藤枝蕗は逃げている

木村木下

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トゲ木苺と騎士団長

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 ジジジの三人と別れ、ローラン様のお部屋に戻ると話は終わったらしく、ロニーをはじめとした騎士たちも姿を消していた。中に入ると、ローラン様は椅子に腰かけて窓から庭を見下ろしていた。部屋に入ってきた俺に気づくとにこりと笑って「おかえり」と声をかけてくださる。俺は肩を落として謝った。
「なにを謝るの?」
 優しい声だ。ローラン様は青い目に慈愛を湛えて俺を見た。慈悲深いお方なので、瞳には常に慈愛が満ちている。主人の傍へ行き、足元に座って頭を下げる。正直にミリアを見失ってしまったと告げると、ローラン様は声を上げて笑った。
「そう、でも謝らなくてもいいんだよ。さあ、立ち上がってこっちへおいで。面白いものが見れるから」
 言われた通りに立って窓へと近づく。下を覗き込んで、俺の目は丸くなった。ローラン様のお部屋から見える庭には、二人の人影があった。一人はロニー、もう一人はミリアだ。彼らは立ち止まり、二人でなにかを話している様子だった。窓に額がつくほどに近づいて目を凝らすと、どうやら言い争っているらしいことがわかった。ミリアが大きな手ぶりで必死に何かを言い募っているのにたいして、ロニーは首を振って答えている。
 二人につながりがあるなんて、一体どういうことだろう? 隣を見ると、同じように窓の外を冷たい眼差しで見ていたローラン様がふっと眉を緩めた。
「ミリアはまだ帰ってこなさそうだね」
 頷く。ローラン様はベルを鳴らして侍従を呼ぶと夕餉の準備をさせた。できるなら俺がやりたいのだが、城での身分がないので出来ない。身の置き場がないが、ローラン様にすすめられるまま運ばれてきた料理を食べる。城の食事は豪勢で、一回の食事に何種類ものパンが出てきた。せっかく色々あるのだから、おいしいものを食べればいいと思うのだがローラン様はいつも茶色くて硬いパンを選んだ。白い手が籠から柔らかいパンを取って俺の皿に乗せてくれる。嬉しくなり、ローラン様の顔を見て笑うと、彼も嬉しそうに笑った。森にいた頃は滅多に食べられなかったが、最近は毎日のようにこのパンを食べている。


 次の日、ローラン様のためにトゲ木苺でも摘むかと朝から部屋を出て、南棟へと進んだ。ミリアを追っていくうちに気づいたのだが、南棟にはトゲ木苺の木がたくさんあった。冬に成る珍しい木の実のひとつで、木の幹には棘があるのだが、実は甘くておいしい。ローラン様はこの実を塩漬けにしたのが大好きだった。俺としては幼いころに指先を真っ赤にしながら痛みをこらえて貪り食ったというやや切ない経験があるので、それほど好きな木の実ではない。
 中庭を抜け、南棟の入口に来た時だった。後ろから突然腕を掴まれる。すっかり油断していたので、心臓がとまるかと思うほど驚いた。
「なにをしている」
 オルランドだ。彼は昨日見たのとまったく同じ姿(つまり、今まで見たいずれとも同じ、あの騎士服)でそこに立っていた。
「迷ったのか? この先には騎士団の施設しかないぞ」
「違います。ここにはトゲ木苺を取りに来て……」
 正直に答えると、オルランドは俺の持っていた籠をちらっと見て、小さく嘆息した。腕を引っ張って歩き出すので、慌ててついていく。なんだろう。もしかして、勝手に取ってはいけない木の実だったのだろうか。あまりにも広すぎるし、たくさんあるので森かのように考えていたが、確かに管理する庭師もいればそもそも人の土地なので、いけなかったかもしれない。反省して項垂れていると、オルランドが足を止めた。腕から手が離れる。俺はうなだれたまま「ごめんなさい」と謝った。
「なにを謝る」
「人のものを勝手に取ろうとしたので」
「人のもの?」
 少し考えて、トゲ木苺のことだとわかったのか、オルランドは呆れたように「構わない。どうせ落ちるから勝手に取ればいい」と言った。そうか、それなら遠慮しないが……。
「あんなところに来るな」
 オルランドは周りを気にするように視線を動かした。下ろした手で、袖口を気にして指先を動かしている。
「あの王子はどうした? 東棟で大人しくしていたほうがいい」
「ローラン様はまだおやすみになっています」
 ようやく空が白み始めてきた頃だ。ローラン様に限らず、よっぽどの早起きでない限り寝ている。そもそもなぜ俺がこんなに早起きなのかというと、性懲りもなく淫らな夢を見て、もう一度寝られなかったのだ。
 オルランドはどうしてこんな時間に起きているのか聞くと、いつもの鍛錬の時間らしい。走り込みをしていたという。彼は俺の顔をまっすぐに見て、薄い唇を開いた。
「部下を救ってくれた恩があるから忠告する。大人しくしていろ。あの王子にも言っておけ。王宮では流れに逆らわないのが長生きするための近道だ」
 思わず眉を寄せて閉口する。持っていた籠の持ち手を軋む音がするほど握りしめた。
「それは、あなたもそうしているという意味ですか?」
「いや。わたしは長生きしなくても良い」
 俺は長生きしたいし、ローラン様にはもっと長生きしてほしい。オルランドは「好きに生きているから、あちこちに敵がいる」と付け加えた。
「宰相閣下も敵ですか?」
「……宰相? 彼は……」
 オルランドは意外なことを聞かれたというような顔をした。即答せず、言葉を濁してから俺をまじまじと見る。
「そうか、言われてみれば、お前は知らないな」
 知っているのが当たり前と言いたげな声音だ。彼は言いにくそうに口をもごもごさせた。
「あの人は私の兄だ」
 言った後、ついでというように「知らないと思うので教えておくが、セレスティナ様の元婚約者でもある」と付け加える。俺は驚いて言葉を失った。持っていた籠は落ちた。
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