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第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし

74.行方

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【フィーユ・ドレスリート】



「こちらフィーユ、状況に変化はないわ。
 ただ、ティアちゃんには仮眠をとってもらっているの、体力の限界だったみたいだから。
 必要ならすぐに起こすわ。用件は何?」

 早口にこちらの状況を伝え、レインくんの返答を待ちながら、私はベッドの方をちらと窺う。

 ティアちゃんは兎の獣人、優れた聴覚の持ち主。応答した私の声は決して小さいものじゃなかった。それでも、目を覚ます様子はない……やっぱり、相当に消耗していたのね。



 4つ目のヒントに関する連絡を終えた後、私とティアちゃんはしばらく互いの意見を交換していた。

 けれど、やっぱり4つ目のヒントの意図が掴めない。レインくんの言った「異端審問」こそが、影の意図したものなの? 「神様が複数存在する」という思想が、影の候補者を絞ることに繋がるの……?

 ふと、言葉が返ってこないことに気づいて、依頼ノートから顔を上げると、ティアちゃんはこくりこくりと船を漕いでいた。

 壁掛け時計に目をやると、時刻はもう午前2時を過ぎていた。
 ティアちゃんはお昼前から、私とクロの到着を待ち続けていたのよね……待つこと程に体力を使う行為はない。優しい子だもの、会議中もずっと、クロの身を案じ続けていたに違いないわ。

「ひゃわっ!? あ、あれ、あれっ!?」

 かくん、と頭が落ちかけたことに驚いて、ティアちゃんは目を覚ました。

 耳が仰反るほどに動揺しながら私の部屋を見回して……私と目が合ったことで、自分が眠りに落ちかけていたことを知ったみたい。たちまち、元々良くなかった顔色が一層蒼白くなった。

「あ、あたしっ……最低、です……!
 クロさんが、つらい思いをなさってるのに……フィーユちゃんも、レインさんも、ケイちゃんさんも頑張ってるのに……あたし一人だけ、居眠り、するなんて……ッ!」

 両膝の上で拳を固めて、酷く思い詰めた眼差し。

 このままじゃ魔糸に支障を来す。とにかく自己嫌悪を止めて、そして一旦、休んでもらうべきだわ。事態が膠着している今だからこそ。

「……あのね、ティアちゃん。
 実は、私も眠かったのよ。体力には自信があるんだけれど……それでも、今日はあちこち駆け回ったし、クロのことが心配で堪らなくて。早く助けてあげなきゃって……ずっと、思い続けているわ」

 頬とは対照的に赤くなった目が、私を見つめる。

「あたしと、一緒……で、でもフィーユちゃんは、ちゃんと起きて、一生懸命考えて……ううっ、一緒のはず、なのにぃ……」

「でもね! 今は全然、眠くないのよ。
 そう……何故なら、私はッ!」

 高らかに声を上げ、右手の拳で自分の胸を打った。自分で言うのもあれだけど、弾力がばいーんと……ほ、本当にどうでもいいわっ!

「こういうこともあろうかと、ばっちり習得しているのよ……厄介な眠気を、綺麗さっぱり消し去る魔法をねっ!!」

「ふえぇええっ!? そ、そんなっ……フィーユちゃん、流石過ぎますぅぅう!
 あ、あのっ! 情けなくて駄目駄目で、本当に本当に申し訳ないんですけど……フィーユちゃんさえよろしければ、あたしにも、その魔法を……!」

 ティアちゃんは琥珀色の瞳を輝かせて、身を乗り出した。私は、吐いた嘘の重みで目蓋を伏せる。

「ごめんね、この魔法で消せるのは自分の眠気だけなのよ。だから、ティアちゃんは次の……最後のヒントが来てからしっかり頭を働かせる為に、ベッドで休んだ方がいいわ。

 私だってこの魔法がなければ、きっと眠ってしまっていたもの……休めるときに休んでおくのが登録戦闘員の鉄則。ね?」

 そう首を傾けて見せた。
 ティアちゃんはそれでも躊躇われたようで、

「最後の、ヒントのため……
 でも、ティアだけ……むむむ、むむむぅ……」

 そう、小さく唸っていたけれど。やがて顎を引くようにして、小さく小さく頷いてくれた。

「女神様、どうか夢の中でティアに、クロさんの居場所を、教えてください……」

 私がブランケットをかけてあげると、ティアちゃんはそう祈りながら目を閉じて……すうすうと、可愛らしい寝息を立てはじめた。

 一人、依頼ノートを見つめる。

 唇へと運んだカップの中身は、先程シオンが淹れてくれたブラックのままのコーヒー。

 私達はまだ負けていない、シオンは事情に気づいていない。だけど、私達が思い切り夜更かしするつもりだってことは、簡単に見抜いたみたい。自らの鋭さを警戒した彼女は、扉の前で、私にコーヒーカップを載せたお盆を手渡して去っていったの。

