藤枝蕗は逃げている

木村木下

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エディとマリーとローズと仕立て屋

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 久しぶりに会ったジョンは、どうやら所帯をもったようだった。隣にいる同じくらいの身丈の鼠と、生まれたばかりだろう小さな鼠を一生懸命に指さしている。礼儀として軽く頭を下げると、彼は満足そうに胸を張った。
「ローラン様はもうご存じなのか?」
 問うと、ジョンが首を振る。挨拶に伺うべきだろうと助言すると家族そろって一生懸命にうなずくので、城に連れて帰ってやることにした。外套のポケットに入るよう促すと、全員躊躇いもなく入ってくる。野生は忘れたままらしい。
 金を持って、まずは仕立て屋を訪ねた。流行り病にかかった娘のあばたを治したことで、仕立て屋の店主には気に入られている。彼は俺の顔を見るとすぐに奥から出てきた。
「やあ、フキさん! 久しぶりですね。噂で街を出たと聞いたけれど、もう戻ってきたんですか」
「はい。服を買いに来ました」
 机の上に袋を置いて、この金で買える一番良い服が欲しいと頼む。仕立て屋は金を数えてから、俺に向かって「ローランさんの服ですか」と聞いた。首を振って今度の雪解けの祝祭のためにユーリ殿下に服を誂えたいのだと話すと、彼は眼鏡の奥の目をぱちぱちさせた。
「ユーリ殿下に……ですか」
 頷くと、彼はしばらく黙りこみ、店の奥へと歩いて行った。戻ってくると、手に布を持っている。厚紙を芯に幾重にも巻かれた布の束だ。素人が見ても分かる、美しい布だ。引き込まれるような深紅が、しっとりと濡れるように輝いている。明らかに俺の持ってきた金では足りない品に、戸惑って店主の顔を見る。
「うちにある一番良い布です。フキさん、あなたにはいつか助けてもらった恩を返したいと思っていたんです。どうぞこの布で作らせてください」
 どう考えても貰いすぎだ。ありがたい話だが首を振る。が、店主も譲らなかった。俺たちは半刻以上もお互いに粘り合って、結局布と、基本的な仕立てを店主に頼み、それ以外の装飾などは俺が手配すると言う話に落ち着いた。話が終わるころには、二人して額に汗がにじんでいた。
 どことなく負けたような気持ちで仕立て屋を出る。手には装飾を施す用の布を握っていた。ポケットの中で鼠たちがチュウチュウ話している。が、何を話しているのか考えるのも面倒くさかった。
 布を持って、月光百合を採りに行こうと森を目指して歩く。橋を渡ろうとすると、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと、そこには宝石屋のエディがいた。彼女は大きな目を見開いて、頬をぱっとバラ色に染めた。
「フキさん! フキさんだわ!」
 頷く。彼女は華奢な手で俺の手首を掴むと、力いっぱい握りしめた。驚いて目を丸くすると、その細腕のどこに力があるのか、彼女が俺を引っ張って歩き始める。
「どこに行ってしまったのかと、とても心配していたのよ。ローズもマリーもね! 私たちに黙ってどこかへ行ってしまうなんて、ひどい薄情者だわ」
「ご、ごめんなさい」
 彼女に引きずられるまま歩くと、花屋についた。中から出てきたマリーも、エディと全く同じ反応をして俺をなじった。彼女は店の手伝いをしていた長男に粉屋までローズを呼び行くように伝えた。こうして、あっというまに三人の女たちに囲まれてしまった。花屋の二階に連れ込まれ、椅子に座らされて質問攻めを受ける。特に隠す必要もないので、聞かれるまま、あらいざらい話す。彼女たちは驚いたり憤慨したり、悲しんだり、喜んだりとせわしなく反応した。
「ローランが王子だったなんて! どうりで、気品がありすぎると思っていたわ」
「まあ、フキさん、そんなことをされたの? 悔しいわ。私がいたらその騎士のほっぺを思い切りつねってやるのに」
「フキさんが戻ってこれて本当に良かったわ。王都にもまた遊びに来てね」
 ローズに手を握られて頷く。彼女はにっこり笑った。隣に座っているマリーが頬に手を当てて「でも、フキさん針仕事なんてできるの?」と聞いた。得意だとは言わないが、もちろんできる。ローラン様の服が破れた時、繕っていたのは俺だ。が、彼女たちは顔を見合わせると、自分たちにも何か手伝わせてくれと言ってきた。
「いいでしょう? 私たちだって恩返しする権利があるはずだもの」
「フキさんよりずっと上手に刺繍できると思うわ」
「流行りの絵柄にも詳しいしね」
 エディが俺の持っていた布をあっという間に三人に振り分ける。俺は慌てて取り返そうとしたが、袖の部分の布しか取り返せなかった。
「祝祭ってことは、きっと花もいるわよね。力になれるわ」
「宝石なら任せてね。うちで一番良いものを用意するから」
「二人ともずるいわ。私もユーリ殿下の力になりたいのに」
 ローズが親指の爪を噛む。どうやら、配偶者を得て子供を持っても依然としてユーリ殿下への憧れは変わらないらしい。彼女たちは刺繍の図案本を出すと、三人で頭を突き合わせてどこにどの絵を入れれば素敵かを話し始めた。あっというまに話がまとまり、担当が決まる。俺が頑として袖の布を離さないので、仕方なく図案の写しを渡された。
「じゃあ、祝祭の三日前には仕上げるから、取りに来てね」
 流されて、結局頷いてしまった。花屋を出るころには、すっかり日が暮れ始めていた。
 月光百合の丘は、前と変わらずに花を咲かせていた。月の出る晩であれば、季節問わず咲く花だ。持ってきていた瓶に花弁を集めて詰め込む。森に帰り、習った手順を思い出しながら鍋で薬を作る。できあがった液体を瓶に入れ、俺は安堵のため息をついた。
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