藤枝蕗は逃げている

木村木下

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ローラン様を守れ!

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 ローラン様を背負い、走る鼠の後を追いかける。役に立つかもしれないと、森で拾った太く長い枝を持った。武器としては強度に不安があるものの、ないよりはましだろう。
 鼠は大通りを抜け、人々の足元を素早く駆け抜けた。見失わないよう目を凝らして走る。時折鼠に気づいた女が悲鳴を上げたり、男にぶつかって声だけで謝ったりした。
 花屋、宝石屋、粉屋の前を通り抜け、橋に来たところで鼠は止まった。ちょうど橋の中腹だ。俺は戸惑い、鼠を見つめた。鼠はせわしなく前足を動かしたり、鳴いたりした。が、俺に伝わらないことがわかると今度は石畳の橋を掘ろうとするように手足を動かした。ぴんときて欄干に近寄り、片手でローラン様をしっかりを押さえてから手すりを腹で挟むようにして上半身を投げ出す。
 橋の裏側には、大きな魔方陣があった。まがまがしい雰囲気を放ち、書かれている文字の輪郭がゆらゆらと黒く漂っている。見ているだけでぞっとする。俺は体勢を戻し、橋の上に立ち落ち着くために深呼吸をした。背中ではローラン様が「フキ、おや。わたし、こども」と誰かに説明している。俺はことあるごとに自分が従僕であり、ローラン様には素晴らしい母君と父君がいると言い聞かせているのだが、彼は頑なに俺を親だと言った。
 魔術。王都には魔法使いがいると聞いてはいたが、まさかこの目にするとは。どうすればいいのか、さっぱりわからない。
 だが、腑に落ちるところもあった。いなくなった娘たちの家はこの橋の片側にあり、彼女たちがいなくなった時、皆が橋を通った。共通点は橋だったのだ。原因はあの魔方陣だろう。
 鼠に礼を言い、ローラン様を背中から腹側へと移動させて抱き直す。負ぶい紐を締めて、俺は覚悟を決めて欄干から飛び降りた。橋の縁に手をかけ、勢いよく魔方陣に足裏をたたきつける。運が良ければ魔方陣を汚して効果をなくせるのではと思ったのだが、現実は俺の想像を超えた。足は橋の裏側につくやいなや水底に沈むように吸い込まれ、俺は魔方陣の中に取り込まれてしまったのだ。
 暗い部屋だった。じめじめしていて、苔のような匂いが充満している。
 牢だ。あたりを見回すと、部屋の隅に娘たちが身を寄せ合っているのが見えた。駆け寄り、敵を警戒して小さな声で王都からいなくなった娘かと尋ねる。長い赤毛の女が目に涙をためながら頷いた。
「はい。私は花屋の娘、マリーといいます。助けに来てくださったのですか? 」
 マリーの隣にいた娘にも騎士なのかと尋ねられるが、否定した。彼女らは俺の胸に抱かれたローラン様に気づくと、なぜここに赤子が? という顔をしたが、そんなことを気にしつづける余裕はとてもないようだった。
「あなた方を探しに来ました」
 そういうと、三人の娘たちは安堵したのか各々泣き出した。一番早く泣き止んだのは宝石屋の一人娘、エディだった。彼女は白く華奢な手で涙を拭うと、声をひそめて俺に忠告した。
「わたしたちをさらったのは魔物なのです。一瞬のことで誰も姿をはっきりとは見ておりませんが、腕は長く、体はぬめぬめとしていて、汚泥のような匂いがします。私たちに食べ物を持ってくるときは、緑色の腕だけを伸ばして、皿を置くのですわ」
 魔物など、十七年生きてきて一度も見たことがない。俺は困ったが、表情には出さなかった。持ってきた枝で殴れば、いくらか効くだろうか。娘たちの話によれば、魔物は彼女らの二倍ほども背丈があり、腕はながく、ぬめぬめとしており、臭い。腕は緑色で、牛のように鳴く。顔は見たことがないが、おそらく醜い。
