もう警察も来てる。俺たちは部屋に閉じこもってるよ)
「俺……たち?」
(そ。なんかヤバそうだったから、関係するヤツみんな俺んちに集めたんだ。なんとか間に合った)
そうか。それなら良かった。……ホントに。
「それは、なんというか……ファインプレーでしたね」
(まあな。でも、なんか埒が明かない感じだ。このまま朝になんじゃねえの?)
「……小暮先輩」
(ん?)
「濡れ衣なんですよね? アプ研は」
(当たり前だろ。なんだよ、お前まで疑って電話してきたのかよ?)
「いえ、そういうワケじゃ……」
(じゃあなんだよ。興味本位か?)
「いえ、ただ心配で……。その……女の子の名前も挙がってたから……」
(それなら大丈夫だ。ここに集まってる)
「はい、よかったです」
(それだけならもう切るぞ。じゃあな)
「あ……」
切られてしまった……。そりゃそうか。
大変なときに呑気に電話した私が悪いんだ。
それにしても、今の大学を覆う集団の心理は怖い。
匿名の界隈で起こった炎が、即座に実物の背中に火を着ける。
カレコレのせいで、ゲームと現実の間にあるはずの敷居が外されたみたいだ。
「……古川、誰にかけたんだ?」
思案顔の真琴に島田が尋ねる。
「え? ああゴメン。あのゲーム作ったアプ研の人」
真琴の返答に島田が首をかしげる。
「……なんでそんな人知ってんの? お前、パチンコのこともゲームのことも知らなかったじゃん」
「うん……」
真琴は、最初のアプ研騒ぎのときに小暮と知り合ったこと、そして小暮から聞いたアプ研の実態を島田に打ち明けた。
島田は神妙な面持ちで真琴の話を聞く。
やっぱり、いい気はしないよな。……あんまり。
話しながら真琴はどんどん申し訳ないような気持ちになっていった。
「……それで、なんで電話したんだ?」
「……え?」
「ただ心配だっただけか?」
「うん。女の子の実名も掲示板で出てたし……」
言いながら自分の言葉に違和感を覚える。
……違う。私……腹が立ったんだ。たぶん。
この、掲示板のノリそのままで短絡的に押しかけてる人たちに。
「古川は頭にきたんだよ。違う?」
「そうだね。でもバカだよね。なにができるわけでもないのにね」
口で言葉を発しながら、真琴の頭はこの事態の解決策を模索していた。
再び部屋に沈黙が訪れる。
そして真琴はひとつの案にたどり着いた。
「……島田くん」
「うん」
「聞いてくれる? 私の案」
「もちろん」
そう答える島田の顔にはやる気が満ちていた。
真琴は、アプ研を窮地から救うために思いついた策を島田に説明した。
島田は黙ってそれを聞く。
「……なるほどね、うん」
真琴の案を聞き終えて、島田はうなづいた。
「どうかな? ……これ」
「悪くはないんじゃないかな。……ちょっと考える」
島田は携帯電話を弄りながら思案する。
真琴は黙して島田の次の言葉を待った。
「うん。やろうよ、それ。リスクはゼロじゃないけど、直ちに悪いことは起こらないはずだ」
「危なくないかな?」
「たぶん大丈夫だよ。そもそも使うためにある特典なんだし。運営はアプ研のことなんて何とも思ってないだろうし。それに……」
「それに……なに?」
「あ、うん、いや……どのみち運営からみたら、もう既に古川は『目立つ存在』だと思うし……な」
そうか。そうかもしれないな……。
不自然な徳のことといい、警察と関わっていることといい、他にもいろいろと私の動きは「目立たない」という行動指針から外れている。
それに気付かない運営じゃないだろう。
でも、怖れるほどのリスク……デメリットは……たぶん、ない。
今から私がやろうとしているのは、運営が用意したシステム……ルールの範囲内での行動なんだから…。
「……じゃ、やるよ」
「うん、やるなら早い方がいい」
真琴は、徳が230を越えたときに追加されたメニュー「アンケートを実施する」を開く。
そしてアプリを操作して、実施するアンケートの内容を入力していく。
回答期限はアンケート開始から最低12時間以上の時間をとってください……か。
まあいい、これはたいした問題じゃない。
そしてアンケート内容の入力を終えると、次に未回答者の処遇を設定する画面が出てきた。
~ 未回答者への処遇を選んでください ~
□ なし
□ 業+10
□ 業+20
□ 業+30
□ 業+40
□ 業+50
□ 業の特典(500)執行
これは……穏やかじゃないな。あの性体験のアンケートも未回答者へのペナルティが設定されていたんだろうか?
