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第1章 生き残りたい「紅炎」の就職

6.私だって、護りたい

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【フィーユ・ドレスリート】


「あのぅ……だ、大丈夫、なんでしょうかぁ? クロさんお一人に、黒狼さんたちをびっくりさせるお仕事を、任せてしまいましたけど……」
 単独行動のクロと、ターゲットである黒狼の群れを挟撃できるように、少し標高が高い位置の岩陰に潜んだ、私とティアちゃん。
 まずはクロが接近し攻撃。左右が緩やかな傾斜で壁のようになっている、この地形……黒狼が逃げてくるとすれば、この大岩を挟んだ二つの道しか選択肢がない。そこを私たちが、二手に分かれて迎撃する。
 クロは自分だけじゃなく、私とティアちゃんにも隠蔽の魔法をかけてくれた。炎属性の加護ってやっぱり温かい。この柔らかなぬくもりがあって、私も時々手を握ってあげているから、ティアちゃんはだいぶ落ち着いている。耳がとても良いらしくて、この風の強さはちょっとつらそうだけれど。
「ティアちゃん。作戦会議のときに、三人で戦おうって念を押したの、覚えてる?」
 可愛い後輩ちゃんに微笑を見せてから、滑り止めの手袋を装着し、太腿のホルダーに3パーツに分解して装備していた武器をぱぱっと組み上げる。ぎちっと音がして接続部の回転が止まっても、念のためもう一度力を込めた。
 鈍い銀色をした棒には、主に飛行するタイプの魔物が落とす風属性の魔石の細粉が練り込まれていて、光を浴びると緑色の粒が星のように輝く。
「はいっ! お二人のお言葉はしっかり拝聴してましたから、もちろん暗唱できますぅ!」
「あ、暗唱? ちなみに、いつの会話から……?」
「えっと、昨日クロさんにぶつかってから、ですけど……は、はわぁ、あのときの感覚を思い出してしまいましたぁあ、すみませぇん、すぐ集中し直しますぅぅう!」
 昨日ティアちゃんがクロの胸に飛び込んで以降のやりとりを、全て暗唱できるくらいに覚えている、っていうの? それって物凄い才能じゃないかしら? 謙虚にもほどがあるというか、あとで甘い物でも奢りながら思い切り褒めてあげたい……はっ! 駄目よフィーユ、この子はライバルなんだからっ!
「は、話を戻すわ。私がああ言ったのはね……そう釘を刺しておかないと、私たちがここへ来た意味がなくなっちゃうから」
「え……?」
「私はあの人に、私も充分戦えるって証明したいの。ティアちゃんも、頑張って成果を出せたぞ~って、自信つけたいでしょ?」
「は、はいっ! 物凄くつけたいですっ!」
「良い返事、偉いっ! だから……今から起こる一切のことを、疑わないで、怯まないでね。怖がらないで……あげてね」
 私の言葉の意味を図りかねたのか、まばたきを繰り返していたティアちゃんだったけれど……やがて小さくて愛らしい唇をきゅっと引き結んで、こくっと頷いた。
 視界に、黒髪の少年の姿。
 私たちは息を殺して上下に顔を並べ、クロがゆっくりと、一見無策にも思えるほどに堂々と敵群に接近し、立ち止まるのを見届けた。
 自分自身にかけた隠蔽を解いたらしい。縄張りの中に突然現れた「異物」に、黒狼たちは慌ただしく警戒態勢に入っていく。
 差し伸ばした腕の僅かな仕草。魔法陣の構築、詠唱……魔法を扱いやすくして、威力を高めるためのプロセスを一切無視して、あの人は、
「…………っ!!」
 瞳の奥に鋭く突き刺さる、閃光。深紅に染まる、世界。
 不可抗力に耳を逆立てて跳ね上がった、ティアちゃんの肩を咄嗟に抱く。
「くっ……!」
 地を駆けてきた猛風に、岩陰に隠れているのに髪がなぶられる! 熱さがまだ可愛い程度なのは、恐らくこの隠蔽魔法が、炎属性への耐性をも付与してくれているおかげ。
 天災のように理不尽に現れた、巻き込んだ全てを焼き尽くす火炎の球……ううん、超広範囲に影響を及ぼす様は最早「星」だわ。攻撃性能においては最強の名をほしいままにする、炎の最高峰……それが「紅炎」。
 遠距離にいる複数人への補助魔法を継続しながら、牽制のためだけに、これだけの魔法をぽんと出してみせる。本気ではあるだろうけれど、全く出し切っていない……だって彼は元より「三人で戦う」つもりなんだがら。
 三人で。そう……そう!
 私のバカ! 怯むな、怖がるな! あの人は、私の幼馴染だ! なりふり構わず、行くのよ!
「群れが逃げてくる、予定通り道を塞ぐわ! 出るわよッ、ティアちゃん!」
「~~ッ! う、うわぁぁぁぁあああーっ!」
 武器の上下に魔法陣を展開しながら、左方へ全力疾走。ティアちゃんも両手をバタバタさせながら、つんのめるように右方へ走っていく。その声は鼓舞の叫びというより、自棄を起こしたように聞こえて、少し心配になる。
 幸い、私の持ち場へ向かってくる方が多い。群れのリーダーも、私の獲物!
