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第4章 悠久を渡る「黒虚」の暇つぶし

66.うたがって

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【ティルダー領カルカの名士、
 ドレスリート家の令嬢】



「まずは、勝敗条件についてまとめておきましょうか。ティアちゃん、お願いできるかい?」

 レインくんが、フルーツサラダを取り皿に盛り付けてから提案する。

 ティアちゃんは、はむはむと懸命に……小動物のような愛らしさで齧り続けていたサンドイッチをお皿に置いて、顔の横にぴしっと右手を上げた。

「はいっ、お願いされます!

 ええっと……光陣営あたしたちは制限時間以内にラウラさんを決められた方法で指名できたら勝ち。
 影さんは光陣営に見つかるまでに『標的』さんを、その……たっ、倒しちゃったら勝ち。

 それ以外の、負けになっちゃう条件は……まず光陣営は、5人以上の方にこのゲームについて知られちゃうと負け。

 影さんは、クロさんに直接タッチするか……ヒントに嘘を混ぜたり、全然関係ない情報をそのままヒントにしたら負けになる……でした、よね?」

 ロペイル牛のシチューを掬いながら思う。

 相変わらず物凄い記憶力だわ。私のノートを一切見ずに、情報を余すことなく適切に整理整頓できるんだもの。

「ありがとう、ティアちゃん。
 つまりオレ達が勝つには影を特定するか、『黒虚』がクロニアに触れなきゃいけねえ状況を作り出す必要があるわけだ。

 で。どうやらこのゲームにおいては、任意のタイミングで追加されていくヒントが、ルールと同等の価値を持つらしい。恐らくは、こちらがヒント内容を全て把握するまでは、真相に辿り着けない仕掛けだ」

「ヒント3で、ルールだけじゃなく、ヒントの文面もよく咀嚼するよう強調しているわね……ヒントが呈示される度に、影の候補者が絞られていくのかしら?」

「多分ね。それを示すように、ヒント1と2ではかなり直接的な情報提供を行なっている。ヒント1ではクロニア本人に化けている可能性を除外し、ヒント2ではごく身近に答えがあると示唆している」

 ごく身近、ね。

 曖昧な表現ではある。けれど「カルカを居住地とする誰か」より、変装先の範囲は格段に狭まっている。それに、推理によって答えを導き出すことを求めているんだもの……少なくともここにいる4人のうち誰かと、密接な関係を持つ相手の筈。そうじゃなきゃ、アンフェアだわ。

 ほろりと崩れる牛肉を咀嚼しながら、脳内で候補者を挙げていく。

 クロのお母様。私の両親と、シオンをはじめとするドレスリート家の使用人のみんな。レインくん、ティアちゃんが借りている仮住まいの大家さん。喫茶店「鈴の小道」を営むハーバルさん。それにギルド職員も、かしら。うーん……

 私は牛肉を飲み下してから溜息を吐いた。

「駄目、候補になる人が多すぎる。4つ目のヒントはまだかしら……そもそも、ヒントは一体幾つまで用意されているの?」

 レインくんは、見ているだけで甘酸っぱいブルーベリーをフォークで器用に突き刺して、

「クロニアの関係者であることは確実なんだが、指名にはまだ遠いな」

 思わず、目を瞠った。

 薄い唇を細く開いて、ブルーベリーを口内に入れようとしていたレインくんは、私の視線に気づいて一旦フォークを下ろした。

「……また何か、失言しちまったかな?」

「違うわよ、驚いただけ。どうしてクロの関係者だって確信できるの? ヒント2からわかるのは、私達に身近な人だってことだけ、でしょう?」

「『陽光から逃げるように伸びる、影』」

 ヒント1の一文?
 陽光から逃げるように影が伸びるのは、当然のことで……あっ、そういうことか!

「相手は『黒虚』、魔導学に精通している……魔導学では『陽光』も炎属性の範疇。この文面でいう影は、『紅炎』の光を浴びることで作られたものと推測できる。だから、クロの周辺に絞れるのね?」

「その通り、流石はカルカギルドが誇る才媛だね。
 そうだ、今度はフィーユちゃんにお願いしたい。アルテドット家周辺に暮らす人々の中から、クロニアと密接な交流があった人物をリストアップしてくれないか?」

 陽光を浴びるだけなら言葉を交わす必要さえもない。けれど真実は「傍ら」、ごく身近に在る。

 だとすると……

 手元に空けておいたスペースにノートを戻す。最上段に「『影』候補者リスト」と書いて、思いつく限りを記していく。

『クロのお母様』
『ドレスリート家、当主夫妻』
『ドレスリート家、侍女のシオン』
『薬屋の店主ご夫妻(交代でお店番をしている)』

 ……すぐに、ペン先が止まった。

 焦燥感とは別に、胸をきゅっと締め付けるような感覚があった。成人を迎えてギルドに入会するまで、クロの世界ってこんなに狭かったんだ。

 6歳になるまでは、一緒にカルカの中央商店街へ遊びに行ったりもした。けれどクロが「碧水」サリヤ様と修行を始めてからは、隣家である私のお家に来てくれることさえ少なくなって。元々クロは内気な性格、れん、……交友関係は私が独占していたに等しい。

