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第5章 照り輝く「橙地」の涙雨
88.嵐のようなデート「祈望」
しおりを挟む喫茶店での飲食代は、俺の奢りという形にさせてもらった。
フィーユもティアも、自分が食べた分は自分で払うと主張したのだが……2人の笑顔にあまり貢献できていない身として、少しでも彼女達の負担を減らしたかった。
サンドイッチも紅茶もとても美味しかった。特に紅茶は味わったことのない香りで……会計のときに店員さんに尋ねると、グリーヌ領から取り寄せたものだと教えてくれた。朱色の街オウゼのある、遥か東方の地域だ。
「メメリカさん、魔法の鍛錬は順調だろうか」
手を繋いでいるティアに歩調を合わせながら、ぽつりと思考を零した。ティアは俺の顔を覗き込むようにして、
「あのっ、メメリカちゃんの先生さん、レインさんの仰ってた通り、とってもお優しい方みたいで……まるでもう1人おばあさまができたみたいだって、お手紙に書いてありましたよっ」
「あ……2人は文通をしているんだよな。『白氷』ユシュフル様か……治癒魔法の使い手はその魔法の性質上、愛情深い方が多いと師匠が」
そう、師匠が苦々しい表情で吐き捨てていたな。
「え、えへへ……クロさんが治癒魔法を使えるのは、愛情深いから、でしょうか……?」
「? それは、少し違うかも知れない。俺は治癒魔法を使えるけれど、得意としているわけではないから。使用頻度としては、炎属性魔法が本分とする攻撃魔法の方が……」
違う、と唇を結んだ。
ティアは今、俺の人柄を褒めてくれて……くぅ、魔法に関わることになると、つい頭が固くなってしまう……!
「……あまり愛情深くはないかも知れないけれど、そう認識してもらえて、嬉しい」
「……! クロさんに嬉しく思ってもらえて、ティアも嬉しいです!」
良かった、笑顔のままでいてくれた。
のんびり歩くうちに、我が家の周辺のように住宅が疎になっていた。行き先は分からない、先導してくれているフィーユは「素敵な場所」とだけ教えてくれた。
「それで、ですね、フィーユちゃんにはもうお話したんですけど……なんとメメリカちゃん、来節にカルカに遊びに来てくれるみたいなんです! ご両親と、先生もご一緒に!」
「来節に?」
どうやら、メメリカさんの成長速度は著しいようだ。『白氷』様が一緒なら、道中も滞在中も、安全面での心配は不要だろう。
林道に差しかかり、踏み締める土が柔らかくなる。午後の日差しが雲だけでなく木々にも遮られるようになり、より一層、夏の終わりの気配を感じた。
ポニーテールを揺らしていたフィーユが、横顔で微笑し、
「収穫祭に合わせていらっしゃるのよね? カルカでは一番規模の大きいお祭りだもの……盛り上げる為にギルドとしても、期間中の治安を維持する為に警備を担うだけじゃなくって、色々とイベントを開催するのよ」
俺はフィーユの踵へと視線を落とす。
そうだ、ジークさんと約束をしていた……収穫祭のことで話をしたいと。俺が警備を担えば、催し物を楽しめる職員が増えるだろうか?
「私は去年まで、ドレスリートの家のことで掛かり切りになっていたのよ。でも、今年はクロやティアちゃんもいるし……ライバル認定されたからには、エリーも放っておいてくれなさそうだわ」
「はわっ!? そ、そそそ、そういえば、エリーさん、ティアのこともライバルって……? ご、五級に昇級したばっかりなのに、お相手が務まるでしょうかぁあ!?」
「大丈夫よ、収穫祭に武闘会はないもの。エリーだったら、武闘会にも舞踏会にも参加しちゃいそうではあるけどね」
フィーユが視線を前方へ戻す。
俺も、僅かに顎を上げた。
周辺の魔糸環境が明確に変わった。碧色と橙色の上質な魔糸が、一反の布を織るように美しく絡み合い、調和している。
なんて清らかな空気なんだろう。
すぐに木々の狭間から、透き通った清水を湛えた泉が現れた。何者かの意図によるかのように、綺麗な円形をしている。
「はい、到着っ!
ここが目的地……人呼んで『祈望の泉』」
「『祈望の泉』……初めて聞く名前だ。水属性と地属性、2つの魔糸が見事に共存しているようだけど、由来に関係が……?」
フィーユが振り返る。後ろで手を組んで、頬を仄かに赤く染めてにっこり。周囲をひらひらと淡色の翅の蝶が舞っている……幼馴染が、まるで妖精みたいだ。
「ご名答! ここはね、『橙地』ヴラッドレア様が、水属性魔法の使い手だった奥様と、永遠の愛を誓い合った場所だと言われているの」
「最古の英雄」ヴラッドレア様の奥様が、水属性魔法……優れた治癒魔法の使い手であったことは、課題図書に書かれていたので知っている。
だが、流石にどこで婚約を交わしたかまでは……「だと言われている」ということは、事実ではないのかも知れない。今はとても美しい景色が広がっているけれど、終戦して間もない頃の地形が、現在と同様だったとは考えにくい。
「ヴラッドレア様は生涯、誠実な愛を貫かれた。『末永く絆を結ばんと望む者あらば、切なる祈りを捧げよ。さすれば、祈りは天まで届けられよう』……ここには、そんな言い伝えがあるのよ。
絆を結びたい相手は、友達でも仲間でも、家族でも恋人でも……大切な相手なら誰でも構わない、って、割と適当な感じなんだけれどね」
京の母国でいう「パワースポット」みたいなものだろうか?
