雷命の造娘

凰太郎

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第三幕

ありがとう Chapter.3

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 独白吐露を終えたサン・ジェルマン卿は、覚えた疲労感のままに虚空へと意識を逃した。
「──そして、墓荒らしもいとわぬ卑しい身と堕ちた。その時には〝ヨハン・コンラッド・ディッペル〟と名乗ったがね」
「また偽名を?」
 戦乙女ヴァルキューレの質問に、サン・ジェルマン卿は渇いた微笑びしょうで答える。
「在城者が墓暴きなどをしていると知れたら〝フランケンシュタイン〟の名に泥を塗る形になる。いや、あるいは逃げ・・かも知れんな……忌まわしき罪を犯すおのごうから目をらすための。どちらにせよ〝死臭ししゅうまみれの実験〟へと明け暮れたのは事実だ。そして、その実験に費やした年月の中には〝フォン・フェルシェア〟という助手もいた」
「誰です?」
「ヨーゼフ・メンゲレの師──すなわち、ウォルフガング・ゲルハルトに〝生命創造〟の盲信を伝承した人物だ」
「ッ!」
 息を呑むブリュンヒルド!
 思いもよらない因縁であった!
 まさか、このような形で〝生命創造の狂気〟がつながっていようとは!
「分かるかい? ブリュンヒルド嬢? 私は〝大罪〟に祝福されし存在なのだよ。神に望まれずして生まれ落ちた〝〟──親友と想い人の生死をもてあそぶ狂人──ナチスドイツの狂気理念を後押しした人物──そして、ウォルフガング・ゲルハルトの遠因的祖師でもあるのさ」
 あまりに凄惨な経緯に、重い間が刻まれる。 
 雷雨はまない。
 あの日と同じように……。
 程無くして沈黙破りに開口かいこうしたのは、ヘルであった。
「それで? あの〈〉は、いつ完成・・したのだ?」
「肉体そのもの・・・・闇暦あんれき初期・・に完成している。だが、かのじよが〈生命〉を得たのは比較的最近の事だ」
「何故だ?」
「かつて親友フォンが主張の根としたように、物質的な〈生命〉の根源は〈電気・・〉だ。しかし〈ドルター〉は〝再生死体〟──わば、生のことわりから除外された存在。細胞レベルから全身を再活性化させるには、実験レベルのガルバーニュ電流では全然足りなかったのだよ。それをすには、膨大な電圧を必要とする」
「成程、そのため・・・・……か」
 いかずちを吸収還元する機械装置を、意味深に眺めるヘル。
(膨大なかみなりパワーそのものを、その身へと宿すための装置──だが、それ・・大自然のパワーそのもの・・・・・・・・・・・を内包させるという事と同義だ。なればこそ、兄上フェンリルと互角以上に渡り合える潜在戦闘力も頷ける)
 ヘルの黙考を余所よそに、サン・ジェルマン卿は続ける。
「だが、仮に落雷を流し込んでも、それだけで再生するとは限らない。そこ・・は賭けの領域だ。実際〈かのじょ〉の再生には試行と失敗を繰り返した。かなりの歳月を……ね。それだけ〈生命創造〉は難業という事だ。だからこそ、独自に研究考察を重ねていたのだよ。それは皮肉にも、私自身が〈死〉を探究した理論と、彼──フォン・フランケンシュタイン──が探究した〈生〉の理論を融合させる作業だった。すなわち『生と死の両立論』だ。どちらかだけが成立していても、それは〈生命の真理〉に辿り着ける論ではない。生死とは二極一対にして表裏一体なのだから……。冥女帝たるきみならば解るだろう? ヘル?」
