あやかし漫画家黒川さんは今日も涙目

真木ハヌイ

文字の大きさ
上 下
60 / 62
5 黒川さんの里帰り

5 - 12

しおりを挟む
「さ、赤城さん、これを着てください」

 黒川は二枚の羽織のうち一枚、赤いほうを拾って雪子に差し出した。事情がいまいち飲み込めないが、これに袖を通せばいいのかな。言われたとおり、雪子はその赤い羽織を服の上から着た。

 雪子がその羽織を着ている間に、黒川ももう一つの黒いほうの羽織をジャージの上から着たようだった。着替え終わった雪子が顔を上げると、すでにそこに冴えないジャージ姿の男はいなかった。羽織を着た瞬間に、鬼の姿に戻ったのだろう、彼女の目の前には黒く長い髪の、美しい青年が立っていた。黒い羽織を着た姿も、実にさまになっている。

「わあ、きれいですね、赤城さん。よく似合っている」

 と、その美青年と目が合ったとたん、とびきりの笑顔でこう言われてしまった。雪子はまた気恥ずかしさで顔が熱くなった。このイケメン、唐突に何言ってんだろう。自分の羽織姿のほうがよっぽど似合ってるし、きれいではないか。

「そ、それで、私、このあと何をすればいいんですか?」

 黒川から目をそらし、早口で尋ねる。

「ああ、はい。あとはこちらの巻物の最後に、僕と一緒に血判をしていだだければ完了ですよ」

 黒川は今度は巻物を拾って、それを雪子の前の床に広げた。何かずらずらと筆でしたためてあるようだが、達筆すぎて読めない……。

「血判はここに、こういう感じで」

 黒川は雪子の隣に回りこんでくると、右手の親指を噛んで、巻物の最後の空白にぽちっと押し当てた。一瞬、血の印がつき、すぐにすっと紙に吸い込まれるように消えた。

 同じ場所にすればいいのかな? これで終わりらしいので、雪子は素直に黒川の真似をして、そこに血判した。それは黒川のときと同じようにすっと消えた。

「黒川さん、終わりまし――」
「はい! これで僕たち、晴れて夫婦になりましたよ!」
「え――」

 雪子は一瞬、自分の耳を疑った。夫婦って何だ!

「あ、あの、今何か、変な言葉が聞こえたような気がしたんですけど……」
「聞こえませんでしたか? たった今、僕たち結婚式を挙げたじゃないですか?」
「いやいやいや! 挙げてないですよ!」
「綺麗な服に着替えて、夫婦初めての共同作業。親族の立会人もほら、この通り」
「一夜お兄ちゃんたち、結婚おめでとー」

 聖夜はさもどうでもいい感じでぱちぱちと拍手をする。さらに、「本当は白夜にも来てもらう予定だったんですけどね、あいつ今日も残業みたいだから」とかなんとか、目の前の鬼は口走っている。

「い、いや! おかしいでしょう! 私たち、別につきあってるとかじゃないじゃないですか!」
「そうですか? 僕たち、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりデートをしたり、親兄弟に紹介したり、裸で抱き合ってチューしたり一緒のお布団で寝たり、だいたいのことはやったような気がするんですが」
「そ、それはそのう、成り行きで――」

 小学生の聖夜もいるのに、また何てこと言うんだろう、この男は。しかも後半は厄除けという名目でこの男が一方的にやってきたことではないか。

「はは、そんなに構えないでください。この場合の結婚というのは、あくまで形だけのものです。僕は別に、雪子さんをお嫁さんとしてどうこうするつもりはありませんよ。ただ、厄除けの加護を与えるのに必要だから、こうしたまでです」
「加護を与えるのに必要? 黒川さんと結婚することがですか?」
「ええ。前にお話したことがありましたね。妖怪は、この人間の世界で悪さをするのはいけないことですが、実は、同じくらいいけないことがあります。特定の人間、ないし人間の組織に対し、妖怪の力を使って加護を与えること、です」
「あ――」