通常、空気中において魔力濃度は薄く、魔糸は多少の偏りはあれど、複数属性がごちゃっと絡み合って存在している。自然環境下で、複数の色の上質な魔糸が、互いを思い合うように調和しているのは、非常に珍しいケースだ。
祈りが実際に天まで……女神様の元まで届けられるかどうかは定かではないが、ここでひとつの奇跡が起こっていることは事実。事実ならば、縋るには足るのかも知れない。
京の生まれた世界と違って、この世界には魔法がある。それでも、同じように人は神秘に憧れ、同じように奇跡を尊く思う。
「……祈ろうか。何か特別な作法があるのなら、教えて欲しい」
フィーユは、驚いたように翡翠色の瞳を大きくした。一体何に驚いたのだろうと、きょとんとする。
やがてフィーユは、ふっと柔らかな笑みを零して、首を左右に振って見せた。
「泉に面して、目を閉じて、祈るだけ。
本当に、それだけで構わないのよ、って……お母さまは仰っていたわ」
フィーユの、母さんが? それじゃあ、幼馴染にこの場所のことを教えたのは……
「それじゃ、仲良く一列に並んで祈りましょう! 何を祈ったかについては……今はまだ、それぞれの胸の内に秘めておく。そういうルールで良いかしら?」
「はっ、はい、それでお願いしますっ! 今はまだ、く、クロさんにお伝えする、心の準備ができてないですし……!
すうぅ~、はあぁ~……お祈りするときに、心の中で噛んじゃいませんように……」
ティア……前段階の祈りが、見事に胸の外へ漏れ出してしまっている。頬が弛むままに笑って、俺は目を閉じた。
神でありながら神に祈る……何だか不思議な感覚だった。それでも、人として祈った。
どれだけ時が経とうとも、みんなのことを、ずっとずっと、覚えていられますように。
「……悔しいわ」
手を繋いでいるフィーユが、苦笑しながらそう言った。落ちゆく陽が空を、俺の着ているシャツと同じ茜色に染めていく。
「ドキドキさせる、なんて大言壮語もいいところ。私の方が、きみの些細な仕草にドキドキさせられてばかりで……はあっ、修行が足りないわね!」
前を歩くティアが俯いた。帽子の位置を直しながら、耳をしょんぼりと倒している。
デートは、もうじき終わり、なのか。
今日は本当に沢山歩いた、馴染みのある道も、はじめましての道も。故郷を護りたいと願いながら、俺はまだまだ故郷のことを知らない。
「……もっと、2人の笑顔に貢献したかった。俺の方こそ、修行が足りない」
「笑顔に貢献? もしかして、あの『地属性』発言は……ふふっ、もう! 本っ当に分かってないなあ、私の幼馴染は!
……そうね。きみは鈍《にぶ》い人だもの、はっきり言葉にしないと、伝わらないわよね」
……はっきり、言葉に。
俺とフィーユは幼馴染だ。彼女はいつも俺に、はっきり意見を伝えてくれる。そんな彼女にも、俺に秘していることが……?
少しだけ寂しく感じたけれど、すぐに当然のことだと思い直した。
俺が京のことを秘していたように……海よりも深い人心の全てを知り尽くすことなんて、親しい間柄であろうとも叶わない。
それでも。
「もっと知りたい。フィーユのことが」
「……え?」
繋いでいるフィーユの手が、微かに震えた。
「知りたい。ティアのことも、レインのことも。だから傍らで、沢山のことを経験していきたい」
「……ふふ、あははっ! レインくんも同列にしちゃうあたり、本当にクロらしい!
うっかり、またドキドキしちゃったじゃない。きみばっかり、狡いんだから」
フィーユは晴れやかな表情で、まっすぐ前へと視線を向けて、
「大好き」
門柱に凭れかかって2人を待っていたときよりもずっと、俺の鼓動を高鳴らせた。
人を模した偽物かどうかなんて、どうでもよく思えるほどに。
「ここが、本日最後の目的地! ドレスリート邸……つまり、私の家よっ!」
デートの出発地点に戻ってきた。最後の目的地という口振りからして、これにて解散というわけではなさそうだ。
フィーユと一緒にプランを練り練りした筈のティアが、ドレスリート邸の威容をぽかんと見つめてから、小さく首を傾げた。
「あ、あのぉ、フィーユちゃん? でーとぷらんは、クロさんをお家まで送り届けたらおしまい……でしたよね?」
「流石ティアちゃん、2人で話していたプランはその通りよ。だ、け、ど……ふっふっふ~、説明するより実際に見てもらいましょう!
さあ、ティアちゃんもクロも、中に入って入って!」
俺とティアは頭にハテナマークを浮かべたまま、フィーユに背を押されるままに、お屋敷へと足を踏み入れた。
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