ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第一章 14歳の真実

5 憂慮

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 加藤美咲の通夜が始まる前、岩崎は電話をかける。

「お疲れ様です。岩崎です」

(おお、待ってたぞ。首尾はどうだ?)

「署長、やはり加藤は大した奴です。全部を理解してもらいました」

(そうか。……学校のことはどうなった?)

「原因に心当たりがないとは言ってますが、とりあえず学校には何も言わないように念押ししましたので、そっちも心配ないです」

(分かった。大役だったな)

「富永に遺体を視させましたが特異な点はありませんでした。ただ、原因が判るまでは犯罪死の可能性がゼロではありません」

(……まあ、そうだな)

「ですので、私はもうしばらく加藤に会って、原因調べをします。加藤もたぶん、それしか拠り所がないと思いますし」

(遺族支援と捜査を兼ねる、というんだな?)

「そういうことです」

(了解した。ただし、あまり入れ込むな。知り合いというのも良し悪しだぞ。それを忘れないでくれ)

「分かりました」

 電話を切った岩崎は、富永を連れて通夜会場に向かった。



 通夜会場はすでにかなりの参列者がおり、席がほとんど埋まっていた。
 岩崎と富永は後ろの方の席に並んで座る。
 参列者には教諭などの学校関係者と思われる者や加藤の職場の関係者と思われる者もいたが、やはり一番多いのが中学生だった。
 学生服姿の集団が半数以上を占めている。男子も女子もいる。

 そして、加藤美咲の死を最も悼んでいるのが彼ら中学生であることは、その様子をみれば一目瞭然だ。
 生徒たちは皆、大きなショックを受けている面持ちで、中には既に号泣している女子もいる。

「友達は多かったみたいですね」

 富永が小声で言う。

「そうだな。今どきの中学生なんて案外ドライなものかと思っていたが、そうでもないんだな」

「いえ、ドライだと思いますよ。それなのにこんなに生徒が駆け付けるのは、それだけ友達が多かったということだと思います」

「それにしても多すぎやしないか?」

「……そうですね。クラスメイトだけではないですね、この人数は。部活か何かの関係でしょうか」

「そうだな。……おい富永、あの子と……それとあの子、顔を憶えとけ」

 岩崎は、特に目立って泣いている女子二人を顎で指し、富永に記憶を命じた。

「あの大泣きしてる子、ですか?」

「そうだ。まるで家族を失ったような泣きっぷりだ。相当親しかったんだろう。いつか話を聞く必要が出てくるかもしれん」

「分かりました」

 岩崎が言うとおり、その二人の女子は目立っていた。

 通夜という場の特別な雰囲気に感化されて泣いているのではない。
 内から突き上げる悲しさを必死に堪えようとしているが、それを抑えきれずに泣いているのだ。
 二人はそれぞれ別の友達グループのようで、座っている場所は離れている。
 富永は、端正な顔立ちを台無しにして泣き崩れる二人の女子の顔を記憶した。

 焼香が始まったが、結局その二人の女子は焼香すらままならずに席を立ち、それぞれグループの友達を置いて帰ってしまった。

「……あんなにまでなるか? 普通」

「そうですね……。余程の親友ならあり得なくもないですが、グループの他の子たちと明らかに温度差がありましたね。しかも、それぞれ別のグループみたいでしたし」

「なんなんだろうな、顔は記憶したか?」

「はい。大丈夫です」

「じゃあ、俺たちも焼香して帰るぞ」

「はい」

 その時、わずかに会場がざわめいた。
 岩崎は出入口の方を見て、その理由を理解した。
 外務大臣、麻尾五郎が焼香に訪れたのだ。
 颯爽と歩き、親族に一礼したあとで加藤の肩に手を置き、何か声をかけている。
 加藤が恐縮した様子でそれに応じている。

 外務大臣……か。岩崎は、加藤が外務省の幹部であることを改めて認識した。
 麻尾五郎は焼香を済ませるとそのまま会場を後にしたが、出ていく間際に加藤の方を見やり、手で小さく挨拶をしていった。

