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~第三幕~
銀弾吼える! Chapter.6
しおりを挟む見上げるに黒い月。
その黄色い巨眼を見つめ返し、イクトミは〈チャヌンパ〉を蒸かした。
立ち昇る紫煙が、互いの視線を燻し遮る。
高層ビルの屋上は、さすがに風が荒れ騒ぐ。
乱れるのは早い。
ふと馴染み深い気配を感じた。
「出て来いよ?」
振り向くでもなく、イクトミは沈着な抑揚に促す。
応えるべく背後へと具現化したのは、やはり〈獣霊〉であった。
予想通りの流れだ。
「訊きたい事がある……って顔だな?」
一瞥に苦笑を浮かべる。
「ああ、山程な」
獣精の表情は固い。
「ラリィガは?」
「置いてきた」
「オイラの事は?」
「露ほども疑っちゃいない」
「オマエさんだけが胸中に仕舞うって? 相変わらずの過保護ぶりだな」
「御互いにな」
四足は静かに歩み寄ると、隣へ腰を下ろした。
「薔薇臭いな?」
「ああ、チッとばかし薔薇園で遊んで来た」
「ほう?」
「何だよ?」
「いや、珍しい事もあるもんだ……と。オマエさんには、そうした叙情が薄いと思っていたもんでな」
「いけねぇかい? オイラがセンチになっちゃあ?」
「いいや」
視界の隅に交わす苦笑い。
二人して見下ろせば、眼下に広がるは煌々と点した暗色の絨毯。
「見ろよ、シュンカマニトゥ? これが白人共の生み落とした虚構だ。闇暦現在は〈獣人〉達による支配都市とは言え、本質は変わらねぇ」
「その〈牙爪獣群〉を構成する〈獣人〉達も、素を見れば、ほとんどが〝白人〟だからな」
「無くなったよなぁ……川も大地も……」
虚無感を誘発する懐古。
「そもそも北米は〈アメリカン・インディアン〉の先住地だった。ま、旧暦に於いて、各部族間の不和抗争も無論ありはしたがよ」
「一概に〈アメリカン・インディアン〉と称しても、実態は〈アパッチ族〉〈スー族〉〈ホピ族〉〈チェロキー族〉等の様々な部族を統括した総称に過ぎないからな。各部族間で利害の差異は生じて当然だ。〈スー族〉もまた、インディアン部族の最大勢力──〈ダコタ族〉〈ラコタ族〉〈ナコタ族〉──を統括した総称だしな」
「で、ラリィガは〈ダコタ族〉の血統……と」
「あくまでも〝血統〟でしかないが……な。闇暦に於いては、インディアン自体が滅んでしまった。だからこそ、全部族の文化や概念が、アイツ一人に雑多混在と受け継がれている。言い換えれば、アイツは〝最後のアメリカン・インディアン〟だよ」
「違ぇねえ」と、苦笑に紫煙を吐く。「が、それでもよ? 仮に部族間抗争があったとしてもよ? インディアン達は、自然調和を崩壊させるという愚かしさは無かった」
「〝自然の恩恵に敷かれた牧歌的民族〟という共通概念があったからな」
「それを営利主義にブチ壊したのは、植民目的で侵入してきた欧米人種──つまり〝白人〟の介入だぜ! 悪名高き『南北戦争』は云わずもがな、インディアン史上最大最悪の『セミノール戦争』等……幾多もの殺戮へと〈インディアン〉が巻き込まれた!」
無自覚に興奮するイクトミを冷静に一瞥するも、シュンカマニトゥに異論は無い。
中には『ハニースプリングスの戦い』のように白人同士の争いに尖兵として動員された代理戦争的な扱いも幾多と在った。
「或いは、ペテン同然の取引で土地の権利を奪う手口にも当てられたぜ? アメリカ合衆国自身が〝永遠の不可侵領土〟と保証した〈偉大なるスーの国〉ですら、領土内〈ブラックヒルズ〉に〝金〟が発掘されるや否や易々と条約無視に侵食没収されているんだぜ? 何が『ララミー砦条約』だ!」
