孤独の吸血姫

第二幕

白と黒の調べ Chapter.7

　観念かんねんを据すえた途端とたん、乾いた自嘲じちょうが涌わく。
「ク……フフフ…………」
　自みずからが望んだ通り残されたエリザベートは、何故だか可笑おかしくなってきた。
　こうして幕を閉じてみれば、実に滑稽こっけいな道化どうけである。
　目に掛けていた懐刀ふところがたなには見限みかぎられ、侮蔑ぶべつしていた小娘共には温情を向けられる。
　揚句あげく、この無様ぶざまな体ていたらくだ。
　笑うしかない……頬ほほを伝つたう熱さに酔よって。
「エリザベート・バートリー──名門〝ハプスブルク家〟の遠縁とおえんにあたる歪ゆがんだ血統〝バートリー家〟に於おいて、ある意味、その極きわみに達した者」
「だ……誰だ！」
　不意に聞こえた濁声だみごえが、辞世じせいの叙情じょじょうを現実へと引き戻した。
　その姿を確認したくとも、相変わらず身体を動かす事が叶わない。
　先程の一幕とは状況が異なる。
　正体不明の相手に為なすがままでは、さすがに焦燥と戦慄を覚えた。
　濁声だみごえは飄々ひょうひょうとしたおどけ・・・に言う。
「そんな警戒しなさんな。ただの〈死神・・〉だよ」
「死神……だと？」
「そう、ただの〈死神〉だ。だから、別にオマエさんをどうこうするつもりもねぇよ。ィエッヘッヘッ……」
　身みの毛けがよだつ薄気味悪さを感じた。
　その独特で下品な喋しゃべり方は、生理的嫌悪を否応いやおうなく触発しょくはつする。
「その死神が何用なにようだ！」
「オイオイ、死神の領分りょうぶんはひとつだぜ？　そいつは〝死・〟を頂いただき迎むかえる事だ。アンタは、もうじき死ぬ。その瞬間を有あり難がたく頂戴ちょうだいしようって寸法すんぽうだよ」
「ふざけるな！　キサマ如き下賤げせんが我を……」
「フムフム、なるほどねぇ──最初は、戦地へと赴おもむいた亭主ていしゅの気を引くため……か？」
「な……何？」
　濁声だみごえの指摘してきに、瞬間、エリザベートはギョッとした。
　彼女の微々びびたる変化を捕とらえたのだろうか、続ける濁声だみごえにはあからさまな優越感が含ふくまれている。
「けれど、実際にはテメェの寂さびしさを紛まぎらわせるためだったってか？　随分ずいぶんとまあ一途センチな理由で」
「キサマ、何を……？」
　間違いない！
　この男は──下卑げびた死神は、彼女の心を読んでいる。
　待て、そうではない。
　エリザベート自身は、いま現在〝過去〟を思い起こしてなどいなかった。
　つまり正確に言うならば、見通されたのは〝心〟ではなく〝過去の事実〟そのものだ！
「最初は黒人の使用人から学んだ〝まじない〟か……ま、ソイツの根元ねもとは〝ブードゥー〟だな──初歩的な稚技ちぎだけどよ。んでもって、そいつがエスカレートして、今度は〝黒魔術〟へと傾倒けいとうしたってか。そんなに亭主ていしゅの戦死がショックだったかィ？　おっと違うか。現実逃避したかったのは〝亭主ていしゅの浮気〟だろ？　ィエッヘッヘッ……」
「……や……めろ」
「やがて、口うるさい姑しゅうとめが目障めざわりになってきた──ま、そいつは姑しゅうとめ側がわも同じだろうがよ。だから、殺した。人気ひとけの無い階段から突き落とした。師事しじしていた魔女・・と共犯でな。んで、首の骨ポッキリってな」
「……やめろ」
「犯行直後のオマエさん、いい面ツラしてるぜぇ？　一仕事ひとしごとやり終えた充実感に満ちてやがる……ィエッヘッヘッ」
