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番外編 猫と王子 <出会い>
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俺はあの汗が滴る夏にあの魔女にあった日のことをよく覚えている。
あの日は本当に蒸し暑い日だった。
だから、公務が大体終わりを告げた三刻ごろ、王宮を抜け出し、愛馬を走らせ、近場の森の中の湖を目指したのだ。もう暑さのピークは過ぎている時刻なのに、うだるような熱を肌に感じた。
日差しが和らぐ森林のトンネルをくぐり、山道を抜けると、そこには小さな湖があった。
王家の領地であったため、一般の人が入ることが許されない場所だ。
自分が一人で馬に乗れるようになったころから息抜きによく来ていた場所だっだ。
自分もひと泳ぎしたかった。
おべっかを使う家臣や、お小言が多い神官達の話には嫌気がさしていたからだ。
特に神官は、次の王権継承者である俺には、手厳しい。
彼らの解雇は、出来ないし、あちらはあちらの言い分があるから、仕方がない。
特に、次の王妃になり得る女性に必要なものを得々と説いていく。
『慎ましい女性がよい』
『信心深く、無駄遣いしないのような方』
『優しい思い遣りがありながら、芯が通った女性がよろしい』
『もちろん、家柄はそれなりの方を……』
まあ、ありきたりだが、それを言われ続けた。
はあ、退屈だった。
まだ二十歳そこそこの俺は、正直にいえば、身を固めたくなどなかったのだ。
しかし、神官が言うこともわかる。
国を考えると、わが欲望や希望だけでは決められないのだ。
もちろん、出来れば自分が愛する、それが無理なら、愛することができそうな女性と一緒になりたかった。
あまり、真面目な印象を与えると、縁談の量が半端でなくなるとある時期から気がついて、自分は遊び人であるふりをした。
どんな高貴な令嬢でも、自分が皆が憧れるような高潔な王子でないと知ると、引いていくものが多いからだ。
自分はそれなりの相手とそれなりの理由で結婚しなければ、ならなかった。
まあヤケクソっという部分もある。
実は、これにはあるキッカケがあった。
今思うと、自分の幼さに呆れている。
気になる令嬢がいた。
彼女なら家柄も悪くない。
国家の為と考えると見劣りするかもしれないが、結婚しないと言われるよりはましであろうと思っていた。
よく顔出す社交界の宴でチラチラと彼女と目が合う。
これはあっちもその気だなと思っていた。
目を合わすと彼女の頬が赤くなり、扇子で顔を隠された。
可愛らしい純情な令嬢だと思った。
でも、まだ声をかけられずにいた。
自分が声をかける重要性を知っていたからだ。
だが、その妄想もすぐに打ち砕かれるとは……。
ある宴の後、ちょっと飲みすぎて、側近に断りを入れて退出した。
隠れ部屋で休憩をしていた。
屏風の裏のソファで休んでいると、何やらドアを開けて誰かが入って来たのがわかった。
しまった。
ドアの鍵を閉め忘れた。
声をかけようと思って屏風の端から覗いたら、まさかの情景に心を挫かれた。
先ほどまで、淡い恋心を抱いていた女性が、見知らぬ男と深く口づけしているではないか……。
「君は、さっきカイル王子を見ていたじゃないか……」
「馬鹿ね、あんな坊やの王子……貴方には敵わないわよ……」
「……だったら、結婚してくれ……私と……」
「ダメよ、私、王妃になりたいんだから……」
耳を塞ぎたかった。
自分自身を愛してくれる者なんていないのだと絶望した。
その女は、俺の地位だけのために寄って来たことがよくわかった。
でも、そこで疑問が浮かぶ。
それって他の勧められる結婚相手と何が違うのだ。
イーサンがドアをノックも無しに入ってきた。
驚いている男女が彼を見つめた。
イーサンの唸り声が聞こえた。
あいつは気が付いていたはずだ。
奴の前で、いま違う男と口づけをしていた令嬢を俺が好んでいたことを……。
恥ずかしさで顔が赤くなった。
イーサンの低い声が響いた。
「君たちはもう婚約していたのかな……。しりませんでした。まさかこんなひと気のない部屋で、婚約してない男女がこんな事をしているなんてありえないですからね。明日、貴方のお父様にお会いしますから、その時にでもお祝いを申し上げましょう……」
見なくても察することが出来た。
きっと令嬢も、その男も青ざめていることだろう。
ドアから逃げ去る二人の様子が足音でわかった。
きっと今晩中にでも、早馬を飛ばして、奴は彼女の父親に婚約の承諾を取りに行くだろう。
イーサンのことだ。
きっと明日それを確かめるだろう。
正直ホッとした。
こんな無様な顔をあいつらには見せたくなかった。
屏風の端から馴染みのイーサンの顔が見えた。
心配そうな顔しながら、困った表情をしていた。
いい奴なんだ。
こいつは……。
「大丈夫ですか? 殿下?」
「……ありがとう。助かった。イーサン……まあ、女って怖いな」
「……みんながそうではありませんよ。殿下にはきっとあった方がいらっしゃいます」
爽やかな笑顔が自分に向く。
あった方か……、そう考えると、親友ともいえるイーサンが羨ましかった。
彼には昔から想い人がいる。
たしか、ディアナといったか?
