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~第三幕~
銀弾吼える! Chapter.7
しおりを挟む誰もいない礼拝堂──。
そう、もはや誰もいない……。
ただ独り祈りを捧げる〝マザー・フローレンス〟以外には……。
深淵に沈むかのような閑寂。
神像御前の汚れを軽く清掃したものの、事後の血痕は払拭するに多過ぎる。
そんな血の臭いが燻る中で、マザーは一途に祈り続けた。
惨劇に召された幾多の生命へと手向ける想いを──。
「……やはり、いらっしゃいましたか」
不意に独白の如く、背後の気配へと語り掛けた。
入口に立つ殺気へと……。
夜神冴子であった。
その銃口は迷い無くマザーへと定められている。
「ですが、どうして此処へ?」
「有能な情報屋がいてね」
イクトミが託したメモには書いてあった──『マザーは教会付近の隠れ家へと潜伏中。煙が絶えた後に帰還し、また同様の手口を再開するだろう。数日待っていろ。そうすりゃ奴さんの方から来る。そうして、ヤツは何年も〈教会〉を維持してきた』と。
あの警告が無ければ、血眼になって他行政区を捜しに向かっていたかもしれない。
最悪、ニューヨークを出ていた可能性もある。
最後の最後で大きな有力情報を提供してくれた。
エンパイアステートビルでの裏切りは呑み込んでやる。
何処に逃げたかは知らないが、もう報復に追う事は許してやろう。
それよりも……コイツだ!
「ジュリザは言った──〝あの獣を殺して〟と。そう〝私を殺して〟ではなく」
「そうですか」向けられる敵意すら流水のように受け流し、マザー・フローレンスはゆっくりと立ち上がった。「では、ようやく確信を抱かれたのですね? 私こそが〈獣妃〉である……と」
穏やかに向き直る柔和な微笑みは、しかし、現状となってはゾッとする戦慄を植え付ける。
「もっと早くアンタを撃ち殺すべきだった! 人間だろうと何だろうと躊躇無く!」
瞳に宿る憎悪!
「何を目論んでいるの!」
「闇暦に於いて、あらゆる〈怪物〉が見据えているのは〈闇暦大戦〉の覇権──違いまして?」
「こんな邪教を発起して、何を企んでいるかを訊いている! 何の為に、ジュリザを! 子供達を!」
「救いです」
「救い?」
「この闇暦に、力無き者達は生き残れません。死ぬまで生き地獄を味わうか、或いは強者の贄と弄ばれるか……どちらにせよ〝生きる事〟は苦痛でしかありません。そして、旧暦に人々が心酔した〈神〉もいない。でしたら〈新たな神〉の庇護へ誘うのが、せめてもの救済ですもの」
「偽善に飾るな!」
発砲!
威嚇の銀弾が左頬を掠めた!
スゥと筋を描いた赤にも怯えず、フローレンスの眼差しは涼やかな達観を彩る。
然もあらん。
その傷は、波打ち際の砂絵の如く静かに消え失せたのだから。
(コイツ? やはり並の獣人ではない?)