「……ああ」
 もあらん……と、冥女帝ヘルふくんだ。
 仮に〈神々〉であっても〝生死の真理〟を完全に解き明かす事など不可能であろう。
 それは〈冥女帝〉たる自分とて例外に無い。
 ただ司る・・だけだ。
 その絶大な真理を〈人間〉ごときが掌握しようとする……。
 たくましい傲慢ごうまんさであった。
 苦笑にがわらうしかない。
「せめて『Fの書』さえあれば……それ・・つぶさまとめた手記があれば〈ドルター〉の再生率は格段に上昇するのだが…………」
 誰に言うとでもなく虚空を仰ぐサン・ジェルマン卿。
 それに対する返答ではあるまいが、ようやくにしてブリュンヒルドもくちを開いた。
「なるほど……事情は分かりました」
 深い一呼吸ひとこきゅうに、気持ちの整理を落ち着かせる。
 と、毅然きぜんたる美貌を上げ、込み上げる怒り任せに大罪人エゴイスト糾弾きゅうだんした!
「サン・ジェルマン伯爵……貴方あなたは最悪です! 生命いのちもてあそび、魂を愚弄し、死神との盟約に溺れたゆるされざる悪徳者! 神への謀反者です!」
「ああ、その通りだ……弁明はしない」
 浴びせられるそしりを無抵抗に受け入れる。
 それが贖罪しょくざいになるとは思ってなどいないが……。
「ですが……」ブリュンヒルドの抑揚が一転してはかなうれいを帯びた。「貴方あなたは〈彼女・・〉の創造主ちちなのです……間違いなく。ならば、責任・・を負いなさい。この世へ生み落とした責任を……」
 淡い哀しみをふくみ、ブリュンヒルドは一冊の手帳を取り出した。
 それは〈〉から取り上げた〈禁忌の書物〉であった。
「それは『Fの書』!」
「……御返しします」
「何故、きみそれ・・を?」
「彼女が大事に持っていた物です。それを没収しました」
「……かのじよは、コレ・・を?」
「読んでいません。いえ、まだ読解力が付く前に、私が取り上げました」
「……そうか」
 軽い安堵を浮かべる。
 そのさまうかがい見て、ブリュンヒルドは確信するのだ──彼には、まだ救いがある。
 ウォルフガング・ゲルハルトにも、ロキにも、欠落していた感情がある。
 それは〈愛情〉だ……と。
 なればこそ、一縷いちるの望みを託してもいいだろう。
コレ・・があれば、おそらく彼女の再生確率は上がるのでしょう? 何故ならば、この書こそが彼女を造り出したバイブル・・・・・・・・・・・・なのですから」
「ああ。この書こそは、私の──いや、フォン・・・の研究成果にして集大成だ。私と彼の叡知が合わされば、如何いかなる難関とて不可能など無い」
 くして、禁断の書物はあるじの手元へ戻ったのである。
 血塗られたごうに染められた手に……。
 それを手放す際、ブリュンヒルドは強い目力めぢからを込めて誓約を課す。
「ですが、ひとつだけ約束して下さい。この一件が片付いた際には、この禁書を──」
「──約束しよう。永遠に葬り去ると……史実の闇に!」
 確固たる意志が返す。
 それが信用に足ると思えばこそ、戦乙女ヴァルキューレは握るちからを潮の流れと引いた。
彼女・・は、コレ・・を『絵本』のたぐいだと思っていたようです」
「……そうか」
「……残酷な『絵本』です」
「ああ、紡がれるのは『救いの無い御伽話フェアリーテール』だ」




