雷命の造娘

凰太郎

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第二幕

わたし Chapter.6

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 青い電光石火!
 四方八方からの縦横無尽な肉弾特攻!
 大気中の陽子に電極干渉し、自在に斥力を生む!
 その結果〈〉の周囲には不可視の力場が即時形成され、滞空はおろか宙を蹴った跳躍を刻む事すら可能としていた!
 現状いまの彼女は、まさに〈未知なる新種怪物〉に他ならない!
 すがままに殴打される巨獣!
 横っ面を矢と殴り抜かれ!
 あごを突き上げられ!
 脇腹に雷拳をたたき込まれた!
 幾度いくど崩れ倒れそうになったかは知らないが、獣は四肢を踏ん張り堪える!
 その都度、を睨み据える目は怒りを累積していった!
 無論、フェンリルとてサンドバッグに堕ちたわけではない!
 巨大なあぎと鬱陶うっとうしい蜂鳥を呑み込まんと喰らい掛かり、天変地異と見紛みまがう前足が重圧に叩き潰さんと振り下ろされる!
 天災と呼んでもつかえない猛威が〈〉へと襲い掛かった!
 その巨体から繰り出される一撃一撃は〈北欧アース神族しんぞく〉が震え上がるのも無理からぬ恐るべき威力であった!
 当たれば……の話ではあるが。
 空を噛み切り、地盤が陥没する!
 いかずちの〈〉は、総ての攻撃を瞬発的な機動力で回避し続けた!
 相対的な能力差を、ヘルは達観に分析する。
(確かに兄上フェンリルの破壊力は絶大……が、あのスピードに当てる事など不可能であろう。如何いかに天災に匹敵する猛攻とて、当たらなければ意味は無い。だが──)懸念も湧く。(──あの〈〉にも決定打が無い。確かに重い一撃ではあるが、兄上フェンリルを倒すには足りぬ。あの巨躯きょくに浸透させるほどには……)
 ともすれば、どちらが勝者足り得るか──それはヘルの分析眼をもってしても解らない。
「クソッ! 何なんだ! あのアマは!」
 遠巻きからの戦況把握に、ロキは忌々しさを噛んだ。
「フェンリル! 吹雪咆哮ゲシュテーバー・ゲブリュルだ!」
 司令塔と叫ぶ!
 それに呼応するかのごとく、獣の目が意気を灯した!
「ゥオオオオオーーーーン!」
 猛る魔狼!
 使用許可が下りた!
 奥の手だ!
 来るべき〈神々の黄昏ラグナロク〉のために──対〈オーディン〉用に秘匿していた切り札だ!
 それゆえに、ロキの許可無しでは使用を禁じられていた!
 だが、こうして許可が下りたのだ!
 使えるのならば負ける道理は無い!
 フェンリルを起点として掻き集められていく大気!
 集束する気流の影響は〈〉の周囲にも生じていた。
 足首を掴まれたかのような強引な捕縛力!
「空気流動?」
 危うくバランスを崩して落下し掛けた。
 潮流化した大気では安定した電荷干渉など不可能。
 即座に、より緻密な電荷干渉へと微調整する事で、何とか滞空を踏み留まった。
