輪廻の呪后

凰太郎

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~第三幕~

呪后再生 Chapter.4

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 多勢のデッドもどきに取り囲まれ、ペルセウスとヘラクレスの奮闘は続く!
 敵ではない。
 余りにも愚鈍。
 余りにも脆い。
 到底〈神話英雄〉の相手にはならない。
 が、いまだ終わりは見えない。
 タフネス値だ。
 四肢を斬り落とそうが、頭部を殴り砕こうが、活動を停止する事は無かった。
 先兵の頭数はガラクタと化そうと減少せず、醜怪な人海が潮流と囲い呑んだ。
 プロセスゆえである。
 内在する〈カー〉にこそ根源が据えられているからこそ肉体破損に影響を受けないのであろう。
 便宜的な器・・・・・に過ぎない。
 敵ではない。
 疲労にも及ばない。
 が、終わりは見えない。
 面倒な足止めだ。
 それを観察視に覚ればこそメディアも決意を定める。
 この男を……眼前に対峙する仮面呪術師を相手取れるのは、自分しかいない・・・・・・・と!
大風斬魔法カテギダクフィオス!」
 呪文に暴風を呼ぶ!
 魔力まりょくによる不可視ふかし力場りきばへと封じ込められた風は滞留に荒れ狂い、それ・・はそのまま塊と化して仮面呪術師へと迫った!
 たけを超える風塊ふうかい
 至近した間合まあいで解放すれば、獲物はとてつもない風圧に呑まれた挙句あげく鎌鼬かまいたち効果も発揮して五体バラバラだ!
 はたして射程!
 しかし!
 「ウソ……でしょ?」
 はじかれた!
 いな、拡散された!
 スメンクカーラーの……ジャジャ・・・・エム・・アンク・・・めた眼力がんりきによって!
(さっきまでとは……別人・・!)
 明確な戦慄をいだいたのは、この〈魔女〉の人生にしても初めての事である。
 ほぼ万能・・・・とある魔法の手腕は自他共に認める高位技能だ。
 それに裏打ちされているからこそ、彼女の横柄とも映る自信は揺るぎない……が、ここに来て崩された!
「……脆弱な呪文だな」
 余裕に満ちたあざけり。
 出し惜しみした覚えは無い。
 彼女が習得した攻撃呪文でも上級部類には入る。
 それが無効化された……稚技ちぎとばかりに!
 これを慄然とせずにいられようか!
「……お返しだ」
 静かに向けられる人差し指──その直後、水平竜巻が牙をく!
 つぶや数言すうことでの発現!
「マズイ! 風壁呪文フルトゥーナアスピダ!」
 咄嗟の防御対応に風圧の壁を生む!
  上昇気流による分厚い層が透明防壁としてさえぎった!
 同質元素の異なる方向性ベクトルせいによって拡散する算段であった……が!
「死なない? アウッ!」
 貫通して来た不可視の突きを浴び、魔女は後方へと弾き飛ばされた!
 とはいえ、その威力いりょくと勢いを拡散にげたのはさいわいか……そうでもなければ妖艶な腹部は風穴と喰われていただろう。
 だがしかし、それでも軽く正拳突きのごとき衝撃ではある!
 肉弾戦に非順応な彼女にしてみれば、到底洒落シャレにならない強打ダメージだ!
 「メディア!」「メディアさん!」
 かたわらまで吹っ飛ばされた魔女へと、アルターナ親娘おやこが心配を注ぐ……が、反応は無い。
 ぐったりと疲労慢性に眠るかのごとく意識を果てさせていた。
 夏夜の寝苦しさのように肢体をくねらせ、あでやかな赤髪からこぼれたおく美貌びぼうに色香を染める。脂汗あぶらあせまみれにあえぐ苦悶が殊更ことさら煽情せんじょうを助長した。
 れど、それさえも封殺に呑み潰すのは戦慄!
 彼女さえも容易く下せる・・・・・・・・・・・という脅威!
(あのメディアすらも? どうすればいい……こんなバケモノ・・・・を相手に!)
 改めておのれの所業を悔いるアンドリュー。
 くみするべきではなかった!
 加担するべきではなかったのだ!
 よもや、これほどの魔性とさとれたならば!
「エレン・アルターナ……アンドリュー・アルターナ……」
「ハッ!」「ひっ?」
 重暗い抑揚が親娘おやこに威圧の硬直を課し、その意識を強制に傾けさせる!
 ゆらりとたたずむ長身は発散するドス黒さに静かなる怒気をはらませていた。
「よくもが意にそむいたものよ……どうやら、つくづくオマエ達〝アルターナの血〟とは相性が悪い」
「ま……待て! 悲願は叶ったはずだ! もう私達親子に執着する意味は無い! そうだろう?」
「……ああ、そうだな」
「ならば!」
「面白くはない」
「何?」
「そう、面白くはない……この私が散々煮え湯を飲まされたのだからな……そう、このスメンクカーラー・・・・・・・・が!」