 煉瓦道は煙雨に霞み、体温を蝕む雨は勢いに痛い。
 大雨が叩きつける大通りに、街人達は集められていた。
 街路中央を埋める黒集くろだかりは皆一様に怯え、身を寄せ会うかのように固まっている。
 女子供も関係無い。
 老若男女も関係無い。
 無差別つ問答無用に狩り集められた捕虜達であった。
 ロキによる強制だ。
 拒否といった選択肢など存在しない。
 愚かにも相手の正体・・・・・を見極める前に幾人いくにんかが抵抗を試みたが、総て些末さまつわずらいとばかりに破壊・・された……指先一本で。
 その絶対無敵の暴力をたりにすれば、何人なんぴとであっても恐怖に心折れるのは当たり前であろう。
「イヒヒヒヒッ……旦那さん? 言われた通り、この界隈の住人は全員集めやしたぜ? もう家屋にはひと一人ひとり居ませんや」
 手揉みに御機嫌をうかがうアイゴール。
「ああ、御苦労だったな」
 素振りもニヤケヅラもイヤらしいが、ロキにしてみれば満足な下僕だ。
 その醜い風貌と性根はすくがたく、だからこそ〝珍品〟を所有している満足感がある。
 何よりもコイツ・・・は従順であった。
 圧倒的な神力ちからに怯え、気に入られる事による保身へと安心し、ひたすらに媚びへつらう事しか出来ない。
 その征服欲が満足を覚えさせる。
 望んだものだ。
 ヘルにも息子フェンリルにも怪物・・にも拒絶された欲望だ。
 良い拾い物をしたものである。
 出会い頭の非礼はチャラ・・・にしてやろう。
「それにしても、ウジャウジャと気持ち悪ィな? 蟻の巣をほじくり返した気分だぜ……」
 寄り添い怯える群集をうとみ、ロキは辟易へきえき蔑視べっしを流す。
 神話の時代、それほど人間は多くなかった。
 それが永き封印の間、世を埋め尽くすほど人口じんこうは増殖している。
 闇暦あんれき時代じだいに突入する契機となった史上最大の災厄〈終末の日アンゴルモア・ハザード〉によって間引きされたとは言え、その数はまだまだ多い。
 生命力いのちそのものは脆弱ながらも、その爆発的な繁殖力はわずらわしい特性である。
 だからこそ悪神ロキにとっては虫ケラ・・・としか映らなかった。
 蝿やゴキブリと同じ害虫と変わらぬ、汚らわしくも無価値な存在でしか無い。
「で、旦那さん? コイツらを、どうするおつもりで?」
だよ」
「餌?」
「ああ、ひとつは〝オレに楯突いたヤツラへの餌〟──もうひとつは……」
 ロキが思索に言い渋った時であった。
「この悪魔め!」
「あん?」
 怯え固まる群集の中から一人ひとりの男が罵詈を吐いた!
「いいか! この街には〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉がるんだぞ! 貴様のような何処の馬の骨とも知れぬ〈怪物・・〉が暴虐を働こうとも、必ずや神の鉄槌てっついが──」
これ・・か?」
 男の額にトンッと指を当てて神力を注ぐと、肉風船が赤飛沫あかしぶき脳脂のうしを散らして破裂する!
「ヘッ……神の鉄槌・・・・ってヤツだ」
「ひぃぃ……」「あ……ああ……」
 ざわめきに増長する恐怖!
 その畏怖を一身に浴び、ロキは悠然と毒突いた。
 が、そうした負の連鎖に在っても屈せぬ強い意思がひとつ。
 それは幼くも真っ直ぐな純心──マリーであった。




