23 / 62
勉強の理由
しおりを挟む
月光百合を取りに行く! と今すぐにでも城を飛び出していきたかったが、足踏みしていた。なにしろ俺は城内であやふやな身分なので、一度出たら最後二度と城門をくぐれない可能性がある。せっかく月光百合を採っても、届けられなければ意味がない。俺はローラン様にあったことをあらいざらい喋って、どうしたら月光百合を取りに行けるかを聞いたが、ローラン様は「焦らないこと」と言って俺を椅子に座らせた。
「まだ城でやれることが色々あるよ」
「城でやること……」
「そう。折角教えてくれると言うのだから、色々なことを教わっておかないと。フキ、お前外国語を話せる?」
日本語をカウントしても良いなら、話せる。ローラン様は「フキを違う国に連れて行っても、苦労しないようになれるよ」と笑った。
「散歩もいいけれど、私が勉強している間、あまり遠くに行かないようにね」
白い指が頬に触れる。主人の手が触れていると思うと、俺は急に恥ずかしくなり、思わず目を伏せた。頬がかっかと熱い。ローラン様の指がぴくっと動き、しばらく止まった。
「……フキ?」
「はい、ローラン様」
返事をして、やっとローラン様を見上げる。彼は戸惑ったような、探るような顔で俺を見ていた。青色の瞳の奥に、なにかを期待するような色が見える。彼がなにかを言おうとした時だった。ドアをノックする音がする。ローラン様ははっとして顔を上げ、外に向かって誰何した。
「ミリアでございます」
「ああ、……うん、入っておいで」
俺は慌てて椅子から立ち上がり、ローラン様の後ろに立った。ミリアは大きな木の箱をいくつか重ねて持っていた。後ろにも何人かの使用人がいて、同じように箱を持っている。中には十個以上も箱を重ねている男もいた。ローラン様の陰から出て、そっと近寄り箱を運ぶのを手伝う。見ると、衣装箱のようだった。ミリアが使用人たちに指示を出し、部屋に次々と箱が積まれる。彼女は自身が持ってきた箱をひとつ開け、中から服を出した。
「雪解けの祝宴でお召いただく衣装でございます」
ローラン様の体はひとつしかないが、服は数えきれないほど用意されていた。どれも眩いばかりの品だ。ミリアが持っている衣装は紺色の布地にきらきらと光る糸が織り込まれていた。
ローラン様は黙ってそれを見ていたが、使用人たちが仕事を終え退室しようとすると彼らを呼び止めて「重かっただろう。ありがとう」と声をかけ、部屋にある菓子を持っていくよう言った。ローラン様の部屋には常に何かしらの菓子が用意されているのだ。俺は飴の入った籠を持って使用人たちに配った。
彼らが全員出ていくと、ローラン様はミリアに「こんなに服をもらっても、とても全部着れないよ」と笑った。ミリアは楚々とした様子で「お気に召さないのであれば、別のものを手配いたします」と答えた。ローラン様が破顔一笑する。
「困ったことに、私は着るものに興味がないんだ。フキに聞いておくれ。私に似合うものを一番よく知っているから」
急に話を振られて驚いたが、一生懸命頷く。確かに、俺はローラン様が本当に好きなので、彼のことを四六時中考えている。何を着たら一番似合うのかも、よくわかる。ミリアは横目でちらっと俺を見たが、特に何も言わずローラン様に向かって「仰せのままに」と頭を下げた。
彼女が出て行った部屋で、さっそく箱を開けてどんな衣装があるのかを検める。蓋をすべて取ってしまうと、見事な眺めだった。豪華絢爛と言ってもいい。この世の全ての贅沢を集めた感じだ。ひとつひとつ手に取って見る俺を、椅子に腰かけてローラン様が眺める。
「楽しい?」
「はい」
ローラン様はお顔がまるで祝福を受けたかのように美しいので当然何でも似合うが、一番似合うのはやはり青い服だ。
「雪解けの祝宴には、ユーリ殿下も出席なさるという噂だよ」
「えっ」
驚いて振り返る。ローラン様は頬杖をついてにっこり笑った。
「一生懸命作法を学べば会わせてくれると言うから頑張って勉強していたのに、私のフキはもうユーリ殿下に会ってしまったの?」
一瞬にして、毎日息つく暇もなく教師に師事していたローラン様のお姿が思い起こされる。青い衣を持ったまま、全身の血が足元に下がった気がした。謝ろうとなんとか口を開くと、一瞬早くローラン様の笑い声が響いた。彼の両腕が俺の頭を抱え込み、ぎゅっと抱きしめる。柔らかな布の感触と、良く晴れた日の森のような匂い。下がっていたはずの血流が心臓まで一気に逆流する。どっとものすごい音で鼓動を打ち、くらくらした。
「ろ、ローラン様」
「フキって、ほんとうにすごい人だね。私の想像のずっと先を行ってしまうんだもの」
本当に楽しそうな笑顔だった。彼の胸に手を当てて見上げると、俺の首をぎゅっと抱きしめていた腕が緩み、大きな手が頬を挟むようにして持つ。急に顔を持ち上げられて、俺は思わず呻いた。ローラン様がためらいなく顔を近づけて頬ずりをする。
「ああ、本当に楽しい」
ローラン様はいつも変なところで喜ぶ。ローラン様が十四歳の頃、断っても断っても送られてくる恋文になんと言えばいいかと困っていた時、俺が家の前に『恋文お断り』の立札を立てたら息も絶え絶えに笑っていた。なぜ笑われているのかはいまいちわからないが、あまりにも楽しそうなのでそんな顔を見ていると「まあ、笑っているなら良いか」と思ってしまう。今回も、謝ろうとしていたことも忘れてローラン様の目じりに滲んだ涙をそっと指で拭った。
