1 / 2
プロローグ
しおりを挟む
少女は悴む手をさする。
小さな紫色の唇から漏れる白い息は、ふわっと現れてはすぐにきえた。
チラチラと輝く空からの贈り物は、容赦なく彼女の肩に降り積もっている。
華奢な体つきの先にある手袋は、まるで効果がないように思えた。
もうクリタ神聖王国は年の瀬を迎えていた。
点在するガス灯でほんのりと橙色に染まっている。
多くのものが片手になにかしらのギフトを抱え急ぎ足だ。
もうすぐ聖ルヌタスの生誕祭。
誰もが家族や待ち人のために浮き足立っていた。
ただ一人をのぞいては…。
街のまばゆい景色に交わらない少女が一人、ポツンっと立ちすくんでいた。
鼠色の古ぼけたフードつきの外套。
中身は薄汚れたサイズのあっていない叢色のワンピース。
そしてまるでこれからもっと降り積もる雪を暗喩するかのような灰色の髪。
それは、マリレーナ・リント…十七歳。
体にしみる寒さと疲労感とは裏腹に、町の見慣れない華やかさにマリレーナはドキドキしていた。
─なんて明るいの。王都って。
まるで昼のような明るさにマリレーナは心を奪われた。生まれ育った森の中にはこんな光の洪水はあり得なかった。その時、小さく哀れな少女の方向に勢いよく豪奢な馬車が通り過ぎた。
「きゃっ」
「危ねえぞ、前を見て歩け!」
容赦ない罵倒が御者から響き、走り去っていく。
「─っ、あ!」
思わず驚いたマリレーナが、雪の上に尻餅をついた。
「ご、ごめんなさいっ」
ガタガタと石畳に激しい音を立てて走り去る馬車にマリレーナは叫んで謝った。
─いっ、いった~い。ダメね、わたしって。よく見ないといけないわね。
マリレーナは立ち上がろうとしたとき、あることに気がついた。
そのまま去っていくと思われた華美な馬車が、道の少しいったところで急停車していたのだ。
御者が急いで地面に降り立ち、彼は主人の為に馬車のドアを開けていた。
先ほどまでマリレーナの罵倒を浴びせたと思われる御者がペコペコと頭を下げていた。
すると馬車から真っ白な騎士の正装の男が降り立ったのが見えた。
彼は道路の雪を跨いで、こちらに大股でやって来る。
マリレーナの古ぼけたコートに雪水が染みる。しかし、マリレーナはこの男まで怒らせてしまったのではないかと身をかまえた。
「ご、ごめんなさい!!」
目をつぶり膝を雪の中につきながら、マリレーナは謝罪をした。しかし、男からは何も答えがない。
うっすら目を開けると、自分の足元にその男の白いブーツがよく見えた。
顔をあげたマリレーナは驚いた。
太陽の輝きのような金髪が街灯の光と交じり合っていた。
男も腰を下げていたからだ。しかも男は少し驚いた表情をしていた。
「─いや、悪いのは私の方だ。家来が無体なことをした。申し訳ない」
男が手を差し出した。
マリレーナはたじろいだ。
どうしていいのかわからないと言った方がよかったのかもしれない。
緊張していたのだ。父以外の男性に触れたことなどなかった。
しかも、男の風貌は辺りの注目を一身に浴びるくらいに目立つのだ。
繊細かつ豪華な金糸の刺繍がついた騎士の正装。涼しげな切れ長の青い眼とすっとした鼻梁。
肩から優美な線を描く外套は白亜色で、そのエッジには飾り用の白い毛皮。
華やかな街中にあっても彼の存在は異彩を放っていた。
馬車の中から若い女性が何か文句をいっているようだったが、それは彼の耳には届いていないように見えた。
「─この聖ルヌタス祭だというのに…」
そう言いながら、マリレーナを見るとちょっと顔をしかめた。
鼠色のフードを上から着込んだマリレーナの服装は、浮き足立ったような雰囲気の街並と対極の姿だった。
浮浪者のような破けた外套。外見からは男か女かもわからないような風体だ。
今まで自分の姿に恥じらいを持ったことがないマリレーナだったが、まじまじとこの男に服装を見られて身がすくんだ。
もうどれだけ湯を浴びていないかわからない。顔もきっとススだらけだ。
立ち上がるだけでも、かなりの体力を消耗するのにも関わらず、マリレーナの矜持が彼の手を借りずに彼女を立ち上がらせた。
「─だいじょうぶです」
彼女の言葉に男は少し眉を寄せた。だか、すぐに忘れていたことを思い出したかのように内ポケットから何かを取り出した。
「これを…すまなかった」
マリレーナの手のひらに硬いものが握られた。
男の双眼は澄んだ紺碧の色をしていた。
だが男の視線はマリレーナのものとは合わなかった。
なぜなら、馬車から女のイライラした声が聞こえてきたからだ。
そのまま彼は「では」と言って白い外套をひるがえし去っていく。
あっという間のことでマリレーナはすぐに「いりません」とは言えなかった。
手の中にあったものは、今までマリレーナが見たこともないようなぴかぴかの金色の硬貨だった。
こんな大層なものをもらう筋合いはない。マリレーナは呼びかけた。
「─っ、あの、すみません!」
だが、すぐに彼女の呼び声も周りの喧騒にかき消された。追いかけようにも自分の足が、思っていたよりも疲労していて駆け出せなかった。
仕方なく空に浮いていたその硬貨をポケットにしまう。
ざわついていた人々があれが誰かと噂していた。
でも体力を無くしていたマリレーナの耳には全ては届かなかった。
ただ『あれはマキアス様だな…』と言う言葉だけが聞こえた。
マリレーナはその名前を心に刻んだ。
─マキアス様というお方に…このお金を返さないといけない。
ただそう思っていた。
