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三十一、港村にて
しおりを挟む朝方になって、ようやく雨が止んだ。
二人とも、マントごとびしょ濡れだ。
それでも肌寒い程度で済んだのは、彼の体を下に敷いて眠ったからだろう。
岩場を背に寝ていたゲンジは、きっと背中が痛いことだろうけど。
少しだけ、ざまあみなさいと思った。
濡れた服は着替えたものの、荷物もかなり濡れてしまったから、不快さが軽減した程度だった。
歩いている内に乾きそうだとはいえ……それも気に入らないし、昨夜のことも気に入らない。
(……こうなったら、意地でもキスしてやろうかしら)
寝込みを襲うという手もある。
(生まれて初めて、そんな気持ちになったのに……)
無下にされるとは思ってもみなかった。
受け入れてもらえるものだとばかり、思っていた。
それがまさか、何だかよく分からない理由で心を折られるとは。
そんなことを考えながら、前を歩くゲンジを見た。
今となっては憎々しい。
小石を拾ってぶつけてやろうかしらと彼の頭を見ていると、空に星が流れた。
「あら? ゲンジ、あれって流れ星かしら」
東の空へと伸びる、真っ白で細い光。
「あれは……」
「何か知ってるの? 星っていうよりは、魔法の光みたい」
「……そうだな。魔法かもしれない」
ゲンジのこういう態度は、何か隠してるのよね。
「ふぅん。まあいいけど」
それも腹が立つし、昨夜の事も何だか、負けたような感じでやっぱり悔しい。
「それよりセレーナ。あともう少しだ。港村に入ったら、まずは宿を探そう」
「言われなくたって……でも意外ね。海はまだ見えないのに、家が沢山ある。村と言っても結構大きいのね」
東には巨大な山脈があって、今いる場所も丘になっている。
溶岩で出来た赤茶色の丘たち。
遠目から見るとなだらかな形をしているけど、転ぶと皮膚がズタズタになる。
こんな荒れ地でも、人が住み着くものなのだなと感心するくらいには、殺風景なところだ。
その丘の一番高い所に、家が並んでいるのだから妙な景色だなと思っていた。
考えてみれば、ここに道があるのだから人は住んでいるのだろうけど。
ある程度整地された道は、今なお荒れていない。
そう見ると、きっと家を建てるための木材を西の平野から伐採して、運搬するためにまだ使っているのだろう。
そんな、苦労の賜物で造られた家々を遠目に眺めながら数日。
遠くに見ていたそれらは、目前まで迫っていた。
ただ、硬い地面を歩くから、今までよりも足が痛む。
「ねぇ。さすがに足が疲れたから、少し休もう? どんなにゆっくりでも、夕方になんてならないわよ」
この数日はずっと無言だったけど、さすがに耐えかねて痛みを訴えた。
「……そうか。なら、おぶってやるから先を急ごう」
「え? どうして? 急ぐ理由なんてないでしょ?」
「なんとなくだ。ほら、乗るといい」
言うなりゲンジは、しゃがんでくれた。
「……おんぶなんて嫌。抱っこして運んでよ」
そもそも、おぶられると胸を押し付けることになるし、支えてもらう足には彼の腕がぎゅっとなって痛いし。
「しょうがないな……」
そう言うと彼は、立ち上がると私の横に来て、さっと抱え上げてしまった。
「ちょっと。ほんとにお姫様抱っこするなんて思わなかった。下ろして。自分で歩くから」
膝裏と背中を支える彼の腕は、私の言葉を無視してがっしりと抱え続ける。
「ねぇ。下ろしてってば」
微妙に胸の横に来る彼の手に、否応なしに意識が行ってしまう。
それなのに、ゲンジは全く意に介していないのが、また腹が立つ。
「やはり、なんとなくだが急ごう。村に着いたら、すぐに船を探すんだ」
「え? 宿じゃなくて、すぐに魔族領に渡るの?」
山脈を越えることは出来ないから、海からしか行けない。
その海も、巨大な離岸流のせいで一旦は沖に出て、迂回しなくては渡れない。
――魔族領に攻め込んだ国王が、結局は諦めた理由がこれだった。
船が必要で、しかも軍隊を運ぶとなれば一隻や二隻では当然足りない。
それでも、それなりに船を作って攻めたというのに、魔族達はその倍以上の船で待ち構えていたのだ。
おめおめと逃げ帰り、それ以降は戦争を止めた。
山脈を越えられると思って進軍し、誰も越えられないと知って海を選び、その結果のことだった。
聞いてみれば滑稽なことだけど、王国側にはちらほらと魔族が来ていたものだから、手はあると思ったのだろう。
その時に出来たのが、名前さえ無い、この港村。
木材を運ぶために道を造り、そして船を造るために、この場所に不釣り合いな大きさの港を造ったのだ。
そこにようやく、私達は辿り着いた。
王都からおよそ一カ月かけての、長い長い旅路。
だから……もう少し、感慨深く足を踏み入れたかったのに。
「せめて、自分の足で港村に入りたかった……」
あっさりと、ゲンジがなんとなく感じるという不安か何かのせいで、私は抱えられたまま港村に入ってしまった。
「うっ。す、すまない。もう一度入り直そう」
そう言って戻ったところで、気分はもう台無しなのに。
「もういい。余計に惨めになる。このまま私を抱えて、どこへでも行けばいいのよ」
「……すまない。そうさせてもらう」
信じられない。
一体何をそんなに、急ぐ気になったのかしら。
丘の高いところから、緩やかに下るその途中までが、村だった。
海までは、家々は続いていない。
かといって、船はちゃんと港に停泊している。
漁師が使う小型のものがほとんどだけど、港をまたぐ定期船のような、大きめの船も見える。
「不便な港ね。どうして海の側に家を建てないのかしら」
「津波でも来るんだろう。俺の故郷でも、稀にだがあった」
「その稀に来る津波を避けるために、こんなに海から遠くに家を建てるの?」
「そうだ。少なくとも、俺の故郷ではそうだった」
「ふぅん……」
なんだか、普通に会話してしまった。
私は怒ってるのに。
(ひとりだけ、勝手に怒っててバカみたいじゃない)
「とにかく、すぐに魔族領に向かう船がないか聞いてみよう」
村の中に人は出歩いていないから、このまま港まで下りていくんだろう。
「はいはい。お好きにしてください」
私にだって、説明してくれればいいのに。
ずっと一緒に、旅をしてきたんだから。
時間は沢山あったはずなのに……肝心なことは何も言わない。
本当に――私のことなんて、どうでもいいのね。
後になって聞かされるだけなんて、何の頼りにもされていないし、仲間だとさえ思われていない。
……彼にとって私は、ただのお荷物なんだ。
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