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再会
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じんじんとした足の痛みに目が覚めると、まだ真夜中だった。足に巻いた包帯に血が滲んでいた。体にかけていた薄い布が、ベッドの端に寄って落ちそうになっている。目をこすりながら上体を起こすと、廊下から話し声が聞こえてくるのに気づいた。盗み聞きするつもりはなかったが、なんとなく立ち上がりドアに近づくと、声は明瞭になって耳に届いた。
「団長、俺はまだ納得してません」
ロニーの声だ。少しかすれ気味の、特徴のある声なので間違いない。足音と共に、話し声は部屋の前を移動していく。
「命令なら頭くらい下げるし、ぽっと出の王子だって迎えに行きます」
「口を慎め」
「ユーリ殿下はどうなるんですか? 団長、俺は絶対にあの若造が王太子に擁立されるだなんて認めません」
「騎士団は王室の問題に干渉できない。誰が王太子になろうと、誰が廃嫡されようと、上からの命令に従うのが仕事だ」
「あんたは違うでしょう」
ロニーの声は、ほとんど怒鳴るようだった。対して、オルランド騎士団長は冷静らしい。足音は一定のリズムで刻まれ、声は徐々に聞こえづらくなっていく。
「王妃様の血縁で、民衆にだって人気のあるあんたなら、あの方の味方になってあげられるんじゃないですか」
以降、二人の話は聞こえなくなった。ドアの木目を、親の仇のように睨みつける。いろんな考えが頭の中をぐるぐると回っていた。ドアの前を離れ、出たばかりのベッドに座る。
ユーリ王太子殿下の名は、久しぶりに耳にした。たしか数年前に流行った病で後遺症を患い、表に出られないと言っていたはずだ。かなり人気のある王子だったので、治っていればいくら森暮らしといえど俺の耳にも入るだろうから、まだ後遺症は残っているらしい。
話を整理すると、ローラン様を王太子に擁立するという動きがあり、ロニーはそれに不満を持っている。オルランド騎士団長はそれを阻止する力を持っているが、騎士団の規律に阻まれて実行できない。つまり、
(つまり、ユーリ殿下が王太子として活動できるなら、ローランさまは要らないのか?)
人前に出られなくなるほどの後遺症は、一体何なのだろう。流行り病にかかった者たちは、ひどいあばたや、関節の痛み、神経痛に悩まされていた。もしあばたなら、俺が治せる。薬の作り方は今でもちゃんと覚えていた。が、俺のような身元も不確かでどちらかといえば政敵に属するだろう人間が、どうユーリ殿下の御前に近づき薬を届けるのか、まったく思いつかない。
俺は一晩中、それから一睡もすることなく唸りながら考え続けた。
出発は明け方だった。ロニーが部屋を訪れ、昨日と同じく馬の後ろに乗せてくれる。彼は俺を見ても、なにも感じないし、なにも考えていないかのように振舞った。無言だ。日が傾くころになってようやく王都についた。俺は馬から降り、オルランドに案内されて裏門から城内へと入った。王宮は見上げるだけでくらくらするような建物だった。門だけでも森にあった家より大きい。裏門でこれなのだから、正門はどれほど立派なのだろうと想像もつかなかった。この中にローラン様がいるのかと思うと、不思議なような、まるであるべきものがやっとその場所に戻ったかのような、不思議な気持ちだった。
オルランドは細長い、木でできた扉から城の中に入ると、いくつかの階段を上った。大人しくその後ろをついていくと、ある階段を上り終えたところで目の前の景色がぱっと変わり、急に華やかになった。さきほどまでは石造りの廊下だったのに、赤い絨毯のある廊下に出た。
気の遠くなるほど長い廊下を、男について歩く。後ろにはロニーがいて、彼らが歩くたびに鞘がしゃんしゃんと音を立てた。やがて他とは目に見えて違う豪奢な扉の前に来ると、オルランドが足を止めた。軽くノックをすると、中から女性の声が聞こえて、扉が滑るように開いた。
「殿下はお休みになっています」
鈴の鳴るような声だ。オルランドの肩に隠れて良く見えないが、艶のある金髪を下の方で丸く結んでいる髪と、スカートを履いた足元で女性だというのが分かった。
「一秒でも早く連れてこいと言われている。声をかけてくれ」
寝ているのなら、待った方がよいのではないか? 俺はどうせすることもないのだし、わざわざ起こすのはかわいそうだと思ったが、俺が声を出すよりも早く女性は部屋の中へ消えてしまった。三十を数える暇もなくまた扉が開き、今度は中へ招き入れられる。