得体知れぬ戦慄。
冴子の心理を嗅ぎ取ったかは判らぬが、余裕にたゆとう憂いは粛々たる抑揚に語り聞かせた。
「貴女には感受できませんか? この時代に降臨された〈新たなる神〉の威光が……。事実、子育てすら儘ならない親御さんは、この教会の前に捨てられましてよ? 己の子を……。嗚呼、此処ならば〈神〉の慈悲に預かれるだろう──と。そうして集まった子供達ですわ」
「どんな想いで捨てたと思ってるの……」憤慨を圧し殺した銃口が、ジリジリと間合いをにじり詰める。「我が子を手放さねばならない、身を切られる想いが分かるか!」
「棄てられた物をどう扱おうが、それは拾い主の自由……違いまして?」
「オマエは……オマエは〈餌〉を掻き集めていただけだ! 労せず、好きな時に好きなだけ〝糧〟を飽食出来るように! あの子達の純真を……思慕を利用して!」
「召されるのは〝魂〟のみ……所詮〝肉体〟は器に過ぎない。でしたら、それを無駄にしないのは、理に叶った還元でしょう? 彼等の〝魂〟は救済に召され、私の生命も繋がれる──皆が幸福の恩恵に肖れるのですから。ええ、これもまた慈悲……惨めに〈デッド〉と化すよりは、余程いい」
「あなたは……あなたは最悪よ! 最悪の偽善者──まさしく〈獣〉だわ! あなたに比べたら、彼女は……ジュリザは〝人間〟だった! 彼女は〈生命〉の……〈魂〉の尊さを知っていた! 自責に苦しんでいた! 良心の呵責があった!」
「嗚呼、可哀想なジュリザ……まだ覚醒して日が浅い為に、そのような些事に苦しんでいたのですね。私のように永い歳月を過ごせば、聖職の免罪に希薄化されるというのに……」
「邪教が! 何が〝救済の宗教〟だ! キサマは、いったい何を崇めている!」
「何を……ですか」
睨みつける正視を受け止め、マザーは物憂げな眼差しを虚空に仰いだ。
「虚像でも善いではありませんか……弱き心の免罪符となれば」
煉獄描くステンドグラスに阻まれた視線の先には、はたして〝何〟が見えているのであろうか……。
「ヨガミサエコ? 貴女は〝何〟を恐れているのです?」
「な……何を?」
「貴女の銃弾には、我々〈獣人〉に対する〝憎悪〟が宿っている……そう、単なる〝嫌悪〟ではなく〝憎悪〟が。それも他人事ではなく私怨のような──私には、そう見えるのです」
「黙れ!」
右頬を刻む銀弾!
然れど、効果は同じだ。
刻み付けた銃痕は、みるみると治癒再生してしまう。
銀弾だというのに!
(獣人である以上〈ルナコート〉が効いていないはずは無い。ただ、再生治癒が高いだけ……ケタ外れに!)
呪われし魔物が秘めたる驚異を噛み締めながらも、冴子は平静を装って問答を続けた。
「ひとつだけ訊かせて……ジュリザは何なの?」
現実へ引き戻され、冷たい憂いが応える。
「何……とは?」
「いまにして思えば、エンパイアステートビルの戦いは『ジュリザの完全覚醒』が狙いよね? 血腥い殺し合いを生で見させて、表層意識を現実嫌悪へと追い込み、深層意識を高揚させた。加えて言えば、私を殺させる事で〝ジュリザ〟を失望のドン底へと叩き落として〈獣〉の覚醒を完全なものとする仕上げ……天下の〈怪物抹殺者〉が餌だったってのは、間抜け過ぎて笑えるわ」
フローレンスは涼しい微笑に答えない。
それが、そのまま答だ。
さりながら、どうでもいい。
追求すべきは、その先だ。
「そこまでして覚醒を促そうとする……何なの? ジュリザは?」
「姉妹ですよ」
「嘘をつかないで! この期に及んで!」
「いいえ、本当ですよ? 何故なら〈獣妃の呪血〉を授かったのですから……洗礼の血杯として」
「なっ?」
「実験でしたの。普通の人間に〈呪血〉を受け継がせた場合、はたしてどのような反応を起こすのか──それを知る為の被検体ですわね」
「何の為に!」
「人間になる為に……」
「な……にッ?」
「正直、もうウンザリしているのです。貴女に御分かりになるかしら? 旧暦時代から苦しめられてきた忌まわしい体質が? 〈ジェヴォーダンの獣〉などと呼ばれて追われた精神苦が?」
「それだけの事をしたわ」
「食しただけ……自然の理です」
「……ジェヴォーダン、三百六件、百二十三人」
「何ですの?」
「キサマが犯した襲撃回数と死亡者だ! 僅か一年前後で! これだけの数を『食した』で済まされるワケが無いだろう!」
「ああ、そういえば……時には〝狩り〟へと興じた事もありましたわね……フフフ」
「鬼畜が!」
慄然めいて考察を巡らせる最中、フローレンスが動きを見せた。
「旧暦時代、何故〈人狼〉には月光が必要だったか御解りかしら? 呪血? 細胞? それとも、呪い? いいえ、違う。獣化のプロセスは〝精神の具現化反映〟なのです」
「動くなと言っている!」
「何故、満月とされてきたのか。古来より〝満月の夜〟は殺人発生率が増加しますのよ。それは月が〝潮の干潮〟に影響しているから。そして、血潮の高揚にも……。つまり満月の夜は、異様な興奮が活性化する。ああ、確か〈刑事〉でしたから御存知ですわね? フフフ……これは出過ぎた講釈を……フフフフフ」
メキメキと膨れ上がる筋肉!
ミシミシと強度を増していく骨格!
そして、ザワザワと覆い繁る獣毛!
「こノ闇暦でハ、幸いニモ〈黒月〉ガ常駐シテイル! ソノ強大ナ魔力ヲ悪心ノ源泉トスレバ、月光ニ依存シナクテモ〈アドレナリン〉ヲ過剰分泌サセル事ガ出来ル!」
常軌逸脱の講釈に変身は続く!
体毛逆立つ獣影は巨躯に昇華されていく!
このタイムラグを見逃すほど、夜神冴子は間抜けてはいない!
空鳴きするまで銃弾を叩き込むと、即座に装填用弾層を入れ換えた!
続け様の射撃──が、冷静な一顧にて止める。
(……無駄弾)
再生は相変わらずだ。
むしろ変身プロセスと重なる現状は、再生力がより高まっている。
ならば、どうする?
(考えろ! 夜神冴子! 確実にコイツを殺せる手を……地獄を味あわせる手段を……)
どれほどの命が奪われた?
どれだけの魂が弄ばれた?
その片鱗だけでも身に叩き込まなければ気が済まない!
あの子達の無念を!
──冴子さんは〈怪物抹殺者〉だから…………。
──さーこおばたん、もんたーすれた……。
脳裏に刻み込まれた想い……。
儚い想い……。
無力ながらに縋る想い……。
だから、自然と口角が不敵を刻んだ。
(……そうだぞ? 冴子お姉さんは、強いんだぞ?)
委ねられた〝想い〟が、沸き上がる鼓舞と化す!
私は〈牙〉だ!
理不尽に抗えぬ魂の!
無情に踏みにじられる一途な命の!
私は……〈怪物抹殺者〉!
「ウォォォーーーーン!」
変身完了の凱歌か……猛る遠吠えを響かせる!
斯くして、聖母は〈人狼〉と化した!
体高二メートル強もある漆黒の獣に!
「サア、貴女モ召サレナサイ! 永遠ナル幸福ヘト!」
振り下ろされる鋭い爪!
しかし、冴子は臆せずに醒めた冷蔑を返すのであった。
「霊感商法は願い下げ」
それを示し会わせたかのように、頭上のステンドグラスを割って飛び込んで来る乱入者!
獣の脳天目掛けて雷拳が強襲を仕掛けた!
「ぅらあああーーーーっ!」
鋭敏な本能か──後方跳躍に回避するフローレンス!
膝つきの着地に正体を見極めれば、電光纏う翼の鳥獣人であった!
「チィィ……ダコタノ小娘!」
忌々しく睨み据える!
一方で美しき弾劾者二人は、涼しい信頼に並び立つのであった!
「なぁ、冴子? 二対一は卑怯……なんて言わないよな?」
「ええ、言わないわよ? だって、これは決闘じゃないもの」
「ああ、これは──」「そう、これは──」
「「──害獣駆除だ!」」
凛たる死刑宣告!
すかさずラリィガは突進を仕掛け、夜神冴子は威嚇発砲の左跳びで雲隠れした!
効くはずが無いのは百も承知!
牽制だ!
列なる長椅子を盾と活用すると同時に、闇のベールを潜む術と纏う!
「小細工ヲ!」
無駄のない連携が舌打ちを誘った。
邪視が索敵に滑るも、迫るインディアンはそれを許しはしない!
「余所見している余裕なんかあるのか!」
「獣人ノ恥レ者ガ!」
「アタシはオマエ達とは違う!」
ガッツリと組みあう両者の手!
力競べの体勢となった!
互いの獣臭が力む顔を近付ける!
「生憎だが、ステゴロ勝負で負ける気はしない!」
「デハ、見セテモライマショウカ! 滅ビシ部族ノ無力サヲ!」
「滅んじゃいない……アタシがいる!」
拮抗!
