ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第二章 暗躍するもの

9 末席

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 誰か俺にパイプ椅子をくれ……。

 岩崎は鈍く輝く円卓を囲む高級椅子の一つに腰掛けていた。この背もたれ、頭よりも遥かに高い。
 こんな椅子の座りかたは教わったことがない。
 末席を汚すという言葉はどうやら俺のためにあったようだ。
 これもみんな署長のせい……いや、加藤のせいか。
 岩崎は一昨日の署長とのやり取りを思い出す。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆



「児童ポルノ規制の枠組みづくりに関する勉強会?」

 朝一番で署長室に呼ばれた岩崎は、署長がテーブルに置いた1枚の書類を見ていた。

「ああ、現場の声が聞きたいらしい。場所は永田町だ」

 書類の文面は署長の出席を求めている。

「大変ですね。署長ってのも」

「岩崎、代わりに出ろ」

「え? ……どうしてですか?」

「嫌だからだ」

「……え?」

「嫌だからだ」

「……署長、それは……」

「ん? ああ、しまった。建前を言うのを忘れていた。ええと岩崎、お前は若くて将来がある。定年間近の老いぼれが行くよりお前が行った方が実りがあると思ってな。いい機会だ、行ってこい」

「…………。」

「なんだその目は」

「……これ、何の会議なんですか?」

「会議の中身はあれだ。与党の現職議員が12人も児童買春をしていて、それが外資企業に感付かれていることへの善後策の検討だ」

「それは……かなりセンスを感じますね、この勉強会のネーミング。それで警察からは誰が出るんですか?」

 署長が言いづらそうにしている。岩崎は署長を睨んだ。

「警察からは、県本部長と……長官だ」

「……永田町からは?」

 責めるような岩崎の目に、ついに署長は目を閉じた。

「外務大臣と幹事長ということだが……おそらく非公式に総理も顔を出す」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 あのあと席に戻ってから、精一杯の笑顔で富永を手招きしたが、富永は書類が目に入るや否や、ダッシュで逃げていった。
 あの逃げ足は本能だった。……絶対に。



 円卓を囲む空気は重い。当たり前だが。
 総理の「じゃあ始めましょうか」という言葉を受けた幹事長に促され、警察庁長官が警察側の出席者を紹介する。

「私の隣が千羽県本部長の白井警視監、さらに隣が船川東署の岩崎警部です」

 幹事長が「前置きは抜きだ」と断った上で長官に問う。

「それで、誰なんだ? その12人は」

 苛立つ幹事長とは対照的に、長官は冷静に答える。

「それは申し上げられません」

「なんだって?」

「今後、捜査をすることになる可能性がある以上、現段階では申し上げられません」

「どのあたりの連中なんだ?」

「そうですね……。皆さん、それなりのポストにいます。一年生議員は一人もいません。すべて公になれば間違いなく政局問題になるかと」

「じゃあ、売春の元締めは誰なんだ? やっぱりヤクザだったのか?」

「それも申し上げられません。ただ、売春の関係者から漏れる可能性は低いかと」

「どうしてそう言い切れる」

「私が報告を受けている限りでは、今回の児童買春問題で客同士に繋がりはありません。そんな中で客の一人、船川にある建設会社の社長が見せしめで殺されました。船川の中学校近くという遺棄の場所、それに遺棄の方法もメッセージになっていたので関係者は間違いなく警告と受け止めたと思われます。これで関係者は全員、貝のように口を閉ざして、身動きせずにいます」

「船川の殺人? あれは確かヤクザの仕業だったろ? やっぱりヤクザ絡みじゃないか」

 ここで長官が本部長に「おい」と言った。
 さらに本部長が岩崎に「おい」と言う。
 コントみたいだ……。やっぱり富永を連れてくるんだった…。悔やみながら岩崎は仕方なく起立する。
 こんな椅子に座ったままで喋ることなどできない。

「殺された社長は売春の客の一人でした。たしかに殺したのはヤクザです。ですがこの件、社長とヤクザはもともと旧知で、ズブズブの関係でした」

「つまり……どういうことだ?」

「実行犯のヤクザは情を知らされぬまま、上からの命令で貴重な友だち……シノギ相手を泣く泣く殺したんです」

「それは確かなのか?」

「はい。通常、ヤクザの社会で上から金が降りてくることなどありませんが、今回の殺しでは、上から金が降りてます。ひとつのシノギを失う穴埋め、といったところです」

「じゃあ、上のヤクザを捕まえるのか?」

「それは……私には決定権がありません」

「そうか。……どうなんだ? 長官」

 岩崎は自分のターンが終わったのを確認し、大きく息を吐きながら着席した。
 バトンを受けた長官が答える。

「それはこの場で御判断を仰ぐしかありません。ヤクザの上の方を捕まえることはできますが、その前に考えるべきことがあるかと」

「売春の元締めがヤクザを仕向けたのか?」

「違います。まだ確証はありませんが、ヤクザを手配したのが、おそらく今回問題となっている外資のIT企業かと」

「ヤクザ側に、うちの議員が児童買春していた事実は抜けているのか?」

「抜けてません。おそらくは」

「……本当か?」

「IT企業は馬鹿ではありません。金を積んで殺しを依頼するのにわざわざその理由まで教えて自分の首を絞めたりはしないでしょう。もしヤクザに抜けているなら、このような検討の余地なく、関わった先生方には覚悟を決めていただくしかありません」

 ここで、ずっと目を閉じて話を聞いていた総理大臣が初めて口を開く。

「関係者からは抜けない、ヤクザは知らない。長官……その点、どの程度自信がありますか?」

「ほぼ間違いなく、です」

 長官の返答を聞いて総理は大きく背もたれに身体を預ける。その顔には安堵が浮かんでいた。

「じゃあ、案外わかりやすいじゃないですか。相手はそのIT企業ひとつに絞れるということです」

「……そうなります」

「それで今、IT企業との対話の窓口はどこにあるんですか?」

 これには麻尾外務大臣が受けた。

「二人いる。ひとりはうちの官僚、もうひとりは船川に住んでる中学生男子だ。そうだな? 岩崎警部」

「はい、そうです」


 岩崎は昨夜遅く、麻尾から電話を受けていた。
 話したこともない外務大臣からの電話に面食らったが、岩崎の連絡先は加藤から聞いたとのことだった。
 その電話で約束をして、岩崎はこの会議の1時間前に二人だけで麻尾と落ち合い、小部屋に入ってお互いが持つ情報を交換した。

 麻尾は「美咲塾」の実態を詳しくは知らなかったし、岩崎は加藤美咲の脳が人質になっていることを知らなかった。
 お互いに驚いたが、麻尾が舌を巻いたのは、加藤美咲が与党の中枢にいる人間を絡め取っていたことだった。
 岩崎も三上から聞かされた時には相当に驚き、同時に呆れたのを憶えている。

「麻尾さん。どうしてその窓口の二人はここにいないんだ?」

 幹事長がまた喋り出したので、麻尾大臣がとぼけた顔で答える。

「官僚の方は風邪を引いた。中学生は学校だ」

 ん……加藤は風邪を引いて休んでるのか?
 風邪くらいで休める会議ではないと思うが……ひどいのか?

「そもそも、みんなそいつらに嵌められたんだろ? 無理やりにでも呼ぶべきじゃなかったのか?」

 問題はそこじゃない……。
 岩崎はこの幹事長の資質を疑った。

「嵌められたんじゃなくてハメたんだろうが。幹事長、あんた法律を知ってるのか?」

「なに……を……」

 そう切り捨てたのは麻尾大臣だった。痛快だ。
 長官も笑いを押し殺している。立場は違えど、この麻尾さんという人は俺と同じ臭いがする……。
 昨日から岩崎はそう思っていた。

 それにしてもこの幹事長……。総理の手前とはいえ、首魁の美咲ちゃんが既に死んでいるのを知っていて、長官が議員の名を明かせないと言ったのをいいことに調子に乗りやがって……。
 あんたが一番の上客だったんだろうが。のっけから下手な猿芝居を見せやがって。
 この変態野郎……。口を滑らせてやろうか。

「まあまあ麻尾さん、今は話を進めましょう」

 とりなしたのは総理だった。
 そうだ、話を進めるべきなのだ。……今は。

「見据えるべき相手がIT企業ひとつに絞れるなら、窓口を麻尾さんに移したらどうかな? それと……岩崎警部」

「は、はいっ」

 いきなり総理に名を呼ばれてビックリした。
 ……帰ったら自慢しよう。

「今のところ、相手から何か要求は?」

 会議の前に麻尾さんから聞いた話では、案の定ネット屋は加藤に機密を漏らすよう迫っているらしいが……。
 岩崎はチラッと麻尾を見る。麻尾は両手で小さくバツを作っていた。

「今のところ……ありません。中学生の方には『しばらく様子をみてやる』というようなメールがあったらしいですが」

「そうですか……。じゃあ決まりだ。要求があるまで様子をみましょう。岩崎警部は一度、その中学生を麻尾さんに会わせて顔繋ぎをしておいてください。動きがあったら麻尾さんは私に報告を」

「了解しました」

 麻尾さんの目が「オッケー」と言っている。
 俺の答えは正解だったようだ。


「まあ最悪の場合でも、ブラウン大統領に助けてもらって、アメリカにいやらしい外交カードを1枚握らせるくらいで終わらせましょう。……しかし、それにしても気になりますね、その少女趣味の12人。長官、コソッと教えてくださいよ」

「いえ、申し上げられません」

「……まあ、私は知らない方がいいのかな?」

 暑くもないのに汗びっしょりの幹事長の顔が滑稽だった。
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