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<閑話>家令ケヴィンの憂い

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 財務の月間収支の確認作業が忙しい。
 最近、隣国との貿易がますます盛んになってきてグレンヴィア王国の国益は潤っているから幸いだった。
 正確に言えばケヴィン自体は、フェリス殿下のいるグレンヴィル家の家令であり、王国勤めではない。つまり国家には関わりがない。
 この国は、王家と国家の予算は別物だった。
 宰相として何度もスカウトされたが、自分はやはり一人の主人、またはご家族を面倒見る方が性格に合っている。 
 国自体を支えるのは自分に合わない。
 国を支える主人を支えるほうが自分的にはしっくりくる。
 王国から割り当てられるグレンヴィル家の予算の収支をあわせながら、まあ時々財務担当の書記官から頼まれて、国自体の収支の合わせも確認する。
 本来は自分の仕事ではないが、まあ仕方がない。
 でも、カナの開発されたカナ暦がこの財務の決済にもかなり役に立つことがわかってきた。
 締め切りを月末と考えると、かなりみんなの統率がとれていた。
 いままでは数えで40日にしていたので、忘れる者が続出していたのだ。

 ちょっと書類を見るのが疲れて、窓越しに天気のいい青空を眺める。
 あることに気がついて、自分の執務室の窓を少し開けて、下を見る。
 パタパタと水色のドレスにまとった黒髪の小柄な少女がたくさんの本を持って小走りしている。

 ああ、いつもリスみたいに、ちょこまかしているな。
 あの人は……。
 本当に可愛らしい。

 あの黒髪の少女を初めて蒼黒の森で見た時、心があっという間に奪われた。
 しかし、彼女はあの卑しい魔物クセスボイの手にかかっていて、その貞操が危機だった。
 正直、自分が助けたかった。
 もちろん、自分の長剣によって、クセスボイを仕留められたのは嬉しかった。
 フェリス殿下の行動の方が素早く的確だったのは確かだった。

 でも、自分の唇であの方を味わってみたかった。
 絶対に甘くて柔らかいはずだ。

 今まで生まれてから、世紀の美丈夫と呼ばれるフェリス殿下の元でお使えてしてきたのが、フェリスに対して、一度も嫉妬したことはなかった。
 フェリス殿下自身が本当に率直な方で、己の魔力の強さにおごれる事無く、その姿に似合わず意外と女嫌いな事も知っていた。
 とても尊敬できる主人であり、敬愛出来る友人でもあった。

 まさか同じ女性を好きになるとはまったく思っていなかった。
 しかも、自分にとっては手が出せない相手だ。

 今まで自分もかなり女性にモテてきた方だと思う。
 侍女らや令嬢たちからの手紙を数々断ってきた。
 また王子目的の言い寄ってくる女性をあしらうのが自分の役目であった。
 それがいつもと変わらない自分の立ち位置だった。
 鉄仮面と呼ばれる無表情で令嬢たちの視線をあしらえる事を覚えたのに、それがいま悩ましい。
 彼女に微笑みたいのに、自分の癖で顔の筋肉が引きつってしまう。

 これではただの子供だ。

 だが、彼女がいろいろな理由からフェリスの正妃の道ではなく、仮だが留学生になることが決まった時は、自分もそのプロセスにはもちろん加担していたのだが、神に感謝した。
 しばらく彼女と普通に接することができるのだ。
 男として嬉しくなった。
 もちろん、彼女の家庭教師の役を買って出る。
 あの可愛らしい黒目を見つめることができるなんて最高だ。

 「あの……ケヴィン先生。(授業中はそう彼女は呼んできた)この発音と意味がよくわからないんですけど」

 心が震える。
 でも、いつもの憮然とした表情で答える。
 自分が得意な鉄仮面と呼ばれる顔だ。
 新しいことにとても興味がある彼女はいい生徒だった。
 教えがいもある。

 「あ、これですか。カナ様。これはこのあたりに生息する植物の名前です。”あまつり”と発音します。ちょっと古代文字の変形なんで難しいですかね」
 「あ、ま、つり?」

 ああ……そんな口を尖らさないでほしい。
 思わず、彼女の頬に手がいってしまい、口元を触る。
 びっくりしてビクつくカナ。

 「ああ、カナ様、それはこう、最初の”あ”は発音を上げるんですよ」

 やさしくカナの唇を人差し指で撫でた。
 ああ、自分の愚行にあきれてしまう。
 嘘までついてこの少女に触りたいだなんて。

 「あ……まつり?」

   カナが真似する。 
  あああ、かわいい。

 呆然と彼女の瞳を見つめてしまう。
 彼女は僕の想いなどまったく気がつかない。
 それよりもなぜか私が彼女を自分の恋敵だと勘違いしている。

 よくわからないが、よく「大丈夫。きっとその想い、フェリス殿下に伝わるから……」
と時々言われる。
 確かに敬愛しているフェリス殿下であるが、彼女が言っている意味合いとちょっと違う気がするのは気のせいだろうか。
 いまでも思い出す。
 その日は忙しくて、図書室での勉強は午後となった。
 いつも邪魔しにくるわが主は、ずっと会議が立て込んでおり、来られない。
 彼女もたぶん日中、いろいろ忙しかったのだろう。
 自分も午前中に用事があって、授業をずらしてもらったのだ。
 そして、午後、私の授業の時間になっていた。