彼女はまだ幼いから、結婚は当然出来ないが、将来は絶対自分が守りたいと言っていた。
俺にはそういう感情なんてなかったし、ただイーサンを茶化していたような気がする。
それから、なるべく、未亡人でそれらの営みが好みそうな女性だけを自分の周りに侍らせる。
綺麗な令嬢には声をかけることも惜しみなく努力した。
瞬く間に、自分の名は地に落ちていく。
いいではないか。
昔の事を思い出しながら、目の前に浮かぶ光景を凝視した。
水面に浮かぶ光の反射の煌めきが、眩しい。
日よけの為の薄手の外套をとり、腰にさしていた長剣も短剣も柔らかな草の上に置く。
上着を脱ぎ、もっとさらに脱いでいこうとしたら、人影に気がついた。
誰かがすでに水の中の入っていた。
ちょうど木の陰に隠れており、うまく見えない。
でも、ここは王家のものだ。
普通の者が入っていい場所ではない。
「誰だ! ここは王家の領地だ……姿を表せ。さもなければ、ここから剣をなげ打つぞ」
一度置いてあった短剣を持つ。
この方が接近戦にはいい。
特に水の中では、長剣は扱いにくい。
「……うるさいわね……。全く、木の葉一枚まで、あんたはそれを自分のモノだって言い張るの?」
その見知らぬ影が露わになる。
一瞬、短剣が手から落ちそうになった。
一糸纏わぬ姿の女が、その濡れた紫がかった長い髪を垂らせながら、こちらの方に妖艶な仕草で振りかえったのだ。
その手には、夏の日差しを浴びて青々としていた一枚の葉があった。
その女性にしか、存在しないかのような滑らかな身体の曲線とその肌の白さ、そして、彼女の人を見透かすような視線が自分を釘付けにした。
「!! な、す、すまんっ……!女とは思わなかった……」
「ふ、女だから、刺客だとは、思わないの? まだ可愛い坊やね」
「ち、違う! もうわたしは成人だ。わたしを誰だと思っているんだ?」
その色香を放す艶めかしい裸体に目が離せない自分がいた。
あちらと目が合い、自分の淫らで邪な考えを見透かされたと思い、赤くなっていく頬を片手で隠しながら、目線を反らした。
その女がまるで人をからかうような声色でいう。
「……まあ、いいわ。貴方がだれでも私は気にしないわ。でも、悪いけど、私には、この湖が誰のものだとか、そういう考え方はないし、世の中の自然が誰の所有物だなんて、私の中に存在さえもしないの? わかる? だから、明日もいるから、邪魔しないでね……」
バカにされているような言い方なのに、まるで玉を転がしていくような軽やかな彼女の喋り方に自分が惹かれていく。
どう考えてもおかしかった。
あちらは、女で身体が全部丸見えなのに、堂々としていて、こちらは半裸ではあるが、隠すものは隠れている。なのに、自分の方が明らかに猛烈に恥ずかしかった。
水面がキラキラと光っていた。
何か話さなければと、自分が自分に苛立った。
この湖から出て行けといえば、いいのか、それとも、もう少しゆっくりしていいといえばいいのか、自分でもよくわからない。
悶々としていると、風がいきなり吹き付けた。水面の水が一気に水飛沫をあげた。
空中に舞うの水滴の一雫ごとが、日光を反射させ、瞬いている間に彼女が消えうせた。
自分の心臓が未だ嘗てないほどに、激しく鼓動していた。
湖面がまるで違った世界のように静かに輝いていた。
あの日は本当に蒸し暑い日だった。
だから、公務が大体終わりを告げた三刻ごろ、王宮を抜け出し、愛馬を走らせ、近場の森の中の湖を目指したのだ。もう暑さのピークは過ぎている時刻なのに、うだるような熱を肌に感じた。
日差しが和らぐ森林のトンネルをくぐり、山道を抜けると、そこには小さな湖があった。
王家の領地であったため、一般の人が入ることが許されない場所だ。
自分が一人で馬に乗れるようになったころから息抜きによく来ていた場所だっだ。
自分もひと泳ぎしたかった。
おべっかを使う家臣や、お小言が多い神官達の話には嫌気がさしていたからだ。
特に神官は、次の王権継承者である俺には、手厳しい。
彼らの解雇は、出来ないし、あちらはあちらの言い分があるから、仕方がない。
