上 下
44 / 89
第3章 明日を願う「白氷」の絶唱

44.夜空に燃ゆるオウゼの魂

しおりを挟む

「それではオウゼの陽気な町民の皆様!
 参りますよ~、せぇえーのっ!」

 場の中央に立つ、丈の短い朱色のローブを服の上に纏った中年男性。
 その、大音声を合図にして、

「『紅炎』様、いらっしゃいませぇぇぇえ~っ!!」

 翡翠色の馬車を取り囲むように集った老若男女が、声を揃えて「お出迎え」してくれた。

 盛大な拍手。「よっ、噂に違わぬ色男! いやっ、その美貌は噂以上!」「『大禍』を鎮めた英雄様のお姿を拝見できるなんて~!」等々、口々に飛び交う大袈裟な歓声。

 更には、シェールグレイ国内の筈なのに、どこか異国情緒を醸し出す楽器演奏まで始まった。女性たちが手にした楕円形の灯りを仲良く揺らしながら歌い始めたとき、俺は。

 そう。俺は……

「わっ、危ないじゃないですか……ちょ、大将!?」

 馬車の客室内に戻ろうと踵を返したら、俺の次にオウゼの地を踏み締めたレインに、思い切りぶつかりそうになった。

 咄嗟にレインの背後に回り込み、パーティメンバーの中で最も大きいその背中に隠れる。

 裾を掴む手ががたがたと震える……この状況は師匠の500倍怖い。怖すぎて思考が一層単純になっている。

「あの、すみません大将……気持ちはわかりますけど、ここは踏みとどまっていただかないと……」

「ごめん無理だ、明らかに無理だ、無理すぎて最早無理としか言えない、正直一旦カルカに帰りたい、往復すれば流石に覚悟が決まる気がする、もしかしたら無理かも知れないけれど」

 くらくらする……一息に言い切ったせいかも知れないが、血液が顔まで登れずにいるらしい。ここに鏡があったなら、自分の顔が酷く青褪めていることを確認することができるだろう。

「あははは~、びっくりするほどの大歓迎! どうもはじめまして~、『紅炎』とその仲間達で~す! カルカからお仕事に参りました~!

 ……レインくん? この騒ぎもきみの仕業? あまりの迫力にティアちゃんがまだ、馬車から出られていないんだけど?」

 幼馴染が大のつく歓迎に応え、営業スマイルをばっちり決めながら、右手を美貌の横で左右に振る。早くも男性達から視線を集める一方で、仲間の一人に声を抑えて冷ややかに問うた。

「濡れ衣だよ、オレがこういうの好きそうに見えるかい? 確かにオウゼの民のもてなしはシェールグレイで随一と聞いてたが、これは『紅炎』、の……

 は!? 冗談だろ……あの人、こんなところで何を……つーか何だよあのアホな変装は……!?」

 あの人?

 俺はレインの背から半分だけ顔を出して、彼が動揺する理由を探した。先程せーのと言った恰幅の良い男性の隣に、

『不審者だ……』

 と、京さんが呟くほどに怪しい男がいる。

 明らかにカツラだとわかる漆黒の長髪にキャスケット帽を被り、夜だというのに色付きの眼鏡をし。すっと高く整った鼻の下を、これまた明らかに作り物とわかるもじゃもじゃの黒髭で覆っている。

 背は長身のレインより少し高い。他の町民と同様に、朱色のローブを纏ってはいるものの……恐らくは計算して鍛え上げられた、しなやかな筋肉の主張を隠せていない。

 きちんと統制した上で、紫色……雷属性の魔糸を敢えてちらつかせている。戦士としても魔導士としても、相当な手練れだ。

「あっ!」

 ゔっ!?
 真ん中の男性と目が合ってしまった!

「『紅炎』クロニア・アルテドット様! なんと奥ゆかしいお人柄なのでしょう! しかしどうか! どうか、こちらへ! さあ!!」
 
「……アンタに向かって両腕を広げられている、あの溌剌とされた方はオウゼの町長さん、つまり今回の依頼主です。観念して、オレ達4人の代表として挨拶してきてください。その隣の不審者には、何を言われても無視で。ほら、行け」

 レインにぐいと腕を掴まれて前へ出され、更には背中を両手で突き飛ばされて、俺の身体は歓迎の渦の中心に……い、嫌だ!!

 だが町長さんがもう、逃すものかとばかりに逞しい両手で俺の右手をホールド……いや、友好的握手を決めてしまっている。

 そして、刹那にチカチカっとまばゆい光が……も、もしかして写真を撮られているのか!?

「若き魔導の最高峰よ、ようこそオウゼへ! あなた様が悩める我々に手を差し伸べてくださると聞いて、住民一同、心より嬉しく! 恥ずかしながら、わたくしなどは最早、小一時間ほど感涙致しました、ええ!

 それはもう、歓迎、歓迎、大歓迎の精神で以て! あなた様とその素晴らしいお仲間様がご滞在の間は、常より鍛え上げたおもてなしの技を、最大限に発揮したい所存でございます!」

 何か言え……とにかく、声を絞り出せ……

「あ、う……そ、そんな……に、気を遣っていただかなくても、その、だ、大丈夫です……調査に必要な協力だけ、して、いただければ……」

「なんと……! 今のお言葉を聞きましたか、オウゼの陽気な町民の皆様! 奥ゆかしいにも程があるっ、わたくし、再び目頭が熱くなって参りました!」

 高低様々な感嘆の溜息が漏れる……何という一体感だろう。それにしても奇遇だ、俺は目頭どころではなく全身が熱くなってきた。

 レインに無視するよう言われた不審な男性が、その外見からは想像もできない穏やかさでふふっと笑った。

「町長殿。『紅炎』殿は誠に奥ゆかしい御方のようだ。貴殿と、貴殿の陽気な民達の温かな心遣いは、既に充分伝わっておりましょう。名残惜しいことと存じますが、御宿へご案内なされるのは如何か? ふふ……とびきりの『真心』も、今か今かと待ち侘びている頃かと」

 助け舟を出してくれた、のだろうか?

 歌うように優美なのに、凪いでいる声だ。濁りなく澄んでいる筈なのに、どんなに目を凝らしても水底まで見通せない……そんな声だ。

「おおっと、申し訳ございません! 天馬の引く馬車による優雅な旅だったとしても、長時間のご移動にさぞかしお疲れでございましょう! いざ、オウゼが誇る最高の温泉宿へ、ご案内、ごあんなぁ~い!」

 町長さんの手拍子に合わせて、その背後の人垣がさっと割れ。現れたのは、2人乗りの……

『ええっ、人力車だ! 修学旅行のとき見かけたけど、異世界にもあったんだ……! しかも、座席の後ろにリオのカーニバルで見るような羽根飾りがついてる……!』

 京さん。俺もこの世界では初めて見ました。

 人の力で走る車。つまり、俺達の移動をこの……逞しすぎる脚を短すぎる短パンの裾から惜しげもなく晒した男性達に、お委ねするということですよね?

 彼等の職業についてどうこう言うつもりはない。この状況で問題なのは、俺はもうこれ以上、注目を浴びたくないということで……ただ、それだけで……

「あっ、あの、お気持ちは嬉しいのですが、俺は自分で歩きま……町長さん、引っ張らないでくださっ……!」

 抵抗虚しく、気づけば俺は人力車の座席に収まっていた。そして、気づけば隣にはフィーユが座っていた。

 2人分の体重を背負い、男性が歩き出す。そして遠ざかっていくと思っていた音楽、歌声、朱色の灯りの群れが、俺たちの乗る人力車を頭部にした蛇のようになって、坂の多い街を練り歩く……

 朱色なのは灯りだけではない。石畳の道の左右にずらりとつらなった、白に黄色みの混じった塗壁の建物は、みな一様に朱色の瓦屋根を被っていた。

 小川に掛かったアーチ状の橋といい、やはりカルカと同じ国にあるとは思えないのに、どこか懐かしい気配が漂っている……京さんの郷愁なのか、状況が状況でなければ和んだかも知れない。

 それにこの、つんと鼻を刺すような独特な匂い。
 温泉の匂い、だろうか。

 俺の16年間において嗅いだ経験はないけれど、京さんの19年間においては覚えがある。

「……ティアとレインは、無事だろうか」

「……無事よ。ティアちゃんは客室で怯えて震えていたけど、私が責任を持って外に連れ出して、後ろのもう一台に乗せたから」

「……頼りない『紅炎』ですまない」

「……私は他の『紅炎』様にお会いしたことがないもの。比較対象がいないから、きみが頼りないかどうかはわからないわ」

 長い長い、旅だった。

 昼食後に眠っていたからでもあるが……カルカからオウゼへ辿り着く、その時間さえも一瞬に思えるほどに、宿までがひたすらに遠かった。

 そして、ようやく宿に到着したとき。

 フィーユと2人、呆然と眺めていた夜空。ひゅーと音を立てて駆け上がった火の種が、星々の瞬きさえなお暗いと思えるような、朱色の大輪を花開かせる。ああ、これが、あの謎の男性が言っていた『真心』か。