オルランドは堂々と中に入った。広い部屋だった。調度品の一つ一つが光るように美しい。奥には天蓋付きのベッドがあり、あげられた紗の下に、俺の美しい主人がいた。
「フキ!」
呼ばれた瞬間、気づけば駆けだしていた。後ろからロニーの「あっ」という声が聞こえたが、無視した。ベッドの中に飛び込むようにしてローラン様に抱き着く。あんなに逞しかった体は、ちょっと目を離したすきにガリガリに瘦せてしまっていた。それでもローラン様は腕にぐっと力を籠めると、俺の体を受け止めた。
「フキ、フキ、フキ!」
彼の低く艶のある声が、切羽詰まった感じで俺の名前を呼ぶたび、どう連動しているのか涙が後から後からこぼれた。あれほど人前で泣きたくないと思ったのに、耐える時間すらなかった。
ローラン様の腕が骨がきしみそうになるほど強く俺を抱きしめる。その苦しさすら胸を熱くして、俺は言葉にならないうめき声を漏らした。主の体に腕を回して、その白い首筋にこめかみを押し付ける。
彼の体はぞっとするほど薄かった。胸にあたる肋骨の感触がまざまざと感じられる。あれほど艶やかだった唇すら、張りを失い、健康的だった美しさは病的になっていた。
ローラン様はしばらくの間俺の名前を呼び続け、落ち着くと部屋にいる俺以外の全ての人間を追い払った。女性だけが最後まで渋っていたが、ローラン様の意志は固く、最後には名残惜しそうにしながらも退室する。
二人になった部屋で、ローラン様の大きな手のひらが俺の頬を拭う。彼はまっすぐな眉を下げて、口元を震わせた。
「会いたかった……」
語尾は消え入りそうに細かった。彼は俺の顔を両手で包むと、触れそうなほど近くにまで顔を寄せてじっと目を見つめた。大きな目の上にかかった長く量のある睫毛が何度も上下する。
「フキは?」
ローラン様の青い瞳は潤んでいた。俺は主人の顔を見上げたまま、両目から涙を垂れ流して唇を噛んだ。頬を掴んでいるローラン様の手を上から重ねるようにして掴む。彼は「フキ」と言いながら笑った。さきほどまで切実に寄せられていた眉がほぐれ、仕方のない子供を見るように目が眇められる。
「会いたくなかったの?」
嗚咽がこみあげて、とうとう耐えきれず、両手を伸ばして主人の首に抱き着く。ローラン様は片腕で俺を抱くようにして、もう片方の手で顔に涙で張り付いた前髪をかき上げてくれた。なんとか目を開いて目の前の人を一生懸命に見つめる。涙のせいで、視界はぼやけていた。
「離れたくないよ」
止める間もなく言葉が口から飛び出して、ローラン様に届いてしまった。使用人として、大人としてこんなことを言うべきではないとわかっているが、どうしようもなかった。俺の言葉に、ローラン様は大きく目を開いて、次の瞬間、その顔が傾いた。唇に熱い感触。彼の顔が、近すぎて見えない。俺は思わず息を止めて、涙もぴたりと止まった。
「団長、俺はまだ納得してません」
ロニーの声だ。少しかすれ気味の、特徴のある声なので間違いない。足音と共に、話し声は部屋の前を移動していく。
「命令なら頭くらい下げるし、ぽっと出の王子だって迎えに行きます」
「口を慎め」
「ユーリ殿下はどうなるんですか? 団長、俺は絶対にあの若造が王太子に擁立されるだなんて認めません」
「騎士団は王室の問題に干渉できない。誰が王太子になろうと、誰が廃嫡されようと、上からの命令に従うのが仕事だ」
「あんたは違うでしょう」
ロニーの声は、ほとんど怒鳴るようだった。対して、オルランド騎士団長は冷静らしい。足音は一定のリズムで刻まれ、声は徐々に聞こえづらくなっていく。
「王妃様の血縁で、民衆にだって人気のあるあんたなら、あの方の味方になってあげられるんじゃないですか」
以降、二人の話は聞こえなくなった。ドアの木目を、親の仇のように睨みつける。いろんな考えが頭の中をぐるぐると回っていた。ドアの前を離れ、出たばかりのベッドに座る。
ユーリ王太子殿下の名は、久しぶりに耳にした。たしか数年前に流行った病で後遺症を患い、表に出られないと言っていたはずだ。かなり人気のある王子だったので、治っていればいくら森暮らしといえど俺の耳にも入るだろうから、まだ後遺症は残っているらしい。
話を整理すると、ローラン様を王太子に擁立するという動きがあり、ロニーはそれに不満を持っている。オルランド騎士団長はそれを阻止する力を持っているが、騎士団の規律に阻まれて実行できない。つまり、
(つまり、ユーリ殿下が王太子として活動できるなら、ローランさまは要らないのか?)
