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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音
26.嵐娘来たる、その理由
しおりを挟む「げっ……い、いや待て待て、女の子相手に『げっ』はないだろオレ……
やあ、ようこそフィーユちゃん、うっかり住所を教えてなくて申し訳ない! どうしてかな、ギルドで会う君はいつも陽光よりも目映く麗しいっていうのに、今日は私服姿というご褒美のおかげで、更に! 最早目を開けていられないほどの輝きが、このむさくるしい部屋に燦々と……特に、胸元が! なんてことだ、普段は制服に包まれている神秘の谷間がッ!」
「ごめんねレインくん、今日は少し暖かいし、ずっと締め付けているのも窮屈だから少し開放的なのを選んできたの。輝きに目が慣れるまでちょっとこれ持ってて。これも、あとこれとこれも」
フィーユは営業スマイルを浮かべたまま、出迎えたレインに持っていた荷物を全て押しつけると、
「クロ?」
「……は、はい。おはようございます、フィーユ先輩。どうか、ここは穏便に話を、いや違う、ええと、この度は心配をおかけして本当に、」
お、俺の言葉を聞く気が全くない! テーブルを迂回しながらも、すらりと伸びたおみ足を駆使して最短距離で近づいてくる! どうしてこの幼馴染は、笑顔ひとつだけで人を舞い上がらせたり、人を凍りつかせたりできるんだ!?
「ご、ごめ」
ぎゅ、っと。
ま、また炎が暴走している。顔が熱くて、燃えていて、燃え尽きてしまうかも知れない。時間の流れを酷くゆっくりに感じて、熱さには慣れているのはずなのに、それでも耐えられなくなりそうで……
同じ人間なのに、どうしてこんなに柔らかいのだろう。速度を緩めないまま歩み寄ってきたフィーユは、黙って俺を抱きしめて、そのまましばらくの間、俺の肩に顔を埋めていた。にわかに走り出した、俺の心臓の音を確かめるように、じっと。
柑橘系のすっとした香りが、何故だかいつもより甘くて、鮮明だった思考にノイズを生じさせる。
わからない、抱きしめ返すべきなのだろうか!? それとも……あっ。レインが憎々しげに、そしてティアが顔を覆った指の隙間からこちらを見ている!
「~~っ、……フィ、フィーユ、あ、あの……レインも、ティアも、それに俺も、困っ……」
「ガレッツェのお家のこと、正直、ショックだった。私は、おじ様とおば様のお人柄を、ほんの少しだけ知っていたから」
フィーユが、震える声で囁いた。
普段は押し隠している脆さを、晒して。
「でも……今は、きみの無事が、嬉しいの」
……フィーユ。
それまでぴくりとも動かせなかった利き手で、フィーユの背をとん、とん、とする。父さんが眠れない夜に、この胸にそうしてくれたように。
「……ありがとう」
その言葉を聞いたフィーユは、すうと深く息を吸い込み……それからようやく、俺を解放した。
むすっとした表情を浮かべながら、耳まで真っ赤に染めたその顔を見て、ようやく気づいた。どうやら俺は、彼女と「熱」を共有していたらしい。
「……ばか! この辺で、勘弁してやるわよ」
「……本当に、心配かけて、ごめん」
フィーユはふっと表情を緩め、俺にくるりと背を向けた。ピンクブロンドの長髪は、今日も清水のように美しい。
「あなたたちの『悪巧み』に次があるなら、私も参加させてもらうから。今回はタイミングが悪かったけれど……クロとティアちゃんの2人だと、黒幕さんの思うままになっちゃうし」
「あ、あははは、黒幕さんかあ……随分と用心されちまったもんだな……」
「はい! ティアちゃん、バトンタッチ!」
苦笑しながら健気に荷物持ちを続けるレインに、フィーユはティアの持っていたものも預ける。
そして、ティアとハイタッチ。ばちこーん、というかなり強めの勢いによろめいたティアの背後に周り、ぐいぐいと俺の前まで押してきた。
あわあわという両手の動きで、全力で戸惑いを表現していたティアだったが、
「……おはよう。その……今回は、ティアが主役で掴み取った勝利だ。君のことを信じて、よかった。俺を護ってくれて……生き残ってくれて、ありがとう」
飾り気のない感謝の気持ちを伝えると、
「う、うぅ~……クロさぁん……! 目を覚ましてくださって、ありがとうございますぅぅう~……ずっと、ずっと眠ったままだったからぁあ……!」
その琥珀色の瞳にはみるみるうちに涙の膜が張り。はっとするも、今はハンカチを携帯していないことに気づき。そこにすかさず伸びてくるフィーユの手、握られた花柄のハンカチ。優秀すぎる……!