「そうした背景によって〈アメリカン・インディアン〉は民俗文化衰退の憂き目に遭い、取り込まれた白人社会に於いても異端視差別を負わされた……か」
「子供だって奪われただろうが。先祖や親が〈インディアン〉って事実を隠蔽した里子制度──酷過ぎるぜ」
熱を帯び始めた親友の意気に、獣精は冷静な一瞥を向けた。
分からぬではない。
そうでなくともイクトミは〈インディアン達の伝達者〉だ。
かつて旧暦では部族の壁を越えて『白人侵攻の警鐘』を伝え回った事もある。
その努力と憂いが実らずに、インディアン達が衰退させられた無念さは如何程か……。
さりとも、それを容認してはならない。
溺れてはならない。
為すべきは復讐ではない。
教訓として繰り返さぬ事だ。
「……だからと言って白人の総てが〈悪〉ではない。誠実な愛情を抱いている里親や、或いは種族の壁を乗り越えようとしている者達もいる」
「そりゃあ……そうだがよォ……」
イクトミは不服を抑えて唇を尖らせた。
沈着冷静に美徳を諭されれば、彼の怨み言など矮小な種火に過ぎない。
況してや、親友からの宥めなれば……。
「怨鎖の念に囚われては、我々とて同じと堕ちる。忌むべきは、一握りの私欲主義者だ」
「だから、ラリィガか?」
「闇暦に生きるアイツには、怨恨の現体験は無いからな。有るのは〝受け継がれし血の誇り〟だ。或いは……」
口にしかけて、シュンカマニトゥは思いを呑んだ。
「何だ?」
「いや」
同期的に思い浮かんだのは、あの女であった。
怪物殺しの異邦人。
この地の歴史とは無縁の魂。
心底には根深い私怨を燻らせながらも、それに呑まれる事もない。
仮に〈怪物〉であろうとも、肩書や大義に酔って虐殺に走る事もない。
おそらく彼女が見ている〈人間〉とは──。
巡る黙考を取り止め、シュンカマニトゥは再び冷静に語り掛けた。
現状の本題は、それではない。
「別に歴史の長恨を愚痴りたいワケでもあるまい?」
「ああ、まぁな……」
改めて闇空を仰ぐ。
ややあってから、獣精は静かに切り出した。
「いつからだ?」
その声音は、特に怒りも糾弾も孕んではいない。
端的な質問が、何を指しているかは解っている。
イクトミは取り繕いも無く、素直に晒けた。
「もう、だいぶ前からさ。アイツら〈牙爪獣群〉が、ダコタへ攻めて来た直後頃からかねぇ……」
紫煙が燻る。
「オマエこそ、いつからだ?」
「エンパイアステートビルで再会した時、オマエから微かに〝するはずのない獣臭〟を感じた。血肉を貪る事の無いオマエから〝肉食獣〟特有の臭気が……な」
「さすがに鼻が利くねぇ? 香水でも使っておくべきだったか?」
自嘲に浮かべる苦笑は、寂しく渇いていた。
「どうしてだ?」と、今度はシュンカマニトゥが訊う。
「……疲れちまった」
「疲れた?」
「旧暦も闇暦も、何ひとつ変わらねぇ。カスター将軍だろうが〈牙爪獣群〉だろうが〝白人〟は欲のままに侵略し、抗う者は殺され、血が流れ、そして我が物顔に奪われる。そんな不毛なサイクルに疲れたんだよ……オイラは」
「ラリィガは、まだ負けていない」
「いずれ負ける」深く紫煙を蒸かす。「磐石な大勢力へ、個人一枚岩で戦い抜けるワケ無ぇだろう? 彼の英雄〝シッティング・ブル〟や〝ジェロニモ〟が立証していらぁ」
「後ろ楯には〈白牛女神〉もいる」
「同じだよ。確かに〈白牛女神〉は強大だ。何たって〈怪物〉じゃなく〈女神〉だからな……潜在力の桁が違う。だが、この闇暦に〈神〉級に匹敵する未知数なんか、どれだけいるよ? 先頃にはドイツで〈北欧神話の悪神〉が復活したって噂すらあるぜ?」