小さな紫色の唇から漏れる白い息は、ふわっと現れてはすぐにきえた。
チラチラと輝く空からの贈り物は、容赦なく彼女の肩に降り積もっている。
華奢な体つきの先にある手袋は、まるで効果がないように思えた。
もうクリタ神聖王国は年の瀬を迎えていた。
点在するガス灯でほんのりと橙色に染まっている。
多くのものが片手になにかしらのギフトを抱え急ぎ足だ。
もうすぐ聖ルヌタスの生誕祭。
誰もが家族や待ち人のために浮き足立っていた。
ただ一人をのぞいては…。
街のまばゆい景色に交わらない少女が一人、ポツンっと立ちすくんでいた。
鼠色の古ぼけたフードつきの外套。
中身は薄汚れたサイズのあっていない叢色のワンピース。
そしてまるでこれからもっと降り積もる雪を暗喩するかのような灰色の髪。
それは、マリレーナ・リント…十七歳。
体にしみる寒さと疲労感とは裏腹に、町の見慣れない華やかさにマリレーナはドキドキしていた。
─なんて明るいの。王都って。
まるで昼のような明るさにマリレーナは心を奪われた。生まれ育った森の中にはこんな光の洪水はあり得なかった。その時、小さく哀れな少女の方向に勢いよく豪奢な馬車が通り過ぎた。
「きゃっ」
「危ねえぞ、前を見て歩け!」
容赦ない罵倒が御者から響き、走り去っていく。
「─っ、あ!」
思わず驚いたマリレーナが、雪の上に尻餅をついた。
「ご、ごめんなさいっ」
ガタガタと石畳に激しい音を立てて走り去る馬車にマリレーナは叫んで謝った。
─いっ、いった~い。ダメね、わたしって。よく見ないといけないわね。
マリレーナは立ち上がろうとしたとき、あることに気がついた。
そのまま去っていくと思われた華美な馬車が、道の少しいったところで急停車していたのだ。
御者が急いで地面に降り立ち、彼は主人の為に馬車のドアを開けていた。
先ほどまでマリレーナの罵倒を浴びせたと思われる御者がペコペコと頭を下げていた。
すると馬車から真っ白な騎士の正装の男が降り立ったのが見えた。
彼は道路の雪を跨いで、こちらに大股でやって来る。
マリレーナの古ぼけたコートに雪水が染みる。しかし、マリレーナはこの男まで怒らせてしまったのではないかと身をかまえた。
「ご、ごめんなさい!!」
目をつぶり膝を雪の中につきながら、マリレーナは謝罪をした。しかし、男からは何も答えがない。
うっすら目を開けると、自分の足元にその男の白いブーツがよく見えた。
顔をあげたマリレーナは驚いた。
太陽の輝きのような金髪が街灯の光と交じり合っていた。
男も腰を下げていたからだ。しかも男は少し驚いた表情をしていた。
「─いや、悪いのは私の方だ。家来が無体なことをした。申し訳ない」
男が手を差し出した。
マリレーナはたじろいだ。
どうしていいのかわからないと言った方がよかったのかもしれない。
緊張していたのだ。父以外の男性に触れたことなどなかった。
しかも、男の風貌は辺りの注目を一身に浴びるくらいに目立つのだ。
繊細かつ豪華な金糸の刺繍がついた騎士の正装。涼しげな切れ長の青い眼とすっとした鼻梁。
肩から優美な線を描く外套は白亜色で、そのエッジには飾り用の白い毛皮。
華やかな街中にあっても彼の存在は異彩を放っていた。
馬車の中から若い女性が何か文句をいっているようだったが、それは彼の耳には届いていないように見えた。
「─この聖ルヌタス祭だというのに…」
そう言いながら、マリレーナを見るとちょっと顔をしかめた。
鼠色のフードを上から着込んだマリレーナの服装は、浮き足立ったような雰囲気の街並と対極の姿だった。
浮浪者のような破けた外套。外見からは男か女かもわからないような風体だ。
今まで自分の姿に恥じらいを持ったことがないマリレーナだったが、まじまじとこの男に服装を見られて身がすくんだ。
もうどれだけ湯を浴びていないかわからない。顔もきっとススだらけだ。
立ち上がるだけでも、かなりの体力を消耗するのにも関わらず、マリレーナの矜持が彼の手を借りずに彼女を立ち上がらせた。
「─だいじょうぶです」
彼女の言葉に男は少し眉を寄せた。だか、すぐに忘れていたことを思い出したかのように内ポケットから何かを取り出した。
「これを…すまなかった」
マリレーナの手のひらに硬いものが握られた。
男の双眼は澄んだ紺碧の色をしていた。
だが男の視線はマリレーナのものとは合わなかった。
なぜなら、馬車から女のイライラした声が聞こえてきたからだ。
そのまま彼は「では」と言って白い外套をひるがえし去っていく。
あっという間のことでマリレーナはすぐに「いりません」とは言えなかった。
手の中にあったものは、今までマリレーナが見たこともないようなぴかぴかの金色の硬貨だった。
こんな大層なものをもらう筋合いはない。マリレーナは呼びかけた。
「─っ、あの、すみません!」
だが、すぐに彼女の呼び声も周りの喧騒にかき消された。追いかけようにも自分の足が、思っていたよりも疲労していて駆け出せなかった。
仕方なく空に浮いていたその硬貨をポケットにしまう。
ざわついていた人々があれが誰かと噂していた。
でも体力を無くしていたマリレーナの耳には全ては届かなかった。
ただ『あれはマキアス様だな…』と言う言葉だけが聞こえた。
マリレーナはその名前を心に刻んだ。
─マキアス様というお方に…このお金を返さないといけない。
ただそう思っていた。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる