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第三章

第三章 三、悪夢の続き(一)

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「それから、どうしたって? さっさと言いなさい! 勝手にパンを食べたのはお前だろう! この卑しい口は、だめだって言った事が分からないんだね!」

 バチンと、頬を強く打つ音で気が付いた。




 ――少女が、ぶたれてる。

「なんだ! 言いたいことがあるなら言ってごらん!」

 きつい口調の女の人は、あの子の母親だろうか。




「うっとおしい! 早く言いな!」

 そんなに脅したら、怯えて喋れなくなるだろうに。

「お、おなかが、すいたので……」

 弱々しくも頑張って話した子は、頬がコケていて髪もぼさぼさだ。腕も細い。それに――。

(痣が多い)




「なんで何もしないろくでなしのお前が! 腹が減るってのさ!」

 ごつ。と、鈍い音がしたと思ったら、少女の頭をすりこ木で殴っていた。

(なんて酷い事を)




「うわぁぁぁん!」

 可哀想に、そりゃあ泣くだろう。

「うるさい! 泣くんじゃないよ! 誰が悪いって、お前だろうが!」

 バチン!

 その人は、少女の髪を掴み上げてから、いっそう強く頬をぶった。




(そこまでしなくても!)

「いたい……いたい……なぐらないで。なぐらないで」

 少しカタコトのように聞こえる。

(……ちがう、口の中を切ったんだ。口元から少し血が流れている)




「命令するんじゃないよ! この白い死神の子が! 血なんか出して、きったないねぇ!」

(白い……? あぁ、あの子も古代種なんだ。銀髪に赤い瞳)




「ゆるして。ゆるし――」

「うるさい! しゃべるんじゃないよ! このクズが!」

 ――どん。という、肋骨のどこかを蹴った時に出る、体の中が鈍く響いた音。




「うっ、うぅ…………」

 ぽたぽたと、先程の血が口から漏れている。

「ああ! また床を汚しやがって! この出来損ないが!」

 どん。

(これ以上は、何があったのか知らないけど見過ごせない!)



 


 やめてください! こんな幼い子になんてことを!

 それ以上は介入します!

(――おかしい。わたしの声が出てない?)

 聞こえないんですか!




(わたしの声が聞こえなくても、もう我慢できない)

 そう思って、あの少女の前に割って入った……つもりなのに。

 ――体がない。




(体がないと、止められないじゃない!)

 見えるだけで何もできない!

 少女に向けられる暴力を、この光景を……止めることが出来ない!





「やめて、おかあさん、やめて」

「黙れっていってんだろうが!」

「いたい、いたい、いたい。いたい、いたい」

 もうやめて! その子が死んでしまう!






 ――今のわたしなら、助けられるはずなのに。

 オレなら、助けられるのに。

 ――なんで体がないの!

 なんで体がないんだ!




 ――ああ、これは……夢なんだ。

 ……酷い夢。





 初めて見る、生い立ち。

 わたしの記憶。

 わたしは、忘れたフリをしていたんだろうか。

 こんなにむごい人生を……過ごしていたんだ。

 今、生きているのが不思議な……。





 いつまで、続いたんだっけ。

 そんげんなんてなくて、ごはんも与えられず。

 じゅうか病にならないように、水だけは与えられて……でも、そのほとんどはきつく浴びせかけられるものだった。




 その水をすすって、生きてきた。

 冬は、こごえながら。

 もうふ一枚で。




 早くしねれば、こんなにつらい思いをしなくてすんだのに。

 時おり、あわく青白いほのおのような、やさしい光につつまれる。

 それが、わたしの傷をいやしてくれたように感じてた。




 体の傷は、ほんの少しだけ。

 心は、もうなくなったと思っていたけど、それも少しだけ。

 いつまでも続くジゴクに、ほんの少しのじかんだけ、体にやどる光。





 ああ、そうか。これが、あの光だったんだ。

 わたしの、ささやかで特別な何か。

 でも……あの時、街道の外れに捨てられて……。




 ――死んだのだと思った。

 だって、何日も本当に食べさせてもらえなくて、水もいつもみたいに、浴びせかけられるだけだった。

 それをすする力も出なくなって……。




 ああ、やっと死ねるんだね。って、嬉しかったのを覚えてる。

 それよりもずっとずっと、悔しかったけれど。

 でも、やっと終われるんだって。

 それが本当に、ほっとしたのを覚えてる。





 そっか、死ねなかったんだ。わたし。

 何か別のものと、ひとつになったんだ。

 きっとそう。わたしにはわかる。




 ほっとした時に、誰か男の人が、わたしの頭を撫でてくれた。

 それが、お迎えに来たカミサマのものだって思ったけど、違ったんだ。

 今も、この中にいる……。




 ――ううん。

 わたしが、このカミサマと溶け合って、護られてるんだ。

 このカミサマも、すごく傷ついてるのに。

 今度は、わたしもお護りしますから。

 ひとりきりで、がんばらないでくださいね。

 