 遠くに感じた神力しんりょくに、冥女帝ヘルの眉尻がピクリと反応を示す。
「……来たか」
 確信に漏らすつぶやき。
 改めて再生作業に取り掛かったサン・ジェルマン卿の様子を見れば、いまだ悪戦苦闘の要領は拭えない。
 落雷を流し込むたびに〈〉の肢体は激しく波打ったが、はたして先刻までと何が違うのかも定かに無かった。
 無論、素人目に看破出来るたぐいの仕事ではないが……。
(いや、好転はしているのであろう。ブリュンヒルドが手渡した書がかは知らぬが、どうやら切り札のようであったからな。だが……)
 時間は、まだまだ掛かる──それは傍目はためにも明らかであった。
 最悪の場合、総てが徒労で終わる可能性も有り得るだろう。
 一方で、ブリュンヒルドは城内探索から帰って来る気配が無かった。
 当然だ。
 来るべき最終決戦へ向けて武装を整えるという目的であったが、はたして悪神ロキに通用するだけの武具が人間界・・・に在るはずも無い。
(……いや、これで良かったのであろう)
 内なる決意を固めると、ヘルは気付かれぬように退室した。
 朱が躍り息吹く階段を下る。
 薄暗い石段は、まるで重圧の奈落に導くかのごと陰鬱いんうつであった。
 そうした想いの総てを受け止め、ヘルは黙々と下る。
兄上フェンリルと対等に渡り合った〈〉が復活すれば、万にひとつの勝率も期待出来ただろう。ブリュンヒルドの武具が万全であれば、連携策を考じる事も出来た。しかし現状では、どちらも叶わぬ……無い物ねだりだ)
 浮かべる自嘲は諦めの心情にも似ていた。
 やがて、ヘルは凛然たる顔を上げる。
 その瞳は不思議と晴れやかささえも帯びた印象に在った。
(ならば、わたしみずからがおもむくより他は無いだろう)
 無意味な暴虐から民を護らねばならぬ。
 殺戮の毒牙から民を救わねばならぬ。
 自分は〈冥女帝ヘル〉──この〈ダルムシュタッド〉の領主・・だ。
 心に定めた〈〉を、もはや〈〉とは思うまい。
 うれう慕情は、すでに忘却へと捨て去った。
 軋み開く正面玄関を抜けると、雷雨轟く闇天が舞台と出迎える。
 闘いの舞台だ。
 おのれおのれで在るための……。
 と、眼前に広がる暗い情景に違和感を感じ、ヘルは怪訝けげんに目を凝らした。
 数平方メートルにも広がる城門内の庭は粘りつく泥濘ぬかるみにひたされ、城壁越しに見える樹々は魔界の使者とはやてる。
 冷たい雨が作り出した情景は、ひたすらに暗色で彩られた虚無感の箱庭だ。
 そんな荒々しい野外に佇んで待っていたのは、見覚えのあるシルエットであった。
「ブリュンヒルド?」
 一瞬の雷光が、鎧装束を克明に浮かび上がらせる。
 容赦無い雨に打ち付けられ続け、頭からずぶ濡れとなっていた。
 れど向けられた美貌は、薫風のように爽やかな慈しみで微笑ほほえむ。
「……ひとりで何処へ行こうというのです?」
「見掛けぬと思うたが……何故、此処に?」
「たぶん、貴女あなたと同じですよ」
 近くに見れば聖鎧せいがいの破損は修復しきっていない。
「その武装で出るつもりか?」
 ヘルの指摘に、困ったように苦笑にがわらう。
「仕方ありませんよ。もとより〈戦乙女ヴァルキューレ〉の武装は、神力の結晶具現です。時間を掛ければ完全修復します──体力や英気の回復と比例して。ですが、先の戦闘から時間が経っていませんからね。してや、受けたダメージは大き過ぎた……」
 値踏み視線で、ヘルはブリュンヒルドの出で立ちを改めて眺めた。
 聖鎧せいがい以上に気になるのは、完膚無きまでに砕け折れた円錐槍ランスの方だ。
 彼女が手にしていた円錐槍ランスは、愛用のそれ・・ではない。
「……その槍は?」
「城から拝借しました。無いよりはマシですから」
「相手は悪神ロキだぞ? 通用すると?」
「〈神力しんりょく〉を注げば、足止め程度なら」そして、決意の瞳に念を押す。「貴女あなたですよ……冥女帝ヘル! 私に通用する武具は無く、現状いまは〈かのじょ〉もいない。悪神ロキへの切り札は、貴女あなたしかいないのです!」
「フッ……重責だな」
 自嘲に眼差まなざしを伏せると、後れ毛が色香にこぼれた。






