上 下
49 / 89
第3章 明日を願う「白氷」の絶唱

49.『転生者』と

しおりを挟む

 魔糸掌握。焦点へ統制。
 目を閉じ、右手を前方へ。

 バラバラの方角を向いてひしめき合っている白い糸。そこに、俺の紅色の魔糸を介入させる。

 ここまで統制されていない魔力……初対面の相手だ。先の先まで研ぎ澄まされた師匠の魔糸に慣れている身としては、ノイズだらけその姿に、少々肌が粟立つ。

 だから、代わりに整える。

 今はまだ、この模擬結界を破壊し、内部へ侵入する段階ではない。魔導士に気づかれない程度の小さな覗き窓を開けて、内部の様子を探る……結界を破壊した際に起こり得る危機を想定する段階だ。

 己の魔糸で誘導し、時に絡め取って、模擬結界のごく一部を魔法として正しき形へ。

 一部でもこうして時間をかけなければならないのだ、侵入するためにはやはり強引に破らなければ。

 ……うん。吹雪で白く濁っていた模擬結界に、手のひら大の丸い覗き穴ができた。

 白き魔力の極めて希薄になった、その部分に手を当てる。「大禍」の核の場所を探り当てるために用いた魔法……紅翼の生えた眼球を、結界の内側にぽこんと生み出す。

 再び目を閉じ、視覚共有。
 飛行する眼球が、俺の目になってくれる。

 まず、最も壁に近い周辺の様子を見回す。

 確かに雪は降っている。だが、俺達が外側から見ていた猛吹雪はフェイク。上空の雪雲からは、ふわりとした綿雪がしんしんと降っている。

 「事実として白い」エリアを舐めるように低く飛び、斜面を駆け上がっていく。鮮やかな緑のままに、雪化粧した植物たち。上へと登るごとに雪は減り、ある高度に達したとき完全に消えた。

 上空に滞っていた雲はない。しかし、模擬結界に守られた空はただ白い。

 メメリカさんの他にも人がいるかも知れない。用心しながらあちこちへ眼球を飛ばして、注視してみると。雪はないが、そこにある全てが薄く透明な氷に覆われていることがわかった。

 強大な魔力を持っていようと、人間である限り食事が必要になる。

 雪を生み出し、溶かすことができるならば、水には困らないだろう。加えて、果実を豊かに実らせた木々を見かけた。しかし、これらを摂取して生き繋いでいるのだとしても……栄養不足だ。

 メメリカさんの姿も認めておきたい。だがこのまま近づけば、流石に気配に気づかれてしまうかも知れない。

 結界の天井部分に触れるすれすれまで、高く高く昇る。

 上から、積雪エリアと薄氷エリアの大体の広さを再確認。そして、木々の隙間に目を凝らして……在った。薄氷エリアのほぼ中心地に、雪で作られた建造物が。

 建物の規模から測るに……どうやらここには本当に、メメリカさん一人しかいないようだ。

 偵察は終了。
 結界内部の眼球を消去。

 悪戯書きを消すように、丸い覗き穴を手で拭った。紅色の魔糸は消え、導きを失った白色の魔糸は、他の部分と同様に乱れ始める。

 俺は白壁に一旦、背を向ける。黙って付き添ってくれていたフィーユとともに、偵察結果を抱えてテントへと引き返した。





 夕焼けに染まるオウゼの街へ帰還した俺達は、王国軍が待機する宿へ直行した。

 俺達の手で導き出した答えを、コーラル隊長が告げる。王国軍の方々は大いに驚いたようで、臨時の会議室はざわめきに包まれた。

 だが、その場にいる全員が納得しているようだった。コーラル隊長の理路整然とした説明のおかげだ。

 異常気象、いいや。

 『転生者』メメリカ・アーレンリーフの保護作戦。
 その作戦決行は、明朝。

 小隊の面々には、模擬結界の外で待機してもらうことになった。

 俺は当初の予定通り、敵うだけの火力の炎魔法で以て、模擬結界に人が一人ずつ侵入できる程度の穴を開ける。メメリカさんの負担にならず、結界の外に与える影響を最小限に留めるためだ。

