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第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし

68.しんじて?

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【5級に昇級した、兎の獣人娘】



「私が先に済ませるわ。絶対に『黒虚』には再現できない……フィーユ・ドレスリートもまた本物だって信用せざるを得ない魔法、見せてあげる!」

 フィーユちゃんが凛々しく前に進み出たので、あたしはそっと手を放します。フィーユちゃんはあたしに優しく微笑んで「ありがと」と囁きました。胸がどきっと高鳴るほどお綺麗です!

 あたしの隣には、入れ替わるようにレインさんが立って、

「ケイさん、ティアちゃんの出番が控えてるんで、こっちに戻ってきてください」

『えっ? えっ、わあ~!』

 長い指でケイちゃんさんをひょいとつまんで、ご自身の肩に戻しました。ケイちゃんさんは摘まれている間に小さな4本の足をばたばたされていて、申し訳ないのですが、可愛いなあと思ってしまいました……本当にごめんなさいぃぃ!

 フィーユちゃんはその間に、武器を組み立て終えていました。夜闇の中で、翠色の魔石の粒が星みたいに輝く棒……それを身体の軸と並行に構えて、あたしもよく覚えている魔法陣を足元に構築します。

 魔法陣の上に巻き起こる、疾風。棒の先端に翠色の風刃を作って、波打つピンクブロンドを少しだけ切り取ります。

 そしてその髪を上昇気流に委ねて、

「めぇ~!」

 上空にそっくりそのまま写された魔法陣……翠光のゲートを潜り抜けて、特大ラピットのズッピーさんがすぽーんと!

 くるりと旋回してから、ズッピーさんは契約者さんに寄り添うように降り立ちました。そのふかふかの体毛に、フィーユちゃんは少しの間、じっとお顔を埋めていました。

 ズッピーさんはつぶらな黒い瞳を細くして、レインさんの肩に乗った、ケイちゃんさんを見つめています。

『ぼ、僕はご飯じゃないよ……!?』

 ケイちゃんさんはズッピーさんの眼差しが怖かったみたいです。のちのちと横歩きでレインさんの首に近づきました。レインさんはお嫌そうに斜め前へ首を倒しながら、

「ラピットは草食動物なんで、アンタがうっかりご飯の草に紛れでもしない限りは食いませんよ。通常サイズじゃないもの同士、思うところがあるんじゃないですか?」

 あたしも兎の獣人なので、ラピットさんには親近感を覚えています。

 だから何となく感じたのですが……ズッピーさんは、あたし達には見えない何かを見ている、ような?

 ズッピーさんからお顔を離したフィーユちゃんは、左手でズッピーさんを撫で撫でしながら、棒の石突で地面をどんと突きました。

「オウゼでの作戦中に召喚したズッピーよ。
 ほら、この尻尾を刮目して! くるんと円を描くように丸まっているでしょう? 流石に、ここまで細かく真似ることはできない筈だわ……まだ疑わしいなら、触ってもらっても構わないわよ?」

「めぇ~?」

 構わないわよ? とばかりにズッピーさんが方向転換、真横を向きます。ズッピーさんは女の子なんです。

「…………、」

 暗くてよく見えないのでしょうか、レインさんは垂れ気味の目を細めて、

「ああ~! 尻尾がくるんとね、なるほど~……ティアちゃん、間違いないかい?」

「はいっ! 尻尾がくるんとしてるのも、お耳の先がほんのりまるっとしてるのも、前回お会いしたときと同じ……メメリカちゃんの結界の中でお世話になった、ズッピーさんで間違いありませんっ!」

 折角触ってみても構わないとのことだったので、あたしは念のため、ズッピーさんを撫で撫でしてみました。

 こ、これは! 冬の寒さの中であたためてくれて、暖かい夏でさえも撫で撫でする手が止まらなくなる、極上ふっかふかの毛並み……!

「絶対、絶対、間違いないですっ!」

「いやあ~、それなら安心だなあ~。
 ……ま。召喚魔法を出されたら、流石のオレも疑いようがないよ」

「そうでしょう? ふっふ~ん」

 フィーユちゃんは誇らしげに、ご立派過ぎるお胸を張りました。笑わないように努めているみたいですが、口元はとっても嬉しそうです。

 それからフィーユちゃんは、ズッピーさんをぎゅっと抱きしめました。

「ありがとう。夜遅くに呼んじゃってごめんね、今度美味しい果物をあげるわ」

 召喚魔法には代償が必要です。その代償は、呼び出す相手が強力になるほど大きく、重くなるそうです。フィーユちゃんはズッピーさんを呼び出すときに、綺麗な髪を少しだけ切ってプレゼントしています。

 オウゼのお宿にお泊まりしたときに、フィーユちゃんはとっても丁寧に髪のお手入れをしていて、あたしにもお手入れ方法を少し教えてくれたんです。

 そのとき、あたし知りました。フィーユちゃんがお綺麗なのは、勿論生まれ持った美貌のためでもありますが、毎日頑張ってお手入れしているからでもあるんだなって。

 登録戦闘員としても事務員としてもお仕事をこなしながら、一人の女性としてもきらきらしてる……フィーユちゃんは本当に本当に、憧れの存在で。

 その。だからこそ、なんですけど……

 果物と聞いたズッピーさんは大喜びで、翠色の光になってお帰りになるまで、4本の足をその場でふみふみしていました。だからお呼びするときに、髪の代わりに果物をあげられたらいいのにな……って、ちょっぴり思ってしまいました。

「さて、フィナーレを務めるのはティアちゃんだ。なるべく地形を変化させないやつで頼むよ、許可貰ったとはいえ大家さんに怒られちまうから」

「はわぁ!? は、ははははいぃっ!」

 気をつけなきゃ、気をつけなきゃ……!
 そ、それに、人前で魔法を使うのはやっぱり緊張しちゃう……!

