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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音
32.紅光に想う
しおりを挟む【ベルスファリカ・リグ・ラーヴェル】
「大禍」は、この世界を巡り続ける7色の魔糸流のうちのいずれかに、何らかの障害が起こった際に発生する天災。現在カルカの南西にて発生しているのは、「碧水」の異常による「碧水の大禍」だ。
しかし、本当に稀なことではあるが、同時に2色以上の魔糸流が障害を起こすことがある。その場合の被害想定は、単純計算して2倍、で済むわけじゃない……桁違いの別物になる。
シェールグレイ王国軍・第六部隊は、カルカギルドの精鋭達……ライセンスに埋め込まれた魔石の「赤」で集められた登録戦闘員らと合流。今回、カルカ西方を護る大壁は完全に木偶の棒。魔物がいかなる侵攻ルートを選んでも住宅地へ辿り着くことがないよう、四つの小隊にわかれて待機していた。
その小隊の、南方より数えて2つ目に私……いや、気持ち悪いからやめておく。オレはいた。
ギルド事務局長と王国軍の間でなされた交渉によって、白を出されたオレの扱いは変更された。自ら戦闘することは禁止のままだが、第六部隊長であるラヴァーニ・ザーラウドを戦術的に補佐することは許可された。
王都からカルカへ向かっている第三部隊は、戦場の花とも謳われる天馬騎兵隊。「翠風」とは異なり飛行する魔物を相手にすることは少ないだろうが、水による足場の悪化を想定しての出撃だろう。
……とにかく。
オレたちは本来なら、それこそ泉のごとく渾々と湧き出してくる魔物との戦闘が、とっくに始まってる位置に陣取っていて。
で、「大禍」が生み出した雲から降り注ぐ大雨に打たれながら、みんな揃ってアホ面を晒しているわけだ。
今回の「大禍」は「紅炎」との混合だったのか? と。
夜更けの曇天に明滅する「碧」と……その重たげな雲を照らし続ける「紅」を見て。
「ううむ、にわかには信じ難い……」
鍛え上げられた筋肉を更に甲冑で包んだザーラウドが、ガントレットを装備したまま器用に、トレードマークである唇の上の髭を整えながら唸る。
「誠に、たった一人で『大禍』を留めておられると言うのか……」
呻くような誰かの声が、ここに集った誰もが部隊長殿の心境を共有していることを物語っていた。
ああ、そうだよ。目の前のは現実だよ、オレだって信じたくねえけどな。
王都で生まれて、お家の繁栄のための道具でしかない三男坊ではあるが、ラーヴェルの人間として育てられて。「彩付き」にも、それなりに会ってきた。
だが、こんな滅茶苦茶な真似を通せるような奴を、オレは知らない。
独りで苦手属性の魔物を殲滅し、他者の援護を完全に遮断して、身を削るような派手な攻勢を仕掛け続ける……そんな奴は。
ギルドの連中から顔を隠すためのフードの下で、奥歯を噛み締める。
何が「生き残れ」だよ、馬鹿野郎。このままずっと、「碧水」が満足するまで踊り続けるつもりかよ。
腹が立つ。同じ時代に生まれた「怪物」にも、止めてやれなかった自分自身にも。
女神様の落とされた火焔、その熱が……冷え切った頬を撫でていくような、感覚。
「アンタは……本気で何ひとつ奪わせないつもりなのか。故郷が、そんなに大事なのかよ……なあ、大将」
【ティア】
「ねえ、うさぎのお姉ちゃん?」
遠い遠い空を見つめていたあたしは、その声にぴょんと飛び上がりました。
ギルドの事務局さんは、六級のあたしにも役割をくれました。ライセンスの紺色に埋まったちっちゃな魔石が「青色」に光ったんです。
この街で暮らす皆さんを、安全な場所へ連れていく。戦うことより、逃げることの方が得意分野なあたしにはぴったりの役割。選んでくれたことに感謝しながら、「黄色」の役割を貰ったフィーユちゃんと一緒に行動していました。
……あたしはやっぱり、まだまだ駄目な子です。まだまだまだまだ、って100回言わないと足りないくらいに駄目な子です。
100年に一度しか来ないって言われてた、大きな大きな災害が、目の前にぱっと現れて……ものすごく、動揺しちゃいました。フィーユちゃんと作った大切なお料理や、真っ白にしちゃったレインさんの大切なお洋服を、思わず落としちゃうくらいに。
でもフィーユちゃんが、あたしをぎゅっと抱き締めながら言ってくれました。
『怖いわよね。私も、怖い。大丈夫だなんて、軽々しく言えない……でも。
止められないなら、置き去りにされないように必死で走るしかないの。この腕で持てる分だけの大切なものを抱いて、走るしか……ない』
フィーユちゃんみたいに強くても、怖いことがあるんだなって、腕の震えからわかりました。フィーユちゃんはそれでもにっと笑ってくれたんです、見ているだけで元気が湧いてくるような……今はお休み中の、お日様みたいに。
『欲張り上等、なるべくいっぱい抱えていくわよ! さあ、腹ごなしの運動っ!』
