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宿屋にて
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明朝、熱はすっかり下がっていた。まだ朝もやの出る時間、ローラン様と一緒に玄関に立ちアーシャに別れを告げる。彼女はブランケットを肩に巻き付け、赤毛を背に垂らしたまま手を振った。
夏とはいえ、朝はやや冷える。ローラン様は俺の手に手袋を被せ「病み上がりだから、つらくなったら言え」と言った。彼の手袋をしたまま、何度か手を握ったり開いたりする。手に吸い付くような革の感触が不思議だ。
湿地を抜け、村をいくつか越えて大きな街に出ると、昼頃になっていた。ローラン様はフードで顔を隠し大通りにある質屋へと入った。胸元から小さな巾着を取り出し、店の親父に渡す。中からは宝石が出てきて、金貨三枚になった。服を数枚と、干物などの保存食を少し買い、最後に馬屋へと行く。ローラン様は金貨一枚で買える一番良い馬を選んだ。黒毛の牝馬だ。手綱をひいて路地に出ると、彼は買った服から、一番薄い上掛を出し、俺の肩にかけた。馬に乗るように促され、以前ロニーと一緒に乗った時のことを思い出しながらなんとか跨る。俺が苦戦しながら座ったのを見てから、ローラン様はふわりと身軽に飛び乗った。鞍に腰かけ、俺の腹の横から手を伸ばして手綱をひく。
「まずは住む場所を探さないとな」
ローラン様はそう言って馬を走らせた。魔法使いは食うに困らない。薬草の扱いに長けているし、彼らだけが扱う特別な技術があるからだ。例えば、アーシャには占いがある。住むなら近くに森があり、人里から離れすぎていない場所がいい。ローラン様がそういうのを聞いて、俺は一か所心当たりがあることに気づいた。肩越しにそっと主人の顔をうかがう。すると、彼はすぐに気づいて「なに」と声をかけてきた。慌てて顔を前に戻して首を振る。
彼が気づいているかわからないが、この道をずっと進めば、シェードの屋敷がある。屋敷は近くに森があり、里も近い。ローラン様の腰にはシェード家の短剣がささっていた。彼は屋敷の正当な所有者だ。でも、最後に俺が見た屋敷は火の手があがっていた。もしかしたら、かつての姿は失われ、影も形もなくなっているかもしれない。そう思うと、行ってみようとはとても言えなかった。
夜になる前に、通りがかった村で宿を取った。ちょうど客がきているらしく、四つしかない部屋のうち、三つが埋まっているらしい。宿の女将が布団を余分に用意すると言うので、ローラン様はその部屋を取った。ここ以外に宿がないのだ。
荷物を部屋に置き、夕食を食べるために食堂へ出る。ローラン様は部屋で食べると言うので、女将に部屋へもって上がれるよう料理をよそってもらった。準備ができるのを待っていると、ちょうど階段から他の宿泊客が降りてきた。知り合いなのか、話しながら食堂へ入ってくる。
「この村で最後だが、見つからなかったな」
「そうとう痛手を負ってるって話だったろ。ここまで逃げれないんじゃねえの」
「反対側の村を探してるやつらが捕まえてるかもしれないしなあ」
何気なく振り返って、慌てて顔をそらす。騎士だ。名前も知っている。ジーク、ジル、ジェイ。元の世界で、チオンジーから助けた男たちだった。彼らは俺を気にする様子もなく食堂の椅子に腰かけると、女将に大きな声で給仕を頼みまた話し始めた。目立たないよう、俯いて身を潜める。
「手助けしてるやつがいるって話だろ? 二人ならここまで来れるんじゃないか」
「ここらの医者にかかったって話もないし」
「見つからなかったらどうなるんだろうな」
彼らがいるということは、騎士団長であるオルランドも近くにいるのだろうか。胸が痛いほど鼓動を打つ。女将が料理を終え、トレーに乗せた皿を渡してくれる。受け取ると、俺は急いでその場を離れ、階段を上がった。
部屋ではローラン様が布団で横になっていた。疲れていたのか、上着も脱がずに寝息を立てている。料理を机の上に置き、そっと彼の顔を覗き込む。丸まっていたブランケットを広げてかけると、眉を寄せてむずがる。
ジジジの三人相手なら、俺でも彼を逃がしてやれる自信がある。でも、オルランドがいるならだめだ。あの男とやりあって勝てるとは思わない。手を伸ばして、前髪を払い、額をそっと撫でる。とたん、眉間の皴が緩み、穏やかな寝顔になる。俺は思わず笑ってしまった。
「……なんだよ」
気づけばローラン様が薄く目を開けている。俺は慌てて手をどけた。うるさくしたことを謝ると、彼は軽く頭を振りながら体を起こした。机の上にある食事に気づいたらしく、食べようと誘われる。
スープにはムラサキ豆が入っていた。見守っていると、ローラン様はためらいもせずに匙を口に入れる。が、すぐにその顔が顰められた。
「まずい。この豆、パサパサしてる」
「好き嫌いはだめですよ、すごく栄養があるんです」
疑いの目で見られるが、本当だ。ローラン様は少し考えると「栄養があるなら、お前が食べた方が良い。病み上がりだから」と言ってスープの皿をこちらに押し付ける。思わず、元の世界のローラン様が幼いころ「フキにあげる」と言って豆を皿の端によけていた姿を思い出してしまう。渡された椀に口をつけると、暖かいスープが喉を通って腹に落ちた。