 眼下の巨狼を観察に見据える。
「ヤツが目一杯に空気を吸い込んでいるからか……だが、何をする?」
 生憎あいにくと〈〉は〈怪物〉に関する知識がうとい。
 そうした文献ぶんけんに触れる機会が皆無であったせいだ。
 してや、神話時代の〈怪物〉が相手では……。
「グゥオオオオオォォォォォーーーーーーン!」
 魔獣が吠えた!
 蓄積した空気を一挙に吐き出す大咆哮が〈〉を襲う!
 しかし脅威だったのは、そこ・・ではない!
「クッ! これは?」
 それは吹雪!
 フェンリルが発した轟音は、同時に凍てつく氷気ひょうきはらむ大爆風であった!
 渦巻く気流ストリームが〈〉を呑み込む!
「ムウッ?」
 あらがう!
 雹礫ひょうつぶてが荒れ狂う猛風のくつにて!
 滞空をしているのは、もはや自身の〈イオンクラフト効果〉ではない!
 これほどの豪風では、大気も不安定に過ぎ去るだけ。
 鎮静化していない状態では電荷干渉などさせてはくれない。
 つまり現状いまの〈〉は、風圧の結界内部にて囚われているに過ぎなかった!
 一転した劣勢をロキがあざけ笑う!
「ヒャーハッハッ! テメェがどんな怪物・・・・・かは知らねぇが、大方、雷を操る〈雷神トール〉のパチモンだろ? だが、その猛吹雪の監獄でテメェは氷漬けだ! 何も出来ず・・・・・にな! ヒャーハッハッハッ!」
 ピリピリとした鋭敏な痛覚が〈〉をむしばんでくる!
 降り注ぐ雨粒も、この渦中に巻き込まれれば噛み付く氷刃!
 顔面をかばって交差した腕は、厚い氷塊を拘束具とまとい始めていた!
 脚とて、そうだ!
 冷たくも荒々しい魔物の手が鷲掴みに離さない!
 その捕縛ダメージが全身の痛覚神経へと伝導してくる!
「このままでは……凍る?」
 末路を予見しながらも〈〉から動揺はうかがえない。
 代わりに彼女の思考が巡らせるのは「如何いかにして反撃するか」だ。
「大気が安定していれば……」
 それ・・さえ確定すれば〈イオンクラフト効果〉で足場が確保できる。
 何かしらの反撃手段に転じる事も可能だ。
「このままではすがまま……下手をすれば氷結落下で四肢四散も有り得るな」
 淡々とした思索に〈〉が起死回生を模索する最中さなか──「ハアッ!」──突如として乱入した突進攻撃が巨狼の頭を流星と突き流れた!
 予測すらしていなかった奇襲を受け、軽度の脳震盪のうしんとうによろめくフェンリル!
 厚い毛皮が鎧と化して外傷こそ負わなかったが、難敵を隔離していた猛吹雪は止んでしまった。
 この好機を逃さずに〈〉は滞空姿勢を立て直す。
 薄れゆく白に見定めた助っ人は、凛然たる〈戦乙女ヴァルキューレ〉の麗姿であった!
「ブリュド?」
わたしの名前は〝ブリュンヒルド〟です!」
 わざと怒ってみせるも、ひとまず安堵の吐息に表情を砕けさせる。
「大丈夫でしたか?」
「何故?」
貴女あなた痛そうだったから・・・・・・・・……ですよ」
「……フッ」
 互いに交わす微笑びしょう
 それで充分だった。