「だから〈ベート〉へと取り入った……か?」
「ああ。結局、この闇暦で物を言うのは〝強大な組織力〟だ。一騎当千や象徴存在なんかじゃねえ」
「夜神冴子は〈牙爪獣群〉を蝕んだ……大打撃を受けるほどに」
「一過的だよ。すぐに再生する。そういうものさ、組織ってヤツァな」
「ならば、また噛み付くだろうな。あの女は」
「そして、イタチゴッコかィ? 終わりが無ぇや」
一噴きの紫煙。
沈黙が間を刻む。
「解せないな……。ならば何故ラリィガを、この地へと送り込んだ?」
よもや敗北を望んだワケでもあるまい──その点だけは〈シュンカマニトゥ〉も確信していた。
自分にとっても、イクトミにとっても、ラリィガは〝かけがえの無い家族〟であり〝溺愛する娘〟だ。
赤子の時から見守ってきた慈しみだ。
売るはずが無い。
イクトミは漠然と不定形を眺め続け、やがてようやく紡いだ。
「……未来」
「未来?」
「それを確定させる流れは、もう出来上がっている。覆らねぇよ」
「それは〈大いなる神秘〉の思し召しか?」
返事は無い。
ただ飽きずに紫煙を眺めていた。
「……これから、どうするんだ?」
「ダコタには戻らねぇよ」
「では〈敵〉同士か」
「それも無ぇな……。もう〈牙爪獣群〉にも戻らねぇ」
「何?」
「夜神冴子のおかげで、オイラの信頼と価値はパァ……。幹部の座も夢物語だ。だったら協力に取り入る意味も無ぇ」
「……見えんな?」
「いっそ気儘がいい」
「そうか」
淡白な納得を置いて、シュンカマニトゥは立ち去る流れに乗る。
これ以上、追及する気は無い。
親友の選択に、無粋な横槍を入れる気は無い。
コイツの気質は、よく知っている。
両者は、そういう間柄だ。
「ラリィガには?」
「…………」
「会わんのか?」
「会わねぇ」
「そうか」
「あ……と、そうだそうだ。コイツを」
イクトミは思い出したかのように、羊皮紙のメモを取り出した。
「何だ?」
「ラリィガに渡してやれ。オイラからの餞別だ」
「そうか」銜えて、別離の言葉を添える。「……達者でな」
「オマエ達もな」
踵を返して歩き出すシュンカマニトゥ。
気高き誇りは明日への道程を見据え、裏切り者は魔月を眺めた。
互いの瞳を交える事は、もう無い。
「白人達も、ちったぁ役に立つ物を作らァな……へへ」
腰脇へと置いていた小瓶を眺め、イクトミは苦笑へと浸る。
薔薇の香水。
シュンカマニトゥからは死角になっており、見られる事は無かった。
脇腹の出血は、未だ止まらない。
「ったく、これだから白人は……よ」
ベートからの制裁──否、処分と言った方が正しい。
ヤツが為そうとしていた事は、概ねやり遂げたようだ。
もはや〝汚らわしいインディアンの情報屋〟を抱える必要など無い。
「な~にが『我が牙に懸けて』だ……糞濡れの牙じゃねぇか。ま、相手は冷酷にして狡猾な〈獣妃〉……予想範囲内だったがな」
赤の清水は流れ続け、紫煙は燻り立つ。
「けどよ、こっちもやる事はやったぜ?」
ベートに従事する交換条件は『ダコタへの不可侵』『イクトミの幹部待遇』であった。
カモフラージュ口実の後者はともかくとして、最重要視項の前者は実行されている。
毎回ダコタへと侵攻してきた〈牙爪獣群〉の軍勢は、小規模な捨て駒であった。
出来レースというヤツである。
そうでもなければ、今頃、ダコタは修羅地獄と化していただろう。
毎回、小規模な軍勢を送る事によって、建前上の膠着戦況を偽装させた。
取り囲む周辺国に対しては、説得力に足る抑止材料となったはずだ。
「ダコタには〈牙爪獣群〉が唾をつけている」「あの〈牙爪獣群〉を返り討ちにする戦力がダコタには有る」と。