 わたしだけど、わたしじゃなくて。

 今は、カミサマと……。

 ひとつになった、わたし……?

 大切な、わたし。



 ――もう絶対に、つらい目には合わせない。

 幸せに、生きさせてあげたい。

 


(嫌な夢だ……)

 助けてあげたいのに、何も出来ないなんて。

 あぁ、でも、もう思い出せなくなってる。

 いつも、肝心な事を忘れてしまう。




 大切な事だったはずなのに。

 核心に、近付き過ぎたんだろう。

 ……自分の事なのに、他人事みたいだ。






「エラ! エラ!」

「エラ様……ひどくうなされてます。どうしましょうお嬢様」

「シロエは水を。それからフィナとアメリアも呼んで。暖炉の火を、もっとくべて頂戴」

「すぐに!」




 ……何をそんなに、慌ててるんだろう。わたしって、うなされてるの? 起きたよ。リリアナ。

「あぁ。なんてひどい熱。ただの風邪ではないわ。少しくらい嫌われても、街になんて出さなければよかった……」

 リリアナ。どうしたんですか。わたしなら、あのままダメだって言われても嫌いになんてなりませんよ?




「エラ様! すぐにもっと、お部屋を暖かくして差し上げますから!」

 ああ、フィナまで慌てて。

「エラさま……」

 どうしたの、アメリア。わたしはもう、起きているでしょ? なんでそんなに、皆で心配そうにして……。




「お嬢様! お水をお持ちしました。漏斗も」

「ありがとうシロエ。エラの体を少し起こして。口から飲めるといいんだけど」

「はい、心得ています」




「……飲んだ。よかった。少しは持ち直せるはずよ。アメリア、この量をこうやって、少しずつ飲ませるの。出来る?」

「はい!」

「私は薬湯を作ってくる。今あるもので落ち着くといいけど……どうしてこんなに熱が出てるの。……ごめんなさい。不安にさせるわよね。でもいい? 絶対に諦めたりなんかしない」

『はい!』




 皆、わたしは元気いっぱいですよ? そんな、死にかけの人を看病するような……。

 聞こえてないんですか?

(どうして……)




「エラ様、目が半分……」

 そうよアメリア。目はとっくに覚ましてるってば。

「いけない。ほんとにどうしてしまったの。エラ。頑張って! 諦めちゃだめよ! 絶対に私達が助けてあげるから! ……すぐに戻るわ。絶対に頑張るのよ!」




 リリアナ……どうして聞こえていないみたいな事、するんですか。寝起きに頑張れって、そんなに今日は寝ぼけてないのに。

(ああ、でも、確かに頭が、熱いかもしれません)

 こんなに熱いと、ねつがあるかも……って、だから看病してくれてるんですか?




「フィナ、暖炉はもういいですから、次は服を脱いでエラ様を温めてください。こんなに冷たくなって、どんどん体温が……。は、はやく。はやく」

 ちょっとシロエ、またそんな事を。あ、でも珍しい。他人にそんな役を譲るなんて。




「薬湯が出来たわ。アメリア、水はどう? そう、上手ね。じゃあ代わるから、漏斗を持っていて頂戴」

「はい!」

「お嬢様、エラ様の体温が、こんなに……下がってしまって――」

「――シロエ。弱気な事は言わないで。フィナに温めてもらってるのね、きちんと判断出来てるじゃない。いい? エラが頑張ってるんだから、私達も冷静に頑張るの。しっかりするのよ」

「……はい!」




 いったい、何がどうなって、そんな切迫したことを――。

(――痛い!)

(あたまが、割れそう……痛い。いたい。いたい。助けて! りりあな、しろえ、ふぃな。あめりあ…………)






 ――たすけて。


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