藤枝蕗は逃げている

木村木下

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再びの幽霊屋敷

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 ちょうどよく日が沈み、俺たちは連れだって幽霊の花屋敷へと向かった。街並みが薄青色に染まっている。記憶を頼りに屋敷までたどり着くと、俺は鉄門の前で足を止めた。以前はここで異常な力によって中へ引きずり込まれたのだ。俺だったからよかったものの、ローラン様が危険な目に合うのは断固避けるべきだった。
 警戒しながら足で門を蹴ると、拍子抜けするほどたやすく開いた。そっと覗き込めば、やはり庭には一面花が咲き乱れている。後ろから歩いてきたローラン様が「すごいな」と言った。
「季節もなにもお構いなしに咲いてる」
「ローラン様、ここにはとても危険な幽霊がいるので、注意しなければなりません」
「うん。とりあえず中へ入ってみよう」
 さっきまで俺が先導していたはずなのに、気が付けばローラン様に手を引かれている。慌てて早足になり隣に並ぶ。花々の間を通って屋敷までつくと、ローラン様がドアを軽く押した。軋んだ音を立てながら扉が開く。俺の緊張は最高に達したが、予想に反して何も起こらなかった。屋敷はしんと静まり返っている。
「幽霊がいるのは二階?」
「はい。ローラン様、気を付けて……」
 ポケットからマッチを取り出し、ローラン様の手に握らせる。ローラン様は軽く頷いて二階へと続く階段を上り始めた。赤い絨毯の上には薄く埃が積もっていた。よく見ると、ところどころに足跡がある。行方不明になった騎士の物だろうか。まだ死んでいなければいいが。
 二階へ上がり、寝室へと入ったが、そこには誰もいなかった。俺はあっけにとられて部屋を見回した。そんなはずはない。以前はここに幽霊がいて、俺は怖い目にあったのだ。手あたり次第、洋服棚を開けたりカーテンの裏を見たりしていると、ローラン様は肖像画の前に立ってマッチに火を灯していた。
 薄暗闇の中に屋敷の女主人と、その夫の姿が浮かび上がる。ローラン様の隣へ移動し見上げると、やはり絵の中の女主人は以前見たのと同じように顔が黒く塗りつぶされていた。細腕は隣に立つ夫の手を恋しげに触っている。
「とりあえず、屋敷の中を調べてみよう」
 ローラン様はそう言うと手のひらをそっと上に向けた。見ると、いつの間に書いたのか小さな魔方陣がある。それはぼうっと金色に浮かび上がると、くるくると回った。中心から泡のように何かが生まれる。小さなカエルだ。俺は目を瞬かせた。手のひらに十匹は乗れそうなほど小さいが、その丸くて緑の体にはどこか見覚えがある。
「弱い魔物だけど命令をよく聞いて扱いやすいんだ。協力してもらおう」
 ローラン様が唇を尖らせ、ふっと息を吹きかけると小さなカエルは後ろ足で大きく跳躍し廊下へと飛び出していった。床には緑色の粘液が点々とつく。ローラン様はカエルを見送ると、俺に向かってこの部屋をよく調べてみよう、と言った。頷き、部屋を端から検めていく。以前は確か、ローラン様と一緒に女主人の日記を読んだのだった。あの日記はどこにあっただろうと、引き出しを探す。が、寝室にはないようだった。ローラン様に相談しようと振り向き、俺は全身の血の気が引くのを感じた。
 ローラン様がいない!
 さっきまで確かに後ろにいて部屋を調べていたはずなのに、影も形もない。あまりのことに頭がおかしくなりそうだ。俺は慌てて部屋を飛び出て、ローラン様がいないか、屋敷中を血眼になって探した。だというのに、ローラン様はどこにもいなかった。全力で走って、床板を剥がさんばかりにあらゆる場所を虱潰しに三周しても見つからない。全身から汗が止まらない。
 探すうち、俺は花屋敷について聞いたある噂を思い出した。花畑の下に、夥しい数の白骨が埋まっていたという噂だ。かくなる上は庭をくまなく掘り返すしかない。俺は決意し、スコップを探そうと一階に降りた。その時だった。足元でぴぎっとも、ぶちっともつかない奇妙な音が聞こえる。視線を落とすと、ちょうど靴のすぐ横に丸い軟体が落ちていた。ぞっとして思わずのけぞる。が、よくよく見ればそれはローラン様の使い魔だった。カエルだ。バクバクと高鳴る胸を押さえつつ、もしや何か知っているかもしれないと声をかける。