「何が〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉だ? もういねぇ・・・よ。何せ、オレ様が壊滅させたんだからな……ヒャハハハハハッ!」
「フォ……〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉が?」
「そ……そんな?」
「終わりだ……この街の平和な時は、もう終わりだ……」
「これで、この街も他国と同じだ……」
 ロキの声高な嘲笑に、街人達の失意は絶望へと色を変えていく。その伝染が悪神には何とも心地良い。
 もう〈怪物〉から自分達を保護してくれる存在はいない。
 その事実がもたらす無力な絶望感は、依存対象の喪失がもたらすものであった。それだけダルムシュタッドの人々にとって〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉は、大きい後ろ楯だったのである。

 人々は、次第に〈完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉へと依存すらしていくだろう。『自分達は、この軍隊に守ってもらっているから大丈夫だ。いな、守ってもらわねば生きていけない』と──それは、かつてサン・ジェルマン伯爵が指摘した通りの有様であった。

 そんな失望の渦中から、あざとくも一人ひとりだけ血相を変えて悪神ロキへとすがり出る者がいた。
「オ……オレは貴方あなたに忠誠を誓います!」
 一部の街人には知った顔である。パレードの日に、マリーへと難癖を向けた破落戸ゴロツキだ。ハリー・クラーヴァルとブリュンヒルドから手痛い制裁を加えられた男である。
「あん? 何だ? テメェ?」
「で……ですから、オレは貴方様あなたさまへ忠誠を誓います! 手となり足となり御役に立ちます! どうか御仕おつかえさせて下さい!」
「ふぅん?」醒めた邪視が値踏みに見定める。「テメェ、家族・・は?」
「お……おります。ス……スペインの方に……あ……そ……そうです! そうですとも! 私には大切な家族・・・・・がおります! 仲睦なかむつまじい家族が、私の帰りを待っています!」
「ふぅん?」
「私が無事に生きているとなれば、家族もどんなに喜ぶか……偉大なる貴方様あなたさまへの感謝も尽きぬ事でしょう! きっと家族一丸となって、貴方様あなたさまへの信仰と畏敬も忘れません! ですから何卒なにとぞ、寛大なる御慈悲を! そのためなら、この身を捧げる事もいとわぬ覚悟です!」
 嘘である。
 大嘘である。
 この男には家族などいない──いや、正確には〝いた・・〟と言うべきか。
 年老いた母と妻……そして、六歳の息子だ。
 しかし、逃げ回るには足手まといと捨てて来た。
 その数秒後には、無数の〈デッド〉に歓迎されていたのを見届けている。
 今頃は、とっくに仲間入りだ。
「な……何なら忠誠の証に、コイツらを痛めつけてやりましょうか! いや、御望みなら処分してさえみせますとも!」
「ほぅ?」悪神かみさげすみが目を細める。「ま、いいだろ。オマエみたいなヤツァ嫌いじゃねぇ。じゃあ、せいぜい役立ってもらうとするか」
「は……はい! 有難うございます!」
 晴れやかな安堵に染まる笑顔。
 嗚呼、命拾いをしたぜ──と。
「この恥知らずが!」
「人間のクズだわ!」
 背後から浴びせられる罵倒ばとうにも苛立いらだちは無い。
 むしろ絶対的な優越感をもって見下すのだ。
 ほざくな、器量無しのマヌケ共──と。
「弱虫!」
「……あ?」
 ふてぶてしい神経を逆撫でしたのは、意外にもシンプルな罵詈ばりであった。
 子供である。
 群衆の中から勇気をもって射抜いたのは、一人ひとりの幼女である。
 それを視認した途端とたん破落戸ゴロツキの表層心理に張った平静の氷盤はミシミシと憤怒に崩れ出した!
 見覚えのある子供だ!
 いや、忘れようものか!
 コイツ・・・のせいで、往来にて赤っ恥を掻かされたのだから!
 勇気ある幼女──マリーは叱責を続ける!
「あなたは弱虫・・だわ! 乱暴されるのが怖いからって街の人達を犠牲にして、自分だけ助かろうと悪い人・・・の子分になるなんて! 弱虫・・よ!」
「このクソガキーーッ!」
「きゃ!」
 髪の毛を鷲掴わしづかみに引き摺り出すと、崇拝神ロキへの捧げ物とばかりに投げ棄てた!
「テメェ! に向かって物を言ってやがる! 痛い目を見ねぇと分からねぇか!」
 虎の威を借るハイエナが暴力をチラつかせて威嚇するも、凛とした幼い瞳は決して屈しない!
 そこにはがんとした信条があるからだ!
「あなた達なんか、きっと〝お姉ちゃん〟がやっつけてくれる! そうよ……そうだわ! 〝お姉ちゃん〟よ! 兵隊さん・・・・なんかじゃない! 〝お姉ちゃん〟なら、みんな・・・を守ってくれるわ!」
お姉ちゃん・・・・・だァ? この間の銀髪女か! ソイツは何処にいる? ああっ?」
ブリュド・・・・じゃないわ! 〝お姉ちゃん・・・・・〟よ!」
「だから! ソイツは何処にいるってんだよ!」
「あぐっ!」
 苛立ち任せに再び髪を鷲掴わしづかみにすると、無慈悲にひねげた!
「ナメてんじゃねぇぞ! クソガキが!」
 苦悶を浮かべる童顔に、威圧をはらんだ野卑やひヅラける!
 そんな安っぽい忠誠イジメを醒めた冷蔑れいべつに流し、ロキは辟易へきえきとした心情を咬む──「どっちがガキ・・だよ」と。
 だが、それ以上に気になる事がある。
 この子供の主張だ。
 ここまで屈せぬほど無垢な心酔は、いったい何処から来るのか……いや、そもそも、これほどまでに強い信頼を植え付けるとは何者・・なのだ?
お姉ちゃん・・・・・……ねぇ?)
 ふと脳裏に浮かんだのは、あの〈女怪物・・・〉の存在。
(いや、有り得ねぇか。ヤツ・・死んだ・・・。何よりも〈怪物・・〉と〝人間〟が相容あいいれるはずも無ぇ)
 ロキが黙想を巡らせる中、不意に静かなる凄味が耳に届く。
「……その子から手を放せ」
 待ちわびた期待に、悪神の口角こうかくがニィと上がった。
 仰ぎ見る闇空に立つのは、二人の女性のシルエット──〈戦乙女ブリュンヒルド〉と〈冥女帝ヘル〉であった!
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