 粉屋の娘、ローズは震えながら「パパとママのところに帰りたいわ」と言った。とにかく、彼女たちが生きていてよかった。俺は自分が現れたであろう牢の奥を確認したが、魔方陣はなく、床は石のように硬かった。というか、石だった。もと来た場所から帰れない以上、進むしかない。
 幸い、娘たちを閉じ込めていた牢は木製で、ひどく傷んでいた。俺は覚悟を決め、マリーにローラン様を抱いてもらい、何度も体当たりを繰り返して柵を壊した。ぼきっという音がして大きな穴ができた途端、娘たちが歓喜の声を上げる。その時だった。牢の向こう、暗がりだった廊下から牛のような声が聞こえた。体が固まる。娘たちも身を固くして元いた牢の隅に固まる。
 持っていた枝を強く握りしめると、ものすごい物音を立てながら、暗がりから巨体がとびかかってきた。強烈な悪臭。俺はすんでのところで伸びてきた腕を交わした。粘着質な音を立て、周囲に飛び散った粘液が頬につく。
 それは大きなカエルだった。娘たちの言っていた通り、腕は長く、前身は緑色で、ヌメヌメとした液体に包まれている。悪臭を放ち、大きく白い腹は床に引きずられ、目はぎょろぎょろと大きい。
 逃げたい。強烈にそう思ったが、逃げるわけにはいかなかった。後ろにはかよわい娘が三人もおり、なによりローラン様がいる。脱出できる道はカエルの向こうにしかない。
 しかも、カエルは容赦がなかった。突如現れた怪しい男を排除しようと、大きな手を振りかざして襲ってくる。長く太い舌が石造りの床をえぐる勢いで繰り出された。なんとかそれを避けながら、俺は狙うなら目だ、と考えた。女たちが悲鳴を上げ、カエルが大きく鳴く。
 頭の割れそうな音に耐えながら、好機を探り、カエルが舌を伸ばし切った瞬間、その太く長い道を足掛かりに頭を目指して駆け上がった。
 枝を逆手に持ち替え、両手で思い切り大きな目に突き刺す。巨体が暴れ、壁が壊れる。ぶつかってくる瓦礫に、歯を食いしばる。なんとかカエルの顔面に足を踏ん張り、抜いた枝をもう一つの目に突き刺す。ひときわ大きな咆哮の後、カエルは力を失って倒れた。巨体が砂埃を上げながら床へと沈む。びくびくと痙攣する体の上、粘液まみれになりながらなんとか巻き込まれずに脱出した。
 俺は肩で息をし、慌てて牢の奥へと走った。娘たちは無事だった。マリーに抱かれたローラン様も無事だ。
 カエルを倒したからと言って、いつ何が出るともわからない場所で安心はできない。俺は汚れたままの体でローラン様を抱きかかえると、娘たちを連れてカエルの傍を慎重に通り抜け、牢を出た。すぐそこにあった角を曲がると、蝋で明かりを灯された階段が見えた。登ると、木の扉がある。扉に耳をつけ、なにも音がしないことを確認してから一気に開ける。
 不思議なことに、そこは橋の上だった。俺とローラン様、三人の娘はさっきまでいたはずの薄暗い廊下から、青空の下にある橋へと戻っていたのだ。信じられず、お互いに顔を見合わせる。しばらくすると道行く人々がいなくなったはずの娘たちの姿に気づき、白昼の都は大騒ぎになった。
 彼女たちがそれぞれの家へと戻り、事件は解決した。薬屋によると、後日橋にある魔方陣を見た騎士たちがこれは悪しき魔法使いの仕業だと言ったらしい。俺もそう思う。カエルに悪感情はなかったはずなのに、あの魔物と戦って以来、カエルのことを考えるだけで吐き気がする。
 騎士たちは一応俺にも森の家まで事情を聴きに来たものの、大したことを知らないとわかるとローラン様をかわるがわる抱っこし、可愛がるだけ可愛がって帰っていった。まあ、変な疑いで逮捕されなくてよかった。それも帰ってきた娘たちが俺のことを庇ってくれたからだろう。本当に彼女たちが生きていてくれて良かった。
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