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第二章 暗躍するもの

14 起案

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 週明け、眠い目を擦りながらも通常どおり登庁した加藤は、日課……日米6社の新聞の国際面に目を通す作業をしていた。

 立場上、国際記事はすべて把握している前提で話をされるので、特に日本の新聞については各社のスタンスにまで注意して読まなければならない。
 細部まで視るべきは国際面だけで他の部分は流し読みだから、慣れればそれほど苦にはならない。

 しかも今日は、あるニュースが経済面からはみ出してきていた。例の世界的IT企業のサーバが各国で軒並みダウンし、かなり大規模なデータ損失が認められ復旧の目処が立っていないというニュースだ。
 これをサイバーテロと断じている社もあるが、いずれにしても原因、目的ともに不明であると報じている。被害を受けたIT企業……ネット屋の公式発表では、データの流出は現在のところ認められないとのことだ。
 データの流出がないということは純粋にネット屋のみを標的にした攻撃ということだ。
 美咲の仕業……ちょっとだけ……か。

 まあ、公的機関でもないのに表裏様々な情報をかき集め、それを武器に政治にまで関与しようとしていたネット屋にはいい薬だろう。
 これを機に、いまや当たり前になったクラウドという仕組みに対しても、預けてよいデータとそうでないデータとを選別する方向にユーザーの意識も変わるかもしれない。だとすればそれは望ましいことだ。
 いずれにしてもこの件、もはや俺にとってはどうでもいいこと……。加藤はそう思っていた。
 ネット屋は途方もない補償を迫られるだろうが、第三者の被害が深刻にならないかぎりは美咲の好きにさせてやろう。……いい気味だ。


 それよりも……今はこっちだ。加藤は賛経新聞の国際面を大きく割いている記事をもう一度熟読した。
 国連事務総長の寄稿……かなりの長文だ。
 これが事務総長が先日に言っていた「呼びかけ」か……。
 加藤は外務大臣卓上に電話をかける。

(おう、おはよう)

「おはようございます。麻尾さん、今朝の賛経の記事、見ましたか?」

(ああ見たぞ。あいつ、わざわざ電話してきやがった。読め、とな)

 さすが友だち同士だ。お互いに要人であるのに意思疏通が気易い。このパイプはこれからも大きな武器になる。

「けっこう良い出来映えですよね……この文章」

(ああ。今年の国連はやりますよ、という意気込みがしっかり伝わってくる。檄文だ)

「そうですよね……。やる気が読み取れます。しかも……それなのに」

(ああ、結局なにが言いたいのか、さっぱり判らない。あいつは天才だよ。こういう、人を煙に巻くような文章を生み出す才能がある)

「しかも、世界中のメディアに送り付けたのに日本の寄稿先が賛経だけというのも粋ですね」

(ああ、わだかまりのあるところにあえて投げるところが計算高い。ああ、そうそう、お前のシナリオは4月1日にぶちまけるそうだ)

「え……それはホワイトハウスとも調整済みですか?」

(そうらしい。コードネームは『フロンティア』だそうだ。ホットラインは常に開けておけよ。お前がすべての中心だからな)

 フロンティア……。いいコードネームだ。
 若干独り歩きしているようだが、俺の身分はどうなるんだろう?

「いいネーミングですね。……それで、あの、私の身分はどうなるんですか?」

(4月1日付で国連に移す)

 国連職員になれというのか。
 完全にレールを外れるな。
 しかし、もう後戻りはできない。

「……分かりました」

(怖じ気づくなよ。風向きは悪くないんだ)

「そうですね。全力を尽くします」

(それはそうと、例のインターネット屋が攻撃されてるじゃないか。誰がやったか知らないがざまあみろ、だな)

「……ええ、そうですね」

 そうだ、俺には美咲もいるのだ。そもそもこの計画は美咲のためでもある。
 そして美咲自身の力……。まだ未知数だが、計り知れない力を手に入れていることは疑いようがない。
 それも含めて俺は今、強い追い風の中にいる。


 そこからは日が経つのが早かった。加藤の仕事はもともと国連の政策に関することが担当なので、「フロンティア」にかかる仕事をしていても特に怪しまれることはなかった。
 まあ「なんか最近、偉い人と話すことが多いな、課長」くらいには思われていたようだが……。