「まだ城でやれることが色々あるよ」
「城でやること……」
「そう。折角教えてくれると言うのだから、色々なことを教わっておかないと。フキ、お前外国語を話せる?」
日本語をカウントしても良いなら、話せる。ローラン様は「フキを違う国に連れて行っても、苦労しないようになれるよ」と笑った。
「散歩もいいけれど、私が勉強している間、あまり遠くに行かないようにね」
白い指が頬に触れる。主人の手が触れていると思うと、俺は急に恥ずかしくなり、思わず目を伏せた。頬がかっかと熱い。ローラン様の指がぴくっと動き、しばらく止まった。
「……フキ?」
「はい、ローラン様」
返事をして、やっとローラン様を見上げる。彼は戸惑ったような、探るような顔で俺を見ていた。青色の瞳の奥に、なにかを期待するような色が見える。彼がなにかを言おうとした時だった。ドアをノックする音がする。ローラン様ははっとして顔を上げ、外に向かって誰何した。
「ミリアでございます」
「ああ、……うん、入っておいで」
俺は慌てて椅子から立ち上がり、ローラン様の後ろに立った。ミリアは大きな木の箱をいくつか重ねて持っていた。後ろにも何人かの使用人がいて、同じように箱を持っている。中には十個以上も箱を重ねている男もいた。ローラン様の陰から出て、そっと近寄り箱を運ぶのを手伝う。見ると、衣装箱のようだった。ミリアが使用人たちに指示を出し、部屋に次々と箱が積まれる。彼女は自身が持ってきた箱をひとつ開け、中から服を出した。
「雪解けの祝宴でお召いただく衣装でございます」
ローラン様の体はひとつしかないが、服は数えきれないほど用意されていた。どれも眩いばかりの品だ。ミリアが持っている衣装は紺色の布地にきらきらと光る糸が織り込まれていた。
ローラン様は黙ってそれを見ていたが、使用人たちが仕事を終え退室しようとすると彼らを呼び止めて「重かっただろう。ありがとう」と声をかけ、部屋にある菓子を持っていくよう言った。ローラン様の部屋には常に何かしらの菓子が用意されているのだ。俺は飴の入った籠を持って使用人たちに配った。
彼らが全員出ていくと、ローラン様はミリアに「こんなに服をもらっても、とても全部着れないよ」と笑った。ミリアは楚々とした様子で「お気に召さないのであれば、別のものを手配いたします」と答えた。ローラン様が破顔一笑する。
「困ったことに、私は着るものに興味がないんだ。フキに聞いておくれ。私に似合うものを一番よく知っているから」
急に話を振られて驚いたが、一生懸命頷く。確かに、俺はローラン様が本当に好きなので、彼のことを四六時中考えている。何を着たら一番似合うのかも、よくわかる。ミリアは横目でちらっと俺を見たが、特に何も言わずローラン様に向かって「仰せのままに」と頭を下げた。
彼女が出て行った部屋で、さっそく箱を開けてどんな衣装があるのかを検める。蓋をすべて取ってしまうと、見事な眺めだった。豪華絢爛と言ってもいい。この世の全ての贅沢を集めた感じだ。ひとつひとつ手に取って見る俺を、椅子に腰かけてローラン様が眺める。
「楽しい?」
「はい」
ローラン様はお顔がまるで祝福を受けたかのように美しいので当然何でも似合うが、一番似合うのはやはり青い服だ。
「雪解けの祝宴には、ユーリ殿下も出席なさるという噂だよ」
「えっ」
驚いて振り返る。ローラン様は頬杖をついてにっこり笑った。
「一生懸命作法を学べば会わせてくれると言うから頑張って勉強していたのに、私のフキはもうユーリ殿下に会ってしまったの?」
一瞬にして、毎日息つく暇もなく教師に師事していたローラン様のお姿が思い起こされる。青い衣を持ったまま、全身の血が足元に下がった気がした。謝ろうとなんとか口を開くと、一瞬早くローラン様の笑い声が響いた。彼の両腕が俺の頭を抱え込み、ぎゅっと抱きしめる。柔らかな布の感触と、良く晴れた日の森のような匂い。下がっていたはずの血流が心臓まで一気に逆流する。どっとものすごい音で鼓動を打ち、くらくらした。
「ろ、ローラン様」
「フキって、ほんとうにすごい人だね。私の想像のずっと先を行ってしまうんだもの」
本当に楽しそうな笑顔だった。彼の胸に手を当てて見上げると、俺の首をぎゅっと抱きしめていた腕が緩み、大きな手が頬を挟むようにして持つ。急に顔を持ち上げられて、俺は思わず呻いた。ローラン様がためらいなく顔を近づけて頬ずりをする。
「ああ、本当に楽しい」
ローラン様はいつも変なところで喜ぶ。ローラン様が十四歳の頃、断っても断っても送られてくる恋文になんと言えばいいかと困っていた時、俺が家の前に『恋文お断り』の立札を立てたら息も絶え絶えに笑っていた。なぜ笑われているのかはいまいちわからないが、あまりにも楽しそうなのでそんな顔を見ていると「まあ、笑っているなら良いか」と思ってしまう。今回も、謝ろうとしていたことも忘れてローラン様の目じりに滲んだ涙をそっと指で拭った。
応援ありがとうございます!
24
お気に入りに追加
727
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる