獣吼の咎者

凰太郎

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~第一幕~

潜む牙 Chapter.6

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 蛇体の怒濤どとうわしつつ、冴子はしてやったりの挑発を興じる!
「まさかユーターンして来るとは思わなかったでしょ?」
追手オッテハ! 追撃ツイゲキハ、ドウシタ!」
「ん~? 今頃、頑張ってくれてるかな?」
「ナ……ナニ?」



「冴子は何処行ったーーっ!」
 憤慨ふんがいまがいの拳が、敵陣の一体いったいを沈める!
 畏縮を押し殺しながらも、獣の陣形が後退あとずさりを見せていた。
 憑霊ひょうれい変身したラリィガの強さは、並の獣人では歯が立たない!
 此処につどいしは選抜された精鋭ではあったが、それでも鬼気と発散される凄味には、おいそれと手出しが叶わぬ実力を嗅ぎ取っていた!
 それぞ、まさに野性の本能!
「まったく……何処行ったんだよ! 冴子は!」
おいてけぼり・・・・・・だよ』
「シュンカマニトゥ?」
 内在する意思からたしなめられる。
『アイツは、オマエが使える・・・と解った途端とたん、トンズラをコキやがった……利用された・・・・・んだよ!』
「じゃあ、冴子は?」
『しゃあしゃあと、クイーンズ区長のもとだ』
「……そうか」
 噛み締めるかのようにらすラリィガ。
 さぞかし消沈しているだろう──そう同情つつも、コヨーテは「しかし、これでいい」と心を鬼にするのであった。
 ラリィガはいささか世間知らず過ぎる。
 人間ひとと接する機会が皆無であったせいか、簡単に他人ひとを信用し過ぎる。
 荒野ならばともかく、そんな事では〈都会〉という悪環境ではやっていけない。
 そう、悪意と思惑が交錯する〈都会〉では……。
 都会という魔窟は利己主義の温床だ。
 霊獣なりの父性である。
『これで分かったろ? ラリィガ? アイツは〝友達〟なんてタマ・・じゃ──』
「じゃあ、気張らないとな!」
『はぁぁあ?』
 さすがに面喰らった。
 落ち込むどころか、その抑揚は快活すら帯びている。
 一念の迷いも無くラリィガは言う。
「だって、冴子はアタシを信頼してくれた・・・・・・・・・・・って事だろ? こんなヤツラには負けない・・・・って!」
『オマエ? 何言って……?』
「とっとと片付ける! そんでもって、早いトコ冴子を助けに行くよ! 今頃、苦戦しているかもしれないしな!」
『どんだけ前向きだよ……オマエ』
 無二の相棒ながらも呆れるしかない。
 さりながら、同時に何故か誇らしくも思うのであった。
 そう、これ・・が〈ラリィガ〉だ。
 とことん希望にしか目をくれない娘だ。
 だから、父性は誇らしくも思う。
「やるよ! シュンカマニトゥ!」
『まったく……。余力は残しておけよ? この後〝区長戦〟がある』
「にひひ……わかってる」
 屈託なく歯を見せる。
 そして、ラリィガは気合いを吠えるのであった!
 飛び込むは、けものむらがる黒波!
 ひらくは、活路!




「狼に虎にライオン──さすがに〈クイーンズ動物園〉の園長・・だわね? いやぁ、久々にを楽しませてもらった ♪  」
『シャアァァァーーーーッ!』
 横跳びの脇を大蛇が滑り過ぎた!
 擦れ違う刹那に、振り向き様の一発!
「至近の方が標的マトはデカイのよね」
 脇腹へと命中!
 穿うがつ穴から血飛沫ちしぶきが散った!
『グウゥ!』
 蛇が苦悶を鳴く!
「効くでしょ? 鱗に覆われていない箇所だものね?」
 濁々だくだくこぼれる赤い激痛が、アナンダの動きを鈍らせる!
 すかさず冴子は後ろ首をいだ!
 美脚による延髄えんずいりだ!
『ガハッ?』
 息が詰まる!
 意識がトびかける!
 いな、そのいとまも無し!
 衝撃はしだつ上体を暴力に押し飛ばした!
 吹っ飛び崩れ倒れる!