 岩崎と富永は、相変わらずちょくちょく家に殴り込んできては部屋を散らかし、好きなだけ騒いで帰っていった。
 ある時などは、加藤が帰宅するとなぜか勝手に二人で酒盛りをしていた。記憶にないのだが、どうやら以前、俺は富永くんに合鍵をあげたらしい。
 富永くんは「ぜったいに返しませんからね」と言っている。どうしたものか……。


 美咲は美咲で、ネット上での生活を満喫していた。

 とにかくネットに繋がれた全てのカメラが美咲の“目”になるようで、世界中どこにでも行けるらしいのだ。「身体とか、むしろ邪魔だし」とまで言っている。
 プログラミング言語が第一言語になってしまった美咲は、コミュニケーションをとるための携帯電話用アプリケーションを造り出し、生存を知る近しい人に配信した。「咲ちゃっと」と名付けられたそのアプリで、美咲は今でも三上くんのサポートを続けているようだ。……次期生徒会長となる三上くんの。

 ただ、加藤にとってこの「咲ちゃっと」は少々扱いに困る代物だった。
 使い勝手は抜群なのだが、なにしろインターフェイスが水色のクマの人形なので、はたから見ると携帯電話でクマの人形と疑似コミュニケーションをする残念な中年にしか見えないのだ。
 あまり職場でこれをやっていると、娘を亡くしたショックで遂に壊れたかと思われるだろう。


 結局、あっという間に一年の四半期が終わり、4月1日昼のニューヨーク、加藤は国連本部の記者会見場で事務総長の背中を見つめていた。

 さあ、世界の度肝を抜いてやれ……。
 加藤の熱い視線を背に、飄々とした雰囲気で王が第一声を放つ。

「えー皆さん、本日はわざわざお集まりいただいてありがとうございます。まず初めにお断りしておきますが、今から私が申し上げることは決して冗談ではありませんので、皆さんそのつもりでお願いします。……さて、先の大戦が70年以上前の出来事となりましたが、大戦以降現在までの間、私たちの先達が苦労に苦労を重ねて今があります。グローバルな視点でいえば未だ平和とは程遠い状態であることは否めませんが、外交然り、経済然り、また各国の内政も然りで、紆余曲折ありながら、今、という瞬間を享受していることに私たちはもっと先達に対し敬意を持たなければならないと個人的には考えています。そしてまさに今この瞬間、かの地に惨禍をもたらしている人たちにも、果たして何のために、どのような意思で自分が動かされているのかを今一度考えてもらいたいと切に思います」

 ここで事務総長が少し間を取る。
 ……よし、前置きは悪くない。何か大きな発表をするという雰囲気は出ている。
 加藤は強く拳を握る。

「今、大局的に世界は停滞しています。大国から小国まで、至るところ経済は疲弊し、領土問題は膠着し、永い伝統のある宗教は偏見を排除しきれずにいます。限りあるものを何者かが所有するという概念でいるかぎり世界は停滞を続け、いさかいは後を絶たないのではないかと私は思います」

 うん、悪くない……。いい具合に何を言ってるのか判らない。王さんの真骨頂だ。

「そこでこのたび国連は、国連直轄の永世中立国を太平洋に建設することにしました」

 会見場は一気に凍りついた。……ここでまた王が間を取る……。
 この間は大事だ。……大事だが、騒然となる前に次を言わなければ収集が付かなくなるおそれがある。
 王さん……。加藤の手に汗が滲む。

「……あの、事務総長……それは」
「効果についてはこの話を最後まで聞いてから各国に持ち帰って皆さんゆっくり考えてみてください。この計画は国連を主体とするスタートアップ事業です。経済的な効果もあるでしょうし、当然平和維持の効果も期待しています。新設国は共和国ですので君主は置かず、国民になるのは審査を受けて出資をした人たちになりますが、世界中から分け隔てなく募りたいと思います。また、この新設国の統治及び国内法の制定は国連に新設する第七委員会が行うものとし、そのための準備室を本日付で国連の日本支部に設置しました。えー紹介します、こちらが国連第七委員会準備室長のジン・カトウ氏です」

 紹介を受けて加藤は起立し、事務総長に代わって壇上につく。会場はざわついているが、まだ抑えが効いている。
 よし、これならいける。会場をゆっくり一瞥してから加藤は口を開く。