戦乙女ヴァルキューレ……だと?」
 腹立たしさを咬み締めるロキ!
 邪魔立てに……ではない。
 その存在を視認した途端とたん、心底にくすぶらせ続ける呪怨が刺激されたからだ!
「どこまでもオレを邪魔者扱いするかよ……クソジジイィィィーーーーッ!」
 憤怒に顔面を握りこらえる!
 指間から覗く目は、一際ひときわ激しい憎悪を燃えたぎらせていた!
 その逆恨みは、より一層助長させるのだ──彼が自己存在意義レゾンデートルよりどころとする〝世界総てへの嫌悪〟を!


「それにしても、よく単身で〈神魔狼フェンリル〉を相手取りましたね?」
 滞空する〈〉の隣へと滑り並び、ブリュンヒルドは共に眼下の大魔獣を警戒視する。
アレ・・は、そんなに凄い〈怪物〉なのか?」
「規格外ですよ。神敵しんてきとすらわれる〈大怪物〉です」
「そうか」特に実感も感慨もいだかぬまま〈〉は、再び臨戦意思を示す獣を眺めた。「弱点は?」
 ブリュンヒルドは薄い苦笑に首を振る。
「そんなものがあるなら〈北欧アース神族しんぞく〉だって苦労はしませんよ。あの魔獣を封印する際にも、雷神トールがみずからの左腕を餌と犠牲にしたぐらいなのですから」
「そうか」
 眼下から睨み据えてくる真っ赤な憎悪。
 それを正視に返す無抑揚な眼差まなざし。
 ブリュンヒルドが微かな畏縮に呑まれるのに対して、当の〈〉は平静沈着であった。
 恐怖は無い。
 もとより、この〈〉には〝異形に対する畏怖〟など欠落している。
 怖い・・のは〝人間〟だけ──その〝偏見〟と〝差別〟だけだ。
 地上の巨狼を見定めながら〈〉は呟く。
「さて、どうやって倒そうか?」
 ヘルがいだいた懸念は〈〉自身も自覚していた。
 並の相手なら、とっくにほふれている。
 さりながら、あの巨体が相手では、いまひとつ威力に欠けていた。
 かといって、闇雲に足掻いても勝機は無い。
 黙考を巡らせる。
 ふと意識が傾いたのは、身体を叩き濡らす雨。
 仰ぎ見れば、黒雲は稲光をはらんでいるではないか。
「ふむ?」
 自身の能力と現状況を判断材料と噛み砕き、妙案へと結論着いた!
「ブリュド、少しの時間だけアイツを惹き付けてくれないか?」
「私が?」思い掛けない重責に目を丸くするも──「……何か策があるのですか?」
「うん」
それ・・で倒せるのでしょうね?」
「知らない。けど──」強く降り注ぐ天恵を顔面から受け止め、隠れ潜む白き胎動を見据える。「──やってみる価値はある」
「……いいでしょう」
 静かに快諾を示し、戦乙女ヴァルキューレは虚空を蹴った!
「ですが、あまり長くはちませんよ!」
 信じてみる。
 この〈〉は〝嘘〟などつかない。
 だからこそ、信じてみる!
 円錐槍ランスを軸とした突撃が、巨狼の周りを一撃離脱にまとわりつく!

 ──鬱陶うっとうしい!

 苛立ちに開かれたあぎとが虚空を噛み千切る!

 ──目障りだ!

 獣は憤りに荒れ狂った!
 だが、ブリュンヒルドは、反撃の総てをわし舞う!
 時に優美に……時に鋭角に!
 先刻の〈〉と比べてパワーと瞬発的な勢いには劣るが、大きな湾曲を描く軌道取りはむしろ捕捉し辛かった。
 ブリュンヒルドの善戦ぶりに好機を確信した〈〉は、電極の足場を蹴って冲天への上昇を試みる!
 矢と突き昇り雷雲へと突入した!
 周囲を見渡せば、撹拌する黒波に隠れ泳ぐ光蛇の群!
 それを誘き寄せる!
 おのが体内の超高圧変電装置ハイヴォルトコンプレッサーを餌として!
「ハァァァアアアアアッ!」
 襲い来るおびただしい蟲毒!
 その全てを吸収蓄積した!
 決戦のかてと!
 体内を駆け巡る高圧電流!
 筋肉繊維の隙を道と辿り!
 細胞の穴を潜り!
 肢体にまとわり着く無数の雷蛇は、彼女の内部へとたわむれに潜り込み、また呼吸を求めては外界へと顔を出す!
 それは痛みとも快楽とも解らぬ衝撃だが、常人ならば消し炭と化す事は必至だ。
 しかし、体内をうごめき這う毒は〈〉にとって生命いのちをみなぎらせる活性剤であった。
「あのヤロウ? 電気を……雷を喰らいやがっただと!」
 信じ難い異能に驚愕するロキ!
「電気を操るヤツ・・・・は知ってるが、それを喰らうヤツ・・・・・なんぞ見た事が無ぇぞ!」
 禍々しい荒神の威風には、ブリュンヒルドでさえも息を呑んだ。
「あれは……あれが彼女・・の真のちから? まるで〈雷神トール〉の娘……」
 世界を照らし砕く激しい明滅に、ようやくフェンリルもの存在に注視を戻す。
 白い巨躯きょくほとばる青光!
 雷雲を背負う科学産物!
 みなぎる電光は先刻までの比ではない!
「フゥゥゥ……」
 深い吐気に激しさを鎮めたいかづちの化身は、やがて天空の黒波からゆっくりと降臨して来た。
 帯電した長髪が無重力のように広がり波打つ。
 淡くうれいたかのように伏せた眼差まなざしは優しく慈しむ死神のような冷たい美しさに在り、同時にギョロリと覗くグロテスクな右目はみなぎる電圧に興奮するかのごとく爛々と輝いていた。
 醜美を彩る左右非対称な心象──美しく──醜く──慈愛に──残酷に────。
 その畏怖を誘う異形の風采を前に、さしもの魔獣にも戦慄が芽生え始める。

 ──何だ? 何なのだ? コイツ・・・は?

