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5 黒川さんの里帰り
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次に彼女が目を開けたとき、そこはもう清めの泉ではなかった。彼女は浴衣のような白い着物を着せられ、ふかふかの布団に寝かされていた。
彼女のいる部屋の照明はついてなかったが、障子の向こうは夜明けの光でほんのり明るくなっていた。自分は一晩中ここで寝かされていたようだ、
というか、ここはいったいどこだろう? 雪子はゆっくりと布団の中で起き上がった。
と、そこで、すぐ隣から声がした。
「よく眠れましたか、赤城さん?」
雪子はぎょっとして、隣を見た。すると、同じ布団の中に、黒川が寝そべっていた。彼女と同じような白い着物を着ている。
「な、なんで私の隣で寝ているんですか!」
あわてて布団から出て、黒川から距離を取る。
「いやあ、ゆうべ赤城さんをここに運んで寝かせたまではよかったんですが、ただ一人で起きているというのも手持ち無沙汰なので」
ははは、と、黒川は笑いながら言う。
「い、いや、だからって、そんな……」
まさかこの男と、一晩同じ布団で寝ていたなんて。雪子はまたもや顔が熱くなった。
繰り返しになるが、彼女は二十五歳にもなって恋愛経験ゼロである。たとえただの添い寝だったとしても、男と同衾するなんて初めての体験だ!
「まあ、僕の神気のせいで、赤城さんに何か悪い影響が出たら大変ですからね。一晩くらいは見守っておかないと」
「そ、そんなこと今さら言われても……」
こっちは初めてのことなんだから、ちゃんと前もって説明してもらわないと、そのう、困る。
雪子は恥ずかしさのあまり、すっかり縮こまってしまった。黒川から顔をそらし、部屋の隅で体育座りしてしまう。
すると、彼は布団から這い出て彼女のほうに近づいてきた。「まだ夜が明けたばっかりですよ。もう少し休んでいては?」とかなんとか言って。彼女はびっくりして、あわてて彼から離れた。
「わ、わたし、ちょっとトイレ行ってきます!」
そのまま障子を開けて部屋の外に飛び出した。今は彼と一緒に同じ部屋にいると、恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
屋敷はやはり広々としていて、トイレがどこにあるのかはよくわからなかった。まあ、特にもよおしてはいないから見つからなくてもいいのだが。彼女はゆっくりと庭に面した廊下を歩いていった。庭の向こう、遠くの空は白み始めていて、山々の頂は朝日でほんのりオレンジ色に染まっていた。
と、そんなとき、彼女は庭の隅にたたずむ人影を発見した。玄信だ。今は寝起きだろうか、寝巻きと思しき白い着流しを着ている。
「……あれ?」
雪子はその姿にちょっと驚いた。というのも、痛スウェットを着ていた昨夜とはあまりにも印象が違って見えたからだ。ただ簡素な着流しを着て、朝日を浴びて立っているだけなのに、その姿は妙に威厳があり、歴戦の剣士のような風格すらあった。
この人、まともな格好をすれば、まともにかっこいいのでは? なんであんなオタクファッションなんか着ているんだろう……。さすが黒川の父である。変なところがすごくよく似ている。
「よう、嬢ちゃん、起きたのかい」
やがて玄信が、彼女の視線に気づいて、こっちに振り返った。彼女はすぐに庭に出て彼のところに行った。
「おはようございます。玄信さん。わざわざ泊めていただいてありがとうございます」
「おお、いいってことよ。部屋は余ってるからな」
がはは、と、昨夜と同じように豪快に笑う玄信だった。
「それで、厄除けは無事に終わったのかい?」
「はい、たぶん」
「そうか、そいつはめでてえな!」
「は、はあ」
めでたいことなのかなあ? なぜかお祝いモードの玄信のノリがよくわからない雪子であった。
「ところで、嬢ちゃんから見て、あいつは漫画家としてどんな塩梅だ? 東京でうまくやってるのかい?」
「え、それはそのう……」
打ち切り寸前の、吹けば消えるような線香花火状態とは、さすがに言いづらい。
だが、玄信はそんな彼女の反応から全てを察したようだった。
「はは、やっぱ売れてねえのか。まあ、そうだろうな。ゆうべ、あいつに、『お前の漫画、そろそろアニメ化しねえのか?』って聞いたら、真っ青な顔で絶句してやがったからな、大方、アニメ化どころか出版社に切られる寸前ってところだろう」
「はい。そんな感じです……」
さすが父親。全てをお見通しというわけか。それにしても、質問がちょっと残酷すぎる気がするが。
「まあ、何が売れるか売れないかは、時の運みてえなところがあるからな。俺も、すげーハマってたアニメあったんだがよ、もろもろの売り上げ爆死しちまったから、二期はねえんだわ、これが。つれーけど、まあしゃーねえよな。金がそれなりに動くコンテンツじゃねえと、どの業界でもお払い箱って決まってるもんだしよ」
「で、ですね……」
唐突にオタ全開のトークが始まって、ちょっと困惑してしまう。言っていることはよくわかるのだが。
「ただ、あいつはド貧乏のくせに、ここにはめったに帰ってこねえんだ。意地でも東京で漫画描き続けたいらしいんだよな。泡沫漫画家のくせに、気骨だけは一人前なんだよ。まったく、笑わせやがる」
それは辛らつなようで、どこか自慢げな口ぶりだった。父親として、息子のふがいなさを嘆きながらも、彼がプロの漫画家として今も活動しているのを誇りに思っているのだろうか。
「まあ、そういうわけだからよ。これからもあいつのことをよろしく頼むわ、嬢ちゃん」
「あ、はい……」
またしても黒川の身内によろしく頼まれてしまい、ますます困惑する雪子であった。
彼女のいる部屋の照明はついてなかったが、障子の向こうは夜明けの光でほんのり明るくなっていた。自分は一晩中ここで寝かされていたようだ、
というか、ここはいったいどこだろう? 雪子はゆっくりと布団の中で起き上がった。
と、そこで、すぐ隣から声がした。
「よく眠れましたか、赤城さん?」
雪子はぎょっとして、隣を見た。すると、同じ布団の中に、黒川が寝そべっていた。彼女と同じような白い着物を着ている。
「な、なんで私の隣で寝ているんですか!」
あわてて布団から出て、黒川から距離を取る。
「いやあ、ゆうべ赤城さんをここに運んで寝かせたまではよかったんですが、ただ一人で起きているというのも手持ち無沙汰なので」
ははは、と、黒川は笑いながら言う。
「い、いや、だからって、そんな……」
まさかこの男と、一晩同じ布団で寝ていたなんて。雪子はまたもや顔が熱くなった。
繰り返しになるが、彼女は二十五歳にもなって恋愛経験ゼロである。たとえただの添い寝だったとしても、男と同衾するなんて初めての体験だ!