 わずかな時間ではあったが、要人らしい存在感を放つ麻尾の立ち振舞いは終始そつがなく、それでいて貫禄があった。

 外務省のトップ……。この人も酷評がつきまとうタイプだが、加藤が居酒屋で言った言葉を踏まえれば、この麻尾五郎も決して無能の人ではないということだ。
 そして、おそらくそのとおりなのだろう。
 現にその姿を間近で見た岩崎にはそう感じられた。

 政治家は、目についた悪い部分だけが取り上げられがちだが、それはマスコミの性質上仕方がないことなのだ。
 そして、マスコミが報じた失態のみをもってその人物を捉えたような気になるのは間違いなのだろう。


 おおかたの参列者が焼香を終え、会場が疎らになってから、岩崎と富永も焼香をして会場を出た。
 署に帰る車中、岩崎が切り出す。

「遺体を視た報告の続きを聞こうか」

「はい。……頭は綺麗に飾られて、顔にもお化粧がしてあったので、頭部の損傷の有無は確認できませんでした。これは中央病院に問い合わせる必要があります。それと腹部の損傷があまりにもひどかったので、美咲ちゃんに男性経験があったかどうかは……正直なところ、よく判りませんでした」

「判らなかったということは、つまり裏を返せば、処女のしるしが見当たらなかった……ということだな?」

「はい。……確認できませんでした」

「そうか。……富永、この件、今のところお前はどう見る?」

「もう少し情報がないと、なんとも言えませんね。ただ、通夜の様子を見るかぎりでは、いじめとかは違う気がしますね。あとは、失恋、痴情のもつれ……ですかね」

「痴情のもつれ? まだ14歳だぞ?」

「今の日本の14歳を取り巻く環境は、課長たちのときとは全く違いますよ。携帯電話のせいで、大人と同等の情報に直に触れています。そもそも好奇心のかたまりのような年頃ですから、携帯電話を手にした瞬間を起点に、貪るように情報を取り込む時期があるんです。今の中学生は」

「……主に下品な情報を、だな?」

「まあ……そうです。そういう年頃ですから」

「その辺は実際のところを加藤に聞かんと分かんねえな」

「そうですね。……私はやっぱり、名刺が気になります。何のために用意したのか……。たぶん事故の日、あらかじめ何か特別な予定があったんだと思います。そして、それが悪い結果に終わり美咲ちゃんを追い詰めたのではないかと」

「名刺か……確かにな。いい話じゃないことは間違いないな。うちの悪ガキが俺の名刺を持ち出すとしたら、悪い予感しかしない」

「課長は刑事課長ですからね。加藤さんの肩書きも、分かる人が見れば結構な威力だと思います」

「中学生じゃピンとこないんじゃないか?」

「まあ、普通の中学生ならそうですね」

 そうして車は東警察署に戻ってきた。

 岩崎は、中央病院への確認を指示して富永を刑事部屋に行かせると、自分は交通課に立ち寄った。

「島村さん、お疲れ様です」

 白髪で柔和な顔立ちの事故担当係長は、普段見せないような険しい顔で図面を睨んでいたが、声をかけてきた岩崎の方を向くと、一転して優しい顔つきに戻った。

「ああ岩崎課長、お疲れ様です。どうですか、ご遺族の反応は?」

「まあ、なんとか冷静に聞いてもらいました。きっと島村さんの方が上手くやっていたと思いますがね」

「いえ課長、今回ばかりは引き受けていただいて助かりました」

「と、いうと?」

「……ええ、まあ、交通事故ってのは関係した者みんなが不幸なんですが、今回は両方とも不幸が大きすぎて、片方を励ますので手一杯です」

「中西……の不幸ですね?」

「ええ、状況を見れば見るほど、相当な注意をしていても今回の事故は避けられなかったんじゃないかと思えます。列車事故みたいなものですよ。はっきり言って中西は不可避だった」

「加藤美咲は、かなり計算された場所に横たわっていた、ということですか?」

「そうです。ここしかない、と言っていいくらいピンポイントな場所でした。……しかし岩崎課長」

「なんでしょう?」

「私も長いこと交通事故に関わってきました。私も名刺の裏書きを見たので、これが自殺であることは間違いないとは思うんですが……」

「ですが……何です?」

「いえ、ヘルメットを被って頭を守りながら敢えて胴体から下をトラックに轢かせるという死にかたを選ぶ心理は理解できません。いたずらに時間がかかるだけです。……死ぬまでに」