「ま……待て! グアッ?」
「父さん!」
 再び心臓を掴まれた・・・・
 ゆるりとかざされた呪掌じゅしょうによって!
「お願い! イムリス! もうやめて!」
 少女の清廉が愁訴しゅうそに陰る。
 どうする事も叶わない。
 どうしていいかも分からない。
 だから、ひたすらに訴えるしかなかった。
 悲嘆の涙に濡れながら……。
 さりとも、呪怨は鎮まらぬ。
「案ずるな……次はオマエだ」
「イム……リス?」
「不幸なエレン・アルターナ……長く仕えてきた温情だ。今度こそ父や姉と仲良く暮らせばいい……冥界あのよでな」
「させるかぁぁぁああ!」
 突如、背後から剛腕の奇襲!
 ヘラクレスだ!
 叩きつける根棒は不快に重い砕骨音を捕らえ、仮面呪術師の脇腹をえぐり折る!
 不自然に曲がる体幹!
 先程さきほどの猛威が嘘であったかのように、肉体は手応てごたえも無く崩れ落ちる……。
 と、獅頭の蛮勇は不敵に口角こうかくを上げた。
「そう何度も同じ手・・・を食うかよ」
 振り向く勢いに凪ぐ根棒!
 背後に出現する・・・・・・・という確信があればこそ!
 だが──「いない?」──拍子抜けを帯びた違和感。
 これまでの対戦では幻像を囮として死角から奇襲返しを仕掛けて来るのがつねであった。
 だからこそ・・・・・仕掛けた!
 そのパターンを逆手に取るべく!
 にもかかわらず、今回はその流れ・・・・に無い。
(まさかったってのか? さっきの一撃いちげきで? いや、だが……有り得ねぇ! 手応え・・・が無さ過ぎる!)
 困惑に巡る黙考。
 時間として数秒のラグ──相手・・にしてみれば充分なきょであった!
「ヘラクレス! 後ろだ!」
「何っ? グアッ!」
 ペルセウスの警告に振り向いた途端とたん、野太い触手が槍と突いてきた!
 咄嗟とっさのガードに致命傷はけるも、その代償に前腕はつらぬかれる!
「クックックッ……残念だったな? せっかくの浅知恵を台無しにして失礼した」
 眼前で肉塊ガラクタあざける。
 潰された脇腹からほぼ直角に横折れと化し、そこからは件の触手……いな、腸がはみ出していた!
 奇怪な事に、それ・・は別な寄生生物のようにうねり踊っているではないか!
 あまりに醜怪!
 あまりにもグロテスク!
 そうした重篤な異形にあって、当の仮面呪術師には爪先程つめさきほども苦痛の色がうかがえない!
 あくまで平常!
 あくまでも平然!
「クッ……このバケモノ・・・・が!」
 負傷箇所からしたたる赤き熱が苦痛の脂汗を誘発する。
 あるいは慄然が呼ぶ冷汗か……。
 体勢ゆえに下方気味にのぞき込んでいた仮面は、加虐の満足に悦を臭わす。
 もあらん。
 散々辛酸しんさんを舐めさせられた〈神話英雄〉を赤子同然に手玉と出来たのだから。
「……燃える血ハラーラダッム
 重暗い声音に呟かれた呪言は腸槍の血液を種油として豪炎を生んだ!
 貫通に捕縛したにえを焼き尽くさんと!
「ガアアアァァァァァ?」
 火柱と育つ!
 燃芯とばかりに呑み込む!
「ウアアァァァーーッ!」
「ほう? 覇気にてこらえるか……さすがに〈神話英雄〉──いや、オマエならでは・・・・・・・力業ちからわざか……クックックッ」
 ややあって鎮まる刑罰──触手は在るべき箇所へと引き戻り、いびつを刻んだ体はゴキュンと大きな軋みを奏でて本来の起立を再構成する。
 これで総て元通り・・・だ。
 拷問具を引き抜かれた頑健は立場たちば一転いってん膝崩ひざくずれと沈んだ!
「不死身相手とは言え〈九頭竜ヒドラ〉のようには行くまい?」
「クアッ! ハァ……ハァ……」
「フン……ザマいな、ヘラクレス? 所詮しょせん、貴様は暴力依存の〈蛮勇〉に過ぎんという事だ。われ〝ジャジャ・エム・アンク〟とは格が釣り合わん」
 満身創痍まんしんそういの獅子兜へと悪意の輝掌きしょうがゆるりとかざされる。
「させん!」
 金色こんじきの斬撃!
 勇者ペルセウスの一閃いっせん
 花弁のような軽さに魔掌ましょうね飛んだ!
「……ペルセウスか」
 見れば屍兵しへいは肉片と散乱するのみ。
 さすがに部位レベルの細切れ・・・では、もはや雑用にすら使えまい。
「ふむ? 多少時間を掛け過ぎたか?」
「貴様の悪行、好き勝手にはさせんぞ! スメンクカーラー!」
 刃と向けられる覇気は鋭くも気高い。
 が、それさえも涼しく流すと、切断されたおのが手首を一顧いっこに眺め……生やした!
 新たな手首を!
 何事も無かったかのように!
 そして、邪視は冷徹に滑る──因縁の仇敵へと!
「……ジャジャ・・・・エム・・アンク・・・と呼んでもらおうか」




