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第二章 暗躍するもの

6 業火

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 垢抜けない加藤の分身は時々うなづきながら、黙って富永の話を聞いている。
 少し俯いて遠くを見ながら……。そしてヒョロッとした体をゆっくり揺らしながら。
 ……富永はきっと、こんにゃくに話している気分だろう。

 富永の説明は上出来で、努めて淡々と事実だけを語った。
 赤いバッグの件と危険ドラッグの件、それと理科の先生の件を上手に省きながら。
 やっぱり富永は大したもんだ。
 さて、今度は坊主の番だ。

「救われました。ありがとうございます」

「……そう……なの?」

「はい、僕としては、ですが」

 ……おい加藤、お前この坊主に何を叩き込んだ?
 まるでクローンだぞ、こいつ。

「でも……そうですね。……赤いバッグはどうなったんですか?」

「え?」

 富永が詰まる。どうやら俺の出番みたいだ。
 しかし、こいつ……。

「なんのことだ? それは」

 坊主の目が、口を挟んだ岩崎を見上げてくる。
 あれ……。なんか急に胆が据わってないか?この坊主。

「いえ、知らないならいいんです。じゃあ……ええと、加藤さんの携帯は出てきてないんですね?」

「……そうだ」

「僕はたぶん、携帯がある場所を知ってます」

「なんだと?」

「僕は考えたんです。加藤さんが自殺した訳を」

「……言ってみろ」

 こいつは……加藤が敢えて踏み込まなかった場所に来ようというのか?

「初めは、きっと警察にバレたんだと思いました。加藤さんがやっていたことが明るみに出れば、困る人がいっぱいいますから」

「初めは……だと?」

「はい」

「じゃ、今は違うんだな」

「そうです。僕の考えでは、たしかに加藤さんは警察にバレていたかもしれませんが、それとは別に脅迫されたか、あるいは自殺をそそのかされた可能性があります」

 なんだ? どこまで行くんだこのニキビ面は。

「誰に……だ?」

「IT会社です」

 予想外の回答に岩崎は思案する。ニキビ面は岩崎から眼を逸らさない。
 やれやれ、こいつの考えは聴く必要があるようだ。
 しかし加藤、お前ちょっと残酷なんじゃないか?
 ……お前らしくもない。

「坊主の話は聴く価値がありそうだ。だがその前に、だ」

「その前に……なんですか?」

「お前さんは、そのSDカードのせいで、たった一晩で大火傷した。……違うか?」


 黒縁の奥にある少年の瞳は、瞬く間に涙で満たされた。


 緊張の糸を断ち切られて普通の中学生に戻った三上は背筋を伸ばしたまましゃくりあげながら、顔も隠さず泣き続ける。

「泣かせちゃいましたよ。どうするんですか」

「いや、あんまり痛々しかったからな。まずはこいつを救ってやるのが先だろう。違うか?」

「……そうですね」

「応急手当は任せる。落ち着いたら呼んでくれ。こいつも男だ、俺はいない方がいい」

「分かりました」

 取調べ室のドアを開けた岩崎は、部屋を出る前に富永にひとこと付け加える。

「ああそうだ、富永」

「はい」

「そいつのあだ名は『おとうさん』だそうだ」

 複雑な顔の富永を残して岩崎は部屋を出た。
 ドアを閉めても嗚咽が漏れ出る。刑事たちの冷ややかな眼が岩崎に集中していた。
 また課長が何かやらかした……。みんなの顔にはハッキリとそう書かれていた。

「……なんだ? 俺は悪くないぞ……今回は」

 言い訳しても無駄なので、岩崎は黙って刑事たちの視線を跳ね返しながら自席に戻る。

 殺された親父が美咲ちゃんの客だった……。
 それが因で殺された……か。
 黒縁メガネくんの殺された親父、三上俊一は持ち物を一切持っていなかったから、メガネくんが言ったことを裏付けるものは今のところ、ない。
 間違いないのは、逮捕したヤクザ……市木が殺したということだ。
 強い睡眠薬でわざわざ眠らせてから県境の山中で雪の中に放置して、優しく凍死させた……。
 その裏付けは取れている。
 動機については「酒を飲んでいてケンカになった」と言っているがこれは嘘……。実際は上からの命令だろう。
 そこを追及しているところだが市木は頑として語らない。
 優しい殺し方、そして見せしめのような遺棄……。
 メガネくんの話を聞くのはこれからだが、さっきの情報だけで市木側の事情はなんとなく判ってきた。
 岩崎は暴力犯係長を自席に呼んだ。

「……なんでしょう」

 係長の視線は冷たい。
 ……だから俺は悪くないんだよ。
 まあいい、用件は別だ。

「市木の動機に変わりはないな?」

「はい、まだ……」

「市木と三上は相当に親しかった可能性が高い。市木は泣きながら三上を殺したんだ。おそらくな」

「……そうなんですか?」

「ああ、今回の殺しで市木はヤクザ稼業に嫌気が差しているかもしれない。そこを突こう。もしかしたら上までいくぞ、この事件」

「分かりました」

 係長の眼から冷ややかさが消えた。

 ん……どうやらメガネくんも落ち着いたようだ。
 富永がドアを開けて手招きしている。
 よし、聞かせてもらおうか。若年寄の名推理を。


「落ち着いたか、坊主」

 ニキビ面のメガネくんは涙で洗ったようにスッキリした顔をしていた。
 そうだ、これでいい。

「はい、お騒がせしました。恥ずかしいです」

 岩崎は富永に目で合図する。始めろ……富永。

「ええと、それじゃあ聞かせて。その、おとうさんのお父さんが……って、これじゃおじいちゃんの話みたいね。変えよっか、呼び方」

「いえ、そのままでいいです」

「そう? それならいいけど……。それで、お父さんが殺されたのは美咲ちゃんの売春と関係があるのね?」

「はい、メールの記録によると、我慢しきれなくなった親父は始業式があった金曜日に、女子に直接会おうとして学校に来ています」

「……そうなの?」

「はい、それが最後のメールでした。相手の女子が誰だったのかまでは判りませんけど、たぶん親父は目当ての女子を見つけたんだと思います」

「うん」

「あとは想像なんですが、親父に見つかって関係の持続を迫られた女子は怖くなって、親父よりも親しくて連絡先を交換していた別の『先生』に助けを求めたんだと思います。……本当の先生とか親には言えませんから」

「それは確かに……ありそうね」

「先生……というか客の中には大企業の役員や国会議員もいましたので、たぶんヤクザを手配して親父を捕まえたんだと思います」

「国会議員って……本当に?」

「はい。SDカードには、国会議員だけで12枚の名刺データが入ってました。『一般』というフォルダに」

 一般……。最も報酬が高かったという組だ。
 なるほど代議士だったら納得だ。
 高級官僚の娘は伊達じゃない……か。

「……分かった。じゃあ次、美咲ちゃんが自殺した理由……。おとうさんはさっき、脅迫か、そそのかされたかもしれないって言ったけど、それは?」

 三上がボンヤリと宙を見ながらちょっと考える。
 ……ほんとに昔の加藤みたいだ。
 岩崎は三上に憧憬を重ねた。

「そうですね……。ええと、たとえば加藤さんがやっていたことが警察にバレたとして、警察はどうするんですか?」

「え……それは……」

「微妙だな」

 岩崎が割って入った。

「ですよね、微妙ですよね」

 岩崎の言葉に三上が食い付く。

「ああ、変態ロリコン親父どもはどうなってもいいが、女の子は守り抜かなきゃならない。……いろんな意味でな。だから相当にデリケートな捜査をしなきゃならんし、女の子たちのことを考えて、あえて表沙汰にしないということもあり得る」

「やっぱりそうですよね。だから僕は、加藤さんが死んだ直接の原因は警察じゃないと思うんです。警察にバレても、すぐに自殺したりしないと思うんです」

 富永が置いてきぼりをされたように岩崎と三上を見る。
 そうか、こいつは知らないんだった。加藤美咲がファミレスで少年課の田代と会っていたことを。
 ……まあいいか。