「ヒントは、次で、終わり……」

 靴を脱ぐ。椅子の上で、両膝を曲げて小さくなる。依頼ノートをぐいと顔に寄せる。

 ヒントを全て呈示したら、影はすぐに標的の殺害に取りかかるかも知れない。標的が殺害されれば私達の負け、クロも失うことになる……最悪の結末、だわ。

 怖くて、たまらない。

 クロのお母様は、やっぱりクロの身を案じていた。「クロはレインくんと魔導学について夜通し議論したいらしい、明日には戻ると思う」と嘘を吐くと、「あらあら」って眉を下げて微笑して、安心してくれたみたいだった。影には、見えなかった。

 お父様もお母様も、いつも通り就寝なさったのをこの眼で確認した。
 シオンだって、偽物だとは思えない。

 行方不明になった『碧水』様を除けば、リストに記された候補者は、薬屋の店主ご夫婦だけになる。

 遅い時間だったから直接はお会いできていない。けれど、開いた窓から灯りとともに漏れ出していた、和やかな会話を聞く限り、疑わしいとは言えない……。

 一体、誰が偽物なの?
 それとも、この中の誰でもないの?

 レインくんはもう答えに辿り着いている、何となくそんな予感がした。
 私達には、教えてくれなかったけれど。

「……しっかり、しなきゃ」

 一度、依頼ノートを閉じた。

 丁度そのときだった。レインくんからの通信を報せる、赤が煌々と点ったのは。

 心臓が、口から飛び出しそうな程に高く跳ねた。

 通信を待っていたのか、来ないで欲しいと願っていたのか、自分の気持ちさえもわからない。それでも、すぐさまボタンを押した。





『ティアちゃんは、そのまま寝かせてあげてくれ。ヒントが届いたわけじゃない、ただ、客観的な意見を聞きたかっただけだから』

 安堵にか落胆にか、長く溜息を吐いた。

 というか、客観的って。私達も主観に入れなさいよ! 
 ……文句を言っても仕方ないわよね。レインくんも私達と同じ、クロの為に悩んでくれているんだもの。

「それはつまり、影の正体に迫るための意見、という認識で構わない?」

『ああ、それでいい。あまり深く悩まずに、オレの質問に答えて欲しい。
 フィーユちゃん。もしも……たとえば夢の中で、その……君だけの神様に一目会うことが叶ったら、君は、その存在を何て呼ぶ?』

 ぽかんと口を開け、3秒ほど忙しなくまばたきを繰り返した。

 とんでもなく間抜けな顔をしていたに違いない。いつ天井からクロが降ってきても構わないように、表情を引き締める。

 私だけの、神様?

「深く悩まずにって、きみは言うけど……私だけの神様っていうのは、ケラス教が信仰している女神様のこと?
 それとも言葉通り、本当に私一人だけが認識できる……リーゲネス聖堂の魔糸向鑑定術師さんの思想に基づいた、女神様とは別に複数存在する神様のこと?」

『え、…………』

 ……あれ? 反応が、返ってこない?
 考え込んでいるだけかしら。でも、そんなに頭を悩ませるような質問を言ったつもりは……

「レインくん?」

 呼んでみたけど、やっぱり反応がない。
 ひとつの嫌な予感。依頼ノートがばさっと床に落ちるのも構わずに、通信機を耳に押し当ててみる。

 全くの、無音……

 う、嘘、もしかして壊れた!? どっどうしよう、焦りすぎて、通信開始のときにボタンを強めに押しちゃったのかしら……!? 鍛えてきたことが裏目に出るなんて……!!

「ちょっと、レインくん!? レーイーンーくーん!? 登録番号4201、レイン・ミジャーレくーん!? 聞こえてるなら返事しなさい、お願いだからーっ!」

 このタイミングで壊れるなんて、絶対駄目~!
 そんな想いを乗せて、通信機に向かって叫ぶ……と、

『……あ、悪い。ケイさんが……四肢をべたっとテーブルにつけて、液状化ラピットみたいになってたもんだから、そっちに気を取られてた』

「流石に騙されないわよ!? もう、びっくりさせないでよね!?」

『さっきの2択だが、後者にしようか。
 ケラス教で唯一神とされている女神じゃない、全く別の一柱だ』

 う~ん……抑揚の乏しい声といい、この女性に対する投げやりな態度といい、この人、本当にレインくん?