驚くべき事に、獣化したフローレンスは〈二重憑霊〉を遂げたラリィガにまったく引けを取らなかった!
「くっ? コイツ?」
これぞ〈獣妃の呪血〉が為せる業であろうか?
だが、ラリィガには有って、フローレンスには無いものがある!
それは!
「はい、ガラ空き~★」
「ギャウ!」
背後からの発砲!
数発の弾丸が背中に赤飛沫を噴かせる!
夜神冴子だ!
膠着に立つ巨躯は、格好の的であった!
「ヨガミサエコォォォーーッ!」
憤怒!
沸き立つ激情を勢いと転化したか、その場での垂直跳びに回し蹴りを繰り出した!
ラリィガの頭へと目掛けて!
「がはっ!」
右側頭部へと叩き込まれた重い衝撃!
さすがに苦悶を吐いて吹っ飛ぶ!
着地するやフローレンスの筋肉は、再生に塞ぎ異物を吐き出した。
致命傷は無い。
「あちゃあ? やっぱ治癒再生するか。厄介な体質だこと」
「ヨガミサエコ……小賢シイ小娘ガ!」
「は~い ♪ それだけで生きてきました~★」
ヒラヒラと掌を振る挑発の微笑み。
「グオォォォーーーーッ!」
渾身の咆哮!
刹那〈怪物抹殺者〉としての直感が危険を察知する!
「うわっと?」
即座に体勢を屈め、長椅子の防壁へと潜り込んだ!
選択は正解であった!
先居た座標を軌跡として、不可視の巨槍が貫いていた!
背後に据えられた装飾柱が抉り砕かれ、長椅子の一部も巻き込まれに粉砕している!
「アッブなー……衝撃波か」
まるで掘削重機による破壊痕であった!
その威力には軽く戦慄を覚える!
(基本的に〈獣人〉の特性は超身体能力という物理的且つ生物学延長のもの……。こんな特性を持つ〈獣人〉なんか出会した事も無いわね)
ともすれば、やはり特別なのだ──この〈獣妃〉という存在は!
(そういえば〈呪血〉とか言っていたわね。だとしたら〈原初怪物〉──もしくは、その血統か)
多くの〈怪物〉にはルーツたる特異存在がいる。
それが〈原初怪物〉だ。
時として〈魔神〉などと称される事もあり、神話や伝説に於ける存在と化していた。
現在、大手を振って跋扈している〈怪物〉は、そうした魔神級怪物の子孫であると同時に廉価版とも呼べる。
永い歴史の中で〈血〉や〈魔力〉が希釈する事で弱体化してしまうせいだ。
が、稀に〈原初怪物〉の血──即ち〈呪血〉を色濃く継承する者もいた。
それが〈血統〉と呼ばれる個体である。
先祖返り的な能力を保持する超強力なレアモンスターだ。
眼前の〈怪物〉は、そこはかとなくそれと感受させた。
(でも、ま、〈獣人〉は〈獣人〉よね)
上着のポケットを触る。
切り札の装填用弾層だ。
この決戦を見越して用意した物ではあるが、実戦には初投入──効くか効かぬかは試してみなければ判らない。
況してや、相手は〈呪血〉だ。
(……賭けてみるか)
静かに咬む決心。
そして──チラリと傍らの霊気を意識した──策は、もうひとつある。
魔獣が大きく息を吸い込んだ!
(また来る! 第二波!)
即座に回避へ動けるように身構えつつ、冴子は警戒を張り巡らせる!
と、そうはさせじと魔獣を殴り飛ばす拳!
「アタシが相手だって言ってんだろ!」
「グァッ!」
復活したラリィガであった!
「ダコタノ小娘!」
警戒の睨め付けを浴びながらも、ラリィガの臨戦意志は怯まない!
「ハァァァッ!」
気合が種火と弾け、全身に帯電を生んだ!
「いくらオマエが〈獣妃〉であっても、雷撃でノーダメージとはいかないだろ!」
気迫に攻める翼が、雷纏う拳を繰り出した!
「チィ!」
大きく間合いを離れる後方跳躍!