特に、次の王妃になり得る女性に必要なものを得々と説いていく。
『慎ましい女性がよい』
『信心深く、無駄遣いしないのような方』
『優しい思い遣りがありながら、芯が通った女性がよろしい』
『もちろん、家柄はそれなりの方を……』
まあ、ありきたりだが、それを言われ続けた。
はあ、退屈だった。
まだ二十歳そこそこの俺は、正直にいえば、身を固めたくなどなかったのだ。
しかし、神官が言うこともわかる。
国を考えると、わが欲望や希望だけでは決められないのだ。
もちろん、出来れば自分が愛する、それが無理なら、愛することができそうな女性と一緒になりたかった。
あまり、真面目な印象を与えると、縁談の量が半端でなくなるとある時期から気がついて、自分は遊び人であるふりをした。
どんな高貴な令嬢でも、自分が皆が憧れるような高潔な王子でないと知ると、引いていくものが多いからだ。
自分はそれなりの相手とそれなりの理由で結婚しなければ、ならなかった。
まあヤケクソっという部分もある。
実は、これにはあるキッカケがあった。
今思うと、自分の幼さに呆れている。
気になる令嬢がいた。
彼女なら家柄も悪くない。
国家の為と考えると見劣りするかもしれないが、結婚しないと言われるよりはましであろうと思っていた。
よく顔出す社交界の宴でチラチラと彼女と目が合う。
これはあっちもその気だなと思っていた。
目を合わすと彼女の頬が赤くなり、扇子で顔を隠された。
可愛らしい純情な令嬢だと思った。
でも、まだ声をかけられずにいた。
自分が声をかける重要性を知っていたからだ。
だが、その妄想もすぐに打ち砕かれるとは……。
ある宴の後、ちょっと飲みすぎて、側近に断りを入れて退出した。
隠れ部屋で休憩をしていた。
屏風の裏のソファで休んでいると、何やらドアを開けて誰かが入って来たのがわかった。
しまった。
ドアの鍵を閉め忘れた。
声をかけようと思って屏風の端から覗いたら、まさかの情景に心を挫かれた。
先ほどまで、淡い恋心を抱いていた女性が、見知らぬ男と深く口づけしているではないか……。
「君は、さっきカイル王子を見ていたじゃないか……」
「馬鹿ね、あんな坊やの王子……貴方には敵わないわよ……」
「……だったら、結婚してくれ……私と……」
「ダメよ、私、王妃になりたいんだから……」
耳を塞ぎたかった。
自分自身を愛してくれる者なんていないのだと絶望した。
その女は、俺の地位だけのために寄って来たことがよくわかった。
でも、そこで疑問が浮かぶ。
それって他の勧められる結婚相手と何が違うのだ。
イーサンがドアをノックも無しに入ってきた。
驚いている男女が彼を見つめた。
イーサンの唸り声が聞こえた。
あいつは気が付いていたはずだ。
奴の前で、いま違う男と口づけをしていた令嬢を俺が好んでいたことを……。
恥ずかしさで顔が赤くなった。
イーサンの低い声が響いた。
「君たちはもう婚約していたのかな……。しりませんでした。まさかこんなひと気のない部屋で、婚約してない男女がこんな事をしているなんてありえないですからね。明日、貴方のお父様にお会いしますから、その時にでもお祝いを申し上げましょう……」
見なくても察することが出来た。
きっと令嬢も、その男も青ざめていることだろう。
ドアから逃げ去る二人の様子が足音でわかった。
きっと今晩中にでも、早馬を飛ばして、奴は彼女の父親に婚約の承諾を取りに行くだろう。
イーサンのことだ。
きっと明日それを確かめるだろう。
正直ホッとした。
こんな無様な顔をあいつらには見せたくなかった。
屏風の端から馴染みのイーサンの顔が見えた。
心配そうな顔しながら、困った表情をしていた。
いい奴なんだ。
こいつは……。
「大丈夫ですか? 殿下?」
「……ありがとう。助かった。イーサン……まあ、女って怖いな」
「……みんながそうではありませんよ。殿下にはきっとあった方がいらっしゃいます」
爽やかな笑顔が自分に向く。
あった方か……、そう考えると、親友ともいえるイーサンが羨ましかった。
彼には昔から想い人がいる。
たしか、ディアナといったか?