「何まごついてやがんだ! ギリシア勇軍は!」
 頭上に大きく映し出された戦局へと見入り、ヴァレリアは憤慨を毒突いた。
 呪后じゅごうによるサービス・・・・だ。
 オマエの妹の安否を見せてやろう……と。
 そうして赤の中空へと投影されし現状は、到底安全・・とはがたい逆境であった!

 ──スメンクカーラーのヤツ、どうやら〈ジャジャ・エム・アンク〉の憑霊ひょうれいに成功したようだな。

「何だと?」

 ──だが、オマエの妹は無事だ。

 ──そう、主体・・となるにえは無事……。

 ──その代用品がアレ・・か。

 ──安く見積もられたものだな、われも……クックックッ。

「何が可笑おかしい」

 ──あの憑霊ひょうれいは不完全だ。

「何?」

 ──われの代用が、欺様かような有象無象の献上に補えるはずもあるまい?

 ──われは〈女王ファラオなり

 ──バーの価値が根本より違う。

「……不完全で、あれほどのバケモンなのかよ」

 ──いいや。

 ──あの程度・・・・だ。

 ──到底、われの敵ではあるまい。

 ──もっとも〈完全体〉でも同じ・・だがな。

「ハッ! たいした自信だな? ええ? 此処・・から出れねぇ亡霊様がよ!」

 ──出れる・・・としたら?