迸る電撃と重い拳撃の二重奏──確かに喰らえば洒落にはなるまい。
フローレンスにしてみれば、厄介な相手であった。
異質な獣化プロセスにして、それ故に帯びる特異能力──謀らずも〈血統〉に匹敵する強さを備えている。
況してや〈怪物抹殺者〉との共同戦線だ。
厄介過ぎる!
ならば、更に差を開かざるえないだろう!
敵を牽制しつつ、魔獣は切り札を手にした!
そのアイテムを目にした瞬間、冴子とラリィガには戦慄が走る!
「アレは……魔薬〈スティーブンソンの涙〉?」
「まさか? コイツ〈強化侵食〉を!」
狩人二人の驚愕を嘲笑うかのように、獣は魔薬注射器を首筋へと突き立てた!
メキゴキュとした不快な骨肉音を奏で、みるみる増強されていく巨躯!
「やめろォォォーーッ!」
変身を阻止せんと特攻するラリィガ!
滑る翼が雷拳を繰り出す!
だがしかし──「フン!」「ぐあッ?」──無造作に振り凪いだ豪腕が物ともせずに払い飛ばした!
幾多もの長椅子を瓦解に巻き込み、ラリィガを残骸へと埋もれ沈める!
「ラリィガ!」
「グゥ……へ……平気だ、冴子! それより気を付けろ! ソイツ、あの〈ブロンクス区長〉よりも格段に強いぞ!」
相棒への警告を叫びつつも、ラリィガは右脇腹を押さえている。
その様を気取られないように振る舞ってはいたが、生憎と夜神冴子は観察力に長けていた。
(ああなったラリィガに、これ以上は酷……。私が決着をつけるしかない)
三メートル弱もの巨獣が、のそりと振り向いた。
本来の獲物──〈怪物抹殺者〉に!
「ヨガミ……サエコォォォ!」
「どうやら素体が〝人間〟か〈獣人〉かで開きが出たようね? もっとも、その魔薬のコンセプトは〝下駄履き〟……となれば、基本底値の高さが左右するのは当然か」
正面構えに〈ルナコート〉を構える!
「貴様ヲ葬ル! 〈ベート〉ノ名ニ懸けて!」
「勝手に懸けないでくれるかなぁ? 迷惑だわ」
発砲!
銀が鳴く!
迫る巨獣は右肩の出血に突進を足止めされる──が「フフフ……効カナイワ」──再生に塞ぐ傷口。
構わずに撃つ!
撃つ!
撃つッ!
左肩! 右腿! 左腿! そして、胸板!
その都度、衝撃に硬直しながらも、やはり傷口は再生に塞ぐ!
「学習シナイワネ……無駄ダトイウ事ヲ!」
嘲笑に体勢を立て直す黒獣!
しかし、視界がガクンと沈んだ!
脚の力が不足している!
否、脚だけではない!
全身を蝕む不調感!
思うように力が入らない!
「コ……コレハ? ヨガミサエコ! キサマ、一体何ヲシタッ?」
「何をしたも何も撃っただけよ? ただし特殊弾だけどね?」
「グゥ……麻酔弾ダッタカ!」
「まさか? そんな物で、アンタを無力化できるなんて思っちゃいない」種明かしとばかりに、冴子は一弾の薬莢を摘まみ見せる。「トリカブト──混ぜておいたわ」
「ナッ?」
「ま、それでもアンタには効果薄でしょうけどね? 並の〈獣人〉じゃないし? だけど体内へ直接叩き込めたのは大きい。その〈毒〉は、遅々ながらも確実にアンタを蝕む」
「キ……キサマ!」
「ついでに言えば、御自慢の治癒能力も裏目に出たわね? 体外排出もさせない内に、自分から体内へと取り込んだ……貪欲にね」
「ガァァァーーーーッ!」
憤怒依存の気迫!
どうやら、気力任せに無効化を試みていた!
重い一歩が踏み込む!
更に一歩!
信じ難い事だが、魔狼は不可視の鎖を振り切らんと身を動かしていた!
「ヨガミサエコォォォーーッ!」
立ち塞がる巨影が怒り心頭に滾る!