 ベテランをして不可解であるという。
 確かに岩崎もこのような死にかたは、少なくとも故意の自殺としては聞いたことがない。

 いずれはこれにも理由が見付かるのだろうか。
 だが今はその時ではない。岩崎は本題に入る。

「それはそうと島村さん。学校へはいつ説明に行くんですか?」

「ああ、一応明日の午前中に校長室に行きますよ。学校も、月曜日には生徒に説明できるようにしておかないといけないらしいんでね」

「そのことなんですが、島村さん」

「分かってますよ。自殺を仄めかすことはしません。その辺は上手く濁します。任せてください」

「ええ、お願いします。それと、ついでに頼まれてもらいたいんですが……」

 居住まいを正し、島村は落ち着いたベテランの目で岩崎を見つめる。

「なんでしょう?」

「その、あくまでそれとなく……でいいんですが、加藤美咲が一体どんな生徒であったのか聞いてきてもらえませんか?」

「ああ、なるほど。……ということは、ご遺族は自殺であることは納得していても、原因は学校にあると考えているんですか?」

「いえ、原因が絶対に学校であるとは思っていません。ですが家庭でも変わった様子がなかったようなんです」

「そうですか。……ご遺族は課長のお友達でしたね」

「……まあ、そうです」

「岩崎課長」

 ベテランの目に年長者の光が宿っている。

「はい」

「これは老婆心ですが、ご遺族……加藤さんでしたか……のことを想うなら、岩崎課長の役割は、加藤さんの気持ちの落としどころを用意してあげることかもしれません」

「つまり……深追いはするな、と?」

「ええ、追い求めるものが『自殺の原因』ですからね。答えに辿り着いても、そこに救いはありませんよ。きっと」

「……そうですね。考えてみます」

 岩崎は、ベテランの忠告を反芻しながら刑事部屋に戻った。


 刑事部屋に戻ると、当直の刑事たちが慌ただしく動いていた。
 岩崎はそのうちの一人を呼び止める。

「なんだ? 身柄が入ったのか?」

「はい。傷害の現逮です、知人同士ですが」

「酒絡みか」

「そうです。家で一緒に飲んでいて喧嘩になったようです」

 傷害の現行犯逮捕……。
 概要は50代の男が40代の女を家に呼んで酒を飲んでいたところ、女の態度が生意気だとかで喧嘩になり、男が投げた灰皿が女の額に当たって怪我をしたとのことだ。
 男も女も無職で、生活保護を受けているらしい。

 ドアの小窓からそれぞれの取調べ室を覗くと、男も女も旺盛な元気で刑事に食って掛かっている。どうみても働けない体には見えない。

 最近、こんな事件が多くなった……。
 この手の事件を取り扱うたびに、岩崎はやりきれなくなる。
 刑事が慌ただしく働いてこの事件を処理することにどれほどの意味があるのか、と。

 この者たちは逮捕されることなど少しも恐れていないし、もともと知り合い同士であるので、事件が終わればまた同じことを繰り返すのだ。
 聞けば被害者の女には中学生の息子がいるらしい。
 どういう事情で生活保護を受けているのかは知らないが、働かず、男の家で酒を飲み、怪我をすれば喧嘩の延長で通報して相手を訴える……。
 テレビドラマのような事件などとは程遠いのだ、現実は。

 岩崎は時折考える。
 普通に働く人たちは、ニュースで流れる事件の犯人に「無職」という肩書きがあまりに多いことに違和感を感じないのだろうかと。

 生活保護という制度は確かに必要だ。
 窮する人は助けなければならない。
 だが衣食住を与えるだけで、彼らから時間を奪わないのでは制度としては明らかに片手落ちだ。

 何もすることがないのだから中にはこうしてつまらない事件を起こす者がでてくるのは当然の帰結であり、制度の欠陥だ。

 そもそも、生活するために毎日一生懸命働いている人は時間の対価として収入を得ているのだから、犯罪を犯す暇などそうそうないのだ。

 そして、逮捕されてくる生活保護受給者にかぎって刑事に言うのだ。〝この税金どろぼうが〟と。

 言われる方の刑事も慣れると抵抗がなくなるもので、腹が立つよりむしろ考えてしまうようになる。
 この人たちに支給される金と自分たちがもらう給料は、もともとの出処は同じ行政の予算なのだ。
 とすれば、この人たちと自分たちの違いはただ一点「働いているか否か」だけなのではないか……。
 さらに言えば自分たちは「働く生活保護」なのではないかと。