「な……に?」

 ──そう、出れる・・・のだ。

 ──あと一手いってで。

 ──神々の封印は瓦解した。

 ──残すは〈肉体アク〉のみ。

 ──それさえおぎなえれば出られる・・・・のだ。

(コイツ……それ・・が狙いだったか!)

 妙だとは思った。
 現状の顛末を見せてやろう──そう申し出た時には。
 何故、このタイミングで現実の展開を見せたのか?
 何故、このタイミングでエレンの状況を見せつけたのか?
 アクだ。
 ヴァレリアを焦躁に駆らせて、その身を差し出させる算段であったのだろう。
 妹を見捨てられない心情を見透かした上で……。
 だが……その通りだ。
 悔しくもしゃくだが……。

 ──さて、どうする?

 ──われならば、アレ・・を下せるぞ?

 ──造作も無い。

 ──オマエの妹とやらも救えよう。

 ──フフフフフ……。

(クソッタレ!)

 ヴァレリアにとって唯一ゆいいつにして最大のアキレス腱──エレン
 それを〈アヌビス神の天秤〉と賭けるのは、おのれ自身の存在であった。
 



 紀元前の再戦とばかりに神話英雄ペルセウス仮面呪術師スメンクカーラーは交える!
 大広間とはいえ室内──飛翔靴タラリアの真価は発揮出来まいと高を括ったが、そうではなかった。
 確かに〝飛翔〟には遠い超跳躍のレベルではあったが、足場・・には事欠かさぬ。
 天井や壁は着地を刻むに申し分なく、そこを起点として力強ちからづよ瞬発力しゅんぱつりょくを生む!
 鋭角的な一撃離脱いちげきりだつは休む間すら与えず連続に宙を穿うがち、乱れ撃ちのごとく仮面呪術師を強襲し続けた!
 四方八方から飛び交う金色こんじき光矢こうや
「チィ……わずらわしいぞ! 英雄・・風情めが!」
 滑る浮遊にわし続ける!
 それをせるのも〈ジャジャ・エム・アンク〉なればこそであろうか。
 身体能力も動体視力も格段に向上していた。
 おそらく〈スメンクカーラー・・・・・・・・〉であればさばききれなかったであろう……それほどの猛攻だ。
 れど、そもそもが肉体派でなない。
 限界はある。
 避け切れぬとなれば一過いっかの覚悟と真っ向から腹を貫かれるも、瞬時に霧散して間合離脱に再生した。
 さりながら直後には、またもや特攻の乱射だ。
 キリが無い。
(ペルセウスめ……そのため・・・・か)
 術発現に要する集中の隙が生まれぬ。
 いや、生まさぬ・・・・
(魔女の呪文は到達までのがあった……ヘラクレスにはきょを生んだ…………それ・・が無い! コイツ・・・には!)
 人外じんがいたる高次存在と化した現状では呪文詠唱は些末さまつだ。
 さりとも、最低限の集中は必要とする!
 精神を平静に鎮める時間は要する!
 仮に数秒でも!
(意識を逸らさせぬ……それを最重視と据えるからこそ、らしからぬ『下手な鉄砲』へと終始する! 小賢こざかしい!)
 時として簡易的な攻撃呪術を応戦に織り交ぜるも、ペルセウスは盾にはじく!
(鏡面のごとき盾が光撃こうげきはじくか。だが、それだけ・・・・ではあるまい。おそらくは強度面でも並大抵を凌駕する……という事か)
 そうでもなければ、あの蛇頭女怪〈メデューサ〉をほふれるとは思えぬ。
 視線合わせた者を問答無用に石像へと変えたギリシア神話史上最悪の女怪を!
 その鱗、真鍮しんちゅうなり
 その皮膚、青銅なり
 単なる魔力まりょく依存の〈怪物〉ではない。
 物理的戦闘に於いても脅威たる〈怪物〉なのだ!
 ともすれば、石化視線は鏡面反射で退しりぞけたとしても、同時に鋭爪の物理攻撃は強度・・退しりぞけたに違いない。
(さすがに〈戦女神アテナ〉より授けられし神盾しんじゅんよ……厄介な)
 場当たり的な即興呪術でくだせはしまい。
 してや駆使するは、ギリシア神話最大の勇者ペルセウスだ。
 まさに『鬼に金棒』を地で行く厄介さであった。
 かといって、大掛かりな呪術は集中を封じられている。
 負の堂々巡りが続く。
さかしい)
 腹立たしさを咬む。