たしか回答は必須となっていたけど、回答しないとどうなるかは書かれていなかったはず。
まあ……業が10増えるというペナルティでも、受けるダメージは人によってまちまちだろうけど。
ちょっと迷ってから、真琴は未回答者の処遇を「なし」にした。
そして「アンケートを開始する」というボタンをタップする。
それから2分ほど経って、真琴の、そして島田の携帯が相次いで例の不協和音を奏で、アンケートの開始を告げた。
真琴は自分が発したアンケート、そのお知らせを開く。
〝カレンユーザのみなさんにアンケートです。本アンケートは回答必須なので、必ず期限までに回答してください。回答期限は10月3日14:00です〟
【アプリ研究会はカレン運営に関係していると思いますか】
□ はい
□ いいえ
……うん、これでいい。これは全ユーザーへの問いだ。
カレンを介している以上、「はい」と答えるには多少なりとも覚悟が要るだろう。
ただのお祭り気分で騒ぎに加わってる人にその覚悟はない。そして、本心でアプ研を疑っている人なんて、ほんの一握りだろう。
真琴は自分が作ったアンケートに「いいえ」と答える。ご丁寧に確認画面が出たので、その画面の送信ボタンをタップすると
[送信されました]
というメッセージが表示された。
「……収まるかな? これで」
「たぶん騒ぎは収まるよ。このアンケートは集団心理で熱くなっちゃった人の頭に冷や水をぶっかけた。『お前は本当にアプ研が怪しいと思ってんのか?』ってね」
「そうだといいけど……」
「本当にアプ研を疑ってる人もいるだろうけど、そういう人たちも警戒して退いていくよ。アプ研の話は警察の捜査に任せようと思うはずだ」
「そう……かな……」
「古川」
「ん?」
「自覚はないだろうけど、ある意味……というか事情を知らない多くの人からすれば、古川は今、運営の一部になったようなもんだ」
「え?」
ズシリ……。真琴の胸に鈍い痛みが生まれた。
「だってそうだろ? 古川はひとりの1年生としてじゃなく、運営の威を借りて問いかけを発したんだ」
「……そうだね」
それきり真琴は黙りこむ。島田の言葉が意味するところ……それを咀嚼して、さらにその先に思考を巡らせる。
私が運営の……一部?
……でも『一部』って、もしかして集めれば『全部』になるんじゃないの?
島田の指摘は、これまでまったく見えぬ運営の姿……その大きさに怯えていた真琴の頭中に、ぼんやりと別の姿を想像させた。
「ま、心まで運営に染まらなければ問題ないよ。だからそんなに考え込むなよ」
「え? あ、うん……分かった」
島田の言葉が真琴の思考を中断させた。
そして同時に真琴の携帯が着信を告げる。
画面を見ると、電話をかけてきたのはアプ研の小暮だった。真琴はすぐに電話に出る。
「小暮先輩。どうなりましたか、そっちは」
(うん……。なんかあいつら、アンケート見てから急に静かになって、サーッと帰ってった。ホント、サーッと)
「じゃあ、騒ぎは収まったんですね?」
(ああ、あっという間にな。……なあ古川)
「はい」
(これ……お前がやったの?)
「……それは……内緒です」
(……そうか。……うん。まあ、いつか礼はするよ。ありがとな)
電話が切られた……。
でもよかった。どうやら狙いどおりの展開になったようだ。
「島田くん、収まったみたい。アプ研の騒ぎ」
「よし、狙いどおりだな」
「うん、よかった」
「さて、と。じゃ、そろそろ帰ろうかな」
「え……帰るの?」
「え……泊まるの?」
島田の返しに真琴はドキッとした。
いやいやいや、ダメダメダメ、まだまだまだ……。
急に落ち着きがなくなった真琴を見て島田が笑う。
「帰るよ。今日からは講義も始まるからな。ちゃんと寝とかないと」
「そうだね。わかった。明日……って言っても今日だけど、また3人で集まってカレコレすんの?」
「うん。どっちでもいいけど清川次第だな。でも、たぶん来るだろ、清川は」
「そうだね」
「古川、運営が仕掛けたこの陰気な祭りに清川みたいなキャラは貴重だよ。俺と古川だけでやってたら、たぶん暗くなる。せっかく……あ、いや……」
「うん、分かってる。理沙のキャラは、それだけで戦力だよ。ムードメーカーは欠かせない」
「そ、だからしばらくはチームつるぺたを第一に考えよう。気を使うようなヤツじゃないのが清川のいいところだし」
「……ホントにね」
「じゃ、帰る。おやすみ」
「うん、バイバイ」
真琴は玄関で島田を見送った。
夕方にシャワーを浴びたが、サッパリしたい気分だったのでもう一度シャワーを浴びることにした。
ぬるい湯を浴び、真琴は念入りに体を洗う。
それは油断をすれば自分に入り込み侵食しようとする運営の影を洗い流す儀式のようだった。
……自分は運営の一部なんかじゃない。
だが否定するほどに真琴の心の中、そこに運営が占める場所は大きくなっていくようだった。
そして真琴はシャワーのノズルをきつく締めながら、揺れていた心を定める。
呑み込まれないためには……運営を無視するんじゃない。そして逃げるんでもない。
ちゃんと向き合うんだ。……目を背けず、真っ向から。
気持ちに結末を付けてバスルームを出た真琴はパジャマを着て、タオルで髪を拭きながら携帯電話を手に取ってカレンを立ち上げる。
もうカレンの画面を見ても動じることはない。
このフザけた画面の向こうにいる運営の正体を突き止めてやる。
ただ、今はまだその時じゃない。それだけのことなんだ。
携帯電話を持ったままベッドに横になった真琴は、自分にそう言い聞かせながらカレンのアンケート……性体験に関するアンケートに回答した。
そして、この騒動が収束したあとに島田と二人で綴る物語を夢想しながら眠りについた。
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