藤枝蕗は逃げている

木村木下

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十六年の孤独

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 一番案内したかったローラン様の部屋だった場所は火事で全焼していた。屋敷を案内し終えた俺は庭へと戻り、ローラン様と共に馬の傍で座っていた。ローラン様は目元を赤くしつつも落ち着いていて、今は馬の腹を手のひらで撫でている。
「母上と父上って、どんな人だった?」
 彼の質問に、俺は持てる言葉を尽くして答えた。旦那様が優しく逞しかったこと、奥様が穏やかで美しかったこと。特にローラン様が鏡に映したかのように奥様の生き写しだと言うと、彼は戸惑ったように口をもごもごさせ前髪を指でいじった。
「俺に親がいたなんて、実感が全然ない」
「お二人とも、ローラン様をとても愛してらっしゃいました」
 俺は彼らがどうしてローラン様を手放すことになったのか、最後の夜のことも隠さずに話した。ローラン様はどこか物語を聞くような面持ちでそれを聞いていた。馬の腹を撫でる手は一定の速さで動いている。木陰に風が吹き、彼の短い髪が揺れている。
 話が終わると、遠くを見つめながら「元の世界の」と呟いた。
「元の世界のローランには、フキがいたんだな」
 それは俺へ話しかけると言うより、独り言のようだった。
「十六年、フキに育てられたんだろ」
 頷きで答える。ローラン様はちらりと俺を見て、ぐっと眉根を寄せた。一瞬のうちに頬が赤らむ。馬を撫でていた手は、立てた両膝を抱え込むように右手の手首を掴んでいた。
「じゃあ、俺とも十六年一緒にいてくれよ」
 足元をじっと見ながら、吐き捨てるように言う。
「俺とそいつが同じローランだっていうなら、ずるい。俺は、俺はずっと一人だったのに……」
「ローラン様……」
 震える肩に触れ、彼の髪をそっと撫でる。十六年、彼は王宮の塔で孤独に過ごしたのだ。王妃は食事や最低限の世話をする係を寄越したものの、一度も言葉を交わしたことはなかったと言う。
 十六年、塔の中で本を読んで過ごす孤独を思うと、胸が引き裂かれそうだった。シェード家を襲撃した者たちは赤子を殺すことに躊躇いを覚えたのだろうか? 慈悲の結果がローラン様を生かした。しかし、俺は襲撃した人間に対して激しい怒りを抑えられなかった。ローラン様の肩に触れる手に力が籠る。
 ユーリ殿下の親族が手を引いていたと言う。元の世界では、ローラン様自らが手を下して彼らを捕らえた。しかし、こちらではどうだろうか。ローラン様は王妃に命を狙われ逃げていて、彼が王家の血をひくということを誰も知らず、シェード家を襲った者たちを捕らえることなどできないだろう。
 俺は旦那様と奥様を殺し、ローラン様を十六年の孤独に追いやった者たちを許す気など毛頭なかった。どんな手を使ったとしても、元の世界に帰る前に必ず報いを受けさせる。
 いつの間にかローラン様は体の力を抜き、俺の膝に頭を預けてまどろんでいる。その青い瞳はシェードの屋敷をぼんやりと映していた。



 うたたねしてしまったのだろうか、夢を見ている。
 外だ。王宮の宴が行われているらしい。迎花宴だろうか、そこかしこに花が飾られ、王宮の一番大きな木には白い花が零れんばかりに咲いていた。その下に舞台が用意され、囲むように客席が設けられている。客席の真ん中には王族たちが座っていた。真ん中に王妃、両隣りにユーリ殿下とローラン様だ。ユーリ殿下は黒い衣、ローラン様は薄青色の衣をまとっていた。俺は息を呑んで王妃を見つめた。彼女を見るのは初めてだった。
 王妃は想像よりもずっと若く、美しかった。ローラン様の母親だといっても違和感がない。俺といくつも違わなそうだ。艶のある黒い髪、肌は白く、唇は血のように赤かった。瞳は大きいが、どこかのんびりとした雰囲気で、眉は頼りなげに下がっている。王が崩御したからか、彼女が王室でもっとも力を持っているらしい。
 ローラン様は興味なさげに、口元に薄い笑みを刷いて舞台を見つめていた。檀上では着飾った娘たちが鈴のついた枝を持って踊っている。壇の下、陰になるところでは楽師たちが音楽を奏でていた。
 ふと、俺は舞台袖に誰かいることに気づいた。ロニーだ。彼は人目を忍ぶように中腰で、ゆっくりと客席の方へとにじり寄っている。騎士服ではなく、暗い色の服を着ていて手には長剣を持っている。俺は弾かれたように走った。ローラン様の傍へ行き、なんとか彼を逃がそうと話しかけるが、やはり気づいてはもらえない。焦りで全身に汗が滲む。ローラン様の衣を掴み、必死に逃がそうとするがそのうちにもロニーは近づいてきていた。
 騎士団はいったい何をしているのだろうか、ついにロニーは王家の人間が座る客席のすぐ裏にまで忍び寄っていた。緊張しているのだろうか、顔色は悪く、小刻みに震えている。歯の根が浮くのか、唇は半開きで息が荒かった。
効果があるのかはわからないが、俺は両手を広げて彼とローラン様の間に立った。
しかし、ロニーが切っ先を向けたのはローランさまではなかった。檀上に躍り出た彼は悲鳴やユーリ様の驚く声も無視して、その剣を王妃の胸へと沈めていた。
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