 と、滞空回避の渦中で、視界のすみ糸口いとぐちとらえた。
 この超常交戦を恐々と仰ぎ眺める傍観者を……。
(エレン・アルターナ……)
 眼下の少女から感受する不確定な可能性・・・
 攻撃は避わし続ける。
 れど思索は重ねる。
(こうなったからには、もはや何の価値も無い小娘だ。確かに清楚可憐な存在感を一際ひときわ彩るが、所詮しょせんは〝路傍の白百合〟にしか過ぎぬ……実用的な価値など無い。してや〝いくさ〟にいて……)
 だが、引っ掛かった・・・・・・
 何か・・引っ掛かった・・・・・・
 真髄しんずいからドス黒くうねる思考には……。
勇者・・……か)
 不確かながらもくすぶる起死回生……その可能性を感受すればこそ口角こうかくは画策に吊り上がる!
 仮面呪術師の流動が止まる。
 僅かな精神集中へと没すればこそ……。
「腹を決めたか! スメンクカーラー!」
 好機の訪れを確信する勇者!
 おそらくは回避のジリ貧に限界を感じた……あるいは最早もはや回避運動そのものに費やす体力たいりょくも尽きたのやもしれぬ。
 いずれにせよ回避は諦めた・・・・
 それを代償に反撃を選択した・・・・・・・
 なれば雌雄を決する瞬間とき
 呪術が先か!
 つらぬくが先か!
 跳躍を重ね背後へと回った!
 死角からの攻撃ならば勝率は上がる!
 渾身の跳躍が足場の壁面を蹴り退ける!
「貴様との因縁、これで終わりだ!」
 繰り出す剣!
 刺突は星の瞬きとばかりにまばゆく!
「……オマエ・・・がな」
 動ぜずにゆるりと向き直る仮面呪術師。
 どうやら呪術発動は終えたようだが構わぬ!
 如何いかなる術かは知らぬが構わぬ!
 射抜くのみ!
 だが!
「何?」
 刹那の急転にペルセウスの瞳孔は驚愕としぼまった!
 黄金の貫通に飛沫しぶきが散る!
 赤き血潮が花と咲く!
 しかし、それ・・は仮面呪術師のものではない!
 それは……それは……それは!
「な……何故、彼女・・が?」
「ぁ……ぁ……」
 命の喘ぎを紡ぎ、エレン・アルターナは混乱に翻弄ほんろうされた。
 先刻まで宙を眺めていた。
 そして、次の瞬間には熱さが内臓をむさぼっていた。
 勇者の剣につらぬかれて!
 が起こったのか分からない。
 誰にも……。
 ペルセウスにも……。
 エレンにも……。
 唯一ゆいいつ、仮面呪術師以外は!
「どう……して……」
「…………」
「勇者様……どう……して……」
 目と鼻の先には儚く潤む憐憫れんびん
 かぐわせる吐息は血の臭いでしかなかった。
「……すまない」
 事後の致し方無さに剣を引き抜けば、支えを失った白花はすべり落ちる。
「姉……さん…………」
 地に赤が広がる。
 すかさず取り乱した父親が駆け寄ったが、何を叫んでいるかも聞き取る気は無い。
 続けざまに向けられる憎悪の罵倒も、どうでもいい。
 虚脱が支配した。
 滞空にたたずみ、むなしさを持て余していた。
「……転位呪術というワケか」
 ようやく絞り出した一声いっせい
 それは独り言にない。
 背後の策謀者へと向けたものであった。
如何いかにも」と、陰湿な沈着に仮面は嘲笑を噛み殺す。
 思惑通り、相当にこたえているのは明白だ。
 何故ならば〈勇者〉とは偽善の自尊者──この顛末は最大級の禁忌タブーにして〈罪〉である。
「もはや〈呪后じゅごう〉を再生する必要は無いからな……用済みだ。だが、それならばそれなりの役には立ってもらう・・・・・・・・・・・・・・
「……身代わりとしてか」
時間稼ぎ・・・・だよ」
「キサマはァァァーーーーッ!」
 振り向きざまに叩き込む一閃いっせん
 一転いってんした憤怒ふんぬの暴発!
 勇者ペルセウスの逆鱗げきりんであった!
 穢無けがれなき乙女を涙に踏みにじる事は!
終わっている・・・・・・
「何? グアッ!」
 突如として下方より噴出する巨拳!
 噴火の大岩直撃とばかりに凄まじい衝撃が叩きつける!
「ガッ……ハッ!」
 血反吐ちヘド
 呪術師の障壁とばかりに顕現けんげんした巨腕は、そのまま勇者を天井へと殴り埋めた。