 理解不能な存在。
 まったく異質な存在。
 出逢った事の無い存在。
 神話時代にはいなかった存在・・・・・・・・・・・・・


「フェンリル……」静かに発せられた穏やかな呼び掛けに、魔獣の本能がビクリと反応した。「……ごめん」
 そして〈〉は渾身にを蹴った!
「ォオオオオオォォォォォーーーーーーッ!」
 雄叫びにまとう体内放電!
 内在する生命力エナジーを惜しみ無く開放する!
 真っ向から特攻して来る青き雷弾!
 いな
 それ・・は、もはや〈雷竜らいりゅう〉!
 竜頭と化した電塊でんかいに、激しく弾ける光の尾がなびき踊る!
 しかし、フェンリルとて意地があった!
 北欧怪物最強としての意地が!
「グルォォォオオオオオーーーーン!」
 咆哮と共に吐き出す凍気!
 その勢いは増す!
 迫り来る電攻を急速に氷結させていく敵意!
 真っ向から浴びる〈〉の身体からだが、次第に分厚い氷化粧へと固められていく!
 だが──「オオオオオォォォォォーーーーッ!」──猛る電竜は吼え挑んだ!
 つぶてを! 凍気を! 逆風を穿うがち進む!
「おおおぉぉぉーーーーッ! フェンリィィィーーーール!」
 渾身に繰り出す雷拳が貫いた!
 眼前に牙剥く口腔こうこうを!
「グギャオオオォォォォォーーーーン!」
 魔空に木霊する断末魔!
 死の酩酊に、よろけもつれる四足!
 赤き飛沫しぶきは噴き弾け、天の歓喜と混じりあって降り散った!
 咽奥を貫き抜けた〈〉は、中空から見届ける──横倒れに崩れる魔獣の最期を。
 れど、彼女の胸中を占めるのは激戦の凱歌ではない。
「フェンリル……ごめん」
 それは、殺めた生命いのちに対する懺悔ざんげであった……。




 天は容赦無く打ち付ける。
 濡れた毛皮は毛羽立ちを鎮め、泥濘ぬかるむ地表に丘陵と倒れ沈んでいた。
 絶命間近の巨狼からは、もはや攻撃的な意気はうかがえない。
 先刻までみなぎらせていた苛烈な敵意は成りを潜め、ただ〝誇り〟だけが虚脱的なまなこに宿る。
 視界の隅で近付いて来る影を察知した。
 意識を傾ける。
 〈〉であった。
 
 ──トドメを刺すか……いいだろう。それが勝敗の鉄則だ。自然界にける唯一にして絶対的な掟だ。

 心を渇いた自嘲に染める。

 ──だが、忘れるな! オレがいだく怒り……封印され続けた無念は、きっと父上が晴らしてくれる! 努々ゆめゆめ忘れるなよ〈人間・・〉!


 しかしながら、間近まで来た〈〉が手向けたのは、介錯の刃ではなかった。
「……フェンリル、ごめん」
 喉笛を優しく撫でなだめつつ、そううれう。
 戸惑いを覚えた。
 侮辱にさえ感じた。
 れど──拒めなかったのは何故であろうか?
 答えを模索する。
 おのれが理解出来ぬ領域へと踏み込む。
 それが〝博愛〟と呼ばれる事など知らぬままに……。
 廻る思索が心安らぐ闇に呑まれるまで……。