 あたしは『地属性入門』というタイトルの魔導書を少しずつ読んでいる最中で、扱えるのはまだ、おばあちゃん先生から教わった魔法だけです。

 駄目駄目なあたしに扱えるくらいですから、もしかすると、『彩付き』の凄い魔導士さんなら、簡単に真似できちゃうのかも知れません。

 でも、あたしはあたしの魔法だけで、信じてもらうしかない……だったら!

 ぎこちない足取りで前へ出て、すうぅ~はあぁ~と深呼吸しました。

 宝物のブローチはポケットの中。
 大丈夫、目を閉じて。思い浮かべるのは灰色の空の下、アンゼルの廃棄エリア……

『さあ。
 今日も踊ってみせて、あたくしの愛弟子』

 はい、おばあちゃん先生。
 クロさんの、ために!





【ベルスファリカ・リグ・ラーヴェル】



 地属性の魔法は、地形に影響を及ぼす。

 大地の亀裂、隆起や陥没。植物の成長促進や創造。水属性と同様に、土地の豊穣と密接な関連性を持つがゆえ、戦場よりも耕作地をはじめとした生活に近しい場で重宝される。

 戦場における地属性について語るなら、7属性のうち、最も防御性能に優れると言われている。それを象徴するのが各種結界の硬度であり、熟練度次第では炎属性の攻魔導士をも相手取れる。『紅炎』は知らねえけど。

 攻撃もこなせるが……究めれば究めるほどに、地魔導士はその攻撃性能において、2つの問題点に直面することになる。

 第一に、屋内では真価を発揮できない。滅茶苦茶にぶっ壊しても構わねえ建物内じゃねえ限り、攻撃魔法を著しく制限される。

 第二に、一定以上の高度を飛行する敵に対しては攻撃手段がほぼ皆無で、無理に攻撃しようとすれば魔力を大量に消耗することになる。ゆえに空中戦には滅法弱い。対抗するには天馬騎士隊や風魔導士が必須となる。

 現在、王国には『橙地』ロッゲンシュガルト様がいる。彼は現役の騎士であり……実家が、何かと世話になっているお方だ。

 それはさておき。要するに、基本的には「護り、育む」ための魔法なわけだ。
 彼女ほど、相応しい使い手はいない。 



 ティアちゃんは目を閉じた。その時点で、彼女が何をしようとしているのかは明白だった。

 防御結界の展開から始まり……愛らしく舞踏しているようだが、ぴょんという一飛びから指先の角度に至るまで、一切が計算され尽くした動作。

 戦士と呼ぶには華奢すぎる身体に添って流れる、橙色の魔糸がその証。

「ティアちゃんの魔法、ちゃんと見るのは初めて……なんて精密な構築理論なの……!?」

 そう。ひとつひとつの動きが、魔法陣を構成する線と同等の意味を持っている。彼女の一族が時間をかけて築き上げていった体系なのかも知れない。これを一代で完成させたとしたら『転生者』レベルの怪物だ。

 ……まあ、使い手が努力家でもあり、天才でもあるから成立してるんだろうが。

「これって、一連の魔法なの? 複数の魔法発動が、最終的にひとつの高威力魔法を発動させるための布石……とか? でも、地属性魔法で大技となると……」

 フィーユちゃんが混乱するのも無理はない。

 ティアちゃんは、フィーユちゃんに信じてもらおうとは露ほども考えていない。何故なら、フィーユちゃんは彼女の魔法を「ちゃんと見るのは初めて」だから。

 だから、とにかくオレの信用を勝ち取ることに狙いを定めた。その方法として導き出したのは……

「フィーユちゃん。オレ達がカイグルス・ガレッツェとやり合った時のこと、覚えてるかい?」

 フィーユちゃんが視界の端で、オレに見える方の頬を膨らませてムッとする。

「よーく覚えているわ。きみが今回の敵みたいに、クロを賞品扱いしたときのことでしょう? 確か実際に戦ったのはきみと、……え?
 まさか、そんな……う、嘘でしょう!?」

「察しがいいよな、君と話すのは本当に楽だ。
 ……ティアちゃんが今、やってるのは、」

 オレが特殊視野によって見ていた、アンゼルでの『紫影』との戦闘における立ち回りを、最初から最後までほぼ完全に再現するということ。

 完全じゃないのは、オレが最初に「地形を変えないでくれ」と頼んだからだ。

 彼女はあの時、灰の中から植物を芽吹かせる魔法を織り込んでいた。地形の破壊を回避するため、どうやらダミーの動きを挟むことで、魔法の発動を回避しているらしい。

 ティアちゃんは耳が良い。だから声に出すのは控えるが……こんなもん、凡庸な記憶力の持主じゃ、覚えていられるわけがないだろうに。

 まさしく、フィナーレに相応しい演目だ。

 実に惜しいが、オレは拍手を贈ることでティアちゃんのダンスを中断させた。

 時間が止まったように四肢を硬直させ、きょとんとした表情をこちらに向けた彼女に告げる。

「充分だ、君を信じる」

 ティアちゃんは琥珀色の瞳を輝かせて破顔し、

「あっ、あああありがとうございまっ、ひゃわぁぁぁああ!?」

 安堵したことで身体の力が抜けたのか、それまでの見事な舞が嘘だったかのように、バランスを崩して盛大に転倒した。
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