 その無様さを不敵に見据え、着地の冴子は口角こうかくを上げた。
「銃だけじゃないんだなぁ……これが」
『ハァ……ハァ……』
「およ? 元気ですかーーッ!」
 きようとする蛇怪へ、朗々と茶化す。
 優位性に裏打ちされた余裕であった。
 根拠は──連戦という事だ!
(ぐぅぅ……き……傷が……!)
 回復しない。
 そのもどかしさはアナンダに辛酸をめさせる。
 先の戦いで受けた銃痕じゅうこんは、確実にかせと蝕んでいた。
 動きの鈍さを自覚出来るほどに……。
(せめて後日なら……いや、半日さえあれば!)
 口惜くちおしい。
 よもやコレ・・を狙ったがゆえの退却であったか?
 いや、それは無い。
 あの時の状況は、夜神冴子にしても予想外イレギュラーであったはずだ。
 十中八九じゅっちゅうはっく、この再襲撃は場当たりであろう。
 だとすれば、追撃はあだとなった!
 放置しておくべきだったのだ!
 この危険分子は!
 いたずらに刺激して、その矛先を引き戻してしまった!
「グゥゥ……!」
 ダメージをこらえる大蛇が、応戦に起き上がろうとちからを絞り出す。
 この危険な女・・・・を前に、いつまでも足掻あがいてはいられない!
 すぐさま臨戦に構えなければ、そのすきが〈死〉へと直結する!
 そう決した直後、視界の隅に何か・・が飛んで来た!
「クッ?」
 咄嗟とっさに腕で防ぐと、甲高い粉砕音に割れ砕ける!
 濡らししたたる液体は、異様に冷たい!
 瞬時にアルコール特有の冷却感だと理解する!
「コ……コレハ?」
 ウイスキーボトルだ!
 夜神冴子からの投擲とうてきであった!
 それが次々と投げられて来る!
「ゴチになりま~す★」
小細工コザイクヲ!」
 総て割り砕く!
 子供の駄々のような攻撃が〈怪物〉に通じるはずもない!
 いや、待て?
 ならば、何故やる・・・・
 夜神冴子ともあろう者が?
 百戦錬磨の〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉が?
 見えぬ姦計かんけいに背筋がゾッとした!
 を企んでいる?
 最後の一瓶ひとびんを手にした冴子は、不敵な微笑びしょうを浮かべていた。
「……コレ、ラストオーダーね」
 足下へ叩き割った!
 広がる中身が張力につながり合う!
「マ……マサカ?」
 アナンダが察した直後、冴子はウイスキーへと発砲した!
 引火!
 たちまちにして轟炎が生まれる!
 周囲を支配に取り囲むは、盛る灼熱と紅蓮の宴!
「ギャアアア!」
 導く液体を伝い、蛇女へと燃え移る!
 慌てて転げ消した!
 索敵に見渡せば、熱探知の視界は朱に埋め尽くされている!
「ド……何処ドコニ?」
「見えないでしょ? 蛇特有の熱探知ですものね? 忍法・熱隠れ……な~んてね ♪  」
 底知れぬ恐怖がアナンダを戦慄へと呑む!
 首を巡らせたところで、不定形な熱波形サーモが踊り狂うだけだ!
 体温・・の人影が探知できない!
(変身を解く? ダメ! 焼け死ぬ! それ以前に〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉には相手にならない! あっという間に殺される!)
 ──銃声!
 蛇女の右腕が赤を弾かせた!
「ギャアァァァーーッ!」
 左肩!
 右腿!
 左脚!
 蛇尾!
 そして、背中!
 出所も不明な牙が、いいようににえなぶり痛ぶった!
 容赦は要らない!
 情けも要らない!
 現在いまの彼女は──〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉だ!
「ギヒィ! ヒィ! ヒィ!」
 のたうつ蛇怪!
 それをいるのは〝痛み〟か……それとも〝恐怖〟か!
 非情の死神は、あわれみさえも帯びずに装填用弾層マガジンを入れ換える。
 これで、またも全弾装填フルチャージだ。
「ヒィ……ヒィ!」
 無様にい逃げようとする右手を射ち抜いた!
 情にほだされる義理は無い!