 尽きた命を前に〈〉は佇んだ。
「……ごめん、フェンリル」
 悲しみを噛み締める。
 背後に気配を感じた。
 ブリュンヒルドだ。
「本当に倒してしまったのですね……あの大魔獣を」
「うん」
 振り返らずに返事だけを返した。
 ひたすらに獣のあごを撫で続ける。
 さながら、安らかな眠りにいざなうかのように……。
 その挙動を見ていると、何故だかブリュンヒルドの胸中も締め付けられた。
「……気にしているのですか? 殺めた事を?」
「うん」
「相手は神敵たる魔狼……貴女あなたが悔いる必要はありません」
「違う」
「え?」
「死んでいい命は無い」
「そ……それは……」
 正論であった。
 倫理的には間違いなく。
 れど、現実はそう・・ではない。
 それが摂理というものだ。
 戦争──私闘──日常的な食事に至るまで、生命いのちいのちを奪わなければ存在できない。
「仕方ないのですよ……生きる・・・という事は、他の命の犠牲・・・・・・の上に成り立っているのですから」
「うん。分かっている」
 明日の生命いのちを繋ぐため、卯肉を食べた。
 マリーの命を守るため完璧なる軍隊フォルコメン・アルメーコーア〉を一掃した。
 サン・ジェルマンを救うため科学兵士ウィッセンチャフト・ソルダットを破壊した。
 そして、街の人々を守るため、フェンリルを殺めた。
 自分にとって大切なものを守るには、時として他者をにえと裁かねばならない。
 しかし、それでも──「みんなが仲良く生きられる世界ならば、良かったのにな……」──儚くも寂しい微笑ほほえみに、虚しい想いを呟いていた。
「…………そう……ですね」
 純朴で切実な吐露が、ブリュンヒルドの胸に突き刺さる。
 と、突然〈〉はガクリと片膝を着いた!
「どうしました!」
 慌てて駆け寄るブリュンヒルド!
 狼狽浮かべる戦友ともだちを〈〉は薄い苦笑にがわらいで安心させようとする。
「心配ない。エネルギーを使い過ぎただけ」
「エネルギーを?」
 無理も無い。
 相手は〈北欧アース神族しんぞく〉が神敵と定めた大怪物……本来ならば、並の〈怪物〉では──いな、仮に戦乙女ヴァルキューレ総出であっても──倒せるか定かにない難敵だ。
 それを、彼女は単身で倒したのだから。
「立てますか?」
「うん」
 ブリュンヒルドに肩を貸されて、よろめき立ち上がった時であった。
「……オイ」
 不機嫌な声音に呼び掛けられる。
 煙雨に霞む地平を歩き来る人影──悪神ロキであった。実娘ヘルを従え、不敵に近付いて来る。
貴方あなたは、ロキ!」
 すかさず警戒に円錐槍ランスを身構えるブリュンヒルド!
 フェンリルが復活した以上、その背後に彼がいる可能性は予想していたが……邂逅したのは初めてだ!
 が、ロキの関心は彼女に無い。
 興味を欠いた一瞥いちべつに流すと、警戒心皆無で見つめ返す〈〉へと視線を戻した。
「……よくもオレの息子をってくれたな? ああ?」
「うん、ごめん」
 近付く敵へと謝罪する。
 歩みは止まらない。
「実際、フェンリルを仕止める〈怪物〉なんて、いるとは思わなかったぜ……コイツァ〈北欧主神オーディン〉と刺し違える運命に在るほどの〈大魔獣〉だったんだからよォ」
「そうか」
 息子フェンリルの遺骸を眺めながらも、ロキは乾いた邪笑を浮かべている。
 その様子を見たヘルは悟るのだ──この男には、子供達すら道具でしかない……と。
 そして、あの笑みが示すのは〝高揚感〟だ。
 自分の退屈を紛らわせる好敵手てき──フラストレーションの矛先を向けられる玩具てきの出現に、彼は期待をたかぶらせている。
「で?」皮肉めいた蔑笑べっしょうを携え、ロキは〈〉へと揺さぶりを仕掛けた。「オレ様の邪魔をした以上、覚悟は出来てるんだよなぁ?」
「覚悟?」
「オレ様と事を構える覚悟だよ」
 含まれる挑発を許すまいと、戦乙女ブリュンヒルドが割って入る!
「何を言うのか! そもそもは、キサマ自身が蒔いた災厄ではないか! 彼女・・は、その魔手を払い退けただけだ!」
「あ? 何で〈戦乙女ヴァルキューレ〉が〈怪物〉に荷担するよ?」
「そ……それは!」
 蔑視べっしを帯びた指摘に、思わず口隠くちごもった。
 ブリュンヒルドにしても、その矛盾した自己葛藤と訣別できたワケではない。
 だがしかし、それでも彼女は、こうくちにするのだ!
 そう、現在いまの彼女は!
 気高く!
 誇りをもって!
「──それは、彼女が親友だからです!」
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