「お、お前……、ローラン様がどこにいらっしゃるか、わかるか」
「ゲロッ」
 知っているらしい。カエルは泣き声を一つ返すと、後ろを向いて跳んだ。後ろ足が伸びて、粘液が飛び散る。その後ろをついていく。カエルは屋敷を出ると、花の咲き乱れる庭を横切り、花壇の奥へと向かった。植木で見えなかったが、よくよく見ると小さな東屋があるらしい。そこにいるのだろうか。気が急いて駆けだそうとしたとき、カエルがぴたりと動きを止めた。思わず俺も足を止める。と、話し声がすることに気づいた。泣いているのか、時折ずっずっと鼻を啜り上げる音が聞こえる。
「で、こんな目に合っちまって……、ジルの言うことを聞いておけばよかった。ジルってのは俺の友達で、賢いんだ。あいつは初めてのデートなら夜にお化け屋敷になんか行くなって言ってくれたのにさ……」
 妙に聞き覚えのある声だ。俺は枝に手をかけ背伸びをし、植木の間から東屋の方を覗いた。東屋には男が二人いた。片方は行方不明だと言う騎士だ。俺はあっと声を出しそうになった。知っている顔だったからだ。男はジジジの三人、そのうちのジェイだった。両腕を後ろに回して、足を三角に折りたたんでいる。よく見ると、手と足にはそれぞれツタのようなものが絡みつき彼を拘束していることがわかった。
 もう一人は、やはりローラン様だ。彼もジェイと同じ格好をしている。いつの間に幽霊に攫われたのだろう。ともかく、元気そうなローラン様の姿を目にして俺はやっと息ができた。すぐにお傍に行こうとしたところで、またもジェイが口を開いた。
「お前は? 好きなやつとかいないの」
 思わず足が止まる。今すぐローラン様に駆け寄りたいはずなのに、俺はなぜか蹲って植木に隠れ、耳を澄ませていた。
「なんでアンタにそんな話をしないといけないんだ」
 ローラン様は冷たい声を出した。まるで初めて出会った時のような声音で、どこか懐かしさを感じる。
「いいだろ。俺の事情は洗いざらい聞いたんだから、お前も話せよ。どんな人が好き?」
 しばらく、ローラン様は黙っていた。枝と葉の僅かな間から、そっと向こう側を窺う。ローラン様は後頭部しか見えなかった。さらさらの黒髪の間から、大人びた白い輪郭が見え隠れしている。
「……強い人」
「強い?」
「気持ちが強くて、絶対に折れない人。見返りもなく人に優しくできて、尊い人が好きだ」
 ジェイが黙り込む。俺も黙った。一度だけ、ローラン様と重ねた唇のことを思い出す。彼と目の前の人は違うと頭ではわかっているのに、頬がかっと熱くなる。愚かだし不敬だ。俺は口元を手の甲で覆った。
「……お前って、大人だな。俺、てっきり胸の大きな子とか、髪の長い子って言われると思ってた」
 ジェイがため息とともに感想を言った。ローラン様が肩を震わせる。
「見た目の話だったのかよ」
「普通、そうだろ? だからモテないのかな。お前、モテそうだもんな。女の子と付き合ったことある?」
「ない」
「うそつけ」
「嘘じゃない。女になんか興味ない」
「好きになった人だけが特別ってこと? お前のこと先生って呼んでもいい?」
 やめろ、と言いながらローラン様が器用に縛られた足でジェイを足蹴にする。そこでやっと出て行く気になり、俺はカエルと共に東屋へ入った。ジェイが体を大きくびくつかせる。俺の名を呼ぶローラン様の後ろに回り、ツタを千切って手の拘束をほどく。ジェイの方はカエルがツタを噛み切っているらしく、ジェイは大げさに「なに? すごい冷たくてネトネトする! こわい!」と騒いでいた。
「遅くなってすみません」
「いや、来てくれてありがとう」
 ローラン様が微笑む。その顔があまりに美しく、俺は状況も忘れてぼうっと見とれてしまった。はっとして頭を左右に強く振る。突然の奇行に、ローラン様が戸惑って目をしばたたかせた。
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