「まあ、僕の神気のせいで、赤城さんに何か悪い影響が出たら大変ですからね。一晩くらいは見守っておかないと」
「そ、そんなこと今さら言われても……」
こっちは初めてのことなんだから、ちゃんと前もって説明してもらわないと、そのう、困る。
雪子は恥ずかしさのあまり、すっかり縮こまってしまった。黒川から顔をそらし、部屋の隅で体育座りしてしまう。
すると、彼は布団から這い出て彼女のほうに近づいてきた。「まだ夜が明けたばっかりですよ。もう少し休んでいては?」とかなんとか言って。彼女はびっくりして、あわてて彼から離れた。
「わ、わたし、ちょっとトイレ行ってきます!」
そのまま障子を開けて部屋の外に飛び出した。今は彼と一緒に同じ部屋にいると、恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
屋敷はやはり広々としていて、トイレがどこにあるのかはよくわからなかった。まあ、特にもよおしてはいないから見つからなくてもいいのだが。彼女はゆっくりと庭に面した廊下を歩いていった。庭の向こう、遠くの空は白み始めていて、山々の頂は朝日でほんのりオレンジ色に染まっていた。
と、そんなとき、彼女は庭の隅にたたずむ人影を発見した。玄信だ。今は寝起きだろうか、寝巻きと思しき白い着流しを着ている。
「……あれ?」
雪子はその姿にちょっと驚いた。というのも、痛スウェットを着ていた昨夜とはあまりにも印象が違って見えたからだ。ただ簡素な着流しを着て、朝日を浴びて立っているだけなのに、その姿は妙に威厳があり、歴戦の剣士のような風格すらあった。
この人、まともな格好をすれば、まともにかっこいいのでは? なんであんなオタクファッションなんか着ているんだろう……。さすが黒川の父である。変なところがすごくよく似ている。
「よう、嬢ちゃん、起きたのかい」
やがて玄信が、彼女の視線に気づいて、こっちに振り返った。彼女はすぐに庭に出て彼のところに行った。
「おはようございます。玄信さん。わざわざ泊めていただいてありがとうございます」
「おお、いいってことよ。部屋は余ってるからな」
がはは、と、昨夜と同じように豪快に笑う玄信だった。
「それで、厄除けは無事に終わったのかい?」
「はい、たぶん」
「そうか、そいつはめでてえな!」
「は、はあ」
めでたいことなのかなあ? なぜかお祝いモードの玄信のノリがよくわからない雪子であった。
「ところで、嬢ちゃんから見て、あいつは漫画家としてどんな塩梅だ? 東京でうまくやってるのかい?」
「え、それはそのう……」
打ち切り寸前の、吹けば消えるような線香花火状態とは、さすがに言いづらい。
だが、玄信はそんな彼女の反応から全てを察したようだった。
「はは、やっぱ売れてねえのか。まあ、そうだろうな。ゆうべ、あいつに、『お前の漫画、そろそろアニメ化しねえのか?』って聞いたら、真っ青な顔で絶句してやがったからな、大方、アニメ化どころか出版社に切られる寸前ってところだろう」
「はい。そんな感じです……」
さすが父親。全てをお見通しというわけか。それにしても、質問がちょっと残酷すぎる気がするが。
「まあ、何が売れるか売れないかは、時の運みてえなところがあるからな。俺も、すげーハマってたアニメあったんだがよ、もろもろの売り上げ爆死しちまったから、二期はねえんだわ、これが。つれーけど、まあしゃーねえよな。金がそれなりに動くコンテンツじゃねえと、どの業界でもお払い箱って決まってるもんだしよ」
「で、ですね……」
唐突にオタ全開のトークが始まって、ちょっと困惑してしまう。言っていることはよくわかるのだが。
「ただ、あいつはド貧乏のくせに、ここにはめったに帰ってこねえんだ。意地でも東京で漫画描き続けたいらしいんだよな。泡沫漫画家のくせに、気骨だけは一人前なんだよ。まったく、笑わせやがる」
それは辛らつなようで、どこか自慢げな口ぶりだった。父親として、息子のふがいなさを嘆きながらも、彼がプロの漫画家として今も活動しているのを誇りに思っているのだろうか。
「まあ、そういうわけだからよ。これからもあいつのことをよろしく頼むわ、嬢ちゃん」
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