 そういえば、幽世ハロワに行ったときに、そんなことを聞いた気がする。

「なので、本来、僕が雪子さんに加護を与えるのはご法度、禁忌であり、法務省の特別在留管理室に見つかったら最後、僕という鬼のならず者は討伐対象になって幽世追放処分になるわけですが、実はこれには一つ抜け穴があります。妖怪が加護を与える人間と結婚して身内になってしまえばセーフなのです!」
「そんな決まりがあったんですか……」

 驚愕の事実だが、妙に筋道は通っているように思えた。

「じゃあ、この結婚はあくまで厄除けの加護のための形式的なものなんですね?」
「ええ、もちろん。さっき血判した婚姻届も妖怪の世界のものですし、雪子さんの人間の世界の戸籍はそのままでいいですよ。この結婚は、雪子さんの今後の人生に、特に悪い影響を与えるものではないです」
「そうですか、よかった……」

 いきなり結婚させられてびっくりしたが、そういうことなら、まあいいか。

 しかし、そこでふと、雪子は気になった。

「理屈はよくわかったんですけど、厄除けの加護をしてもらう私はともかく、黒川さんは私なんかと急に結婚していいんですか? 黒川さんにだって、人生の計画とか色々あるんじゃ……」
「いえ、僕はむしろ、雪子さんとの結婚は大歓迎ですよ」
「え、どうして――」
「そりゃあ、雪子さんのこと、大好きだからに決まってるじゃないですか」

 黒川は雪子をまっすぐ見つめ、きっぱりと言い切った。その赤い瞳はとても澄んだ、やさしい光をたたえているように見える……。

「な、なんでそんなこと――」

 いきなり言うんだろう! こっちをガン見して、さらっと言うんだろう! 雪子は瞬間、頭が真っ白になった。

 そして、そんな雪子の反応を見て、黒川はおかしそうに笑った。

「はは、いいんですよ、変に気にしないでください。あくまで僕が一方的にそう思っているというだけの話です。雪子さんは僕のことは、せいぜい、よくしゃべる生ゴミぐらいにしか思ってないのでしょうし」
「い、いや! いくらなんでも、そこまでひどくはないですよ!」
「え、本当ですか? よくしゃべる資源ゴミくらいには思ってますか?」
「いや、だからゴミじゃないですってば……」

 そういや、この人と最初に出会ったのもゴミ捨て場だったかなあ。雪子はふと笑った。なんだか緊張が一気にほぐれる気がした。

「黒川さんのことは、一応、一人の男の人としては認識してますよ。べ、別にそこまで嫌いでもないし……」
「本当ですか! うれしいなあ!」

 黒川はにっこり笑って、雪子の手を両手でぎゅっと握った。とても大切なもののように。

「じゃあ、これからも、お隣さんとして、名目上の夫婦として、末永くよろしくお願いします、雪子さん」
「は、はい……」

 黒川のうれしそうな顔を見ていると、雪子も自然と笑みがこぼれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

京都鴨川まねき亭~化け猫さまの愛され仮嫁~

汐埼ゆたか
キャラ文芸
はじまりは、京都鴨川にかかる『賀茂大橋』 再就職先に行くはずが迷子になり、途方に暮れていた。 けれど、ひょんなことからたどり着いたのは、アンティークショップのような古道具屋のような不思議なお店 『まねき亭』 見たことがないほどの端正な容姿を持つ店主に「嫁になれ」と迫られ、即座に断ったが時すでに遅し。 このときすでに、璃世は不思議なあやかしの世界に足を踏み入れていたのだった。 ・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ 『観念して俺の嫁になればいい』 『断固としてお断りいたします!』  平凡女子 VS 化け猫美男子  勝つのはどっち? ・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイトからの転載作品 ※無断転載禁止

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

30歳、魔法使いになりました。

本見りん
キャラ文芸
30歳の誕生日に魔法に目覚めた鞍馬花凛。 そして世間では『30歳直前の独身』が何者かに襲われる通り魔事件が多発していた。巻き込まれた花凛を助けたのは1人の青年。……彼も『魔法』を使っていた。 そんな時会社での揉め事があり実家に帰った花凛は、鞍馬家本家当主から呼び出され思わぬ事実を知らされる……。 ゆっくり更新です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...