彼女はまだ幼いから、結婚は当然出来ないが、将来は絶対自分が守りたいと言っていた。
俺にはそういう感情なんてなかったし、ただイーサンを茶化していたような気がする。
それから、なるべく、未亡人でそれらの営みが好みそうな女性だけを自分の周りに侍らせる。
綺麗な令嬢には声をかけることも惜しみなく努力した。
瞬く間に、自分の名は地に落ちていく。
いいではないか。
昔の事を思い出しながら、目の前に浮かぶ光景を凝視した。
水面に浮かぶ光の反射の煌めきが、眩しい。
日よけの為の薄手の外套をとり、腰にさしていた長剣も短剣も柔らかな草の上に置く。
上着を脱ぎ、もっとさらに脱いでいこうとしたら、人影に気がついた。
誰かがすでに水の中の入っていた。
ちょうど木の陰に隠れており、うまく見えない。
でも、ここは王家のものだ。
普通の者が入っていい場所ではない。
「誰だ! ここは王家の領地だ……姿を表せ。さもなければ、ここから剣をなげ打つぞ」
一度置いてあった短剣を持つ。
この方が接近戦にはいい。
特に水の中では、長剣は扱いにくい。
「……うるさいわね……。全く、木の葉一枚まで、あんたはそれを自分のモノだって言い張るの?」
その見知らぬ影が露わになる。
一瞬、短剣が手から落ちそうになった。
一糸纏わぬ姿の女が、その濡れた紫がかった長い髪を垂らせながら、こちらの方に妖艶な仕草で振りかえったのだ。
その手には、夏の日差しを浴びて青々としていた一枚の葉があった。
その女性にしか、存在しないかのような滑らかな身体の曲線とその肌の白さ、そして、彼女の人を見透かすような視線が自分を釘付けにした。
「!! な、す、すまんっ……!女とは思わなかった……」
「ふ、女だから、刺客だとは、思わないの? まだ可愛い坊やね」
「ち、違う! もうわたしは成人だ。わたしを誰だと思っているんだ?」
その色香を放す艶めかしい裸体に目が離せない自分がいた。
あちらと目が合い、自分の淫らで邪な考えを見透かされたと思い、赤くなっていく頬を片手で隠しながら、目線を反らした。
その女がまるで人をからかうような声色でいう。
「……まあ、いいわ。貴方がだれでも私は気にしないわ。でも、悪いけど、私には、この湖が誰のものだとか、そういう考え方はないし、世の中の自然が誰の所有物だなんて、私の中に存在さえもしないの? わかる? だから、明日もいるから、邪魔しないでね……」
バカにされているような言い方なのに、まるで玉を転がしていくような軽やかな彼女の喋り方に自分が惹かれていく。
どう考えてもおかしかった。
あちらは、女で身体が全部丸見えなのに、堂々としていて、こちらは半裸ではあるが、隠すものは隠れている。なのに、自分の方が明らかに猛烈に恥ずかしかった。
水面がキラキラと光っていた。
何か話さなければと、自分が自分に苛立った。
この湖から出て行けといえば、いいのか、それとも、もう少しゆっくりしていいといえばいいのか、自分でもよくわからない。
悶々としていると、風がいきなり吹き付けた。水面の水が一気に水飛沫をあげた。
空中に舞うの水滴の一雫ごとが、日光を反射させ、瞬いている間に彼女が消えうせた。
自分の心臓が未だ嘗てないほどに、激しく鼓動していた。
湖面がまるで違った世界のように静かに輝いていた。
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