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第1章 生き残りたい「紅炎」の就職
4.パーティ結成、ただし一回限り
しおりを挟む翌日の午前中。依頼受諾を希望する旨、報を打ってわずか1時間後に、ある商家を訪れた。
治療薬を専門的に扱っているという話だったが、主人は骨董品の蒐集家でもあるらしい。主人の事務室兼応接間に通された「俺たち」は、大小も色形も材質もさまざまな壺にぐるりと取り囲まれることになった。
ガラスのローテーブルを挟んで向かい合ったソファの一方には、老年だが恰幅が良く、目尻に笑い皺が深く刻まれた主人と、眼鏡のつるを忙しなくいじっている、神経質そうな痩身の若い帳簿係という、凸凹コンビがおさまっている。
もう一方には、背筋も耳もピーンと伸ばして、ふんふん、と小さな声を漏らしながらひらすら相槌を打つマシーンと化したティアさんと、
「ご依頼は『黒狼の群れ、10~20頭弱の討伐』とのことですが……リャニール山地、特に本件でご指定のエリアは、一般の方が気軽に立ち入るような場所ではないかと。この位置ならば、万が一黒狼を討ち残した場合、残党が怒りに駆られて人里を襲うような事態にはならないでしょう。ただ、念のため再度確認させていただきたいのですが……目的は、薬草のサンプル取得?」
流暢に交渉するフィーユがいた。
ここは俺がお世話になっている薬屋ではない。せっかくだから品揃えを見ておきたかった俺は、部屋の外で待っていると主張したのだが……フィーユが営業スマイルを貼り付けたまま、そっと耳元で、
『きみ、戦闘能力は準一級以上でも、交渉能力は七級ぎりぎりよね? この先単身でやっていくのは、今のままだと大変よ。そういうのが得意な人を観察して、少しでも技術を盗み取って。自覚があるなら一緒に、来、な、さ、い』
ド正論パンチにぐうの音も出ず、相槌マシーン第二号は、ソファ横に用意してもらった木椅子に腰掛けた。
主人は若干黄ばんだ白いハンカチで額を拭きながら、突き出た腹を揺らして豪快に笑った。
「いやあ、聡明なお嬢さんだ! あの禿山は一見枯れた土地にしか見えんが……私ども、つまらん商人が連名で派遣した調査団がね、あの乾燥した山肌に、この国じゃ珍品で殆ど流通していない薬草……によぉく似た種が、数はないが確かに生えとることを認めたんです。
だが不運なことに、黒狼の群れと出くわしちまって……安く雇ったフリーの用心棒は役立たず、戦いは素人な地質学者の連中と揃って一目散に逃げ出しちまって、手元には目撃情報だけ。私らは指を咥えてたんでさ」
リャニール山地は、ケラス教の聖地などではなく、立ち入りが禁止されているわけでもない。だが、春夏と山々が緑に輝くこの周辺において、年中乾いた黄土色で聳えるその姿は異様。
「炎呪の山」。カルカの人々は、リャニールをこう呼ぶことがある。
シェールグレイの国旗に描かれた女神の御使い、紅の飛獅子の怒りを買い、神獣が放った炎に焼かれて以来、生物が生まれ育まれることはなくなったのだ、と。
フィーユが、主張の激しすぎる胸をとんと右手で打った。あまり言いたくはないが、弾力がすごい。
「そのような事情であれば、黒狼を片付けた後で、我々がサンプルを取得して参りましょう! ご安心ください、戦闘職者協会の威信にかけて、本件において見聞した全ての情報は、双方の許可がない限り、決して他に公開いたしません。よろしければその薬草の特徴と、可能な限り詳細な、目撃地点の位置情報を教えていただけますか?」
やっぱり、フィーユは頼りになる。俺とティアさんだけじゃ、こうスムーズにはいかなかっただろう。一緒に行くと言ってくれて、本当に助かった……
「えええええぇぇっ!?」
話は前日にさかのぼる。
一回限りで構わないから、俺とパーティを結成したい。ティアさんにそう頼まれて、当人である俺も驚いたのだが、何故かフィーユの方が盛大に狼狽えていた。
初出勤時に、
『恐らく、きみとパーティを組んで、一緒に仕事をしたいって人は山ほどいると思うわ。「紅炎」は、炎属性魔法が持つあらゆる可能性を駒として手元に置ける、魔道の最高峰……きみは、パーティのどこに空いた穴だろうとすっぽり埋まっちゃうから』
俺は、穴だらけの空間を、ぴょこぴょこ出入りしながら移動する自分の姿を想像して、何とも言えない気持ちになった。
『いい? よく知らない人のお誘いに、軽々しく乗っちゃ駄目よ? クロを利用したいだけの人に……きみを、傷つけられたくないから』
真剣そのものの響き。ちらと盗み見たフィーユの瞳は静かで……それでいて、揺るぎない意志を燃やしているようにも見えた。
「う、嘘でしょ~!? い、いきなりライバルが現れちゃうの!? しかもこんな、明らかに純粋そうで良い子そうで、おまけにもふもふで可愛くて、私でも守ってあげたくなるようなっ……」