『「碧水」サリヤ・スティンゲール』

 行方不明になられた方、だけれど。
 最後にその名前を記して、私はリストをみんなに公開した。

「……世間知らずにもなるわけだ。
 まあ、疑う相手が少なくて助かりますけど」

 レインくんは小さく呟いた。そして一旦目を閉じて、何かを振り払うように頭を軽く左右に振った。

 目を開くなり、レインくんはケイさんに視線を落とし、その口元をナプキンで拭った。ケイさんは私達の会話に耳を傾けながら、レインくんが小皿に置いた、自分の顔のサイズより大きい苺をしゃくしゃくと齧っていて……私のノートを見上げたその口元は、果汁で真っ赤になっていたから。

「アンタから付け足すことはありませんか?」

『う、うん。特にないよ』

「わかりました、確認どうも。
 じゃあフィーユちゃん、お手数だがその下に、オレが今から言う名前を書き足していってくれ」

 レインくんには付け足すことがある、のね。

 私は唇を引き結んで頷き、筆記の態勢を取る。レインくんはいつもと変わらない滑らかな弁舌で、

「ベルスファリカ・リグ・ラーヴェル」

 一瞬。呼吸さえも、忘れた。

 唖然として、正面に座る仲間の顔を見上げた。どんな顔をして、そんな……馬鹿げたことを言っているのかと。

 道化の顔じゃ、ない。口元は微笑んでいるけれど、雷霆の色を映した瞳は全く笑っていなかった。

「…………本気、なの?」

 影がここにいる誰かのフリをしている……きみは本気で、その可能性があると疑っているの?

「『仲間』の危機なんだぜ。こんな緊迫した状況下で、冗談なんて言う筈ないだろ?」

 答えはイエス、だった。

 この人が「仲間」と口にするときにはいつも、お芝居の台詞みたいだと思う。わざとらしい訳ではないけれど、どこか……ちゃんと意味を理解できていない異国の言葉を無理して使っている、みたいな。

 動揺を飲み下そうとグラスを呷った。咥内に落ちてようやく、自分が林檎ジュースを選んだんだと知った。

 前髪で表情を隠すように、深く項垂れて、

『ベルスファリカ・リグ・ラーヴェル』

 レインくんが続けた名前を、感情を押し殺して下へ下へと書き連ねる。

『フィーユ・ドレスリート』
『ティア』
『フジカワケイ』

「う、ううぅ~……あ、あたし達にも、影の候補者さん……に、にににっ、偽物さんの可能性があるって、ことですよね……?」

「悪いが、発言を撤回するつもりはないよ。オレだって疑いたくはないが……どうか落ち着いて、冷静に考えてみて欲しい。

 オレ達はフジカワケイの意志によって、光陣営のプレイヤーとして選ばれた。自惚れてるわけじゃねえが、オレ達ほど『条件』を満たす集まりは他にない。

 それに、オレ達が勝利条件ではなく、敗北条件を満たした場合にも都合がいい。オレ達が散り散りにならない限りは……影ではない相手を誤って指名したとしても、他の人間にうっかりゲームのことを喋っちまったとしても……すぐに把握して、勝敗の宣言に移れるだろう?」

 反論として真っ先に思い浮かんだのは、虚属性魔法だった。

 クロは空飛ぶ眼球を生み出し、それと視覚を共有して、遠くの様子を偵察する魔法を習得している。『黒虚』もそうやって、離れた場所にいながら私達の様子を監視しているのかも知れない。

 だけど、あくまでも可能性の話に過ぎない。
 ……彼自身の、主張も。

 レインくんはルールとヒント、そして、それらの情報から推理できることを信じている。

 監視方法については、ルールにもヒントにも明記されておらず、私の思考の追いつく限りでは、可能性を絞ることさえ難しい曖昧な領域。

 彼が重視しているのはきっと、私達4人が全員、影の変装先としての条件を満たしていることだけ。敗北条件に関する主張はフェイク。次の行動を促す為に、『仲間』の心理を揺さぶっているんだ。

 ……皮肉ね。
 そんなスタンスがどうしようもなく、ベルスファリカ・リグ・ラーヴェルという人間らしいと思う、なんて。

「……きみのスタンスはよくわかったわ。私達はどうやら、自分自身の潔白を証明しないといけないみたい。
 その前に聞かせて。影はまだ標的を殺さないって、きみが確信しているのは何故なの?」

 レインくんは、食事は充分とばかりに、自らのカトラリーの位置を整えた。

「目的は、あくまでもクロニアに在る。

 だが、わざわざめんどくせえルールを拵えて、自分の行動にさえ制限を設けている。『黒虚』は虐殺がしたいわけじゃない。思いつく限りの公正な場を用意して、オレ達と遊びたいのさ。

 ヒントは3で終わりじゃない。このゲームにおけるヒントの性質上、用意した分が全て披露されるまでは、終わらせやしない。たとえ標的が『今すぐ』『簡単に』殺害できる相手だろうとね」
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