「警察じゃないなら、なんだというんだ?」

「それがIT会社です」

「……どういうことだ?」

「はい、メールアカウントを管理しているIT会社には、加藤さんがやっていることは筒抜けでした。当然ですが」

「……まあ、そうなるな」

「ですから、IT会社から脅迫を受ける可能性は充分にあったんです。コンプライアンスとかは置いといて」

 この若年寄め……。俺がつい最近に覚えたような小難しい言葉を使う。

「目的は当然、お偉いさん方の弱味……か?」

「はい、たぶん。メールという証拠を消す代わりに、加藤さんが握っている情報を渡せと言われたか、それが違うなら、もしかしたら……」

「なにかあるか? 他に」

「加藤さん自身が人質になって、加藤さんのお父さんに入ってくる情報を流すようにお父さんに言え、と迫られたか……です。偉い官僚ですよね。加藤さんのお父さんは」

「ん……」

 そうか…その可能性もあるのか……。
 むしろ美咲ちゃんが死ぬ理由としてはそっちの方がしっくりくる。
 加藤の足を引っ張るのは死んでもお断りだったろう。
 いや、しかし……。

「どうやって脅迫したんだ? ……その、ネット屋は」

「ネット屋……。分かりやすい言い方ですね。ええと……手段はたぶん、メールです」

「メールだと? そんなことしたら証拠が……あ、そうか。ネット屋なのか」

「そうなんです。僕も昨日、加藤さんのアカウントでメールを開いたらすぐにネット屋からメールが来たんですが、あっという間に消されてしまいました、跡形もなく」

「……ずいぶんと大胆な完全犯罪だな」

「加藤さんの動きはネット屋からずっと見張られていたんだと思います。メールで僕の親父の動きも分かったでしょうから、もしかしたらヤクザを手配したのもネット屋なのかもしれません」

 ……こいつの推理は、もしかしたら的を射ているのかもしれない。この説なら、美咲ちゃんは自分の命を賭して状況をひっくり返したことになる。

「……合理的だな。思った以上に」

「ありがとうございます」

「変態親父どもは、加藤美咲の死によって呪縛を解かれた訳じゃない。むしろ逆だ」

「はい」

 そこまで理解できるのか。こいつ、末恐ろしいな。

「……課長、どういうことですか?」

 すっかり置き去りにされていた富永が言った。

「児童買春の罪は残るんだ。元締めが死んで口裏合わせもできないままな。加藤美咲が死ぬことでロリコンどもを縛っていた縄は鎖になり、こいつの親父が見せしめで殺されたことでその鎖に錠がかけられた」

「あ……そうか」

「そして今、ことの顛末を知らない変態ロリコンたちが恐れている者、つまり脅威の在処は、本人に自覚はないと思うが……加藤だ」

「そうなんですか?」

 富永が驚く。まだ話に追い付いていないようだ。
 簡単に説明してやるか。

「いろいろ知ってるのは俺たちだけなんだ。当事者の変態たちは、未だに美咲ちゃんが亡くなったのは不慮の事故で、遺品……つまりすべての情報は捜査の目を通らずに加藤に返されたと思ってるはずだ。そこへきて客のひとりが見せしめのように殺された。変態プレイで毛を剃り落とした恥ずかしい下半身を晒してな」

「ああ……」

「今ごろみんな戦々恐々だろう。加藤の溜息ひとつで消し飛ぶ心持ちだ。おそらくな」

「ほんとに状況が一変しますね、それなら」

「ああ、だが俺たちは本当のところを知っている。事実上、客の弱味はこの三上少年とネット屋が折半している状態だ」

「……僕は……そんなもの欲しくありません」

「まあそうだろうな。でも考えてみろ。ネット屋の思惑に乗ってたまるかという美咲ちゃんの遺志……というか執念が今の状況を造り出したんだぞ。簡単に言うな」

「……そうですよね。でも、警察としてはこの話、見逃せるんですか?」

「さっきも言ったとおり、事件としては微妙だ。今は考えたくない。それに……」

「それに?」

「そのネット屋は外資なんだろ?」

「そうです」

「じゃあ、日本の官と民の中枢にいる人間たちの弱味を外資に握られることは下手をすれば国益に関わる。エロ親父がみーんな表に出てきて『ごめんなさい』と言って今の立場を手放すなら話は別だがな」