「ふぃ、フィーユ? 驚く気持ちは分かるが、どうしてそんなに狼狽えて……あの、小声で一体何を……!?」
幼馴染の様子がおかしい。絶望という表現が相応しいほどに暗澹とした表情を浮かべながら、きっちりセットした髪型を自らの両手でぼさぼさに破壊していく。
しかし、俺が情けなくオロオロしているうちに、フィーユははっと我に返ってくれた。髪を結えていた緑色のリボンを解いて、はらりと落ちてきた自慢の美髪を、手櫛ひとつで元通りにする。シャンプーの良い匂いがふわっと広がる。
爪まで手入れを行き届かせながら、しなやかな力強さを共存させた両手を膝の上に添えて、にっこり。
「ティアちゃん? 私、実はこの人とほんのり親しいの。確かに物凄い魔導士ではあるし、片手剣も『銀星』顔負けに扱えると思うわ。だけど、戦闘以外の場面で頼りになるかと言われるとちょっと、ちょ~っとね、うん。そもそも、どうして彼と組みたいの?」
「ふぃ、フィーユ先輩と親しいんですかぁ!? や、やっぱりすごい……ティアなんかじゃ、やっぱり……で、でも……」
ティアさんは、ショートパンツの裾をぎゅっと握る小さな手に視線を落とした。耳もしょんぼりと垂れ伏せている。
「……あたしには、夢があるんです。ギルドに入ろうって思ったのは、それを叶えるため……でも、ティアは、魔法がちょっと使える以外は、本当に何をやっても駄目だったから……笑われちゃうかも知れないですけど、不安、なんです。上手くできるか……依頼主さんに、迷惑かけちゃわないか……」
琥珀色の瞳に、みるみるうちに涙が滲む。
「初めてのお仕事……失敗して、がっかり、されたくなくて……でも、一人じゃなかったら、ちょっとだけ落ち着けるんじゃないかって……そ、それにもしかしたら、助けてもらったご恩返しも、できるかも、って……っ、でも、駄目ですよね……心が弱くて、実力もなくて……本当に、ティアって、駄目……」
「駄目じゃない」
条件反射のように、断言していた。
母さんのために刻みつけた笑顔を浮かべる。少しでもこの子に、顔を上げて前を向いてもらうために。
「……というのは、実は、俺も一緒で。依頼を受けるのが、怖い。戦って……死ぬのが怖いんだ」
「え……」
「変、だと思うよな。彩付きなのに、崇高な理想なんてものは欠片も抱いていない。ただ死にたくなくて、誰が死ぬのも見たくない。そんなふうだから……ティアさんが駄目だなんて、俺は思わない。他の誰かがティアさんを罵るなら、俺も『駄目仲間』だ」
ティアさんだけじゃなく、フィーユも唇を閉ざしてこちらを見つめ、俺の言葉を聞き届けようとしてくれている気がした。
……この子なら構わないよな? フィーユ。
「ティアさん、職級は?」
「はえっ!? あっ、あの……地魔導士、六級で……お、おおおお二人よりずっと低くてごめんなさぁぁあい!」
「あ、謝らなくて構わないから。それじゃ、初めての依頼だし、七級がいいだろうか……ちゃんと達成できて生き残れそうなのを、一緒に選ぼう」
「ふえっ……!? い、いいん……ですか? ほ、本当に? ティア、もしかして今座ったまま寝てて、自分に都合のいい夢を……?」
「現実だよ。えっと……よろしく、お願いします」
深めに頭を下げてから上げると丁度、竜の鱗が剥がれるように大粒の涙が転がり落ちて、暗い色のショートパンツに更に暗いシミを作るところだった。
どうやら、今日は話をするたびに人を泣かせてしまう日らしい。母さんには申し訳ないけど、お菓子屋に寄るのやめようかな……?
ティアさんは、安堵と喜びと驚きに表情をぐしゃぐしゃにして、
「ごっ……ごちらごぞ、よろじくおねがいじまずう……!」
「……これで、涙と鼻水を拭いて」
「いえっ、ぞんな、上等な布……木の皮で十分でずぅ……!」
「……いや、ここには、木の皮の方が無いと思うから」
ふぇーんと涙と鼻水を垂れ流し続けるティアさんと、安物のハンカチを差し出し続ける俺の傍らで、
「むむむむぅ……、あーっ、そういえばー!」
フィーユがよく通る……何だか芝居がかった声を上げた。
「明日は私、受付業務の担当じゃないし? それに何だか、体を思い切り動かしたい気分だし? 武器新調のための貯金ももうすぐ目標達成できそうだし? クロのお手並みも拝見したいし、ティアちゃんとも親睦深めたいし? と、言、う、わ、け、で」
フィーユはすくっと立ち上がり、俺のハンカチをさっと取った。そしてティアさんの顔を、お姉ちゃん力高めに丁寧に拭きながら……こう宣言したのだ。
「私もついていくわ。カルカギルド受付嬢の実力、見せてあげる!」
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