 だけど影だとしたら、その人物らしくない言動は避ける筈だわ。
 向こうにはケイさんもいるわけだし……。

 受付嬢として鍛えた声帯を駆使したせいで、ティアちゃんも目が覚めちゃったみたい。むくりと上体を起こして、ぼんやりした表情で前後にゆらゆらしている。「あれぇ……クロさんは……?」と呟いたのが聞こえたけれど、クロの夢を……?

 と、とにかく、私の意見を伝えておきましょう。
 ゲームの勝利に繋がると信じて。

「そうね、それなら……私は熱心ではないけれど、両親同様ケラス教の信徒だし、女神様とはお呼びできないから……女神様と区別するためにも、お名前でお呼びすると思うわ」

『……名前?』

「ええ、その神様にもお名前があるでしょう?
 あっ、でも……『私だけの』なんだから、私が呼ぶお名前が、そのままお名前になるのかしら?」

 レインくんは、再び黙り込んだ。

 流石に二度も通信機の頑丈さを疑ったりしないわ、とっても丁寧に扱ってるわけだし。

 返事を催促しようと唇を開いた途端に、

『ははっ……あははははは! くくっ、ふっ、はは、ははは、あはははっ……!』

「…………」

 思わず天を仰いだ。壊れているのはどうやら通信機じゃなくて、レインくんの方だったみたい。

「あ、あのぉ……ふぃ、フィーユちゃん? 今、レインさんとケイちゃんさんと、お話されてる最中、なんですよね……?」

 状況にそぐわない笑い声に、ティアちゃんの眠気も覚めたみたい。怯えた表情で、恐る恐る歩み寄ってきた。夜更かしのせいもあって、私の方も頭痛がしてきたわ……。

「……ええ。その筈、なんだけれど」

 レインくんは、込み上げて仕方ないらしい「得体の知れない」笑いを何とか抑えて、

『はあ、……悪い。感謝するよフィーユちゃん、オレ一人じゃ詰んでいたかも知れない。少なくとも、ここまで早く正答には至らなかっただろう。

 どうやらティアちゃんも目を覚ましたみたいだね、声が聞こえたよ。全員揃ったわけだ、こいつは丁度いい』

 もう。本当に本当に本っ当に、厄介な人!

「やっぱり、もう影の居場所を突き止めていたのね……その様子じゃ、最後のヒントも既に呈示されているんでしょう?
 今からその正体について、華麗なる推理を披露するつもりなのかしら?」

『まさか、そんな時間は残されていないさ。
 今から行うのは、影の指名だ』

 私とティアちゃんは、ほぼ同時に息を呑んで、ほぼ同時にお互いの顔を見合わせた。

『注意事項。指を差すのはオレ一人、君達は決して指を差してはいけない。ただ声を合わせて、指名時の台詞を読み上げてくれ。今から言う「固有名詞」を例の場所に当て嵌めて……ね』

 勝敗を分つ決断のときは、唐突に訪れた。

 「固有名詞」、影の化けた偽物。
 自室にいる筈のレインくんだけが、指し示すことができる存在だとしたら。

 ケイさんしか、いない……

『どうか、オレを信じて。
 オレ達4人……それと、うちの大将。人間どもを嘲り笑っていた「黒虚」サマを、「お望み通り」日陰から引き摺り出してやるよ』

 ……4人?
 ケイさんじゃ、ない?

 口から外へ出られなかった心臓が、刺々しく暴れ回っている。宥めるように胸に手を当てて、耳を澄ます。

『このゲームにおける影、その名前は……』







 冗談のような答えだった。
 直前の異変と言い、戯れているとしか思えなかった。

 それでも私がレインくんの指示に従えたのは、隣にティアちゃんがいてくれたから。

「し、信じましょう、フィーユちゃん!
 信じたい方を、信じて……あたし達みんなで、勝ちましょう!」

 琥珀色の、力強い眼差し。
 疲弊し切って互いに眠気を覚える程に、ともに思考を重ねたティアちゃんだからこそ、信じることができた。

 私とティアちゃんはぎゅっと手を握り合って、女神様に祈りながら、声を合わせて「答え」を唱えた。

 正直なところ……私達は指名を行った後も、深い霧の中に残されたままだった。真相を手元に引き寄せることができずにいた。

 レインくんの部屋で起こった全てについて知ったのは、まだ少し後のこと。

 通信機が今度こそ応答しないのを確かめて、まだ日の昇らない街に飛び出して……

 彼と、再会を果たした後のことだった。
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