それからあたしたちは、街の人たちが避難するのをお助けしました。突然「お引越し」しなくちゃいけなくなった皆さんは必死で、焦るあまりに転んじゃう男の子もいて……
治癒魔法は使えませんけど、とにかくよく転んじゃうあたしは、あたし自身にするやり方で、その子の手当てをしました。
「痛いの痛いの、ぽーん! ですっ!」
本物の魔法じゃないけど、魔法の言葉。
男の子は少しだけ笑ってくれて、それから手を繋いで、一緒に逃げました。
フィーユちゃんは、きらっとかっこよくて綺麗な棒を片手に……こういう大変な経験があるんでしょうか? 街の人たちを励ます言葉は、どれも力強くて、頼り甲斐があって。
逃げる途中に、あたしとクロさんが2人だけでやり遂げられた依頼の親子……お人形さんを大事に抱きしめた女の子と、ブローチをくれたお父さんにも会えたんです。欲張り上等、あたしはもちろん、お2人とも一緒に走ります。
そうやってあたしたちは、街の東の端っこに建つ教会まで辿り着きました。やわらかな橙色の明かりに満たされた室内で、ちょっぴり動きにくそうなローブを着た魔導士さんたちが、教会に備えてあった飲み物や、毛布を配ったりしていました。
普段なら、皆さんお布団に包まれて、すやすや眠っている頃です。疲れ切った表情の方も、たくさんいらっしゃいました。
そこであたしにできることは、きっと、あったと思います。それでも……気づけば、教会の両開きの大きな扉を押して、外へ出ていました。
広くて大きな階段の下に、つやつやの髪を靡かせながら、フィーユちゃんが立っていました。あたしを振り返り、ふっと口元を緩めてから、宝石みたいに綺麗な翠色の瞳でまた……恐らく、遠くの空を見つめています。
あの、光。
途中から、わかっていたんです。紅い光がずーっとそこで煌めいていて、碧い光のチカチカを和らげているって。
……クロさん。クロさんが、あの暗い雲の下で戦っているんですね。魔物さんの姿をちっとも見かけないのは、クロさんが護ってくれているからなんですね。
「ねえ、うさぎのお姉ちゃん?」
「ひゃあっ!? あっ……ご、ごめんなさいっ! あたし、ぼーっとしててっ」
う~、耳の良さが取り柄なのに! お人形さんを抱っこしたあの女の子が、そばに来てあたしを見上げているのに気づけませんでしたぁ!
どきどきする心臓をそっと抑えながら、その場にしゃがみ込んで、女の子と目線の高さを合わせます。
「はいっ、うさぎのお姉ちゃんですっ。ここは暗いですし、ちょっぴり寒いですよ? 教会の中に戻った方が……あっ、もしかしてあたしにご用事ですかっ!?」
女の子は、こくりと頷いて、
「あの、かっこいいお兄ちゃんは?」
かっこいいお兄ちゃん……? あっ、クロさんのことだ! クロさんはお綺麗ですが、もちろんかっこいいとも思います!
でも……ど、どうしましょう? クロさんはきっと、あの紅い光の下にいて。嘘をつくのは悪いことだけど、「大禍」さんと戦っているんだよって正直に言っちゃったら、きっと心配に……
……心配……
「あ、あれ……?」
駄目……駄目だなあ、あたし……! 泣いちゃ駄目だって、何回も何回も言い聞かせてたのに! 今まで、我慢できてたのに!
クロさんのことを考えたら、胸がきゅううって締め付けられて……首を傾げる女の子のお顔が、ぼやけて……
「お姉ちゃん、だいじょうぶ? どこか痛いの? それとも、」
「だ、大丈夫ですよっ!? ええと、あのかっこいいお兄ちゃんはですねっ……そのっ……あ、あたしの手で抱えられるところに、いなかった、だけで……ただ、それだけで……っ」
駄目、駄目だってば! 涙、止まって……! あたしじゃ、クロさんの力になれないんだから……信じて待つしか、ないんだから……!
「ティアちゃん」
「ふぇ、え……?」
フィーユちゃんの、声。
静かで。でも、上手く言えないけれど、あたしが力をちょびっとお借りしている大地みたいな、そんな……「揺るぎない」お声。
フィーユちゃんは、あたしに背中を向けたまま、あたしへの言葉を紡ぎます。
「私……欲張って、いいかな? 今の自分じゃ届かないって、痛いほどにわかっていても……それでも、手を伸ばして、いいかな」
フィーユちゃんが、どうしたいか。
あたしにも、ちゃんとわかりました。
あたしじゃ、クロさんの力になれない……でも。
でも、でも、でもっ!
あたしは、膝に思いっきり力を込めて立ち上がりました。白ウサギさんみたいな真っ赤な眼になる覚悟を決めて、ごしごしと涙を拭います。
そして……もう一つ、覚悟を!
あたしの想いを、託す覚悟を!
太腿の脇で、両方の手のひらをぎゅっと固めて! 深く息を吸い込んで、この声にありったけの気持ちを乗せて!
「フィーユちゃんはっ! クロさんのっ……最高の、幼馴染さんですっ!!」
フィーユちゃんがありがとうと囁くのを、あたしの耳は聞き届けました。
そしてフィーユちゃんは走り出しました。強く強く地面を蹴って、風みたいに鋭く。
独りでどこまでも行ってしまいそうなクロさんの背に、その手を伸ばすために。
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