「ィアアアァァァーーッ!」
「とりあえず、あなたはポカ・・をやらかした」背後に歩み来る冷たい靴音。「あなたを単身相手取れる〈刺客〉──それも二人・・。それを仕止めるために、有力な兵を惜しみ無く注ぎ込んだ。おかげで此処は手薄……雑兵ザコしかいない」
「ヒィ……ヒィ……ひぃ……ひぃぃ……!」
 泣き濡れながらに解けていく変身。
 軽度の火傷がヒリヒリと噛み付く。
 四肢の自由はつぶされていた。
 にもかかわらずのがれようとするは、はたして〈死〉を確信したからこその〈生〉への執着か。
 それでも、処刑の銃口じゅうこうは無造作に近付いて来る……微塵の同情すらもいだかずに。
「もうひとつはね……私に目を付けられた・・・・・・・って事よ。この〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー・夜神冴子〉にね」
たすけ……たすけて……」
 クシャクシャに崩れた哀願の表情。
 心の底から恐怖がにじんでいた。
 なみだうるむ瞳に、ほつれ乱れるおく
 先刻までの優麗さは欠片も無く、ひたすらに無様で憐れな弱者と堕ちていた。
 だから・・・何だ・・
 この憐憫れんびんなる愁訴しゅうそに冴子は重ね見るのだ──〝人間・・〟を!
 なればこそ、誘発されるかのように怒りが込み上げる!
 尽き果てぬ憎悪が暴れだす!
 その激情に支配されるがままに黒髪を掴み上げ、突き付けた顔面に殺意をけていた!
怪物アンタらが、そうした人間・・に温情を掛けたか! 虫のいい事を言ってんじゃないわよ!」
「仕方なかったの! 生きる・・・ためには! 食べなければ生きていけない・・・・・・・・・・・・・! 貴女あなた達〝人間〟だって、そうでしょう!」
「弱肉強食……って? だったら、いい事を教えてあげる」冷徹な殺意のままに、眉間へと銃口じゅうこうを押し付けてやる。「〝狩られる側〟には抵抗する道理・・・・・・がある……そして時として、それ・・は〝狩る側〟を殺す事もある!」
「嗚呼ッ! 許して……許してぇ!」
 子供へ返ったかのように悲鳴をわめくアナンダ!
 だから・・・何だ・・
 赤い衝動が荒れ狂う!
 そのたぎりに呑まれて、処刑具にちからが入る!
「いや……いやぁ……うう……」
「フウッ! フウッ! フウゥゥッ!」
 憤怒に荒ぶる呼気!
 歯噛みにこらえた鬼気迫る表情は、もはやどちらが〈獣〉か判ったものではない!
 それでも、冴子は何とか自制を試みていた。
 そして、かたわらの〈犬神〉もまた、黙視に見定めようとするのだ──この女の〈正義〉が、はたしてどこまで本物・・かを。
「ホントはね! いま此処で撃ち殺してやりたい! アンタ達〈獣人〉なんか一匹・・残らずね! 人間ひとを……子供達・・・エサと喰らうアンタ等なんてね! こんな時代でも懸命に生きようとする命を、何故、無慈悲に踏みにじれる! 奪われた未来を考えた事があるか!」
「ぅぁぁ……ごめ……ごめんなさい……ごめんなさぃぃぃ……」
 もはやアナンダには、ボロボロと泣き崩れるしかすべが無かった。
 ただひたすらに……。
 止めどない雫が、懺悔か絶望かは定かにない。
 いな、もはや当人にも分からぬであろう。
 それほどまでに脳内は混乱を極めていた。
 が、惨めな嗚咽おえつは、冴子の心をなだめるに充分であったようだ。
「──だけど、私は……闇暦あんれきに生きる人々の都市伝説きぼう怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉だ! 私情より優先しなきゃならない事がある! 私の虚影きょえいすがる人達のために!」
 かろうじて冷静さを取り戻し、夜神冴子は静かに牙を鎮める。
 投げ捨てるかのように獲物を解放すると、冷ややかな威嚇に見下した。銃口じゅうこうは向け据える。
「……話してもらうわよ。有益情報を洗いざらい」
「こ……殺さないで……」
「……それ・・は、これから決める」




 焼け煤けた室内には、もはや区長室としての尊厳は無い。
 一度目の戦闘で大破した瓦礫も手伝って、荒廃のジオラマだ。