 ああっ、走るときは心底、胸が邪魔っ! なるべく肌着で押さえつけてるのにっ!
 靴底で砂塵を巻き上げながら急停止。立ち塞がるとともに、魔法構築が完了した。魔法陣は光の粒となって、得物の両端に集約され、翠色の風の二刃となる。
 黒狼が脚を止め、激しく吠え立てる。鋭利な歯から垂れた涎の糸を見ると、荒々しい息遣いを聞くと、疑いたくなる。彼らは、本当に生き物じゃないの?
 視線を鋭くする。邪魔な感情、消えて。
「ここを通りたいんでしょう? 来なさいよ……来ないなら、ッ」
 突進し、一気に間合いを詰める。後方へ跳ね上がって回避しようとした一頭の首を、身体の柔軟さを利用した極めて低い姿勢から、スパン、と刈り取る。
 真上へと飛ばされた首も、黒い血を噴出しながらふらふらと立ったままだった胴も、じゅわっと音を経てて黒い泡の塊と化し、すぐに消滅する。魔物討伐の証、魔石だけをからんと残して。
 私の左右に回り込み、同時に飛び掛かってきた二頭。私はくるりと回転しながら得物を真横に振り抜き、両方を真っ二つに、捌く。
 正面から、一頭。
「奇襲の、つもりッ?」
 背中をバネのようにしならせ、その勢いで上段から振り下ろす。武器の一方から風刃が離れ、三日月を描いたまま直線上に疾駆、一頭を縦に裂いて、奥に鎮座する司令塔も狙う……けれど左斜め後方へと躱され、
「ギャァヴァッ」
 この唇から動揺の声を漏らしそうになった。その巨躯は、唐突に現れた紅い壁に、したたかに打ちつけられた。
 漆黒の全身を包み込んだ「火炎」。身体を揺さぶったり地面に擦り付けたりして、苦痛を癒そうとしている、その姿は、やっぱり生き物に……。
「っ、」
 ぐっと歯を食いしばり、素早く前へ。柄を両手で握り込んで、弱った司令塔、その急所の首に目掛けて風刃を突き立てた。
 躊躇していたら、どこへも進めないもの。まとわりついてきた黒い泡を振り払い、いつの間にか傍らにいた「彼」と、背中を預け合う。
 リーダーを奪われた黒狼たちは、明らかに怖気付きながら、それでも私たちの周りをじりじりと回っている。仇討ちの心と、人への抗えない敵意が、彼らをここに留めている。
 私はむっと唇を突き出して、
「助けに行くならティアちゃん、でしょ?」
「あっちは数が少なかったし、訳あって物凄く早く片付いたんだ。ティアさんは無事だよ」
「私もこの程度、余裕なんですけど?」
「わかっている。だけど、護りたかったから」
 ……何、それ。何なのよ。
 そりゃ、一緒に戦いたかったけど! 一人でも十分強いって、私なら心配要らないって、きみにわかってもらいたかったのに!
 護りたかった、って! どんな顔で言ってるのか、見えないのがもったいな……違う、む、か、つ、く!
「戦闘中に、変なこと言わないでくれる!?」
「え……どこか変だったか?」
「もう……もう、もぉ~っ! 私だって負けずに、クロを護ってやるんだから! 『変転』!」
 石突をどんとついて、得物を身体の正面に据えた。風刃が再び光の粒となり、私の頭上で異なる魔法陣を築き上げる。
 一度練り上げた魔法を再構築するのは、ちょっと難易度が高いこと。けれどその分、新しく編み直すより、発動までの時間を遥かに短縮できる。
 これまでの戦いは、大技への布石。頭上に咲く風の花こそ、終わりの合図。
「さんざめく、斬撃の花をッ」
 ひゅん、ひゅん、ひゅん。軽やかかつ鋭利な無数の音とともに、花は花弁を落としていく。
 大量の花弁は全て、独立して動く刃。ほとんど無差別的に広範囲を攻撃する。だから、今更どこへ逃げようとも無駄……、って?
 黒狼が、動かない。面白いようにほぼ全ての花弁が命中し、無抵抗な相手の体力をごりごり削り取っていく。
 その四肢を見て、理解した。動かないんじゃなく、動けないんだわ。余さず、炎の枷で拘束されているから。

 なすすべもなく、黒狼たちは魔石を遺して消滅した。
 それらを拾い集めていた私は、そのうちのひとつをぎゅーっと握りしめながら、憎まれ口を叩こうと振り返った、んだけれど。
 振り返った先で、紅色の瞳が私を見ていた。思わず開きかけた唇を結んでしまうほど、まっすぐに。
「フィーユは、強いな」
「! ……ふっふっふ~、でしょぉ~?
 ……なんてね。ありがとう、びっくりするほど光栄。でも、今はまだ任務の途中で、」
「戦ってる姿、洗練されてた。無駄な動きが削ぎ落とされていて……ダンスみたいで、少し見惚れた」
「……え」
「確かに、話はティアさんと合流してからの方がいいな。ついてきてくれ」
 陽が、西へ傾き始めていた。幼馴染の少年は、勝手に背中を向けて歩き始める。昔は、私の跡を追いかけてばっかりだったのに。
 狡い、なあ。
 唇を、薄く噛み締める。
 ……何も、言えなくなっちゃったじゃない。
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