　まるで現場を目まの当あたりにしているかのような口振くちぶりであった。
　いや、おそらく見ているのだろう。
　だとすれば、それは〈霊視れいし〉の類たぐいだ。
　基もとより〈死神〉は、霊的存在である。
　不思議ではない。
「抑止力よくしりょくの枷かせを取っ払った後は天下だったよなァ？　嫁とつぎ先で、やりてぇ放題だ。で──ホゥホゥ、なるほど──癇癪かんしゃく任まかせにメイドをどついた事が発端ほったんかィ？　返かえり血ちで照ったテメェの肌を『若返った』なんて勘違いしてやがる……実にバカだねえ。その錯覚を維持するために、次々と処女を拷問ごうもんしたってか。そんなにも〝老おい〟が怖ぇかよ？」
「やめろ！」
「だが、こりゃ羨うらやましい限りだぜ。悲痛な懇願こんがんと恐怖と恨み──極上のスパイスが豊富に添そえられた〝死・〟が日常的に垂たれ流されてやがる。オレ様も御相伴ごしょうばんに預あずかりたかったぜ……ィエッヘッヘッヘッ」
「やめろと言っている！」
「イヤだね」
　侮辱ぶじょくへの我慢が限界に達した瞬間、視界の隅すみに死神がヌッと顔を覗のぞかせた。
　薄汚うすぎたなく痩やせた黒人の男だ。
　悪徳あくとくに濁にごる目は喜悦きえつに歪ゆがみ、葉巻はまきを銜くわえた大口が卑いやしく笑って歯を見せている。
「オレ様はよ、相手の人生・・を見通せるのさ。そいつで死に逝ゆくヤツの羞恥しゅうちを煽あおる──そうすると〝死・〟に旨味うまみが増すんだなコレが」
「キ……キサマ！　ズケズケと立ち入りおって！」
「そう怖い顔しなさんなって。言った通り、オレ様は何もしやしないぜ？　ただ〝事実〟を見通してるだけだ。もっとも赤裸々せきららに〝過去〟を直視ちょくしさせられて、後悔と羞恥しゅうちを抱いだかねぇヤツなんていやしねぇがな」
　ゲデは自分を呪い睨にらむ顔へと、これ見よがしに葉巻はまきの煙を吹きかけた。
「実に滑稽こっけいなもんだぜ。聖職者も犯罪者も〝死・〟の前にゃ同格だ。どいつもこいつも、テメエが刻きざんだ足跡そくせきを美化びかに誤魔化ごまかしてやがる。詭弁きべんに彩いろどられた自己弁護じこべんご──嘘八百うそはっぴゃくの免罪符めんざいふだ。そうでもしねえと、テメエが歩あゆんできた人生・・を受け止められねぇらしい。そこまで恥ずべき人生なら、いっそ生まれて来なきゃ良かったのによ……ィエッヘッヘッィエッヘッヘッヘッ」
「こ……の下衆ゲスが！」
　予想以上に最低な輩やからである。
　引き裂いてやりたい殺意に呑のまれたが、指一本ゆびいっぽん動かす事すら叶わないのが忌々しい。
「さて、続けようぜ？　誇り高き〝吸血貴夫人エリザベート〟様──」
「キ……キサマァァァ！」
「──と言いてぇトコだが、どうやら幕引きみてぇだな」
　どうした心境の変化か、ゲデは口撃こうげきをやめた。
　真意しんいが汲くめぬ違和感にエリザベートは懸念けねんを抱いだく。
　だが、それはすぐに氷解ひょうかいした。
　次なる事態を認識した瞬間、彼女は戦慄を覚える。
　周囲の瓦礫がれきや物陰ものかげ、路地裏や棟とうから、ぞろぞろと現れ始める人影。
　最初はデッドかとも思った。
　覇気はき無き動作は、それを錯覚させるに説得力があったからだ。
　しかし、彼等はれっきとした人間──居住区画の在住者達であった。
　一人……また一人と数が増え、あれよあれよと集団になっていく。
　やがてそれは、地べたへと縫ぬい付けられた贄にえに集まって来た。
「……〈吸血鬼〉だ」
「俺達を苦しめる悪魔が此処にいるぞ」