 そしてその向こうには、カルカから眺める『炎呪の山』リャニールのように、数ある中にひとつきり、純白の山が聳えていた。

 町長が限界寸前の喉を更に酷使し、オウゼへようこそ、と絶叫するのが聞こえた。

「……花火だわ。綺麗ね。
 クロ、お礼にきみもひとつ、打ち上げたら?」

 感情を喪失した平坦な声で、フィーユが言った。

 当然、冗談だとわかっていた。
 だが、もう何もかもを冗談で済ませたくて。

 魔糸掌握。焦点へ統制。
 『縮』、その応用。

 差し出した右手の上に、圧縮した炎塊を生み出す。手のひらを上へすっと動かして、それを打ち上げる……天馬達とともに駆けていたよりも遠く高い空へ。

 紅の花で、応えてみた。

 炎の炸裂音を掻き消すほどの、盛大な拍手と歓声に包まれたのは……言うまでも、ない……
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

町内婦人会に欠席連絡に行った夫が帰ってこない

ヘロディア
恋愛
未だに商店街の婦人会がある街。 そこに越してきた二十代の夫婦の妻。 街の婦人たちは美人だらけで、少し不安になるが、なんとか過ごしていた。 ところがある日、急用で欠席せざるを得なくなり、夫に欠席連絡を頼んだのだが…

もう2度と浮気はしないから!反省する夫だったがご近所の美人妻に走り、駆け落ちまでした時に強い味方が現れた。

白崎アイド
大衆娯楽
浮気をした夫が2度と浮気はしないと反省してから5年が経った。 もう大丈夫だろうと安心していた私だったが、あろうことか、近所に住む美人妻と浮気していたことを知る。 2人はマンションまで借りて、女性が待つ部屋に通う夫に悩む私に強い味方が現れて…

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

幼馴染達にフラれた俺は、それに耐えられず他の学園へと転校する

あおアンドあお
ファンタジー
俺には二人の幼馴染がいた。 俺の幼馴染達は所謂エリートと呼ばれる人種だが、俺はそんな才能なんて まるでない、凡愚で普通の人種だった。 そんな幼馴染達に並び立つべく、努力もしたし、特訓もした。 だがどう頑張っても、どうあがいてもエリート達には才能の無いこの俺が 勝てる訳も道理もなく、いつの日か二人を追い駆けるのを諦めた。 自尊心が砕ける前に幼馴染達から離れる事も考えたけど、しかし結局、ぬるま湯の 関係から抜け出せず、別れずくっつかずの関係を続けていたが、そんな俺の下に 衝撃な展開が舞い込んできた。 そう...幼馴染の二人に彼氏ができたらしい。 ※小説家になろう様にも掲載しています。

異世界帰りの元勇者・オブ・ザ・デッド

はんぺん千代丸
ファンタジー
異世界アルスノウェに勇者として召喚された橘利己(たちばな・としき)は魔王を討つことに成功した。 アルスノウェの女神ルリエラは、彼の日本への帰還を惜しんだが、 長い間アルスノウェで殺伐とした日々を過ごしていた利己は、とにかく日本に帰りたがっていた。 平穏な日常こそ至宝。 退屈な代わり映えのしない日々に優る宝はなし。 それを痛感した利己は、ルリエラによってついに日本へと帰還する。 数年ぶりの平和な日本に感激する利己だったが、しかしそこで違和感を感じる。 外を見ると、何とそこには燃え上がる車とゾンビの群れが。 日本の時間に換算して二週間程度しか空けていなかった間に何があったのか。 何もわからない中、ただひとつわかっているのは、利己が夢見た平和な日本はもうなくなったということ。 代り映えしない日常は、ゾンビという非日常によってあえなく壊し尽くされてしまった。 ――だから俺はゾンビを殺す。何が何でもゾンビを殺す。全て殺す。絶対殺す。 失われた平穏の仇を討つために、異世界で『滅びの勇者』と呼ばれ恐れられた男が動き出す。 これは、ゾンビが溢れる終末世界を生き抜く人間の話ではない。 ゾンビに逆恨みを抱いた最強無敵の元勇者が、ゾンビを目の敵にして徹底的に殲滅し尽くすお話である!

冤罪で自殺未遂にまで追いやられた俺が、潔白だと皆が気付くまで

一本橋
恋愛
 ある日、密かに想いを寄せていた相手が痴漢にあった。  その犯人は俺だったらしい。  見覚えのない疑惑をかけられ、必死に否定するが周りからの反応は冷たいものだった。  罵倒する者、蔑む者、中には憎悪をたぎらせる者さえいた。  噂はすぐに広まり、あろうことかネットにまで晒されてしまった。  その矛先は家族にまで向き、次第にメチャクチャになっていく。  慕ってくれていた妹すらからも拒絶され、人生に絶望した俺は、自ずと歩道橋へ引き寄せられるのだった──

処理中です...