 ソファへと腰を沈めた冴子は、対面に座るアナンダへと威嚇いかく的なけを送り続けた。
 手には銀銃〈ルナコート〉──少しでもおかしな動きを見せれば撃ち抜く。
 とはいえ先の経緯もあってか、すでにアナンダからは抵抗の意思がうかがえない。
 ただ憔然しょうぜん眼差まなざしを伏せるだけであった。
 時折、脂汗に苦痛を浮かべるのは銃痕じゅうこんのせいだ。知った事ではないが……。
「まずは〈領主〉である〈ベート〉の詳細──」
 値踏みのような視線に、折れた心は従順に答えた。
彼女ベートは、かつて旧暦時代に〈ジェヴォーダンの獣〉の異名で恐れられた獣人です」
「……知ってる」
 空いた左手で水割りをふくみ、喉を潤す。
 銃口じゅうこうと値踏みは外さない。
「旧暦十八世紀にフランス・ジェヴォーダン地方へ突如として出現し、国民を震撼させた魔獣〈ジェヴォーダンの獣〉──神出鬼没に市民を襲い喰らった怪物。その正体は不明。一応は常識的見解として〈野生の狼〉もしくはハイエナ等の〝その他の獣〟とされたものの真偽は怪しい。それと言うのも、証言のほとんどが〈人狼〉もしくは〈獣人〉を暗示するものであったため……」
「よく御存知ですね」
こんな生業・・・・・してりゃ、イヤってほど耳にするっての」
 溶けた氷がカラリと鳴く。
「最初の目撃談は一七六四年六月一日。だけど、この女性は幸運だった……農場の雄牛達が追っ払ってくれた・・・・・・・・んだから。最初の犠牲者・・・と呼べるのは同年六月三〇日、十四歳の少女──内蔵を喰い荒らされて発見された」
 その子供の事を想うと、再び冴子の憎炎は盛った。
 さりとも、それは強き平常心でころす。
 現状いまは情報収集に専念せねばならない。
「以降、無差別な強襲が続く。当時の公的記録では、襲撃回数一百九十八件、死者八十八人、負傷者三十六人。一方で非公的記録を参照にするならば、襲撃回数三百六件、死者百二十三人、負傷者五十一人……。いずれにしても史上最悪の獣害だわ」
「ええ。そして、その被害は止まる兆しを見せませんでした。時の国王〝ルイ十五世〟もついには看過出来ぬほどの治世問題となり、討伐兵士がジェヴォーダンへと派遣される流れとなったのです」
 補足するかのように続けるアナンダ。
 別に共感したわけでもないが、この〈ベート〉なる存在の不透明さには常々つねづね好奇を惹かれていた。
 直属部下の〈獣人〉である自分でさえも……。
 だからこその同調であったのだろう。
「その〈獣〉も、最初の死・・・・を迎える。一七六五年九月二〇日にね。仕止めたのは、ルイ十五世から勅命を請けた〝フランソワ・アントワーヌ中尉〟だった。その際に仕留めた〈獣〉は、体高八〇センチ、体重六〇キロもの巨躯きょくをした灰色オオカミ……」
おっしゃる通りです。そして、その剥製は武勲として〈ヴェルサイユ〉へと送られています」
「でも、終わり・・・じゃなかった……」
「ええ」
「同年十二月二日、再び〈獣〉は現れた。繰り返すかのような惨劇による死亡者は十二人──。だけど、コイツ・・・も仕止められる。今度は軍人じゃなく、地元猟師による急造狩人集団によって……ね」
「はい。その剥製も、同じく〈ヴェルサイユ〉へと飾られています」
「……めでたい現実逃避だわね、ウケる」
「え?」
 皮肉めいて鼻で笑う冴子に、アナンダは怪訝けげんを返した。
 乾いた嘲笑は、正直意外ではある。
 終始〝人間〟にくみする〈怪物抹殺者モンスタースレイヤー〉が……だ。
 思いの外、ドライな達観であった。
「結論から言えば、ソイツら・・・・は〈ベート〉の影武者に過ぎない。国軍による討伐を察知して〈怪物〉が用意した人身御供……いいえ、獣御供・・・よ」
貴女あなたは看破していた……と?」