「うわぁぁあん! あ、あたし……できましたっ……魔物さんと戦う、ほんの少し前までずっと不安で、怖くて仕方なくって、でも、でも……レインさんが、大丈夫だよって言ってくれたの、思い出して……」
「……うん」
「クロさんと一緒にもらった、ブローチさんをぎゅっとして……クロさんのお顔、思い浮かべて……クロさんのために頑張るんだって、思って、そしたら……ティア、上手くできましたっ……ずっと駄目だったのに、ちゃんと、できましたぁぁあ……!」
ハンカチを手渡す。ありがとうございますぅ、ふえーん……と、ティアは堪えていた分まで溢れる涙を拭く。拭いても拭いても零れ落ちる涙に、早くもハンカチがしとどに濡れて色が変わっている。
う、ううん……今のこの子に、俺がしてあげられることは何だろう。ありがとうと告げるだけじゃ、足りないような気が……ありがとう、という言葉を、こんなにも頼りなく感じた日は初めてだ。
どうしたらいいかな、と父さんに問う。そして、何となく申し訳ないけれど……再び、恐る恐る手を伸ばす。可愛らしく垂れた耳を避けるようにして、栗色のふわっとした髪を撫でた。撫でたと言っても、ほんの少しだけ触れただけだけど。
表情から力を抜いて、笑ってみせた。
「ティアは、強い」
「く、クロさん……うぅ、うっ……ぐろざぁぁん、うわぁぁああああん!!」
俺は判断を誤ったらしい。泣き方が更に激しくなってしまった。
フィーユがティアをぎゅっと抱きしめて、
「よしよし、今日はプライベートなんだし、嬉しいときは沢山泣いちゃえ! 今はちょっぴりしょっぱい出来になっちゃいそうだし、すっきりしたらお料理開始よっ」
「お、お料理!? 確かに、荷物の中身は食材がどっさりだ……う、嘘だろ、こんな幸運に巡り会って良いのか!? フィーユちゃんとティアちゃんが手料理を!?」
流石に重かったんだろう。レインはテーブルの上に、フィーユに託された荷物を並べ、中身を確認していたらしい。
「キッチンをちらっと見る限り、レインくんはお料理を殆どしないわよね? でも、調理用具一式は揃っていると見たわ。そしてそもそも、この部屋には生活感をあまり感じない……ずばり、懇意になった女の子がいつこの部屋を訪れて、手料理を振る舞う流れになっても構わないように、周到に準備してあるわねっ!?」
「うっ!」
フィーユにびしっと指差され、レインは後ろによろめいて胸を押さえた。いつの間に芝居が始まったのだろう。
「大体は合ってるけど! エプロン姿の妖精に一人で料理させて、その可憐な姿をにやにや眺めてるだけだなんて、そんな危ない真似……いや、そんな甲斐性無しじゃないさ! オレだって食材を切ることくらいならできる!」
「……俺も、火をつけることならできる」
「クロは食材を俎板ごと刻んだことがあるからね。『紅炎』の極上の炎で料理できるなんて贅沢……と言いたいところだけど、野宿してるんじゃないんだから火も要らないわ。4人での料理を想定したキッチンでもなさそうだし……そういうわけでっ」
フィーユは握り拳を天高く掲げ、高らかに宣言した。
「お腹が空っぽのはずのクロのためにも、気合を入れて沢山作るわよ! 祝勝会の準備は、私たちに任せなさいっ!」
「ぐすっ、ふぇぇぇえん……えい、えい、おー、ですぅぅ……!」
ティア、一緒に手を上げているけど、今はとにかく涙を拭いてくれ……。
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