 この穴は、魔導士を兼ねる学者の方達に維持を委ねる。そこから結界外部へ漏れ出す一切への対応は、小隊の方達にお任せする。そして結界内部には、俺達パーティメンバー4人のみが、防寒具を身につけて侵入する。

 王国軍が用意してくれた通信用魔導具の「子機」を4人全員が持つ他、外で待つコーラル隊長が「親機」前で待機し、外部に影響を及ぼし得る異変が起こった場合はすぐに連絡を取る。

 模擬結界の中には魔物を確認できなかった。ただし、相手は家出少女。他者を拒絶したいという『願い』を、模擬結界という形で実現してしまった相手だ。

 氷属性の魔力で満ちた彼女の領域テリトリーにおいて、俺の隠蔽魔法が意味を成すかの保証はできない。平和的解決がベストではあるが、説得するための席へと黙って通してくれるとは思えない。

 俺は『紅炎』だ。

 メメリカさんが『転生者』ならば……俺のように唐突に前世の記憶を取り戻し、氷属性の強大な魔力を手に入れたんだろう。

 メメリカさんの書置きから、氷属性の魔力の痕跡を感じた。敢えて残す理由が見当たらない以上、そんなふうに物に痕跡を「残してしまう」のは強大な魔力を持つ者だけだ。メメリカさんは魔力を殆ど持っていなかった……普通ならば、こんなことは起こらない。

 だから……彼女が、侵入者を排除しようと願った場合、その『願い』を無理なく相殺できるのは俺一人だろう。

 だが、今回は単独では戦わない。

 フィーユの風魔法も氷属性に有効。それに一人では、戦闘に集中した場合、通信機を使う余裕が無くなる可能性もある。フィーユには俺と共に、メメリカさんの意識を引きつける役割を担ってもらう。

 そしてその隙に、ティアとレインの2人が先へ進む。

 移動についてはフィーユに秘策があるらしく、その秘策でメメリカさんの姿を視認できる距離まで接近。手荒な真似はしたくないけれど、不意を打って彼女を保護してもらう。

 ティアは優れた聴覚で、レインは魔法で強化した視力でメメリカさんを探すことができるし、レインの生み出せる矢の中には、睡眠を促す虚属性の黒矢がある。

 適材適所、というわけだ。

 主を失えば結界は崩壊し、彼女が生み出した氷雪も消えるだろう。万が一それによって何らかの問題が起きた場合には、俺が臨時の結界を張って対応。その後は、学者の皆さんに、結界の維持と観察を引き継ぐことになる。

 作戦において、俺達4人に関わる部分の大筋は、フィーユとレインが考案してくれた。お互いに隙を見せまいとしている2人だけれど、意見を言い合って策を編み上げていく様は……何というか、壮観だった。

 会議の終わりに、作戦内容を記したボードの傍らに立っていたコーラル隊長が勇ましい声で告げる。

「停滞していた事態は、ティルダー領西方支部より駆けつけてくださった登録戦闘員の皆様のお力で、大きく動こうとしています。

 オウゼ町民の皆様の為、そしてメメリカ・アーレンリーフ嬢を『無害』であるまま保護する為……我々王国軍は後方支援が主務となりますが、全員が最良の結果に向けて尽力することを期待します。

 作戦開始まで、自由時間とします。充分な休養をとり、鍛錬は作戦に響かない程度に行うこと。解散!」

「はっ!」

 小隊と調査団の構成員が、声を揃える。

「じゃ~オレ達も行きましょっか、明日に向けて英気を養いに」

「そうね。美味しい食事、のぼせない程度に温泉、心を鎮めて睡眠も充分に!」

「はいっ! 王国軍の皆さんも一緒に頑張ってくださるんです……絶対、絶対、元気をい~っぱい蓄えて、メメリカさんをお助けしましょう!」

 レイン、フィーユ、ティア。3人とも努めて明るく振る舞っているけれど、内心では少なからず緊張しているだろう。俺も同様だ。

 けれど今更、逃げ出したいとは思わない。

 オウゼの人々の歓迎は「紅炎」への期待の表れ。事態は止めることが叶わない速さで走り出した。俺を含め、ここにいる全ての人が生き残るためには、務めを果たす他ない。


 俺は初めて……自分以外の『転生者』と、向かい合うことになる。
しおりを挟む

処理中です...