この裏工作は、ラリィガ達は疎か、プテ・サン・ウィンですら知らない。
イクトミとベートの間でのみ交わされた密約だ。
しかし、一番大きかった成果は……。
「夜神冴子……か」
ソイツを、ラリィガへと引き合わせる事が出来た。
闇暦の都市伝説〈怪物抹殺者〉が渡米すると知った時、イクトミは密かに決心していたのだ──二人を引き合わせると。
「へへ……どうだった、ラリィガ? 跳ねっ返りのオマエさんにはピッタリの〝おともだち〟だったろ?」
似通った宿星の二人であった。
とりわけ〝希望の道標〟としての宿命は……。
「正直、エンパイアステートビルでの助力は悩んだがな? オイラの立場も危うくなるしよォ。けど、それだけの価値は有ったろうさ」
この二人は相互的な影響で輝きを増し合う。
そして、その輝きは周囲の種火を目覚めさせ、いずれ闇を星空へと染め上げるであろう。
絶望の漆黒に呑み込まれた、この〈闇暦〉という闇を……。
それが〈大いなる神秘〉から授けられた神託であった。
ポツリポツリと顔を叩く冷たさ。
雨が降ってきた。
見上げる墨から涙が降ってきた。
胸中に圧し殺した慟哭の如く……。
しかし、それでもイクトミは笑うのであった。
霞む意識に歯を見せるのであった。
「ザマァみろ〈獣妃〉……。いつまでも、奪われてばかりじゃねぇんだよ」
総ては為し遂げた。
後は遺されし者達が紡ぐ。
思い残す事も無い。
ひとつだけあるとすれば──。
「ラリィガよぉ……いい女になれよ……」
傍にいてやりたかった……いつまでも。
もはや叶わぬ慕情だ。
「へ……へへ……白い座頭虫がやって来るぞ……」
力無く漏れる。
忌まわしい記憶が……。
その憤りを殺すかの如く、イクトミは最後の力で叫び散らすのであった!
いま一度!
史実さえも覆さんとばかりに!
「白い座頭虫がやって来るぞーーッ! ヤツらは、嘘つきで! 強欲で! 途中の部族を食い潰して! 土地を貪りながら、ゆっくりと進み! 終いにゃ、オマエ達をも踏みつけにするだろう!」
滾る激情任せに吐き出したのは、かつて喧伝して回った警告。
各部族の垣根を越えて〈アメリカン・インディアン〉そのものへと告げた警鐘。
その数日後には、大虐殺の怒濤が押し寄せた……。
「……ああ、懐かしいなァ」
一転して、穏やかに満たされた笑みを浮かべる。
虚脱の目に映るのは遠い昔──満天に澄んだ星空のみ。
現実は無情を刻むというのに……。
そして、やがて緩やかな眠りへと就いた。
白牛の背に揺られ、プテ・サン・ウィンは荒野を巡る。
目的は無い。
ただ習慣化した気晴らしだ。
見上げる夜空には、魔の闇に喘ぐか細い光点。
闇暦とはいえ、星光は瞬く。
ただ旧暦のように鮮明な息吹に無いだけだ。
それは汚泥に混在する砂金のようなもの……。
元凶となる黄色い単眼と目が合った。
「ふむ?」
口癖に予感を乗せる。
蒸かす〈チャヌンパ〉の紫煙がくゆり、星々と透過に重なった。
空から流れ落ちる一条。
その光に示された。
「……嗚呼、イクトミ」
覚悟が現実となったようだ。
「分かっていたのです……この未来は。〈大いなる神秘〉の啓示を受けていたのは、貴方だけではない。貴方がラリィガを〈牙爪獣群〉の支配地へ送り出そうとした時から、私は同じものを見ていたのです……」
沸き起こる哀しみを呑み堪え、女神はせめてもの福音を捧げる。
「我に繋がる総てのものよ……」
歴史のうねりに、またひとつ〈魂〉が消えてしまった……。
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