 勤労が義務である日本において、本来ならば「衣食住」に「労働」が加わってはじめて正常な生活であるはずだ。

 もちろん、それぞれ身体的あるいは精神的な事情もあるはずだから、人に応じて、例えば公共の場所の清掃でもいいし在宅での軽作業でもいいだろう。
 利益を求めなくてもいいから、とにかく「労働」という名の時間を彼らに与えないかぎり、それは「保護」ではなく「庇護」だ。
 その環境から抜け出そうという意志がないのなら、国籍という定義を外せば難民と変わりがない。

 負の側面はまだある。少なからぬ勤労者世帯が家計の事情で子を産むのをためらう一方で、生活保護世帯が子だくさんであったりする。子が増えれば支給額も増えるのだ。

 そして、この子供たちの一部……ごく一部なのだろうが、これがとにかく「無敵」なのだ。
 将来、最終手段として生活保護を受けるためのノウハウを親から伝授されているので、自分が大人になったときに働くというビジョンがない。
 なので当然勉強などする必要もなく、毎日が面白ければよい。
 この子供たちには、警察を恐れる理由すらないのだ。
 失うものはなにもなく、日本の警察官が決して暴力を振るわないことを知っているからだ。

 そして警察署には「あんなガキにナメられていいのか」と文句の電話が日常的にかかってくる。

 この子供たちは勤労の義務が努力義務にすぎないことを本質として理解している。
 そのような子供たちのおかげで出生率が上がり、そういう者たちによって警察の現場が圧迫されている実態を、いずれ国は真剣に考えなければならないだろう。

 このままでは現場が秩序を保っていられる時間は長くない。岩崎はそう考えている。

 必要な人だけが、恥じることなく保護を受けられるよう国は仕組みを見直す必要があるのだ。
 ……カネと手間をかけてでも。

 さもないと近い将来、勤労意欲を持つ者の方が希少になりかねない。

 岩崎がこのように社会の有り様を思うのは単なる思い込みではなく、自身の生い立ちに依るものだ。
 岩崎は3人兄弟の長男で、物心ついたときから母子家庭で育った。

 母は生活保護を受けながらも朝から晩まで内職をしていた。
 幼心に岩崎は、生活費が足りないのだろうと思っていたが、岩崎が中学を卒業したとき、母が働き続ける理由を知った。


  ……五体満足なら、働くのがつとめなんだよ。


 母は内職で収入を得た分、生活保護の支給額を減らされていた。
 それでも働き続けた理由はただひとつ……働く姿を見せることで、我が子にはちゃんとした勤めに就いて自立してもらいたいという願いであった。

 母の告白を機に岩崎は心を入れ替え、働きながら定時制高校を出て、競争倍率が高い高卒枠の警察官試験に合格したのだ。
 合格の報せを受けたときの母の顔が、今日までの岩崎の原動力になっていた。

「課長、考えるフリしないでください。こんな簡単な事件で」

 富永……。そういえばこいつはなんで警察官になったんだろう?

「いや……この灰皿の重さなら、殺人未遂になるんじゃないかと思ってな」

「殺人の故意がありません。いいかげんなこと言わないでください」

「……お前を試してみただけだ。それより中央病院はどうなった?」

「はい、中央病院に運び込まれたとき、美咲ちゃんの頭部は無傷だったそうです。あと、血液なんかは鑑定に出す手配をしました」

「よし、今日はもう引き上げろ。明日は土曜だが、午後に加藤に会ってもらう。昼から出てきて加藤美咲の遺品を借りておけ」

「はい、了解です」

 富永は他の刑事に挨拶をしてから部屋を出ていく。
 岩崎は再び傷害事件の書類に目を戻した。
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