人前に出られなくなるほどの後遺症は、一体何なのだろう。流行り病にかかった者たちは、ひどいあばたや、関節の痛み、神経痛に悩まされていた。もしあばたなら、俺が治せる。薬の作り方は今でもちゃんと覚えていた。が、俺のような身元も不確かでどちらかといえば政敵に属するだろう人間が、どうユーリ殿下の御前に近づき薬を届けるのか、まったく思いつかない。
俺は一晩中、それから一睡もすることなく唸りながら考え続けた。
出発は明け方だった。ロニーが部屋を訪れ、昨日と同じく馬の後ろに乗せてくれる。彼は俺を見ても、なにも感じないし、なにも考えていないかのように振舞った。無言だ。日が傾くころになってようやく王都についた。俺は馬から降り、オルランドに案内されて裏門から城内へと入った。王宮は見上げるだけでくらくらするような建物だった。門だけでも森にあった家より大きい。裏門でこれなのだから、正門はどれほど立派なのだろうと想像もつかなかった。この中にローラン様がいるのかと思うと、不思議なような、まるであるべきものがやっとその場所に戻ったかのような、不思議な気持ちだった。
オルランドは細長い、木でできた扉から城の中に入ると、いくつかの階段を上った。大人しくその後ろをついていくと、ある階段を上り終えたところで目の前の景色がぱっと変わり、急に華やかになった。さきほどまでは石造りの廊下だったのに、赤い絨毯のある廊下に出た。
気の遠くなるほど長い廊下を、男について歩く。後ろにはロニーがいて、彼らが歩くたびに鞘がしゃんしゃんと音を立てた。やがて他とは目に見えて違う豪奢な扉の前に来ると、オルランドが足を止めた。軽くノックをすると、中から女性の声が聞こえて、扉が滑るように開いた。
「殿下はお休みになっています」
鈴の鳴るような声だ。オルランドの肩に隠れて良く見えないが、艶のある金髪を下の方で丸く結んでいる髪と、スカートを履いた足元で女性だというのが分かった。
「一秒でも早く連れてこいと言われている。声をかけてくれ」
寝ているのなら、待った方がよいのではないか? 俺はどうせすることもないのだし、わざわざ起こすのはかわいそうだと思ったが、俺が声を出すよりも早く女性は部屋の中へ消えてしまった。三十を数える暇もなくまた扉が開き、今度は中へ招き入れられる。
オルランドは堂々と中に入った。広い部屋だった。調度品の一つ一つが光るように美しい。奥には天蓋付きのベッドがあり、あげられた紗の下に、俺の美しい主人がいた。
「フキ!」
呼ばれた瞬間、気づけば駆けだしていた。後ろからロニーの「あっ」という声が聞こえたが、無視した。ベッドの中に飛び込むようにしてローラン様に抱き着く。あんなに逞しかった体は、ちょっと目を離したすきにガリガリに瘦せてしまっていた。それでもローラン様は腕にぐっと力を籠めると、俺の体を受け止めた。
「フキ、フキ、フキ!」
彼の低く艶のある声が、切羽詰まった感じで俺の名前を呼ぶたび、どう連動しているのか涙が後から後からこぼれた。あれほど人前で泣きたくないと思ったのに、耐える時間すらなかった。
ローラン様の腕が骨がきしみそうになるほど強く俺を抱きしめる。その苦しさすら胸を熱くして、俺は言葉にならないうめき声を漏らした。主の体に腕を回して、その白い首筋にこめかみを押し付ける。
彼の体はぞっとするほど薄かった。胸にあたる肋骨の感触がまざまざと感じられる。あれほど艶やかだった唇すら、張りを失い、健康的だった美しさは病的になっていた。
ローラン様はしばらくの間俺の名前を呼び続け、落ち着くと部屋にいる俺以外の全ての人間を追い払った。女性だけが最後まで渋っていたが、ローラン様の意志は固く、最後には名残惜しそうにしながらも退室する。
二人になった部屋で、ローラン様の大きな手のひらが俺の頬を拭う。彼はまっすぐな眉を下げて、口元を震わせた。
「会いたかった……」
語尾は消え入りそうに細かった。彼は俺の顔を両手で包むと、触れそうなほど近くにまで顔を寄せてじっと目を見つめた。大きな目の上にかかった長く量のある睫毛が何度も上下する。
「フキは?」
ローラン様の青い瞳は潤んでいた。俺は主人の顔を見上げたまま、両目から涙を垂れ流して唇を噛んだ。頬を掴んでいるローラン様の手を上から重ねるようにして掴む。彼は「フキ」と言いながら笑った。さきほどまで切実に寄せられていた眉がほぐれ、仕方のない子供を見るように目が眇められる。
「会いたくなかったの?」
嗚咽がこみあげて、とうとう耐えきれず、両手を伸ばして主人の首に抱き着く。ローラン様は片腕で俺を抱くようにして、もう片方の手で顔に涙で張り付いた前髪をかき上げてくれた。なんとか目を開いて目の前の人を一生懸命に見つめる。涙のせいで、視界はぼやけていた。
「離れたくないよ」
止める間もなく言葉が口から飛び出して、ローラン様に届いてしまった。使用人として、大人としてこんなことを言うべきではないとわかっているが、どうしようもなかった。俺の言葉に、ローラン様は大きく目を開いて、次の瞬間、その顔が傾いた。唇に熱い感触。彼の顔が、近すぎて見えない。俺は思わず息を止めて、涙もぴたりと止まった。
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