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第5章 照り輝く「橙地」の涙雨

85.嵐のようなデート「開幕」

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 最初の目的地である服屋へと移動している最中、俺はフィーユとティアの2人をつぶさに観察することにした。

 レインは、今日俺に実現可能なのは、自分を慮ることだけだと言った。それは勿論実践するとして、他の教えも出来る範囲で活かそうと考えた。少しだけ、悔しかったのは内緒だ。

 まずは、フィーユを見る。
 フィーユは右耳に横髪をかけながら、

「ふう……風が気持ちいい季節になってきたわね、あと一節くらい経てば収穫祭か」

 清水のようなピンクブロンドを、黒いリボンでポニーテールに結い上げている。軽やかに歩くのに合わせて揺れる毛先は、緩く波打たせているらしい。

 服装は、深緑色のワンピース。膝下丈のスカートは大まかなプリーツのあるゆったりとした作りで、腰の位置に焦茶色のベルトを巻いている。活発さを感じさせる普段の格好とはかなり雰囲気が違う……けれど、正面に白いリボンのついた焦茶色のブーツは、靴底が低くて歩きやすそうだ。

 いつもは太腿のホルダーに武器を……風属性の魔石を織り込んだ棒を3つに分解して装備しているのだが、今日は違うらしい。

 それから、化粧。元々が華やかな顔立ちだから薄めではあるけれど、頬に薄く桃色を塗っていることと、唇に朱色のリップを塗っていることが見て取れた。

 次に、ティアを見る。
 ティアは四肢を大きく動かしてのびのびと歩きながら、

「綺麗なお花さん達がしおしお~って枯れちゃうのは、ちょっと悲しいですけど……美味しい命さん達に、いっぱいいっぱい感謝する季節ですよねっ」

 栗色のふわりとしたボブカットに、赤茶色のベレー帽を被っている。うさぎに似た耳が突き出しているので、ティアが自ら穴を開けたのかも知れない。

 服装はクリーム色のベストに、生成色の七分丈のシャツを合わせている。臙脂色のショートパンツから伸びる脚は、細くともしなやかな強さに満ちている。靴はシンプルな作りの黒い布靴で、こちらも動きやすそうだ。

 化粧はしていないようで、何となく安堵した。ショートパンツから小さくもふっとした尻尾が突き出しているのを見て、何となく微笑ましく思った。

 よし、大体の情報は把握できた筈だ。

 彼女達の意図を見定める。そして「具体的に褒める」ことで、1つ目の笑顔を……!

 話が途切れたタイミングで、

「フィーユ」

「っ!
 お、おやおや? どうしたの、クロ? ずっと黙り込んでいたけれど……もしかして、私達の仲睦まじさに嫉妬していたりする?」

 半目になって笑った顔は、フィーユにしては妙にぎこちない。とにかく、否定の意味を込めて首を左右に振る。

「フィーユは……普段は、風属性魔法のように快活で自由奔放な雰囲気を醸し出しているけれど、今日はまるで地属性魔法のように淑やかな印象を受ける。新鮮でありながら、どこか落ち着く。そんな感じで、綺麗だ」

 ティアに視線を移して、

「知っているとは思うが、地属性魔法には主として土砂や岩石を操る『守護』の側面と、植物を操る『生育』の側面がある。今日のティアの服装からは、大地を思わせる色合いに加えて……雪解けの季節に、種が殻を突き破って芽吹き、陽光を享受するかのような活き活きとした印象を受ける。そんな感じで、可愛い」

 俺が抱いた2つの感想には共通点がある。軽く握り込んだ右手を顎に当てて、導き出した意図について改めて思考。うんと頷き、

「今日は2人とも、地属性みたいだ。俺の緊張をなだめてくれて、ありがとう」

 水路を穏やかに潤す流水の音。横を過ぎていった荷馬車の、馬の吐息に木車輪が回る音。家事や仕事の合間に近所の友人と語らう、女性達の賑やかな声。

 そういったカルカの日常の音が、よく聞こえた。沈黙が流れたからだ。

 俺の試みは、成功したし失敗もした。ティアはふにゃっと笑ってくれたのだが、フィーユはむすっと怒ってしまったようで、

「え、えへへ……クロさんから、可愛いって、言ってもらっちゃいました……ティアにはもったいない言葉ですけど、ほっぺが落ちそうなくらいに幸せですぅ……」

「ティアちゃんしっかりして、私達は今、地属性にたとえられたのよ!? お花とかじゃないのよ、地属性なのよ!?」

 フィーユの意図は、違ったということか?

「はっ、ワンピースの緑色……すまない! フィーユはやっぱり風属性に誇りを、」

「ち、が、う、の! 確かに緑色には惹かれがちだけど、魔糸の色は関係ないの! 普段とは違うぞって思って欲しくて! ああっ、でもそれは奇跡的に達成しちゃってるのよね……!?」

 フィーユは眩暈を堪えるように額に手を当てた。おろおろしながらも、桜色の爪に視線が行った。丁寧に切り揃えてあり、艶々だ。細かなところまで配慮が行き届いている。

「あー、もうっ!」

 フィーユはずずいっと俺との距離を詰め、たじろぐ俺の胸に人差し指を突きつけた。

 美貌ゆえに大迫力だ……鋭利になった翡翠色の瞳は、負けず嫌いの導火線に火がついたことをありありと物語っていた。

「緊張をなだめたりなんかしてあげない!
むしろ、お、思い切りドキドキさせてやるわよ! 覚悟しなさいっ!」

「そ、それは困る! 2人を待っている段階で既に充分過ぎるほどドキドキしていたんだ、無事にうちまで辿り着くかと!」

「それ、ドキドキだけど全然違う種類だからね!? もういい、言葉より行動で成果を上げるっ、まずはこっち!」

 フィーユは風属性魔法を使うことなく、歩く速度を2倍へと上昇させた。俺とティアは盛大におろおろしながら彼女を追いかけ……

 はっと息を呑んだ。

「あ、あれは……!?」

 間違いない。あのお店は俺が昨日、この一揃いのデート服を購入した服屋さんだ! 賑やかな通りに面しているとは聞いていたが、まさかここだったなんて!

 今度は俺がフィーユを止めなくては……と思ったのだが。
 ティアが俺の隣にそそそっと近寄り、耳元で囁いた。

「フィーユちゃんと2人で、でーとぷらんを練り練りしたんですよ。あたしはまだお店のこと、あんまりわからないんですけど……フィーユちゃんが、ここの店主さんはお人柄が素敵で、お洋服のご趣味もクロさんにぴったりだからって!

 だ、だから、その……お店に入ったら、きっとフィーユちゃんもにっこりしてくれると思うんです!」

 ティアは頬を赤く染めて、元通りの距離に落ち着いた。
 く、くっ……お人柄が素敵なことは、大変よく分かっているのだけれど……!

 結局、俺はフィーユの笑顔の為、2人の女性に続いて入店した。そして、

「あらまあ、フィーユちゃんじゃないの! いらっしゃい、色々と新しいのを仕立ててありますよ、……あら?」

 カウンターの向こうで店主さんが、服の製作に使うらしい魔導具から顔を上げた。眼鏡の奥、ラピットのようにつぶらで優しい目と、フィーユの背後で縮こまる俺の目が合った。

 駄目だ、燃える、身体が。
 ……? 店主さんが、ウインクを?

「あらあら、とっても可愛いお友達! ゆっくり見ていって頂戴な、お手伝いできることがあれば何でも承りますからね!」

 色々と恥ずかしいけれど、どうやら救われたようだった。
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