「なんでこんな……いままでだって、おとなしくオマエ達に従したがってきたのに……何だってこんなマネを！」
「ふざけやがって！　コイツ等にとっちゃ、俺達人間なんてゴミ・・虫・でしかなかったって事さ」　
「返せ！　私の子を！　妻を！　私の家族を返せ！」
　口々くちぐちに罵ののしられる呪詛じゅそ。
　彼等の手に握られているのは、鉄の鎌かま──白木しらきの杭くい──聖水────いずれも〈吸血鬼〉を殺せる物だ。
「おやおや、どいつもこいつも殺気さっき立だちやがって。怖ぇ怖ぇ……ィエッヘッヘッ」
「キ……キサマ！」
「おいおい、勘違いしねぇでもらいてぇな？　コイツ等らは自発的に集まってきたのさ。ま、全部テメェ等が強しいた政策のツケ・・だな。オレ様のせいじゃねぇや」
「クッ！」
「もっとも、さっき散歩がてらに歌ったか。『この襲撃を仕組しくんだのは吸血妃きゅうけつきだ～！　そいつが、この先でくたばってるぞ～～！』ってな。ィエッヘッィエッヘッィエッヘッヘッヘッ……」
「キサマァァァァァアア！」
　我われを忘れた憤怒ふんぬで妖妃ようきの瞳が赤く染まる！
　だが、睨にらみ付けるべき相手は、何処吹く風で群衆の芋洗いもあらいへと掻かき消えた。
　──重い衝撃と鈍い痛覚つうかく！
　自我じがを呼び戻されたエリザベートが認識したものは、地面へと打ち付けられた己おのれの四肢ししであった！
「う……うあああああああああああああああああっ！」
　肩に！
　脚に！
　手首に！
　膝ひざに！
　狂気きょうきに呑のみ込まれた群衆は、一心不乱いっしんふらんに杭くいを叩き打っていた！
「吸血鬼！　吸血鬼！　吸血鬼！　吸血鬼！」
「死ね！　死ね！　死んじまえ！　殺してしまえ！」
　握にぎり締しめた煉瓦れんがや石を、憎しみのままに杭頭くいがしらへと殴り付ける！
　ある意味、人間は怪物以上に〈怪物〉──カリナの持論じろんだ。
　その認識は間違いなく正論せいろんのひとつだろう。
　いままさに、その側面そくめんは表層化していたのだから。
　もっとも、その警鐘をエリザベートが知る由よしもない。
　朦朧もうろうと霞かすみ始めた意識に抗あらがいながら、彼女は皮肉ひにくを噛かみ締しめていた。
　あれほど至悦しえつだった鮮血せんけつの拷問ごうもんが、今度は一転いってんして自分を苦しめる！
　首筋くびすじに感じる鉄の感触。
　冷たい刃やいばが、柔肌やわはだの弾力だんりょくに食い込むのを感じた。
　例たとえ死すとも、その散ちり際ぎわは気高けだかく美しく──そう想い描いていた吸血妃きゅうけつきの最期は、けれども叶う事がなかった。
　一際ひときわ大きな赤花あかばなが散ちり咲さき、黒い塊かたまりが跳はね飛ぶ！
　それでも、残虐ざんぎゃくな狂気きょうきに取とり憑つかれた暴徒ぼうとは鎮しずまらなかった。
　もはや自制じせいも倫理りんりも働かず、積年せきねんの恨みを肉塊にくかいへとぶつけ続ける……ただひたすらに。
　遠巻きに瓦礫がれきへと腰掛けるゲデは、止やまぬ赤の狂宴きょうえんを肴さかなと眺ながめていた。
「ま、頭部切断は〝吸血鬼殺し〟の常套じょうとう手段だわな」
　飄々ひょうひょうと嘲あざけりながら、携帯けいたいしていたウイスキーを最後の一滴まで流し込む。
　呷あおる視野しやに入ったのは漆黒しっこくの月。
　黄色く淀よどんだ巨眼は、間違いなく、この惨状を眺ながめていた。
　卑いやしく、悪辣あくらつに、興味津々しんしんと…………。
「喜べよ〝血塗ちまみれの伯爵夫人〟様、オレの御主人様も堪能たんのうしてやがるぜ……ィエッヘッヘッヘッ」