夏とはいえ、朝はやや冷える。ローラン様は俺の手に手袋を被せ「病み上がりだから、つらくなったら言え」と言った。彼の手袋をしたまま、何度か手を握ったり開いたりする。手に吸い付くような革の感触が不思議だ。
湿地を抜け、村をいくつか越えて大きな街に出ると、昼頃になっていた。ローラン様はフードで顔を隠し大通りにある質屋へと入った。胸元から小さな巾着を取り出し、店の親父に渡す。中からは宝石が出てきて、金貨三枚になった。服を数枚と、干物などの保存食を少し買い、最後に馬屋へと行く。ローラン様は金貨一枚で買える一番良い馬を選んだ。黒毛の牝馬だ。手綱をひいて路地に出ると、彼は買った服から、一番薄い上掛を出し、俺の肩にかけた。馬に乗るように促され、以前ロニーと一緒に乗った時のことを思い出しながらなんとか跨る。俺が苦戦しながら座ったのを見てから、ローラン様はふわりと身軽に飛び乗った。鞍に腰かけ、俺の腹の横から手を伸ばして手綱をひく。
「まずは住む場所を探さないとな」
ローラン様はそう言って馬を走らせた。魔法使いは食うに困らない。薬草の扱いに長けているし、彼らだけが扱う特別な技術があるからだ。例えば、アーシャには占いがある。住むなら近くに森があり、人里から離れすぎていない場所がいい。ローラン様がそういうのを聞いて、俺は一か所心当たりがあることに気づいた。肩越しにそっと主人の顔をうかがう。すると、彼はすぐに気づいて「なに」と声をかけてきた。慌てて顔を前に戻して首を振る。
彼が気づいているかわからないが、この道をずっと進めば、シェードの屋敷がある。屋敷は近くに森があり、里も近い。ローラン様の腰にはシェード家の短剣がささっていた。彼は屋敷の正当な所有者だ。でも、最後に俺が見た屋敷は火の手があがっていた。もしかしたら、かつての姿は失われ、影も形もなくなっているかもしれない。そう思うと、行ってみようとはとても言えなかった。
夜になる前に、通りがかった村で宿を取った。ちょうど客がきているらしく、四つしかない部屋のうち、三つが埋まっているらしい。宿の女将が布団を余分に用意すると言うので、ローラン様はその部屋を取った。ここ以外に宿がないのだ。
荷物を部屋に置き、夕食を食べるために食堂へ出る。ローラン様は部屋で食べると言うので、女将に部屋へもって上がれるよう料理をよそってもらった。準備ができるのを待っていると、ちょうど階段から他の宿泊客が降りてきた。知り合いなのか、話しながら食堂へ入ってくる。
「この村で最後だが、見つからなかったな」
「そうとう痛手を負ってるって話だったろ。ここまで逃げれないんじゃねえの」
「反対側の村を探してるやつらが捕まえてるかもしれないしなあ」
何気なく振り返って、慌てて顔をそらす。騎士だ。名前も知っている。ジーク、ジル、ジェイ。元の世界で、チオンジーから助けた男たちだった。彼らは俺を気にする様子もなく食堂の椅子に腰かけると、女将に大きな声で給仕を頼みまた話し始めた。目立たないよう、俯いて身を潜める。
「手助けしてるやつがいるって話だろ? 二人ならここまで来れるんじゃないか」
「ここらの医者にかかったって話もないし」
「見つからなかったらどうなるんだろうな」
彼らがいるということは、騎士団長であるオルランドも近くにいるのだろうか。胸が痛いほど鼓動を打つ。女将が料理を終え、トレーに乗せた皿を渡してくれる。受け取ると、俺は急いでその場を離れ、階段を上がった。
部屋ではローラン様が布団で横になっていた。疲れていたのか、上着も脱がずに寝息を立てている。料理を机の上に置き、そっと彼の顔を覗き込む。丸まっていたブランケットを広げてかけると、眉を寄せてむずがる。
ジジジの三人相手なら、俺でも彼を逃がしてやれる自信がある。でも、オルランドがいるならだめだ。あの男とやりあって勝てるとは思わない。手を伸ばして、前髪を払い、額をそっと撫でる。とたん、眉間の皴が緩み、穏やかな寝顔になる。俺は思わず笑ってしまった。
「……なんだよ」
気づけばローラン様が薄く目を開けている。俺は慌てて手をどけた。うるさくしたことを謝ると、彼は軽く頭を振りながら体を起こした。机の上にある食事に気づいたらしく、食べようと誘われる。
スープにはムラサキ豆が入っていた。見守っていると、ローラン様はためらいもせずに匙を口に入れる。が、すぐにその顔が顰められた。
「まずい。この豆、パサパサしてる」
「好き嫌いはだめですよ、すごく栄養があるんです」
疑いの目で見られるが、本当だ。ローラン様は少し考えると「栄養があるなら、お前が食べた方が良い。病み上がりだから」と言ってスープの皿をこちらに押し付ける。思わず、元の世界のローラン様が幼いころ「フキにあげる」と言って豆を皿の端によけていた姿を思い出してしまう。渡された椀に口をつけると、暖かいスープが喉を通って腹に落ちた。
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