「そんな……嘘だ……こんな……こんなのは……エレン……エレェェェーーン!」
 ヴァレリアの絶叫は胎動する赤に呑まれるだけであった。
 非情は無力むりょくを醒めて眺める。
 謀らずも事は好転した。
 忌避の女王ファラオが望むままに……。

 ──案ずるな。

 ──まだ生きておる。

 ──バーは揺らぎに在る。

「生きて……いる?」

 ──もっとも風前の灯火。

 ──果てるは数秒じかんの問題。

 ──フフフ……。

「…………」

 ──さて、どうする・・・・

「……条件を呑む」

 ──聞こえぬな。

 ──声が小さい。

「条件を呑む! 条件を呑んでやる! だから……だから!」

 ──……。

アタシのエレンを守れ・・・・・・・・・・ーーーーッ!」

 ──髪を切れ。

「な……に?」

 ──髪を切れ。

 言われて氷解した。

(そういう……事か? 古代エジプトにいて〝髪〟は〝霊力れいりょくみなもと〟とも捉えられていた。そして、アタシとエレンの〝〟は……)

 シンプルである。
 実にシンプルである。
 あまりの馬鹿々々しさに吹いてしまうほど……。

(だが、それ・・明暗を分けた・・・・・・

 愛用のジャックナイフを取り出すと、ヴァレリアは掴み束ねた長髪を乱雑に切り落とす。
 母親譲りの艶やかさは些末さまつなゴミと足元に砕けた。
 子供ガキの時分から伸ばしていた唯一ゆいいつ女性意識アイデンティティ──迷いは無い。
 妹を……エレンを救えるならば、安い担保だ──そう、おのれへと言い聞かせて。
 もっともいきどおりは荒れたぎる。
 これ・・は単なる霊的儀式ではない。
 服従の儀・・・・だ。
 コイツ・・・は、いまほくそ笑んでいる・・・・・・・・
 牙は折った・・・・・……と。
 構わない。
 エレンを救うためだ。
 だが、いい気になるなよ。
 折れちゃいない・・・・・・・
 忍ばすだけ・・・・・だ。
 アタシの〈キバ〉は……。

 ──そう、それで善い。

 ──われは〈呪后じゅこうなり

 ──万事ばんじこれが意にぐわぬ事など無し。

 赤い闇は高揚に胎動たいどうした!
 ヴァレリアの周囲に在る赤の情景は、そのまま〈呪后じゅごう〉自身であった!
 そして、なだれ込む!
 怒涛どとうと! 崩壊と!
 彼女のなかへと!
「な……何! うわぁぁぁああーーーーっ!」
 膨大なる意思の荒海は、小さき意思を岩礁の欠片と呑み潰した。



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