 自分が予定の時刻より遅れた。
 
 「遅れて申し訳ありません……カナ様?」

 私が彼女の近くにきても全然気がつかない。
 図書室の窓が少し空けられており、柔らかな彼女の黒髪を風が撫でていた。
 その愛しい人は、大きな図書室の机にそのかわいらしい頬を乗せ、爆睡していた。

 起こすのもちょっとかわいそうな気がした。
 連日ものすごい勢いで勉強していたのもあったかもしれない。
 暦なるものを製作するために、フェリスと頑張っているのを見ていたからだ。
 ちょっと妬けた……。

 いや、正直に言おう。
 眠る彼女の姿をただ見つめていたかっただけかも知れない。

 静かな周りを見回す。 
 誰もいない。

 自分の髪をかきあげながら、彼女の柔らかい髪をすくいあげ、その潤っている唇を見つめる。
 しばらくの沈黙。そっと自分の唇を彼女の唇に落とす。

 ああやっぱり甘い。
 やわらかいその弾力を身体で感じた。

 「んっ」

 ぐっすり寝てるカナが寝呆ける。
 もっとキスしていたい気持ちを抑え、ゆっくりと自分の唇を離す。

 「んーーーーー、てりやきーーーー」

 ちょっと寝言をいう彼女を見つめる。
 いたずら心で、彼女の唇を舐めた。

 ぺろん。

 「んんん……」

 この時がいつまでも止まっていて欲しい。
 無理だとわかっていても。この三年で彼女は幼い少女から美しい若い女性へと変身していた。
 異界の国の女性で幼く見えるものの、よく接してみるとかなり年齢相応という感じがする。
 ああ自分も彼女を連れ去り、家令という立場を捨て、どこかに二人で家に閉じこもり、永遠に彼女を愛することが出来たなら……。

 ああ、そういえば、キスと言えば……。
 フェリス殿下、たぶん気がつかれるな。
 あーーまずいが、しょうがない。
 認めるしかないか。
 あの方のことだ。はっきりと聞いてくるだろう。
 覚悟したほうがいいかもしれない。

 そんな想いが胸によぎっていると、外からガタガタと騒がしい音がする。
 さすが我が主だ。気がつくのが速攻だ。

 図書室をドアがバンッと音を立てて開く。
 光が逆光になってよく見えないが、ドアに立つそのシルエットから正しく予想した人物が立っていたことにちょっと笑ってしまう。
 暗くて見えないが、怒っていることには間違いないだろう。
 その騒音で彼女も目覚める。

 「んあっ? あれ、フェリス殿下? どうしたの? 今日は会議でここには無理だって。ごめんなさい。ケヴィン先生。私、寝ちゃったみたい」

 目をこすりながら、カナが答える。
 頭上からちょっとした魔力だか、ただの嫉妬なのかわからないオーラを漂わせて、我が主が私に近づいてくる。

 「ケヴィン、お前……」
    
 フェリスのドスの効いた低い声が静かな空間に響く。
 一応、家令として一礼する。

 「フェリス様。お静かに。こちらは図書室ですので」
 「おい、お前、完全にシラをきるのか?」

 怒りに燃えている瞳がケヴィンをじっと睨みつけた。

 「あの、いま、それをここで言われて彼女に私の気持ちを自覚させていいということでしょうか?」
 「それは……よくない。」

 言葉に詰まるフェリス。

 「私も自分の立場を良く理解しております。でも、気持ちというのは抑えられない。ただおそばにいることをお許しください。危害を加えるつもりは決してありません」

 ゲヴィンの美しい瞳がキラリと輝きながら、また美丈夫であるフェリスを真剣に見つめる。
 激しく見つめ合う二人。

    沈黙があった。

 「きゃーーー! 萌える!」

 横にいた鈍感娘が叫ぶ。
 目がキラキラして、私たちを交互に見つめていた。

 「ど、どうしよう!」

 今度はフェリスとケヴィンがカナ見つめた。

 「ライブバージョンのスチルなんて、、」

 彼女の体が震えている。

 「そんなそんな、生きているご褒美。神様っているのかも。ありがとう! ありがとうございます」

 なにか上を見上げて祈っている。
 呆然とする男二人。

 「おい、カナ。またなんか違うこと想像してるな」

 フェリスがつぶやく。

 「ふふふふっ。可愛いですね。いつもこうですから。カナ様は」

 小さな口元を開けっ放しにして、こちらをみる彼女。

 「へほっ? あ、ごめんなさい、お邪魔して。私、部屋を出ていきますよ。お二人でゆっくりなさっては、じゅる(よだれをふく)いかがですか? もしかして、もしかして……おふたり、覗かれているほうが……燃えるとか……ぎゃーーー!」

 顔を真っ赤にさせて、こちらを省みる。

 「「違う!!!」」

 二人の美丈夫は声をそろえて怒鳴った。
 違う意味で悶える3人でした。



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