「じゃあ、僕はどうしたらいいんですか?」

「うーん……」

「…………。」

 三上が、すがるような目で岩崎の答えを待つ。

「判らん」

「そうですか……」

「判らんというか、もはや俺の裁量を超えた話だ。本気でやるなら国の問題だ」

「そう……そうですよね」

「もっとも、ネット屋を黙らせる方法があるなら話は別だがな。坊主、美咲ちゃんから託されたのはお前さんだ。どうする?」

「そうですね……」

 考え込む三上を、岩崎は期待を込めて見つめる。
 ……加藤の分身……どんな答えを出す?

「……しばらく様子を見ます。ネット屋もメールでそう言ってたので、僕に交渉を持ちかけることはあるかもしれませんが、いきなり突飛なことはしないと思うんです。親父の場合は情報の価値を損なわないために殺した……と思います」

「情報の価値を……か。確かにそうだな。女の子に危険が及ぶなら警察は必ず動く。金曜日にお前さんの親父が逮捕されていたら、そこからは芋づるだったろうからな。そうなったら価値は激減だ」

「よく考えれば勝算はあると思います。加藤さんのアカウントでやりとりされていたメールは隠語を使った事務的な内容ばかりなので、握っている情報の価値は圧倒的にこちらが上……極端に言えば、ネット屋は単に『知っているだけ』とも言えます」

 そうだよな……。あからさまに売春だとわかるメールをする馬鹿はいない。
 元締めが「美咲塾」で客が「先生」だからそれで隠語を組んでいただろう。

「だから僕は、加藤さんの携帯を見つけて、もうちょっと作戦を練ってから加藤さんのお父さんに報告して相談しようと思います」

「……そういやお前さん、携帯の場所を知ってるって言ってたな」

「はい、たぶん……ですが」

「どこにある?」

「ええと、加藤さんの自転車は無傷で、まだ警察署にありますよね」

「そうだが……なんで分かる?」

「だって自殺ですし、ここに来る前に加藤さんの家に寄ってみたんですが、駐輪場に加藤さんの自転車がありませんでした」

「そうか。で、自転車がどうしたんだ?」

「携帯は自転車に隠してあります」

「なに?」

「メールの内容を監視されていた加藤さんは死ぬ間際まで冷静に工作して、ネット屋に気取られないようにしてSDカードと携帯を遺しました。この工作がなかったら、情報はハイエナのように奪われていたんだと思います」

「で、携帯はどこにある?」

「自転車のサドルの裏、です。加藤さんはトラックに撥ねられる5分前に自分に宛ててメールを送って隠し場所を遺したんです。今から死のうという時に怪しまれないように笑顔の顔文字付きのメールで……」

 三上の目は再び潤んでいた。

 果たして三上の言ったとおり、加藤美咲の携帯はサドルの裏の窪みに押し込まれていた。
 黒い靴下に包まれた携帯は目立たず、落ちないようにしっかりと隠匿されていた。
 赤いバッグに入っていた空っぽの携帯電話は以前に使っていたもの……あるいはフェイクか。
 三上は携帯電話を大事そうに受け取ると、「これでもう少し調べてみます」と言って帰っていった。三上を見送った富永が呟く。

「なんか……無理やり大人にされちゃいましたね。三上くん」

「ああ、これも恋の力なんだろうな」

「でも、美咲ちゃんはもういないんですよね」

「まあ……あの七三メガネのことは加藤に任せよう。業を背負わせたのは加藤だ」

「……はい」

 その時、背後から駆け寄ってくる足音に岩崎が振り返る。暴力犯係長だ。

「課長、市木が喋り始めました」

 ……よし、俺は俺の仕事をするだけだ。そうだよな、加藤……。


 岩崎は勢いよく踵を返した。
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