「只今事務総長から紹介いただきましたジン・カトウと申します。本日、国連の日本代表代行特使兼国連第七委員会準備室長を拝命いたしました。事務総長の説明を若干捕捉させていただきたいと思いますが、その前に個人的な想いを少し述べさせてください。私の母国である日本は、小国ながら世界でも指折りの先進国です。しかし他国の例に漏れず国内に問題は山積で、何より先進国の中でも国民の幸福度が著しく低く、自殺率は異常と言ってよい数値を誇示し続けています。ではどうすればよいのか、その答えはむしろ途上国と呼ばれる国々の中にこそあると私は考えています。国が富もうと、そこに住まう者が不幸ならばそれは失政と呼んで差し支えないと思うのです。もちろん日本国政府は国民の幸福を第一に考えて政治を行っていますが、元来の国民性やその他内外の様々な要因により、なかなか効を奏さない現状にあります。一方、世界において国と国との関係は、手を組むにしろ敵対するにしろ、利害をもって相対するのが現実です。そのしがらみの渦中にあって理想の国家を追求することは困難を極めます。また、今現在国民の幸福度が高いと評される国、あるいは反社会的組織の存在によって多くの不幸な難民を生んでいる国も、ただ現在の情勢下でそのような状態にあるのであって、たとえば百年後を保障するものはなく、理想国家のレシピを持ち合わせているわけではないと思います。事務総長の発案は、しがらみを排除した状態でそのレシピを作る試みです」

 今までは台本を書く側であったので、こんなに長々と喋る機会はあまりなかった。その場で考えて話すのではなく、原稿があるのだから気楽なものだ。
 肝要なのは話す速さと抑揚……今のところ聴衆は聞き入っているようだ。このままいこう。

「新設する国はゼロから……つまり国土そのものから建設する完全人工浮島の国です。広さは9万平方キロメートル、人口は概ね1千万人を予定しています。建設に要する莫大な費用は先ほど事務総長から説明がありましたとおり、原則として国民になろうとする人たちからの出資金で賄います。お預かりした出資金はIMFが当該新設国のためにのみ運用管理するものとして工事は世界各国で分担するので、世界経済を大いに活性化させるものと思います。これがまず第一の効果です」

 原稿に書いてあるのでそのとおり読み上げているが、期待する最初の効果は別にある。
 むしろそれが一番の狙いなのだ。曹操の北伐が戦乱の中国にもたらした効果……。
 上手くいくかはここ数日でおおよその答えが出るだろう。

「そして建国後、そこに住まうすべての国民が生きるよろこびを享受できるよう、国連第七委員会に叡智を結集して統治します。単純な民主主義ではなく、資本主義でもなく、社会主義とも共産主義とも異なる新しい国家を営み、そこで培われたものを世界にフィードバックします。つまり国民だけではなく、世界の共有財産として意義ある存在になればよいと考えています。本日はお知らせまでですが、近日中に第七委員会のスタッフを選出し、具体案を皆さんにお示ししたいと思っておりますので、とりあえず本日はこの話を聞くに留めてお持ち帰りいただき、質問は後日、第七委員会の正式発足の場でお願い致します。ご静聴ありがとうございました」

 会見は終わった……。

 記者陣営は、あまりに突拍子もない話を聞かされたためか、すぐには突っ込みどころを見つけられずにいるようだったので、これ幸いと加藤は事務総長と共にそそくさと会見場を後にした。
 後から国連本部に問合せが殺到したが、これに対しては事務総長が「第七委員会発足の会見でお尋ねください」と突っぱねるよう指示した。なかなか問い合せは止まなかったが、段取りどおり間を空けずホワイトハウスがこの計画への賛同と領海の提供を表明すると、問い合わせは一段落した。

 それから数日は、世界中がざわついていた。しかし、真っ向から非難する声はあがらなかった。
 難民と財政問題に喘ぐ西欧諸国は概ね好意的な反応を示し、ユーラシアの大国の片方は経済的な恩恵にすがりたいという態度を仄めかし、もう片方の大国は「検討に値する」と言ったきり沈黙した。
 そして何より、それまで活発に活動していた反社会的勢力が動きを止めたのだ。……よし、狙いどおりだ。