「当然だっつーの。そもそも特色が〈狼〉じゃない。証言わく『牛のような巨躯きょく』『尻尾はライオン』『赤い獣毛』──仮に〈狼〉がベースだとしても、何処が〈狼〉よ? それに捕食生態。普通〈肉食獣〉が狙うのは、脚や喉……四足獣の体型からして仕止め易いしね。ところがコイツ・・・は、それらを無視して頭部そのものを狙う。要するに〝頭部を苦も無く狙える〟って事。そして、最初ハナっから〝人間〟を標的にしている──牛や家畜ではなくてね。人間と家畜が居合わせている状況が幾度もありながらも、必ず襲うのは〝人間〟──つまりは目的意識と状況分析能力に〝知恵〟が有る──あるいは〝知性〟が」
「動物の生態に御詳しいのですね」
詳しく・・・はないわ。否応無く、頭へ叩き込む必要・・・・・・・・があっただけ」
 潤す二口目ふたくちめに酔えぬまま、冴子は前のめりに威圧する。
「で? どんな〈獣人〉よ?」
 距離が詰まった銃口じゅうこうに内心怯えつつ、アナンダは答えた。
「その姿を見た者は〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉にもいません」
「バカにしてる?」
 少しばかり銃に金音を立てる。
 途端とたん、捕虜から血の気がサァと引いた。
「い……いえ、滅相もない! 本当です! 常に〝指示のみ〟で、姿を見せないのです!」
「同席するでしょうよ、会議とかあれば」
「そうした際でも、基本的には〝声〟のみです。あるいは同席していても、別室からの通信参加……しかも、ヴェールで覆い隠すという徹底ぶりです」
「……そんなんで、よく忠義を誓えたものね」
ちからの差は……感じますから」
「〈獣〉だから……か」
 分からぬではない。
 それこそ〝野性の本能〟というヤツだろう。
 だから、おそらく嘘ではないはずだ。
 しゃくだが……。
「……他の〈区長〉は?」
「マ……マンハッタン区長〈ベート〉を除けば……」
「それでいい」
 空になったグラスを滑り渡し、二杯目を作るようにあごで指示する。
 無言の命令であった。




 延々と脅迫をチラつかせた尋問が終わった。
 ようやくの解放を確信し、安堵するアナンダ。
 さりながら、拭えぬ後ろめたさを負わされたのも事実である。
 当然だ。
 所属組織の内情を余す事無く漏洩してしまったのだから。
 それも、最悪の害敵に……。
 それは〈牙爪獣群ユニヴァルグ〉への決定的な裏切り行為であり、同胞を生贄いけにえと差し出した事と同義である。
 最悪、組織から命を狙われるかもしれないだろう。
 新たに課せられた危険リスクは大きい。
 目先の〝生〟を得るために、生涯分の〝死の影〟をかせめられてしまった。
 今後を思うと、やるせない。
「さて……だいたい聞き出せたようね」
 ソファから立ち上がると、冴子はチャキリと銀銃を定めた──アナンダの眉間へと!
「ヒッ! こ……殺さないって……?」
「それは、これから決める・・・・・・・と言った」
「そ……そんな! 情報は開示しました!」
「でしょうね」
「御願いです! どうか命だけは!」
もとより〈獣人アンタら〉に温情を掛ける義理は無い」
「あぁ……ぅぁぁ……」
 徹底した冷淡さに、アナンダは確信する──「この非情なる処刑人の前には、如何いかなる懇願こんがんも無意味なのだ」と。
 だから……ひたすらに慟哭どうこくするしかなかった。
「どうして……こんな…………」
 止めどなく頬を濡らし染める涙。
 それが〝懺悔ざんげ〟か〝後悔〟か〝無力なる呪怨〟か──〈夜神冴子モンスタースレイヤー〉には、どうでもいい事だ。
「どうして……お父さん…………」
 恐怖への直視に脅え、アナンダはかたくなに目をじていた。
 胸元で両手を握り組む様は、さながら祈りを捧げ続けているかのようだ。
 あたかも〈神〉へとすがるかのごとく……。
「普通に……普通の人生を…………」
 嗚咽おえつまみれの吐露。
 涙は枯れ尽きぬ。
 心が暗闇へと堕ちていく。
 深く暗い深淵しんえんに呑まれていく。
 もはや受け入れるしかない……この理不尽を…………。
 あらがすべは無い。
 それでも、アナンダは祈り続けた。
 魂の救済を……。
 ただ、一途に……。
 ひたすらに……。
 祈るしかなかった……。
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