さりながら、夜神冴子は不敵に笑むのであった。
「たいした根性だわ。けどね、アンタは、またポカをやらかした」
「ナ……ナニ?」
「逆上と焦りに突き動かされて、不用心に私へと近付いた。自ら〈結界〉の領域へと……ね」
「結界……ダト?」
「戌守さま!」
威令に呼応して、空間が違和感を染める!
不気味な清涼と鎮静!
霊気だ!
堂内そのものを染め上げるだけの霊気だ!
次の瞬間、黒狼の五体が拘束に固まる!
まるで金縛りのような剛力に!
「コレハ? コ……コレハ!」
「見えるはずよ。あなたが〈神〉に仕える者なら……仮に口先だけだったとしてもね」
──マザー……。
「アニス?」
右腕にしがみついていたのは、間違いなく逝った子供であった!
いや、右腕だけではない!
四肢に!
首に!
肩に!
身体に!
──マザー、大好きだよ。
──マザー、ずっと一緒にいてね。
──マザー……。
──マザー…………。
──マザー………………。
教会の子供達──そして、肉を喰らった餌共であった!
血を啜り飲んだ贄達であった!
「ナ……何故? 何故、コイツラガ! 死ンダハズヨ!」
「〈精霊崇拝〉──想いの前に〈魂〉は永遠なのよ。死生観念すら越えてね」
霊界と現世を結ぶ──それは〈神〉の本分である。
霊力を憔悴したとはいえ〈戌守〉は〈神〉だ。
造作も無い。
思慕に寂しさを噛むこの子達を連れ戻す事などは!
況してや、夜神冴子という〈光〉は、この子達を呼び戻す道標となった。
暗闇の中で柔らかく点る街灯の如く!
「放セ! 放セ! 放セェェェーーーーッ!」
見苦しい焦燥に荒れ狂う獣!
それが何になろう?
全身を拘束する錨は、どんどん増していくだけだ!
喰らった分だけ!
「ヤメロ! ヤメテ! 放セ! 放シテ!」
次第に声音から険が失われ、威圧的な巨躯が萎えていく。
貧弱に……。
脆弱に……。
それは魔薬の副作用〈呵責衰弱〉の発現。
皮肉な事に、この地獄とは相性がいい。
一気還元された罪悪感は、ますます以て子供達を惹き付ける。
増えていく。
奈落の枷が……。
「ヤメテ……イヤ……許シテ……イヤァ!」
フローレンスの愁訴は免罪符とならない。
死刑囚の頭部へと銃口を定め、夜神冴子は無情を宣告した。
「そんなモンじゃないわよ……その子達が味わった恐怖はね」
合わせる照準に叫ぶ!
「戌守さま!」
以心伝心とばかりに、霊獣が銀銃へと飛び込んだ!
「最期ぐらい〝母親〟でいてやりなさいよね……命を拾った者の責任よ」
決着の引き金!
閃火に放たれる銀弾!
その弾丸には〈戌守〉が憑依する!
銀弾──
霊獣──
忌避素材──
獣人殺しの三重奏!
処刑の銃声が轟く!
銃声?
否、それは獣吼!
霊獣が吼える裁きの宣告!
夜神冴子の正義を具象化するが如く!
下すは神罰か!
それとも刑罰か!
鉄槌の熱が、裁きに眉間を貫通した!
「ヒッ?」
穿つ刹那に剥離した〈戌守〉は、そのまま居残る──罪人の内側へと!
そして、一斉解放した霊力を爪と化して切り裂いた!
心臓を!
動脈を!
静脈を!
毛細血管に至るまで微塵と切断する!
肉体内部に駆け巡る霊気のかまいたち!
「ガッ!」
短い痙攣に崩れ倒れる魔狼。
血肉に飢えた餓獣は、次第に聖母へと還り逝く。
「〈紐育の人狼〉……か」
誰に言うとでもなく冴子は呟いた。
看取る価値すら無い亡骸から関心を背け、空しさ噛んだ踵を返す。
振り向き様に、虚像の眉間へと撃ち込む銀弾!
満身創痍の相棒に肩を貸し〈怪物抹殺者〉は礼拝堂を後にする。
常闇の現世魔界は激しい煙雨に染まっていた。
心身を叩きつける痛みは、それでも背後の虚構よりマシだ……。
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