藤枝蕗は逃げている

木村木下

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お化け退治

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 幽霊の花屋敷へ行くために、ローラン様はまずついてくると主張するウサギやネズミを説得しなければならなかった。しつこく付きまとわれ、俺の主人は困りきって「お前たち、デートの邪魔をしないでおくれ」と嘘までついた。鼠やウサギにお前が相手なのかとばかりにじっと見つめられ、なんとなく睨み返しておく。我々の仲は悪かった。
 なんとか獣どもを追い払い、ローラン様に手を引かれて王都への道を歩く。噂の花屋敷は橋を渡り広場を抜け、教会を右手に曲がった北部のはずれにあった。門構えは立派で、以前は高貴な人間が住んでいたのだろうことが伺える。ローラン様の背から中をのぞくと、俺は驚いて「あっ」と言ってしまった。
 寒さが厳しくなり始めた冬だと言うのに、屋敷の庭は花が満開に咲いていた。美しい光景に、思わず見入ってしまう。ローラン様は門に近寄り、金属の棒の間から中をのぞいて「綺麗だね。見事だ」と言った。
「見てごらん、ハネの花とモネの花は咲く時期が違うのに、一緒になって咲いている。きっとここでしか見れない」
 何度も頷く。たしかに、人ならざるものの力がなければ見られないだろう光景だった。もっと中の方まで見てみたいと門に手を触れた瞬間だった。金属で出来た重厚な門が勢いよく中へ開く。とっさにローラン様を背に庇い、はぐれないように彼の手を握ろうとしたが、それよりも早く首筋や手首、腰や足に冷気をまとった青白い無数の手が群がり、旋毛風のように俺の体を引っ張った。ものすごい勢いで引きずられ、庭の花々が蹴散らされていく。ローラン様は焦った様子で俺を追いかけた。
 俺を引きずる手は、どうやら屋敷の中へと連れていきたいようだった。何枚もの扉がひとりでに開き、部屋という部屋を連れまわされる。放り投げるようにやっと体を解放されると、そこは誰かの寝室のようだった。ベッドや鏡台、クローゼットがある。あまりのことにせき込みながら立ち上がると、大きな物音を立ててローラン様が部屋へ駈け込んできた。両手で肩を強く掴む。
「ああ、フキ、良かった! 怪我はしてない?」
「はい」
「ごめんね、こんなことになるなんて、わたしが本当に馬鹿だったよ」
 凛々しい眉を下げ、ローラン様が心から後悔したように言う。俺は首を振って主人を抱きしめた。幼いころから、落ち込む彼を抱きしめるのが俺の役目だった。
 ローラン様は俺の体を隅々まで視診し、かすり傷のひとつもないことを確かめると今度は部屋を漁ってちょうど良い武器がないかを探し始めた。物見遊山のつもりできたので、手ぶらだった。月明りを頼りに、屋敷の中を二人で進む。途中マッチと燭台を見つけ、ローラン様が手に持った。俺が持って先導したかったのだが、ローラン様が許さなかった。武器を探すうちに、ここがかつて貴族の屋敷だったことがわかった。主人は若い女性で、使用人が何人かと、遠方に仕事へ行っている騎士の夫がいたらしい。女主人の部屋にあった日記を読んで、ローラン様は「あまり仲は良くなかったみたいだ」と言った。一階の大きな部屋に、壁にかかった剣が何本かあったので、それぞれに持つ。外に出ようと扉や窓を開けようとしてみたが、どれも釘で打ちつけたように固く、びくともしなかった。ローラン様は厳しい顔で俺の手を握った。
 女のすすり泣くような声が聞こえたのは、その時だった。顔を見合わせ、声の方へと足を進める。どうやら最初にいた寝室のようだった。ゆっくりと中を見ると、そこには全身が青白い姿の女がいた。丈の長いネグリジェを着ており、長い髪は背に流している。ちょうど寝る前のような格好だ。彼女は肩を震わせながらベッドの上にいた。周りには侍女らしき女たちが立っており、彼女を慰めるように背を撫でている。俺たちが何かをするより先に、彼女はこちらを見た。大きな目から涙が何粒も零れていた。
「誰なの? わたくしの眠りを邪魔するのは」
「不届きものですわ、お嬢様」
「ならずものですわ、お嬢様」
 侍女たちが口々に女主人に答える。俺はかっとなった。俺だけならまだしも、ローラン様がならずもの呼ばわりされるなんて、とても我慢がならない。言い返そうと身を乗り出した俺を、ローラン様の手のひらが胸を押して止める。幽霊の女たちはしばらく彼女たちだけで話していたが、不意にこちらをみると、ローラン様の顔を見てぴたりと動きを止めた。しばらくの沈黙の後、侍女の幽霊が「旦那様ですわ、お嬢様」と言う。俺の主人の美貌は、幽霊にも有効なのだ。
「旦那様ですわ、お嬢様」
「旦那様ですわ、お嬢様」
「旦那様? 旦那様が帰っていらしたの?」
 女がこちらを見る。彼女はローラン様をじっとみつめると、彼に向かって「旦那様?」と呼びかけた。ローラン様が「違う」と答える。正直なところが美徳だ。
「わたしは貴方の夫ではない。ここから出してほしい」
「まあ、そんなの嘘だわ。久しぶりに帰っていらしたのに、どうしてそんな意地悪をおっしゃるの?」
 女は言って、またその大きな瞳から涙を流した。ベッドから降り、するすると滑るようにこちらへきて、あっという間にローラン様に近寄ると、その白く華奢な手を彼の胸に当て、もたれるように身を預ける。幽霊といえど美しい女に触られても、俺の主人は顔色一つ変えなかった。
「旦那様、やっと帰ってきてくださって嬉しいわ。わたくし、ずっと待っていたの。ずっとよ」
 女はそう言って青白い腕をローラン様の首にまわした。ネグリジェの裾がおち、細い二の腕があらわになる。俺は彼の後ろで「ローラン様!」「おい、触るな」「危ないです、逃げましょう」と必死になって騒いだが、幽霊たちは俺を見えないかのように扱った。本当に見えないのかもしれない。
 ローラン様は氷のような表情で女を見下ろし「あなたの夫が帰ってこないのが誰のせいか、まだわからないのか」と聞いた。彼の背で怪しく動いていた女の手がぴたりと止まる。女は瞳を赤く濁らせながらローラン様の顔を見上げた。離れていた侍女たちが音もなく近づいてくる。俺は剣を構えて彼女たちと主人との間に立った。どうか幽霊が剣で切れますように、と激しく祈る。
「……旦那様はいったい何をおっしゃっているの?」
「気づいていたはずだ。帰らないと言う手紙を、いつも誰が持ってくるか。夫の匂いが誰からするのか、たまに帰ってきた夫が、誰の部屋に行くのか」
 彼がそう言った途端、二人いた侍女のうち、一人が歯をむき出しにし、長い爪で襲ってくる。剣でその腕を払う。切り落とすつもりで振ったが、女の腕は鋼のように強靭で、固い音を立てて弾かれただけだった。間髪入れず女に向かって剣を振りかぶる。切れはしないが、当たる。それがわかっただけで勇気づけられ、女を剣戟で追い払うと、俺はローラン様から女主人の幽霊を引きはがそうとした。が、女はものすごい力で俺の主人に抱き着いており、背に回した腕は獣のような爪で彼の服を引き裂いていた。
「うそよ、うそだわ。あの娘がわたくしを裏切るはずないもの。そんなことを言うなんて、旦那様はひどいわ」
「あなたはあの侍女の言いなりだった。わたしたちを最初に不届きなならずものだと言ったのも、あなたの夫だと言ったのも、全部彼女だ」
 女の細腕に力が入り、ローラン様の背に血が滲む。俺は血の気が引いて、なりふりかまわず女の腕を引き離しにかかった。手首を掴み、渾身の力をこめる。が、びくともしない。そうしているうちに、追い払った女たちが廊下からずるずると音を立てて這い寄ってくる。俺は「ローラン様!」と主人の名を呼んだ。
「あの女になんと言われてわたしのフキをひきずりこんだ?」
 ぞっとするような声音だった。ローラン様は厳しく眉間にしわを寄せ、燃えるような視線で女を睨んでいた。逞しい腕が女を自分から引きはがす。彼は胸元に入れていたマッチをだし、素早く擦って火をおこすと、足元に落ちてしまっていた燭台に光を灯した。燭台を持った手を高く掲げ、部屋の壁を照らす。
壁には、大きな肖像画が貼ってあった。主人である女と、夫だろう騎士の姿が描かれている。しかし、女の顔は黒く塗りつぶされ、異様だった。
 その絵を見た途端、床を這っていた女たちが甲高い悲鳴をあげ、黒い煙になったかと思うと瞬く間に絵の中へと吸い込まれていった。女主人も悲鳴をあげながらよろめき、ローラン様から離れる。いつのまにか、美しかったはずの彼女の顔は絵と同じように黒くなっている。俺はぞっとして、おもわずローラン様の服をぎゅっと握りしめた。彼女は呻きながらベッドへと倒れ、身もだえるように断末魔を上げた後、侍女らとは違い、弾けるように消えた。部屋中にかぐわしい花の香りが充満し、花びらが舞う。


 屋敷を出ると、あれほど咲き誇っていた花々はまるで夢だったかのように枯れていた。俺は剣を放り投げ、ローラン様の手を引いて門の外まで全速力で走った。王都の中央広場まで来て、やっと息をつく。慌ててローラン様の背中を確認すると、まるでそれだけが証拠のようにひっかき傷が残っていた。
「は、早く帰りましょう。傷の手当てをします」
「うん。フキ、お前が無事でよかったよ」
 全然良くない。俺は大人げなくべそをかきそうだった。怖かったし、主人に怪我をさせたことが情けなく、全く危機感のないローラン様が苛立たしくもあった。
 森に帰って、家で背中の手当てをしながらなぜあの幽霊たちを退治できたのか聞くと、俺の美しく賢い主人は笑って答えた。
「最初に入った部屋にだけ燭台がなかっただろう。寝室なのに、おかしいと思ったんだ。見られると困るものがあるんじゃないかって。退治できたのは運が良かった」
 天才なのか? そんなこと、全く気付かなかった。
「あとは日記を読んで、あの侍女が主人を操っているのだと思ったから、鎌をかけてみたら当たっていた」
「もう絶対に幽霊屋敷など行ってはいけません」
 背中の手当てを終え、ローラン様の正面に回って言う。彼の頬を両手で包み目を合わせると、青い目が丸くなり、ついで嬉しそうに眇められた。ローラン様が幼少の頃からなにかを言い聞かせるとき、必ずこうしているのだが、七つを過ぎたあたりから返って喜ばれるようになってしまった。今回もローラン様は長い腕で俺の体を抱きしめると、ぐっと顔を近づけて頬ずりしてくる。体勢が崩れて倒れそうになったが、逞しい腕が支えてくれた。
「うん、もう絶対に行かないと約束するよ。幽霊屋敷など行かなくても、花が見たいなら月光百合の丘があるものね」
 論点がずれているような気がするのは、気のせいだろうか? 釈然としない気持ちを感じつつ、確かにそうだと頷いた。
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