藤枝蕗は逃げている

木村木下

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お別れ

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 国王がローラン様と話をしたいと言い、乗ってきた馬車に二人が乗る。騎士の一人に連れられ、森の家の方へ連れてこられた。柔らかそうな茶髪の、優男だった。騎士は俺を家の裏手まで連れてきて、周囲をちらっと確認すると胸元から包みを出して俺に握らせた。重い金属の感触。見上げると、柔和な顔が人好きのする笑みを浮かべる。
「手切れ金ってことで。金貨五十枚入ってるから、なんとか納得してもらえませんかね」
 袋はそれだけで高そうだった。朱色に細かく金が入っている。俺はそれを見ているうち、自分の口の中に砂利が入っていることに気づいた。顔を地面に打ち付けたときに入ったのだろう。
「ローラン様と話がしたいです。会わせてください」
「ああ~、うん、わかるよ」
 騎士は目を閉じ、腕を組んで頷いた。
「そうだよね。俺の母親もそういうタイプ。王妃様付きの女官なんだけど、長年貴い人の傍にいるとさ、勘違いしちゃうよね、自分も特別だって」
 よく喋る男だった。身振りも大きく、彼の手のひらを見ていると目が回った。
「でもさ、残念ながら俺の母親はただの女官だし、あんたは下級貴族に拾われただけのみなしごなわけ。ていうか、ここで話してられるのも破格の扱いなわけですよ。知って……ないよね、あんたが髪を引っ張って地面に転がしたお人、オルランド騎士団長さまは王妃様の甥御で、王室の外戚なんですよ。本当なら腕を切り落とされたって文句は言えない立場なの、わかります?」
「ローラン様に会わせてください」
 茶髪の男は目をぱちぱちさせた。しばらく俺をじっとみつめていたが、大きなため息をつくと片手を額に当てて首を横に振る。もう片方の手が肩まで上がり、あっちへ行けといわんばかりに上下した。
「ごめん、はっきり言うね。そのお金で二度とあの方に会わないって約束してください」
「なぜですか?」
「あんたみたいなのがくっついてくると、面倒だっていうのが宰相閣下のお考えだから」
 腰に両手を当て、男はまた溜め息をついた。握らされた袋を見る。金貨五十枚。贅沢に暮らしても十年は生きられる金だ。俺みたいなのがくっついてくると、面倒なのだという。くっついてくるというのは、多分王宮にという話だろう。彼らの言う通り、奥様が王家の末姫で、ローラン様が国王の孫だと言うなら、当然彼は王宮で暮らすことになる。
 まったく想像のできない話だった。急に目に涙が滲む。俺はあわてて目元を押さえ、気合で涙を止めた。もう三十一の良い大人なので、人前で泣くなんて恥ずかしくてとても出来ない。手は泥だらけで、泥やら葉やらが顔についたのがわかった。
「王宮では、ローラン様は安全に暮らせますか?」
「もちろん。そのためにいるのが我々騎士団ですから」
 王都に常駐する騎士団の詰め所には何度か行ったことがあり、顔見知りの騎士もいる。彼らはみな善い人間だった。それに、さきほど剣を交えた黒髪の男は信じられないほど強かった。まだ剣を受けた手が痺れている。あれほどの男がローラン様を守ってくれると言うなら、心強かった。
 俺の脳裏には、あの日、十六年前のあの日、火の手が上がった屋敷で赤子を俺に託した旦那様の顔が浮かんでいた。いつも優しく微笑んでいた方だったのに、あの日は焦っていて、頬は煤で汚れ、胸元には鮮血が滲んでいた。俺の手に赤子を託し、逃げろと叫んだ。
 あの方の言葉に従って、今まで逃げてきた。朱色の袋に落としていた視線を、目の前の騎士に戻す。彼は無表情で返事を待っていた。
「悪いんですけど、この家にも戻ってこないでくださいね。多分、取り壊すんで。あの方には王宮を家だと思ってもらいたいんですよ」
 頷く。旦那様は、こうなることをわかっていただろうか? 自分の妻がシンディオラの姫だと知っていたはずだ。だとすれば俺の仕事はローラン様を無事に王宮までお届けすることで、馬鹿な俺がよくわかっていないがために十六年も無駄にしてしまったのかもしれない。死にたいくらい落ち込む。とてもローラン様に合わせる顔がない。本当なら蝶よ花よと育てられたはずのお人に、薪割や洗濯までさせていたのだ。
 俺は家に入り、旦那様から託されたシェード家の短剣を騎士に押し付けるとそのまま家を離れた。


 森を出た俺は、王都へ戻り宿屋へ向かった。ちょうど休憩が終わったところらしく、女将は忙しそうにしていたが勝手口にいるのが俺だとわかると出てきてくれた。濡れた手をエプロンの前掛けで拭きながら笑う。
「フキちゃん。こんな時間に珍しいわね」
 言ってから、泥だらけの俺の顔を見て目を丸くする。彼女のふくよかな手が頬の泥を拭ってくれた。
「まあ、怪我しているわ。いったいどうしたの? ローランは?」
「王都を離れることになったので、挨拶に来ました」
 言って、女将に金貨を十枚押し付ける。彼女は突然渡された大金に言葉を失っていたが、真剣な顔になると「ちょっと待ってて」と言ってから店の奥へと入った。戻ってきた彼女の手には小ぶりの鞄があり、中にはパンや干し肉が入っていると説明される。
「事情があるんだろうから、何も聞かないわ。でも、いつでも戻ってきていいのよ。フキちゃんなら大歓迎だもの」
 彼女が俺の手をぎゅっと握る。肉付きの良い、暖かい手だった。記憶の中で「車に気を付けてね。信号がちかちかしたら渡っちゃだめよ」と話す女の人と同じだ。俺は急にここを離れがたく思ったが、短く頷いてなんとか別れの言葉を言った。
 大家にも挨拶に行った。森の家が取り壊されることは知らないようだったが、俺が家を出ていくと告げると「せいせいする」と言った。
「ふん、いつ出ていくのかと思っとったわ」
「最後に買い出ししてきます。体に気を付けて、困ったことがあったら女将や騎士団の人に相談してください」
 小麦粉や酒、砂糖や塩を何往復もして大量に買い込む。その間、老人は一言も話さなかった。買い出しを終え、俺が椅子に座っている彼に近づき袋から出した金貨をテーブルに置くと不機嫌そうな声が「いらん」と言う。
「わしを貧乏人だと思っとるのか? そんな金はいらん。家賃だってそうだ、金がないなら、家賃なんて払わなくてもいいから、あそこにいろ」
 老人は窓の外を睨んでいた。
 俺は急にさみしくなって、そのさみしさはもうとても耐えられないほどで、老人の足元に座り込んで、彼の膝かけに顔を押し付けた。肩が震える。老人は馬鹿だとかあほだとか、俺を散々にののしりながら皴だらけの手で頭を撫でた。
 最後に見たローラン様の姿が目に浮かぶ。足の悪そうな国王に手を添えながら馬車に入っていく後姿。あれが最後になるなら、今日の夕飯は北ホク芋のシチューにすると言えば良かった。そうすれば、きっと喜ぶ顔が見れたのに。

 それから三日後。俺はネズミと旅をしていた。
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