 建安12年……。中国における天下の趨勢が既に決し、覇道の残りを数えるだけとなっていた天下人を悩ませたのは、自軍内に生じた弛みや領内における賊の頻発などの身内の患いにより勢いが削がれて覇業が頓挫しつつあったことだ。
 そこで臣たる郭嘉が曹操に進言したのは、当時中国の北の国境であった万里の長城を越えて外敵を討伐することだった。

 曹操は既に中国の外を見据えている……。
 この北伐は緊張が弛んでいた自軍を再び震撼させるとともに、賊はもとより抵抗していた諸侯をも釘付けにし、皆が固唾を飲んで見ているほかないという状況を造り出した。
 つまり、北伐の成否そのものが重要なのではなく、この場合は「曹操が長城を越えて北に討って出た」ということが知れ渡った時点でほぼ目的を達したのだ。

 今回、世界平和の維持を責務とする国連が、平和を問義する際に単位となる「国」という概念に新たな意義を投げかけた。そして世界はひとまず成り行きを見守る方向に動いた。
 ……これで目的の半分は果たしたのだ、と加藤は思う。宇宙が広すぎて人類共通の注目の的としての求心力を持たなくなった現代、次なる場所は地球上に求めるほかにない。

 この計画の発表までの過程で、加藤は2つのわがままを通した。

 ひとつは日本の官僚という立場をとりあえず維持すること。国連の日本代表代行特使というのがそれだ。
 これは常駐ではなく外務省の要職なので、加藤は当面、日本での生活を続けることができる。

 もうひとつは、第七委員会の正式発足と同時に加藤は準備室長の任を解かれ、加藤自身は第七委員会には参加しないというものだ。
 これは、この壮大な計画が加藤の至極個人的な目論見を起点にしているということを悟られぬようにして、将来、終の棲み家として美咲と共に移住するのをスムーズにするためだ。

 まあこの理由は半分で、要するに加藤はもうしばらく日本に居たいし、いちばんの目的であった美咲の奪還は遂げてしまったので、新しい国のことは正直なところ、野にでも山にでもなれという気持ちだった。良いものができたなら美咲と住んでやろう……。その程度に思っていた。

 世界の反応が落ち着くまでニューヨークに滞在してから、大仕事を終えた加藤はひとり成田に凱旋し、麻尾に帰国の報告をする。

(おお帰ってきたか、お疲れさん。なかなか良い男に映ってたぞ)

「本当ですか? ……なんだか恥ずかしいもんですね、ああいうのは」

(まあ、これまでずっと裏方だったからな。これから先はどっちの道でも選べるぞ)

「私はやっぱり裏方が似合うようです」

(そんなことはないと思うがな……。まあ、案外と裏方の方が自分の思う仕事ができるというのが現実だ。それより、反応は上々じゃないか)

「ええ、そのようです。良かった」

(次の主戦場はサミットだな。急いで台本を書けよ)

「了解です」

(いや、冗談だ。お前は第七委員会の根回しに専念していい。今度の外相会議に台本は不要だ。俺のアドリブでいける)

 まあ、そうかもしれない。話題は国連の発案に集中するだろうし、まだ誰にも筋は見えない。
 むしろ当初から絡んでいる分だけ、麻尾がイニシアチブを握ることも可能だ。

「じゃあ、お任せでお願いします」

(分かった。まあ少し休むといい)

「ありがとうございます。では失礼します」

 加藤が電話を切ると、すぐに「咲ちゃっと」にメッセージが来た。このタイミング……。ネット屋からの電話を思い出す。

〝おかえりー〟

〝いやらしいタイミングだな。監視されているみたいだ〟

〝ごめんね、見えちゃうの。……ひひひ〟

 見えちゃう……のか……。いったい美咲はこの先どうなるんだろうか。

〝俺は疲れた。帰って寝る〟

〝わかった。……お父さん、カッコよかったよ〟

〝それはよかった〟

〝鼻毛さえ出てなければ完璧だったよ〟

〝なんだと〟

〝うそうそ、でも、再婚しちゃえばいいのに〟

〝どうしてそうなるんだ〟

〝えー、いい人だよ可奈子ちゃん。これを逃したらもうないよ、チャンス〟

〝大きなお世話だ。じゃあな〟

 加藤は携帯電話をポケットの底に押し込めた。

 程よい達成感と美咲の言葉で、いつになく温かいものが加藤の胸を満たしていた。
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